第七十六話 黙示の光 ―Everything is attributed to nothing.―
「あたしは――あたしがそうしたかったから人を殺したの! 他人なんて要らない、あたしの世界にはあたしだけがいればいい! これは、あたしの意志よ!」
一撃、二撃、もう一撃。
剣術も何もない、ただ衝動に任せて突き込まれる光の剣。
少女の語気が強まれば強まるほどに速度を増すその剣に、カナタは否応なしに遅れを取らされた。
「っ……!?」
目の前の少女の渇望が、欲望が、悲願が、カナタには理解できてしまった。
心の中に燃やすその黒い炎は、かつてカナタの中にもあったものだから。
だが――マオが心に飼う「怪物」は、少年のそれとは比べ物にならないほど肥大化し、こうして凶行に至ってしまった。
「邪魔をするならあんたも殺す、月居カナタ!!」
少女の殺意を真正面から受け、カナタは赤い涙を流しながら歯を食いしばった。
マナカを――マオを殺したくなどない。それでも言葉は届かない。対話を望むカナタの意思はマオの黒い炎に焼き消され、拒絶される。
今のカナタは彼女の剣に食らいつくのが精一杯で、無傷で「押さえる」ことなど出来ない。
ならばもう、結末は決まってしまっている。
マオを殺すか、自分が死ぬか。あるいは刺し違えるか。どちらにせよ、どちらかが死なない限り決着はつきはしない。
「マオさん――!! も、もう、やめてよッ!!」
戦いたくない。人を殺したくなどない。マオを――その心の中にいたマナカを、なかったことになどできない。
彼女と歩むはずの未来があった。いつか皆で地上の星を見ようと約束した。遠征が終わったら皆でフルーツ狩りをしようと言った。必ず生きて再会しようと、A組の皆やミユキと誓いを交わした。
もっと彼女の笑顔が見たかった。彼女と手を繋ぎたかった。抱きしめてキスをしたかった。その先の行為だって、もう二度とできなくなるかもしれないなんて、考えたこともなかった。
「ぼ、僕はっ、殺したくなんか……!」
彼女の優しい微笑み、明るい声、契約を結んだ黄昏の赤、抜けるように白くて綺麗な裸身、共に弾いたピアノの音――思い出が脳裏に過ぎっては消えていった。
止めどなく流れる血の涙に洗われて、色づいていた記憶は赤一色に染まっていく。
心は殺したくないと必死に訴えかけてくるのに、それでも身体は戦闘をやめない。止まらない自分にカナタは吐き気がする。負けはしないというプライドも、言ってしまえばみっともなく生命にしがみつくための大義名分に過ぎなかった。
マオの剣を躱して急上昇し、それを追って伸ばされる光線を【ガミジンの鬣】で防ぎきる。
回避と防御、消極的な行動に切り替えたカナタに対し、マオは盛大に舌打ちを鳴らした。
「嫌いなのよ、あんたみたいな奴は!」
操縦席の補助アームが打ってくれる『薬』で魔力を回復しても、それを上回るペースでマオの魔力は削れていっていた。
【マーシー・ソード】はもう使えない。残り僅かな魔力で撃てる魔法は、せいぜいあと一発というところだ。
それがSAMの、ヒトの限界なのだと、彼女の中でチュウヤが呟きをこぼす。
「な、何とでも言ってよ! きっ君に何を言われようが、僕は殺すのも、殺されるのも嫌なんだ!」
カナタの状態もまた、同じだった。
【ガミジンの鬣】と【大旋風】の連続使用は少年を限界近くまで消耗させている。
次の大技で勝負が決まる。そう悟った両者は空中で動きを止め、対峙した。
張り詰める空気に、降りる沈黙。二人は荒く息を吐きながら相手を睥睨し、アクションを起こす瞬間に備えんとする。
だがそこでふと、マオが沈黙を破った。
「……あたしはね、汚れてるの」
ぽつり、とマオは話し出す。
互いに武器を構え、最後の一撃を放つべく魔力を溜めている状態の中、まるでカナタへ手向けるように。
「アバズレ、娼婦、慰み者……好きに呼んだらいいわ。でもね、あたしはもうその過去をなかったことになんかしない。偽りの自分を盾にしようとなんかしない。だって、あたしは力を手に入れたんだもの。
……ねえ、月居カナタ。あんたはあたしを哀れむかしら? それとも愚かだって笑う? まあ、どっちだっていいわ。答えなんてもう、何の意味も為さないんだから!」
少女が叫び、そして【ラファエル】の翼は黄金の光輝を帯びながら形を変える。
その羽根の一枚一枚は金色の魔力。それは本来の翼を覆い隠すほどに広がり、その根元からさらに伸び出でて六枚三対の巨大な翼を生み出した。
後光のごときその輝きは少年の視界を白く染め上げる。あんたの全てをあたしの意思が塗りつぶす、そう言わんばかりに。
「さあ、終わらせてやるわ!!」
光の奔流の中心に座す機体、その主が咆吼した。
少年は剣を執る。
殺したくない。だが何もしなければマオの殺戮は終わらせられない。
ならばカナタはどうするか。何をすれば彼女の心に触れられるのか。
一瞬の間に思考を巡らせる。
「……マオさん」
マオの願う他者の排斥はカナタが抱えていた感情と同じもの。
カナタがその黒い炎を鎮めることが出来たのは、ひとえにマナカがいたからだ。マナカが彼を一人の人間として認め、同じ場所にいてくれたことで、カナタは誰かを信じてみようと思えた。
自分の周りの全てが悪意に満ちていると思い込んでいた彼を、その暗い思考の沼から引きずり出してくれたのは、他でもないマナカだった。
カナタはマナカに救われた。今度は自分が、誰かを――マオを救う番なのだ。
同じ感情を抱いたならば、分かる。マオは堕ちた天使でも憎悪の化身でもなく、一人の少女でしかないということが。一人ぼっちで、誰にも助けを求められなくて泣いていた、そんな子供なのだということが。
「きっ君は、世界の全てに嫌われているわけじゃない! だって、ここに――」
「【呑み込め、神光】――【アポカリプス・レイ】!!」
少年の声を少女の詠唱がかき消した。
超短文詠唱で終えられるコマンド、発動する大魔法。
光の翼は際限なく広がり、天の全てを押し流すかのごとき鯨波と化す。
彼女を中心としてあらゆるものを呑み込み、物質の実体という「覆い」を外すように、光に乗せて運ばれた微小な魔力粒は激しく振動して、発生した熱が破壊を引き起こした。
天より降り注ぐ光が大地を撫で、そこにいたものたちを余さず殺戮していく。
『アモン』や『アンドレアルフス』、『第二級』以下の【異形】たち、似鳥アキラと立川中佐、本隊への合流が間に合わなかった最前線の兵たち、全て。
「何だ、この熱は!?」
機体内の熱量を示すメーターの数値が際限なく上がっていくのを目にして、状況を理解できずに立川マコト中佐は狼狽える。
【機動天使】に搭載された圧倒的な魔力増幅装置による、超威力の魔法。かつて人の戦争で使われた核爆弾、それに匹敵するのではないかと思えるほど、その光の雨が持つ力は凄まじかった。
アキラの魔法ではない。彼らよりも遥か上空より放たれた、戦場全体を巻き込む無慈悲なる光輝。
そしてその瞬間、アキラの【空戦型】は『第一級』たちを運んできたのと同じワームホールによって中佐の眼前から消え失せる。
「待てっ、逃げるな、私はまだ、君を連れも――」
それ以上の言葉は発されなかった。
上昇しきった熱に耐え切れず爆発した【指揮官機】の残骸は、灰となって仲間の屍の上に降り注いでいく。
*
「中佐――――ッ!!」
司令室に響き渡る女性士官の絶叫。
立川中佐に最も近しかった彼女の慟哭に顔を歪め、ミツヒロは魔力波に揺れる『アイギスシールド』を見据えて拳を固く握った。
彼らもモニター越しではあるが何が起こったのかを目撃していた。
『ベリアル』のワームホールによって退避したアキラ以外、『アイギスシールド』の外にいた者は例外なく爆発した。人も【異形】も関係なく、一人の少女によって無差別に命が奪われたのだ。
それに、『シールド』の防護で命を拾ったミツヒロらにも被害がなかったわけではない。この防壁は受けた攻撃に合わせて強度を変える。魔力さえあれば際限なく硬度を高められる盾は【ラファエル】の【アポカリプス・レイ】をも防いでみせたが――極限まで強度を上げるために乗員から吸い上げた魔力量は、甚大なものだった。
魔力欠乏による激しい頭痛、吐き気、動悸が兵たちを例外なく襲い、比較的魔力の少ない兵の中には倒れて意識を失う者もいた。
先の戦いで既に魔力を消費し、薬で辛うじて身体を持たせていたミツヒロが未だ立っていられるのは、彼の規格外の気力が成せた奇跡と言って差し支えない。
「っ、意識のある者は各部隊の被害を確認せよ! それが済み次第、我々は撤退に移る!」
ここまでの被害と消耗を鑑みて、ミツヒロは作戦の遂行を諦めざるを得なかった。
カグヤにどう思われようが人命が第一である。この作戦の失敗で責任を追及されようとも、これ以上の被害を出すよりずっとマシだ。
立場に縋るだけの保身主義者はもういない。親友の裏切りを見抜いていながら何も出来なかった罪を背負う青年は、苦渋を呑んで命令する。
反駁しようという無謀な者はおらず、動ける全員が全力で務めを果たさんとしていた。
「すまない、月居……」
【ラファエル】の至近距離にいたカナタがどうなったか、その結果は深く考えずとも分かることだ。
月居司令から預かった大切な男の子を守りきれなかった――悔やんでも悔やみきれないミツヒロは、せめて残った皆を生きて帰すことで彼への弔いにしようと決めた。
涙を流すのは撤退が無事に完了した後でいい。
俯いていた青年は顔を上げ、魔力欠乏のために顔面を蒼白にしながらも指揮を執る。
各部隊の人員や機体の状況確認を迅速に進めていく彼らのうち、ある一人が、味方からの通信が届いたことに気づいて鋭く声を上げる。
「味方機からの通信が入っています! 発信元は――【ラジエル】!」
「つ、繋げろ! 早く!」
唇を震わせてその機体名を読み上げるオペレーターに、ミツヒロは逸る声音で促した。
彼の命を受け、通信はすぐに繋げられる。
直後、電波状況が悪く途切れとぎれの声ではあるが、正真正銘カナタの声で報告がもたらされた。
『み……ど少将……ぼ、僕……瀬那、さ…………』
「月居! おい、もう少し電波はマシにならないのか!?」
瀬那マナカがどうなのか、肝心なその後が聞こえてこない。
苛立ちを露に叫ぶミツヒロは舌打ちし、そして次の発言で司令部の度肝を抜いた。
「俺が外に出て状況を確かめる! 『シールド』外なら通信もちゃんと届くはずだ!」
「ま、待ってください少将! まだ魔法の効果は働いているかもしれません、今出られるのは危険です!」
制止してくる部下たちの気持ちは分かるが、今のミツヒロにとってはカナタの無事を確かめるほうがよほど大事だった。
アキラが実際に人類に反旗を翻してもミツヒロがどうにか冷静さを保っていられたのは、事前に彼の裏切りを察知していたから。しかし、カナタは違う。明確な予兆なく瀬那マナカに敵対されてしまった彼のショックは、ミツヒロが思うよりもずっと深刻だろう。
大切な人が敵に回ってしまったという同じ境遇の者として、ミツヒロはカナタを放ってはおけなかった。
「どうせ作戦失敗で降級する立場なんだ、多少の好き勝手くらい誤差だろう!」
半ば自暴自棄な言い訳を残してミツヒロは司令部を飛び出した。
彼のあとに、先ほど司令部に来るまで付き添った空軍の兵士も続く。
【ラミエル】が大破しミツヒロ自身もまともに操縦できるコンディションになかったため、その兵士が来てくれたことはありがたかった。
「すまないな、俺の身勝手に付き合わせて……」
「いえ。俺も似鳥大尉とは付き合いがあったものですから……この戦いの意味を、確かめたくて……」
大柄で朴訥そうな青年はそう言った。
皆に愛された似鳥アキラがどうして【異形】の側に付いてしまったのか――確かにそれはミツヒロも知りたいところだった。
彼らの裏切りで作戦は滅茶苦茶になった。兵も多く死に、機体も同じだけスクラップになった。
アキラやマオに殺された兵たちの命は果たして無駄だったのか。その死には全く意味がなかったのか。そのことから目を逸らして考えないようにするのは、あまりにも無責任な話だとミツヒロは思った。
「戦いの意味、か……」
もう何度、同じことを考えただろう。
戦場に出る前の学生時代、初めて地上で戦った18の頃、昇格を重ねて前線に出る機会が減った後も、彼はいつだって思索せずにはいられなかった。




