第七十五話 瞳の炎 ―Intervention and refusal―
司令部に舞い戻ったミツヒロは、そこにいる全員を見渡して命じた。
「『アイギスシールド』展開! 神出鬼没の『第一級』の攻撃に備えよ!」
本隊全体を覆い隠すほどの大規模魔力防壁、『アイギスシールド』。
飛空艇と各戦闘機に搭載されている『コア』が乗員から魔力を吸い上げることで展開される、レジスタンスが誇る最高の防御である。
「しかし閣下、今それを使えばあなたの身体は……!」
「構わないさ。俺一人の犠牲で隊全体を守れるなら、この身を捧げることくらい!」
薬が効いてきて五感が研ぎ澄まされていくのをミツヒロは感じていた。
明瞭な意識のもとで指揮を執り、部隊を守る――それが自分の贖罪なのだと彼は思う。
艇のシステムを制御する女性士官は少将の意向を受け、その防壁を発動させた。
同時に各戦闘機にも指令が行き渡り、兵たちから魔力を得て半透明の虹色の防壁を展開する。
「ぐっ……月居ッ! 俺たちのことは気にしなくていい、瀬那やアキラのもとへ向かえ!」
防壁の展開し始めに乗員からごっそり魔力を奪っていく『コア』。
最初の急速な吸収さえ乗り越えれば楽になる――そう自らに言い聞かせることで必死に耐えるミツヒロは、『ガミジン』を喰らった少年へ鋭く命じた。
心優しい少年はマナカらと『デカラビア』、両方を対処しようとして板挟みになってしまうだろう。ミツヒロはそれを分かった上で、自分たちのことは自分たちで守った。
「りょ、了解です!」と返ってくる声に頷き、金髪の青年は杖を頼りに毅然と立つ。
モニターに映る二機の飛行型SAMを見据え、その正体を明るみに出来なかった己の弱さを悔いながら、ミツヒロはただカナタの勝利を祈った。
*
何故、と何度問いかけてもきっと、納得できる答えは返ってこないだろう。
人が人に攻撃する。人を傷つける。その命を無為に奪いゆく。
その殺傷に果たして何の意味があるのか、カナタには分からなかった。
生きるためにあらゆる生命は他の生命を喰らう。だが、彼女らは違う。
彼女らに殺された人が死ななくてはならない理由も、彼女らが彼らを殺さなくてはならない理由も、なかったはずだ。
(マナカさん……僕が、君の中に潜む【異形】を排除できなかったせいで――)
快活で、優しくて、善良な少女であった瀬那マナカがそのような凶行に及ぶわけがない。
悪いのは彼女にそうさせた【異形】だ。アキラについても確証はないがそうだ。そう、でないと――辻褄が合わない。
一切の整合性をかなぐり捨てた、混沌の戦場。
兵が逃げ惑い、度重なる爆撃と光条は破壊の限りを尽くしていく。
充満しているのは死の匂いだ。カナタがつい先ほど味わったそれが、本隊の前方に凝縮されている。
一体何人死んだのか、彼には見当もつかない。【機動天使】の規格外の力は大地へ縦横無尽に光の剣を走らせ、そこにいた者たちを余さず焼き切っていた。
「ま、マナカさん――ぼっ僕がいま、助ける!!」
胸に刻むのは誓い。瞳に燃やすのは、怒りだ。
大好きな彼女を守り、この先の未来も共にいるために、彼は飛び出していった。
『ガミジン』を喰らったことで【ラジエル】の魔力と体力は十分に回復していた。【ラファエル】はこれまでの攻撃で魔力を相当消費しており、余力ではカナタのほうに分がある。
(だから、大丈夫だ。【ラファエル】を止めて、マナカさんを救う。『獣の力』を発動している今なら、マナカさんの体内の【異形】から力を奪い去ることも可能なはずだ!)
胸中で叫び、少年は加速する。
旧国道を辿るように縦に伸びた陣形の本隊を追い越し、最前線へ。
一直線に飛来する弾丸のごとき【ラジエル】の進路の先、灰空をバックに空中に佇むのは、両翼を広げる姉妹機の【ラファエル】。
兵たちの攻撃も止め、ただ対【異形】ライフルを提げて静止しているその様子に、明確な戦意は感じられない。
それどころか、一切の感情も感じられなかった。
風も凪いだ空で対峙する二機の間に、重く冷たい沈黙が横たわる。
「…………ま、マナカ、さん」
相対する【ラファエル】のガラス色の無機質な両眼を見つめ返したカナタは、機体のスピーカー機能を使ってマナカへ呼びかけた。
マナカはそれに答えない。【ラジエル】を見据えたまま動かず、彼女はカナタの行動を待っていた。
まるで、対話を拒むように。自分たちの戦いは、その決着は、言葉ではなく「力」によってもたらされるものなのだと示すように。
「ぼ、僕は……ぼっ僕は、君を助けたい。き、君を……こっ、こ、殺したくなんか、ないんだ……!」
遠く感じられる爆撃の音。
ここに来るまでにカナタはアキラと立川中佐の機体が交戦しているところを見た。赤や緑の光線が空中に幾筋も走り、互いに致命打を与えられないままその戦いは続いている。
中佐がアキラにどのような言葉をかけているのか、カナタには分からない。
だが彼も彼なりに説得しようとしているはずだ。同じ時を過ごし、同じ空軍で戦った仲間を「ヒト」の側に引き戻すために。
命をかけて中佐はアキラと戦っているのだ。カナタも同じだけの覚悟で臨まなければ、彼やミツヒロに報いることができない。
「……ほ、本当は、戦いたくなんかなかった。でっでも、僕は、君を救うためなら――!」
赤い瞳に光が宿る。
熱く燃える呼気を吐き、少年は【白銀剣】を抜いた。
煌く刃に映る機体の目は、彼の心情を反映したかのように赤い輝きを放っていた。
そして、飛び出す。
「はああああッ!!」
叫び、大上段に掲げた剣を力いっぱい振り下ろす。
迸る気合と共に閃いた白銀は、空中に停止したままの【ラファエル】の胴に肉薄した。
しかし、直後。
「遅い」
カナタの眼前から【ラファエル】の姿が消え失せる。
刃が空を斬る感触に少年は瞠目し――鋭利な殺気を背後に感じて振り返った。
「ッ――!?」
咄嗟に振り抜いた剣が、少女の光の剣と触れ合った。
じゅわっ、と瞬間的に溶け出す【白銀剣】。その熱の侵食を食い止めんとカナタは闇属性の付与魔法――毒島カツミの十八番である【闇の覇王】――を発動し、刃全体を黒いオーラでコーティングした。
光属性と相反する闇属性の魔力で、【ラファエル】の魔法を打ち消していく。
「やっ、やめてよ、マナカさん!」
「誰が止めるって? あたしの名前は、マナカなんかじゃない!」
ライフルの銃口から伸びていた光の剣を引き戻し、後退するマオ。
彼女の言葉にカナタは絶句した。
どういうことだ? あの機体に乗っているのは正真正銘、瀬那マナカその人であるはず――少年の胸中にはそんな疑念が渦を巻く。
マオはこれまで自分の存在に全く気づいてくれなかった少年を睥睨し、機体の関節が軋むほど固く拳を握り締めた。
誰からも救われなかった少女は、その名を誇示するように叫びを上げる。
「あたしの名前は瀬那マオ! マナカは改名した後の、偽りの人格に過ぎないの! ねえ月居カナタ、これが本当のあたしよ!? あんたの大好きだったマナカは、もうどこにもいやしないの!」
凄絶な笑みを顔に刻み、マオはライフルから光弾を連射した。
魔力残量を顧みないその乱射の追撃を振り切らんと、カナタは相手の予測をかき乱す不規則な機動で飛行する。
雨飛する魔力弾に言葉を発する余裕すら奪われるカナタ。
背後を確認することもままならずレーダーを頼りにマオの光弾を回避していく彼だったが――その全てを躱しきることは叶わない。
「ぐあっ!?」
左肩に一撃、食らう。
起こった小爆発の衝撃に少年の機体はバランスを崩した。
その隙を見逃すマオではない。彼女はすかさず追い打ちをかけ、確実に仕留めんと再度の【マーシー・ソード】を行使した。
黄金の光輝が銃口より伸び出て、少年の心臓へと一直線に突き進む。
「チェック!」
「――ま、負けるわけには、いかないんだッ!!」
下がった肩を強引に上げて体勢を立て直し、身体を反転させる。
少年の行動は、まさしく光速だった。
異次元の速度で実行された魔法のコマンド。脳から発される電気信号が機体に伝わったその瞬間、【ラジエル】は新たな力をそこに顕現させる。
マオの【マーシー・ソード】が直進する先、右側の胸を中心に広がりだしたのは黒煙のごとく揺らめく魔力。
少女にとって全くの初見であるその闇は光の刃を引きずり込み――その魔力を糧として【ラジエル】に力を与えた。
「何よそれ!?」
『お姉ちゃん、気をつけて! あいつは【異形】を喰らったんだ! 同胞の臭いを感じるんだよ――同胞の、血の臭いを』
攻撃を無効化され驚倒するマオに警鐘を鳴らしたのは、彼女の心の中にいる『潜伏型』、チュウヤだ。
マオの擬似弟として生きているチュウヤの口調に、普段の飄々とした雰囲気はない。
彼が感じているのは、恐れだった。ヒトでありながら【異形】を喰らい、その力を得てしまう月居カナタの能力への畏怖。
単なる『潜伏型』が持つ力にしては、強すぎるのだ。
月居カナタがかつて【異形】の刻印を刻まれた人物であることは、チュウヤも同胞の匂いを感じることで知り得ていたのだが――果たして、彼に力を残していなくなったその者は何者なのか?
『同胞のくせに、ぼくらを邪魔する力をヒトに与えるなんて……顔も知らない裏切り者にしてやられるかもしれないよ、ぼくらは』
【ラジエル】の胸部を覆う黒いオーラは触手のごとき形を成し、【ラファエル】へと急迫していた。
追う側から追われる側へと逆転させられたマオは退避しながら【モードチェンジ】を敢行、より飛行特化となった姿で少年の魔手から逃れようとする。
槍のごとく伸び、鞭のようにしなる黒い触手。
一本を避けてもまた一本と、回避に暇もない。
上下左右あらゆる方向に飛び回り、マオは内臓が滅茶苦茶に掻き回されるような不快感に耐えていく。
【モードチェンジ】は速度を大きく上昇させる代わりに魔力消費が著しく、長時間は使えない。先ほどからの【マーシー・ソード】の連発もあって魔力残量が半分を切った彼女は、戦いを早期に決着させなければならなかった。
おそらく真正面からやり合っても【ラファエル】では勝てない。
【異形】の能力を喰らう力、あれの戦闘における重要度が高すぎる。
(癪だけど認めるしかない。あんたの力は脅威だよ、月居カナタ! でも――)
瀬那マオは【ラファエル】を得て強者になれたと思い込んでいた。
だが、違ったのだ。弱者をいたぶるだけの者は本物の強者とはいえない。本物の、本当の強者というのは――より強い敵を乗り越えられる者なのだ。
『アンドレアルフス』に敗北を喫したのは、彼女にとって幸運だったのかもしれない。
何故なら、そのことに気づかせてくれたのだから。一度の敗北を経て自身の弱さに気がついたマオは、「強者」であるカナタを前にしても怯むことはなかった。
自分が全能の存在などではないと認め、足りない部分は他の要素で補う。そう、ここでいう他の要素とは――
「出番よ、『アモン』、『アンドレアルフス』!!」
フクロウの頭に狼の胴体と前脚、蛇の尾を持つキメラの【異形】、『アモン』。
マオとの交戦を半ばで終えた後、人間側と交戦することなく潜んでいた炎使いの魔神は、どこからともなく現れてカナタへ奇襲をかけた。
「い、いつの間に!?」
燃え盛る前脚の爪をもって背後から【ラジエル】の懐に切り込もうとする『アモン』に、カナタはあらん限りに目を見開く。
『アモン』はこれまで気配も魔力も一切悟らせず、ステルス状態で空中に待機していたのだ。
【ラジエル】との空中戦になることを見越し、マオはチュウヤの交信能力を経由してそう指示していた。
「ぐあああああああ――ッ!?」
【ラジエル】の体表面を覆い隠す【ガミジンの鬣】が防げるのはあくまで魔法のみ。
そのオーラを突っ切って肉薄した爪が、少年の背中を引き裂いた。
痛哭が迸る。
神経を焼く熱に少年が悶え苦しむ声は、マオの嗜虐心を大いに刺激した。
もっと痛めつけてやりたい。もっと苦しめてやりたい。箱庭の中で育てられ、傷も知らないであろう少年に、救いを求めても逃れられない絶望を刻み込んでやりた
マオは嗤う。高らかに嗤う。
胸の奥底から這い上がる欲望が、彼女の身体を震わせる。
辛苦に歪む顔が見たい。その機体の獣のごとき顔面ではなく、サファイアの瞳が綺麗なその顔が醜く歪むところが見たい。
コックピットの中にいる彼は今、泣いているだろうか。それとも涙さえ出せないほど、痛みに感覚の全てを支配されているだろうか。
どちらにせよ――斬って確かめるだけだ。
「どいてなさい、『アモン』! あとはあたしが!」
再度の【モードチェンジ】で人型に戻った【ラファエル】は【マーシー・ソード】を構えて前進する。
背中を海老反りにして落下していく【ラジエル】を追い、降下。
落下予測地点には既に『アンドレアルフス』が控えており、少年を捕らえる準備は万端だ。
上からはマオが、下には孔雀型の【異形】がいる。もうカナタに逃げ場などありはしない、はずだった。
「ぼ、僕はっ……まだ!!」
「――はっ?」
痛みのあまり機体の制御を手放していたはずのカナタが、吼えた。
必死に握り続け落とさずにいた【白銀剣】を持つ手にぐっと力を込め、白き輝きを纏わせる。
刃に纏うのは風だ。これまで何度も【異形】を倒し、彼の仲間たちを助けた【大旋風】。
「ま、マナカさん……! いいや、マオさん……!」
機体を反転させる動きと一体に、流れるように叩き込まれる風の刃。
弧を描いて迫る白刃にマオは限界まで目を見開き、光の剣でそれを受け止めた。
風と光――相反しない二属性の魔力は互いに打ち消しあうことなく、激しい魔力を散らしながら激突した。
「ぼ、僕は君と、話がしたい!」
「話すことなんかないわ! あんたのその面を思い出すだけで虫唾が走る!」
干渉と拒絶――相反する二つの感情は互いにぶつかり合い、言葉の刃が心を抉る。
何故あたしに関わろうとするの。
何故僕を遠ざけようとするの。
レンズ越しに交錯するそれぞれの赤い瞳に映るのは、相手との距離感を模索する彼ら自身だ。
「ぼ、僕は、君を知りたいんだ! 僕は君を知らなすぎた。マオさんの存在にも気付けなかった。だから……!」
その言葉を受け、マオの光は荒れ狂う彼女の心情を反映したように強まった。
渦巻く風が勢いを弱め、光の剣はカナタの魔力をも焼き消して【ラジエル】本体に迫らんとした。
「だから、何よ!? あたしを知ったところであんたは何も変わらない!」
「か、変わるさ! マナカさんを知って、レイを知って、みんなを知って、僕は変わった! 君のことだって、同じなんだ!」
負けるわけにはいかない。いや――負けたくない。
少年の瞳に灯る闘志の炎は、熱く激しく燃え盛る。それは本能のようなものだった。同じ【機動天使】パイロットとして、同じ『獣の力』を持つ者として、相手に遅れを取りたくないというプライド。
風が再び巻き起こる。片腕で構えていた剣にもう一本の腕を添えたカナタは、その烈風に想いを乗せた。
「あ、相手を知らずにこうして戦って、それで何になるっていうんだ!」
無為な戦いを続けても互いに傷を増やすだけだ。刃に頼らない関係性を築きたい――人に対しても、【異形】に対してもカナタはそう思う。
傷も痛みもなくしたい。それが絵空事でも、綺麗事でも、偽善者と笑われようとも、『力』がある限りカナタは理想を貫き続けたい。
かつて『見えざる者』と穏やかな時を過ごしたように、人と【異形】が戦争せずに共生する道は目指せるはずだ。マオが【異形】と交流し、相互理解している関係にあるのなら、カナタの理想もきっと分かってくれる。
「何になるかって? 意味なんてないわ、あたしはあたしが壊したいものを壊すだけ!」
しかし、少年の言葉は破壊と殺戮の衝動に支配される彼女には届かない。
彼の言葉も、意思も、固く閉ざされた少女の心の壁を崩すには足らない。
打ち合っては離れ、また魔力の刃をぶつける。
放散される魔力が空気をびりびりと震わせ、その波動が両機の翼や装甲を軋ませた。
カナタはその言葉で理解してしまった。瀬那マオにとっての主張の手段が暴力しかないことに。
発話にコンプレックスを持ち、ピアノ等の音楽を意思疎通の手段としたカナタのように、彼女もまた会話以外のコミュニケーションに頼るしかなかったのだ。
どうして彼女がそうなってしまったのか、カナタは知らない。だが、知ることさえ出来れば彼女との関係を上手く作れる気がした。
マオの刃から感じる感情は、苛烈な憎悪と絶対の拒絶。けれどもその裏には、純粋な少女の一面が眠っているはずなのだ。
彼女の言葉通りマナカがマオの作り出した「偽りの人格」だったとして、果たして何もないところからあれほどまで善良なマナカが生まれるだろうか。
マオの中にはマナカが一人格として誕生できる「下地」があったのだろう。性的虐待からの救いを得られず大人に絶望してしまう前のマオは、きっと穏やかで優しい少女だったに違いない。
「ま、マオさん! どうして、人を殺してしまったの!? き、君の中の【異形】が、そうさせたの!?」
そして少年は問いかける。
彼女の凶行の核心に、足を踏み込んでしまう。
その答えが自身の心を引き裂き、震わせ、少女へ向ける真っ直ぐな感情に歪みをもたらすのだとも知らず。
もう何合打ち合わせたかも知れない、空中での剣戟。
互いに相手の攻撃に対し完璧に合わせ、機体に一刀すら入れさせないその様はまさしく剣舞だ。白銀と黄金の二機は光の筋となり、灰色の空に無尽の軌跡を描いていく。
瞳の炎は激しく滾る。比喩抜きで熱くなる眼球からは魔力が漏れ出し、『力』の負荷により血涙まで加わった。
「あたしは――あたしがそうしたかったから人を殺したの! 他人なんて要らない、あたしの世界にはあたしだけがいればいい! これは、あたしの意志よ!」




