第七十四話 託す者、託される者 ―The thing which should be done?―
襲撃してきたのは味方機。
その報告をにわかには受け止められず、立川中佐は上ずった声で叫び散らす。
「そんなことがありえるか! 私たち『レジスタンス』の結束は確固たるもののはず、そんなことがあるはずが――」
「機体照合取れました! 前方で爆撃を行ったのは【ラファエル】に加え、【イェーガー・空戦型】! 【イェーガー】の機体コードは似鳥大尉のものです!」
そう読み上げるオペレーターに、中佐は絶句した。
どういうことなのか、彼には全く理解できなかった。
【ラファエル】パイロットの瀬那マナカは快活な人となりの少女だと聞いているし、似鳥大尉は空軍でも慕う者の多い温厚な人物だ。決して人に武器を向ける人物だとは思えない。
あの機体に乗っているのは本当にその二人なのか、と立川中佐は疑わずにはいられなかった。
汗で滑ってずり下がった眼鏡を直そうともせず、彼は固く握った拳を司令席の肘掛に叩きつけた。
「ただでさえ『第一級』との戦闘で大損害を被っているのに……【機動天使】が敵に回ったとなれば、我々は――」
その時司令室にいる全員の脳裏に過ぎったのは、「敗北」の二文字。
【七天使】のうちシズルの機体は中破し、ミツヒロは満身創痍で戦うこともままならない状態だ。
残るはシオンただ一人だが、空中戦に長ける【ラファエル】に対し陸戦特化の彼女は圧倒的不利を被っている。元来『第二級』以下の【異形】を大量殺戮するために生み出されたのが【マトリエル】であり、他の機体に比べても対SAM性能は低いほうなのだ。
「毒島中佐! そちらの『第一級』はどうなっている!?」
『……ゆる……な……お前は……ったい……』
立川中佐の呼びかけはシオンには届いていないのか、途切れた音声だけが返ってくる。
【異形】への怨嗟と憤激の声を吐き出すシオンは現在、マップ上の一点をぐるぐると回り続けていた。
『デカラビア』の精神攻撃による幻視に加え、幻聴、さらには魔力反応までも幻覚を感じてしまっている彼女は既に、ただ虚空に銃撃を放ち続けるだけの木偶と化してしまっていた。
「後方の『第一級』はまだ捕捉できないのか! クソッ、これでは壊滅も時間の問題じゃないか!」
部下の不安を掻き立てないよう、上官は堂々とあれ――士官としての鉄則も忘れ、立川中佐は席を立つ。
「中佐、どこへ!?」
「私も出る! 【指揮官機・空戦型】ならば【機動天使】と渡り合うことも不可能ではないはずだ! 二人を説得し、馬鹿らしい行為をやめさせる!」
怒鳴るように答え、司令室を出ようとする立川中佐の腕は、年下の女性士官に引き止められた。
悲痛な面持ちで上官を見上げた彼女は、震える声に涙を交えて訴える。
「ダメです、中佐殿! あなたがいなければ誰が全体の指揮を取れば良いのですか!? 二万の兵を抱える師団の指揮など、この場の誰も――」
「私だってそんなこと初めてやったさ! だが御門少将の代わりを務め上げた! 私などに出来ることなら優秀なお前たちにだってできるだろうさ!」
顔を真っ赤にし、唾を飛ばしながら中佐は喚き散らした。
もう彼は大声を上げて泣き出したい心境だった。それでも戦場に出ようと決めた。なのに邪魔をされ、しかも逆ギレじみた発言もしてしまった。
著しく冷静さを欠いた彼に対し、普段ならシズルがそれをなだめてくれただろう。あるいはミツヒロが厳しい口調で叱責してくれたかもしれない。
だがここでは立川中佐が最も高い立場であり、真っ向から諫められる者はいなかった。
葉山中佐の戦死、『第一級』による部隊の被害、加えて味方からの奇襲――悲劇に悲劇が重なって、もう誰も冷静ではいられない状況に陥っていた。
「このまま司令部に引きこもっていても何も守れない! 無為に死者を増やし続けるか、少しでも被害を食い止めるか、どちらがマシかは明白だろうが!」
日頃の慇懃さもかなぐり捨て、中佐は荒げた語気で部下たちの制止を振り切って走り出した。
しかし、彼がSAM格納庫へ飛び込もうとしたその時――入れ替わりでそこから出てきた青年が、彼を呼び止める。
「立川中佐。……行くのか」
空軍の兵士の肩を借りて立っていたのは、金色の天然パーマの青年だった。
顔色は酷く悪く、見るからに満身創痍といった風体だったが、その瞳には強い光が灯っている。
【空戦型】に運ばれ、部下たちに先んじて空挺まで帰投していた御門ミツヒロは、呆然と立ち止まる立川中佐を真っ直ぐ見上げた。
「……しょ、少将。す、すみません、あなたから指揮を任されておきながら勝手な判断を……」
「いや……いいさ。君が、行ってくれ。君が空軍の中で似鳥アキラをも凌ぐパイロットであることは、俺自身……よく、知っている」
謝る中佐にミツヒロは力なく笑ってみせた。
御門ミツヒロの立場はいわゆる「親の七光り」によって忖度されて与えられたもので、実力だけで見るなら優秀とはいえシズルら他の【七天使】に及ぶものではなかった。
コネだの何だの揶揄されたくなくて、青年は裏で必死に鍛錬を積んできた。優秀な同輩がSAMで飛翔する映像を何度も見返して、自分のものにしようとした。
瀬那マオは前述のようにミツヒロを冷ややかな目で見ていたが――実のところ、彼は誰よりも努力を重ねてパイロットとしての技術を高めていたのだ。そうでなかったら、先ほどの『シャックス』との戦闘も制せていなかっただろう。
「俺の飛び方は、君を参考にしたんだ。だから、わかる。君なら必ずアキラを止めてくれると……瀬那マナカにも追い縋れると、信じている」
まだ何も言っていないのに、ミツヒロはこれから立川マコトという男が何をしにいくか完璧に察していた。
親友の説得を託してくる金髪の青年に、立川中佐は込み上げてくる涙をぐっと堪えて敬礼する。
「行って参ります」
「ああ。司令部は、俺に任せてくれ」
魔力の大量消費によって身体に甚大なダメージを受けていてもなお、ミツヒロは使命を遂げんとしていた。
自分が無理を通して司令部を飛び出した手前、立川中佐もそれを止めることなく格納庫へ足を踏み入れていく。
足を引きずりながらも自らのいるべき場所へ急ぐミツヒロは、痛む胸を押さえ、呟く。
「……俺は誤った。だが……皆を死なせることだけは、何としても……!」
*
部隊西方から直進してくる黒馬の【異形】、『ガミジン』。
夜桜シズルが遠ざけ、葉山中佐らが本隊に迫るまでの時間を稼いでくれた魔神を前に、月居カナタは舞い降りる。
白銀に煌く一刀を抜き放つ【ラジエル】を駆り、少年は柳眉をつり上げて鋭く叫んだ。
「こ、ここから先には行かせない!」
『福岡プラント』近辺の旧市街地はSAMでの通行・戦闘の円滑化のために国道沿いの多くが取り壊され、平らに均されている。
『プラント』が正常に機能していた頃は特に問題もなかったが、走ることを何より得手とする馬型の【異形】に対しては逆効果だった。
障害物のない大地を驀進する『ガミジン』を阻むものはSAM以外になく、魔力によって常軌を逸した成長を遂げた巨躯はもはや人間に止める術はない。
葉山中佐の中隊やその後方にいた部隊をも踏み越えた馬型【異形】は、もう本隊のすぐ側まで迫ろうとしていた。
(あの煙みたいに広がってる鬣……とても強い魔力を感じる。触れたもの全てを取り込んでしまうような、粘っこい闇……)
あれが『ガミジン』の強さの秘密だ、とカナタは当たりをつけた。
鬣の魔力さえ奪えれば、こちらの勝機も生まれるかもしれない。
「――行くよ、【ラジエル】!」
愛機にそう呼びかけ、風を切って降下する。
視界の上から接近してきた銀色の機士の存在に『ガミジン』もすぐさま気づき、その黒煙のような鬣を上空へと伸ばした。
怨敵を捕らえんとする死霊の手のごとく肉薄する黒い魔力の筋に、【ラジエル】は急旋回で躱しながら『ガミジン』本体への攻撃を試みる。
「ぜあああああッ!!」
今や体高30メートルに迫ろうとしている魁偉の怪物の横っ腹に、カナタはすれ違いざまに剣の一撃を斬りつけた。
が、腕に伝わってくる衝撃に彼は顔をしかめる。
「くっ――!?」
硬い。まるで大岩に刃を叩きつけたかのようだ。
傷一つ付かない敵の表皮の硬さは、斬りつけたこちらの得物が刃こぼれしてしまうほど。
葉山中佐が死に際に司令部に送ってきたという映像から敵が魔法を無効化してしまうことを知り、その上で白刃をもって対処せんとしたカナタだったが、それは難しい話だと認めざるを得なかった。
何度斬りつけようが【白銀剣】がダメになるだけで成果は出せない。
おまけに魔法も通用しない。そうなれば打つ手はないか――少年は歯を食いしばり、脂汗を額に垂らした。
(何か……何か策は!? 巨大化してるぶん動きは最初に確認された時より鈍重になってるみたいだけど、もう猶予がない! 真っ向から戦っても勝てない、止めるには葉山中佐たちのような犠牲を強いるしかないのか……!?)
人の壁を作るなどという手段は取れない。これ以上の損害は部隊の運営にも支障を来すだろう。仮にこの窮境から抜け出せたとしても、『プラント』復旧の作業の人手が足らなくなる。
残された時間はあと二分もない。それまでに敵の進撃を止める策を探さなくてはならないのだ。
『ガミジン』から距離を取り、東進するそれの後をつけながら少年は必死に頭を回転させた。
(考えろ、月居カナタ! お前の知ってる戦術の全てを洗い出せ! 父さんが僕に残してくれて、矢神先生の夢にもなったロボットアニメ――きっとそこに答えはある!)
自分に鞭打ちして記憶の引き出しを手当たり次第に開けていく。
思考の回転速度が早まるに並行して呼吸は荒くなり、呼気は熱さを増していった。
澄んだ青色の瞳は鮮血の赤へと変わり、髪が逆立つとともに爪牙が伸びる。
今やカナタの時間は長く長く引き伸ばされていた。後ろへ過ぎ去っていく景色の流れもスローモーションとなっていたが、思考の海に沈み込む少年はそれを気にも留めない。
「や、やるべきことは……!」
見えた。
一瞬が永遠に感じられるほどの時の中で、カナタは答えを導き出した。
荒れ狂う鼓動が肋骨を打ち、高まる魔力の熱が滝のように汗を流させる。
牙の並ぶ顎を食いしばり、剣を高々と掲げ――彼は、撃ち放った。
「【穿ち抜け、颶風の一刀】――【穿風刃】!!」
陽光を反射して煌く剣先に生まれる、風属性の小さな魔力弾。
少年の叫びと同時に射出されたそれは、『ガミジン』の突進する先の地面に着弾し――爆発する。
刹那、巻き起こる豪風。
その着弾点を「目」として激しく渦巻く大風が、その地面を抉り、穿つ。
『ヒィィィイイイイイイン――――ッ!?』
決して止まらず驀進し続けていた『ガミジン』が急停止することなど出来るはずもなく。
超威力の爆風によってもたらされたクレーターに足を掬われ、転倒する。
倒れた衝撃で起きる地震に本隊の戦車の横転が連続する中、上空より【異形】を見下ろすカナタは肩を上下させながら息を吐いていた。
「はぁ、はぁ……やった……! これで、止まった……!」
あれだけの巨体が倒れれば自力で起き上がることもできず、あとは自重で内臓が押しつぶされ死んでいくのみだろう。
とあるロボットアニメで多用された「地崩し」戦略、それから昔動物図鑑で読んだ「ゾウなどの巨体の動物は動けない状態が長く続けば自重で死ぬ」という知識をもとに用いた策。
もしかしたらこの戦略は葉山中佐らも思いついていたかもしれないが、地形を崩すほどの超火力の魔法、さらにそれを敵の突撃前に一瞬で放つ瞬発力はカナタにしか出せないものだっただろう。
立川中佐がそこまで考えてカナタを向かわせたかは定かでないが、結果的に最良の形で『ガミジン』に対処できたわけである。
「た、立川中佐……僕、やりました! あっあのでっかい【異形】はもう動けない、あ、あとは兵を近づけさえさせなければ、魔力の鬣による被害も抑えられるはずです!」
「よくやったな、月居」
歓喜に声のトーンが上がるカナタの報告に応じたのは、立川中佐ではなかった。
満身創痍な状態であるはずのミツヒロが通信に出たことに驚くカナタに、少将は疲れを滲ませながらも気丈な声音で言った。
『俺については心配いらない。魔力消費で受けたダメージは薬である程度緩和しているからな。月居、「第一級」一体を転倒させ、生きた状態で足止め出来ている……この状況が何を意味するか、君には分かるな?』
月居カナタに発現した能力が【異形】由来のものなのではないか。そんな噂が『レジスタンス』内では囁かれており、そのために不信感を抱く者も中にはいた。
【異形】と関わりを持つ人間がいることは、アキラの件でミツヒロも承知している。彼がマオと共に反旗を翻したことで、それは決定的となってしまった。
だが、その上でミツヒロはカナタを信じる。
もしカナタが【異形】と過去に関わり、『力』を得たのだとしても――その『力』を人のために使ったこれまでの彼の姿こそ本物なのだと。
『力がなくては仲間を守ることもままならない。そういうことだ。頼むぞ、月居』
それでも一回りも年下の少年に何故だか素直に言えなくて、ミツヒロはそんな言い回しをした。
カナタは上官の口調に素直じゃない相棒を重ね、くすりと笑みをこぼす。
『な、何がおかしい?』
「い、いえ……い、今の少将が少し友達に似てて、おかしくて」
弁明してから「役目は果たします」と付け加え、彼は通信を終えた。
赤い光芒を帯びる機体の翼を大きく広げ、魔力による加速で瞬間的にトップスピードを出す。
降下し急迫する【ラジエル】に、起き上がれず狂乱する『ガミジン』の反応は一瞬遅れた。
その鬣の魔力を燃やしだした時には、既に遅い。
「おおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオ――――ッ!!』
雄叫びを上げる少年は敵の項に肉薄すると、牙のずらりと並ぶ機体のあぎとを開いてそこに食らいついた。
その叫びは少年の果敢な高い声から、獰猛な獣のような低い声に変じていく。
【ラジエル】は敵の急所を食い破り、振り回される首に爪を立てて抵抗力を徐々に奪っていった。
『暴走』でない状態で初めて行う捕食。死を悟り激烈な抵抗を試みる獲物の、荒い息遣い。血と泥の味と臭い。
命が絶えていく。血肉が機体内部の黒い箱に送られ、魔力によって分解・吸収されていく。
感じる死の臭いに少年は目を閉じたくてたまらないのに、閉じられなかった。一度「捕食」を始めてしまった身体は衝動に支配され、半ば機械的にその行為を実行していく。
まもなく、【ラジエル】は停止した。
『コア』の満腹感をそのまま感じるカナタは、『ヘッドセット』による神経接続を解除して操縦席に背中を預ける。
「う、うっ……」
今さっき食った獲物の血の臭いが蘇る。断末魔の声が耳にこびり付き、執拗に反響していた。
これが命を喰らうことなのだと、彼はこのとき始めて実感をもって理解した。
誰かが仕入れて加工したものを食べるのではなく、獲物を直に捕らえて食う、【異形】たちの捕食。
「き、君たちは……つ、強いんだね」
弱肉強食の世界で生き残らんとしている生命たちに、掠れた声でカナタは言葉を贈った。
生きるために喰らう。そこに善悪はない。対立してしまうのは、互いに生き残るためなのだ。
世界のリソースは限られており、生命が生きる限りそれの奪い合いになる。【異形】と人類との関係も、それが根本にある限り対話でどうにかなるものでもないのかもしれない。
だが、それでも――。
「ぼ、僕は、君たちと争い続けたくなんかないんだ……!」




