第七十三話 目覚めた悪意 ―You're bad for nothing.―
『第一級』の【異形】が現れ、部隊の右翼、左翼、殿をそれぞれ襲撃している。
そう聞いて、カナタはいてもたってもいられずに『メディカルルーム』を飛び出した。
大事をとって休めという軍医の制止を振り切った彼は、司令室のドアを叩く。
「ぼ、僕も行かせてください!」
入室を許可する返事も待たずに扉を開き、少年はそう訴えた。
てんやわんやの様相を呈する司令室の面々。悪化していく戦況に顔を青ざめさせながら現場からの報告を読み上げていくオペレーターに、ミツヒロに代わって総指揮を務める立川中佐は険しい面持ちで指示を下していく。
自分の声に応答している暇もない士官たちに、カナタはもう一度声を上げるべきか逡巡するが――若い女性士官が困った様子の彼に気づいて作業の手を止めた。
「月居少尉! 行くとは、どこに!?」
「い、【異形】のところへ。そ、外でこれだけの騒ぎになってるんです、ひっ被害も相当酷いものなんでしょう!? だ、だったら、僕も戦わないと……!」
自分だけがここでのうのうと休んでいるわけにはいかない。
一人だけ何も出来ていないことへの焦燥感を抱えて言ってくる少年に、答えたのは立川中佐であった。
眼鏡をかけた生真面目そうな三十代の男性中佐は、そのレンズ越しにカナタを見据えて言い渡す。
「私としても君を戦場に飛ばしてやりたい。だが、いま君に本陣を離れられると、ここを守る者がいなくなる。【イェーガー】では『第一級』の襲撃に耐えられないことは、君も重々承知のはずだ」
『第二級』以下の敵とは互角以上に戦える【イェーガー】でも、規格外の力を有する『第一級』には抗えない。カナタが『第二の世界』でグラシャ=ラボラスに勝てたのも、彼の『獣の力』があってこそだった。
旧世代機と新世代機のスペック差は少年も自分で操縦して理解している。彼は「わ、分かりました」と素直に応じ、それから申し出た。
「ぼ、僕は格納庫で待機しています。そ、それでお願いがあるのですが……あっ現れた『第一級』のデータを【ラジエル】まで送っていただけませんか?」
「分かった。相原中尉、頼む」
戦場に出てしまった真木中佐たちに代わってオペレーターを担当する中尉に立川中佐は言い、足早に司令室を退出していった少年を見送る。
溜め息を吐きたい衝動を懸命に堪え、立川中佐は撤退中の各部隊への指示を再開するのであった。
*
夜桜シズルが落とされた。
その事実を兵たちはすぐに認められず、呆然とするほかなかった。
【レジスタンスの英雄】と名高い彼女が敵わない相手に、果たして旧世代機にしか乗れない自分たちが勝てるのか――そんなもの、聞くまでもないことだろう。
答えは見え透いている。だが、それで何もせず蹂躙されるなど、夜桜シズルは望まないはずだ。
自分たちは【レジスタンス】。【異形】に反逆する、人類の戦士なのだから。
「来るぞ、備えろ! 皆、俺を支えてくれ!!」
よく通る大声で兵たちに呼びかけるのは、葉山ケンジ中佐である。
【イェーガー・オフィツィーア】を駆り、シズルの副官を務める秀麗な顔立ちの青年だ。
耐魔力大盾『プログレッシブ・シールド』を掲げる彼の言葉に、兵士たちは「おう!!」と叫び返した。
鬼神のごとき威容の【指揮官機】の背中へ掌をかざし、放散する魔力を上官へ送り込む。
「本陣には突っ込ませない! ここで止める!」
撤退から迎撃へと移ることを覚悟した一個中隊を背中に、葉山中佐は眦をつり上げて敵を見据えた。
無論、盾で受け止めるだけでは備えとしては足りない。やれることは何だってやる――そんな気概で青年は背後の部下たちへ命じた。
「魔導士隊、砲撃用意! 敵の最大の脅威はその足による踏みつけと巨体を活かした突撃だ! 足さえ潰せば脅威は半減する!」
「「はっ!!」」
魔法に秀でた者たちは【指揮官機】の後方に一列の横隊を組み、長杖を掲げて一斉に『詠唱』を開始した。
彼らの砲撃準備が整うまでの護衛として、通常機よりも重装甲にアレンジされた【イェーガー・陸戦防御型】の小隊が盾を構えて周囲を固める。
大地を踏み鳴らして猛進してくる黒馬の【異形】・『ガミジン』。
魔力が具現化した黒煙のごとき鬣を揺らめかせ、進撃する魁偉の魔神に対し――淀みない早口で詠唱を終えた魔導士隊は砲撃を敢行した。
「全魔導士隊、撃ぇ――ッ!!」
葉山中佐の号令に従って放たれる七色のビーム。
炎、風、雷、水、光、闇。各種属性の魔力を込め、増幅させただけの単純な砲撃だが――複雑でないぶん発射まで早く、連射性に優れる攻撃だ。
『ヒィィイイイイイイイインッ!!』
足元に着弾し小爆発を幾つも引き起こす砲撃に、『ガミジン』の足が止まる。
蹈鞴を踏んだ巨体の【異形】を睨んで攻撃を続行していく魔導士隊。
護衛の【陸戦防御型】ともども「やったか……!」と歓喜の声を上げかける彼らだったが、葉山中佐は彼らに先んじて違和感を抱いた。
確かに『ガミジン』は鬱陶しそうにその場で足踏みしてはいる。だが、それだけなのだ。
【七天使】と協力して『第一級』と戦った経験のある葉山中佐にはどうしても、あの「手応え」が感じられない。
「あの鬣は、一体何だ……!?」
目を眇め、喉の奥から声を絞り出す。
夜桜シズルの奥義を無効化した力。その出処があれだとしたら――?
『ヒィィイイイイイインッ――!!』
甲高く響き渡る嘶きは、人類の抵抗を呆気なく散らす合図。
全身を包み込むように黒煙を纏った『ガミジン』の姿を認めた瞬間、葉山中佐は自身の嫌な予感が的中してしまったことを悟った。
「魔導士隊、砲撃止めッ! 総員、盾を構えるんだ! 早く!」
日頃は冷静な青年の切羽詰まった声に、全ての兵が否応なしに動く。
困惑と焦燥の中でも彼らが統制を崩さずにいられたのは、葉山中佐の人望と彼を教育したシズルの手腕の賜物といえた。
直後、『プログレッシブ・シールド』を重ね合わせ、並べた中隊に襲い来る衝撃。
盾を支える腕の骨格が砕け、背骨までもが一瞬にしてへし折れる。
「ぐああああああああああああああああああああああああああああッッ――!?」
連鎖する絶叫。地面に叩きつけられ大破した機体は、そこを通過する【異形】によって無残にも踏み潰される。
もはやそれは蹂躙ですらなかった。巨象が蟻を踏み殺したところで気にも留めないように、『ガミジン』はただ進撃しただけで明確な殺戮の意思も持っていなかった。
真紅に輝く瞳が見据える先はただ一点――本隊の中心にある飛空艇である。
そこに吸い寄せられるように一直線に前進していく『ガミジン』を止められる者は、この戦場にはもういない。
「……すみま、せん……夜桜、閣下……!」
スクラップと化したコックピットと地面の間に胴を挟まれ、突き刺さった瓦礫によって腹から止めどなく血を流す葉山中佐。
彼は敵の地鳴りのような足音が遠ざかっていくのを聞きながら、鉄の味が滲む口から懺悔の言葉をこぼした。
――見えなかった。捉えられなかった。黒煙に身を包んだ敵が突撃するその一瞬は、誰にも。
陣形の中央にいた者は葉山中佐を含め全機が大破した。外側に近いところにいた者はかろうじて生き残ってはいるものの、圧倒的な力を前に茫然自失とするしかなかった。
「嗚呼……最後に、あなたに……勝利を、ほう、こく……」
流れ出る魔力液と人の血液の臭いが混じり合い、火炎に飲まれていく。
炎上の大地に弔いの花を捧ぐ者はどこにもおらず、ただ、粘っこい沈黙だけが流れた。
*
「【オフィツィーア】葉山機、大破! 現場の第六、第七小隊は壊滅状態とのこと! ――っ、今度は第10、11小隊までも……!」
舞い込んでくる報告に立川中佐は拳を固く握り締め、それを目の前のコンソールに振り下ろしたい衝動を必死に堪えなければならなかった。
「葉山中佐から救難信号は!? 機体が破壊されても、本人は脱出しているかもしれない!」
「……残念ながら、ありません。おそらくは――」
親交のあった者の戦死。そんなものは誰だって、認めたくもない。
だがここは戦場で、彼らは軍人なのだ。自分たちが命のやり取りをしに来ていることは、彼らも当然理解している。
誰かを守るために誰かが死ぬ。それが戦場の常だと分かっていてもなおやりきれなさが残ってしまうのは、果たして彼らの弱さだろうか。甘さだろうか。
「月居少尉に伝えてくれ。『あの馬型の「第一級」との交戦を命じる』と」
弱冠十六歳の少年を、既に百機以上を大破させた脅威に一人で立ち向かわせなければならない。
大人として、先達のパイロットとして、立川中佐はそう決定するまで葛藤したかった。しかし最早そう迷う時間さえ、彼らにはなかったのだ。
力ある者、未来ある者、期待と希望を背負う者――そういった人材から戦いの舞台に駆り出され、散っていく。
その運命にせめて懸命に抗い、生き残ってくれ。そう彼らは祈るしかなかった。
*
複数の『第一級』の出現により【レジスタンス】第一師団の前進は止まった。
毒島シオンらが守っていた後方、夜桜シズルが支えていた左翼は『第一級』の攻撃により壊滅。
今や戦局は【異形】たちの思うままになっている。
上空を縦横無尽に駆け巡る二つの光の筋――【ラファエル】と『アモン』――を見上げ、周囲への警戒も引き続き行いながらアキラは黙考していた。
(『共同体』の意思は人類の刃を奪うこと。彼らから反逆の力を失わせ、支配する。それに協力する人間にも相応の地位を与えると、『参謀』は言うけど……何だろう、この気持ちは)
似鳥アキラは『潜伏型』の【異形】を受け入れた証である「刻印」を持つ者の一人だ。
彼らの呼び声に「気づく」稀有な素質を有し、その意思に共鳴した戦士。
【異形】が人の社会に潜り込ませたスパイとして活動してきた彼は、人の軍に内から干渉できるよう士官として出世を目指してきた。
『迷いは捨てるんだ。君の心は僕が守ってやる』
心の中で囁く男の声。
身体と心の性が一致せず心が不安定になっていたアキラに「救い」をもたらしたのが、彼だった。
アキラが辛くなった時は彼が表の人格として出てきて、休んでいるアキラの代行者となってくれた。
似鳥アキラという人格と表裏一体の『潜伏型』の彼に、「ありがとう」と礼を返す。
(ぼくは君たちに従うつもりだよ。でも……怖いんだ。人を殺すのが。仲間を……親友を、殺したくなんかないんだ)
人として人に接した。だから、情が湧いた。
『潜伏型』はアキラを責めない。アキラの心優しい性格について、もう十年も共に過ごした彼はよく理解している。
『君は何も悪くないんだ、アキラ。悪いことは僕がやるさ。だから君は、いつもみたいに眠っていて』
彼はアキラから罪悪感を抱く機会を奪う。
その優しい言葉はアキラを微睡みに誘い、意識を失ったパイロットは操縦席にだらりと崩れ落ちた。
そしてほどなくして、目覚めた【異形】の人格がその身体の主導権を握る。
「ふぁぁ……よく寝た。ふふっ……じゃ、遊ぼうか」
こなれた手つきで操縦桿を動かし、人の造りし機械人形を自分のものにしていく彼。
前触れなしに行動を開始したアキラ機に、周囲で警戒を払う兵士たちが動揺の声を上げる。
そんな彼らを無視して【イェーガー・空戦型】を飛ばす先は、『ガミジン』と『デカラビア』の脅威に曝されようとしている本隊だ。
『福岡プラント』は現在、理智ある【異形】の『共同体』の本拠地となっている。決してそこに人を立ち入らせるな――それが彼に遠隔で伝えられた、『ベリアル』の意思であった。
「こちら似鳥アキラ。瀬那マナカさん――いや、マオさんと呼ぶべきかな。もう茶番は終わりだよ」
「あんた、お目覚めってわけ? いいわ、足だけは引っ張らないでよね!」
【異形】の人格が表出したのだと声音から正しく理解したマオは、獰猛な笑みを浮かべて舵を切る。
戦闘を止め方向転換する【ラファエル】を『アモン』は追いはしなかった。『ベリアル』によって調教されている『第一級』たちは、マオやアキラといった【異形】を宿す者と相対した場合「ポーズだけの戦い」をするよう仕込まれていたのだ。
【ラファエル】の速度にも追い縋れるよう『アモン』を育成してくれた『ベリアル』に感謝しつつ、「丁度いいウォーミングアップになった」と笑いながらマオは加速していく。
指示にない二機の行動に司令部の立川中佐らも当惑する中、二人の戦士は彼らの蒙昧さを嘲笑うかのように爆撃を開始した。
「なっ――!?」
誰も予期せぬ味方からの攻撃。
部隊上空を通過する【イェーガー】から投下される焼夷弾と【ラファエル】が乱射する魔力光線が地上のSAMたちを焼き、一機、また一機と死亡させていく。
意識外からの奇襲に防御も間に合わなかった兵たちは、その熱線の雨から逃れることも叶わない。
対処さえままならず、一個小隊がたった二機のSAMによってたちまち壊滅させられる。
「あはっ、あはっ、あはははははははははあはははははっ!」
死んでいる。死んでいる。恐怖と混乱が織り成す混沌の戦場の中で、人間たちが呆気なく。
その絶望はマオにとって何にも代え難い美酒であった。
人は他人を救わない。苦しむ者がいても見て見ぬふりをする。瀬那マオという一人の少女が助けをどれだけ求めても、誰もまともに取り合おうとはしてくれなかった。
全ては汚い大人に揉み消されたのだ。誰からも手を差し伸べてもらえず、あまつさえ「ありもしないことを喚く小娘」という烙印を押されたマオは、他人を誰も信じられなくなった。
人は道具。使えるなら擦り切れるまで使うし、そうでないなら壊して捨てるだけ。そして世の中の人間の大多数は、後者だ。
「死ねッ、死ねッ、死ねッ、死ねッ、みーんなッ、死ねばいい! あたしを救わなかった愚かな大人たちは全員、消し飛ばしてやるわ!」
高笑いと共に降り注ぐ光線は兵たちの【防衛魔法】をいとも容易く貫通し、その命を奪い去る。
爆発に紛れて届く絶鳴にぞくぞくと身体を震わせ、少女は瞳を真紅に輝かせた。
身体の奥底から突き上げてくる暴虐なる衝動。全身を奮い立たせる熱に身を委ね、マオは変貌した。
魔力によってふわりと広がる髪、鋭く伸びる犬歯と爪、血の色に染まる眼。心のうちに飼う【異形】の力を完全に解放した彼女は、湧き上がる高揚と全能感に嗤いながら飛び上がる。
「さぁ、戦いましょう、月居カナタ! あんたの理想も、未来も、あたしが引き裂いてあげる!」




