第七十一話 光と闇の英雄 ―To survive.―
フクロウの頭、狼の前足と胴、蛇の尾を持つキメラのごとき第一級【異形】・『アモン』。
上空のワームホールより襲来した新たな敵に、アキラたちの部隊は『アンドレアルフス』への攻撃を前に防衛を余儀なくされた。
連続で放たれる火球が彼らの【防衛魔法】に直撃し、灼熱と爆風、衝撃波を浴びせかける。
幾度もの爆撃を受けて亀裂を走らせ始める防壁を見上げ、アキラは苦渋に顔を歪めた。
「……流石にきついね、これは……!」
これ以上は持たないというのに、敵の攻勢は緩む気配を見せない。
体勢を立て直す隙すら与えられないこの状況では、あと一分と経たずに小隊は壊滅するだろう。
隊長として自分に何ができるか。必死に頭を回して思考する彼は、『刻印』を持つ者として『アモン』に語りかけようとし――
「いいところで邪魔してんじゃないよ、化物ッ!」
少女の苛立ちに塗れた叫びがその思考を中断させた。
光線が『アモン』の炎を吐く口元を狙い、それを躱そうと【異形】は大きく後退する。
蛇の尾をのたうたせ【浮遊魔法】によって空をも制す『アモン』を見据え、【ラファエル】のパイロットは盛大に舌打ちを放った。
「翼もないくせに空なんて飛んじゃって、気に食わない……!」
【モードチェンジ】によって飛行形態となっている【ラファエル】は、炎を吐き散らしながら上昇して距離を取ろうとする『アモン』を追跡する。
天高く上っていきながら【防衛魔法】と小型の二個砲台からの光線の連射を両立するマオ。
彼女が『アモン』を引き離してくれている間に『アンドレアルフス』を相手取らんとするアキラは、結界があった場所から孔雀型の【異形】が忽然と姿を消していることに気づき、唇を噛んだ。
「逃げられたか。レーダーに反応は!?」
一機でも奴の行方を捉えた者はいないのか、そう訊ねられた兵たちの中にアキラの期待する答えを返した者はいなかった。
一体が危機を迎えたタイミングで訪れた新手。その新手を運んできた、おそらくは『第二の世界』で確認されたものと同種のワームホール。
知性を持つ【異形】の指揮によって戦況はひっくり返った。体力・魔力ともに十分に残している『第一級』二体を相手取らねばならないという状況は、間違いなくアキラたちの分が悪い。
「似鳥大尉、どうしましょう……!?」
「あの孔雀型はまだそんなに離れてないはずだ! だけど、レーダーの範囲外までこの短時間で移動するなんて――」
そこまで言ってアキラはすぐに思い至った。
「ワームホールの使い手」が『アンドレアルフス』を逃がすために二つ目のそれを生み出したのだ。
そして彼はそこから更なる悪夢を予感してしまう。
知性ある【異形】が生み出すワームホールの数に限りがなく、その【異形】のもとにこちらを叩きのめすのに足る数の『第一級』が用意されていたとしたら、どうなるか。
――考えるまでもない。それが現実となったらアキラたちは確実に負ける。たとえ全滅は免れたとしても、作戦の成功は不可能になるとみていいだろう。
「――聞いて、ミツヒロ! 第三、第四の新手が出現する可能性がある! 『第二の世界』で月居くんたちと戦った『ベリアル』のものと酷似したワームホールが【異形】を運んできたのを、ぼくらはこの目で見た!」
通信越しにも司令部に動揺が走ったのが分かった。
硬い声音で「承知した」と返すミツヒロに、アキラは「頼んだよ」と呟く。
自分の正体に感付いた相手だとしても、ミツヒロは親友だ。その信頼は決して揺るがず、確固とした口調はミツヒロの中に残っていた余計な感情を払拭する。
――ただ今は戦闘に集中する。それだけだ、と。
*
「『第一級』の更なる出現が予測される! 総員、備えよ!!」
少将の号令に司令部の士官たちは立ち上がり、目配せし合う。
普段はそこから部下たちへ指示を出すのが主な彼らも、『第一級』が出たとなると話は別だ。『第二級』以下の【異形】とは異なり、『第一級』は並みの兵士では歯が立たない。【七天使】以下限られた精鋭でないと、無為に犠牲を増やすだけだ。
「私と御門少将、真木中佐、葉山少佐、御子柴少佐で出撃するわ。それで構わないわね、皆?」
自身とミツヒロ、他三名の若い佐官を指名してシズルは訊ねる。
【七天使】以外はパイロットしての実力が高い者順であるその任命に、異論を唱える者はいなかった。
「立川中佐、貴官に司令部を預ける。何をすべきかは俺や夜桜大佐の背中を見て分かってるな?」
二つ年下の優秀な後輩に後を託し、その敬礼を受けてからミツヒロたちはSAM格納庫へと走っていく。
既に『アーマメントスーツ』を着込んでいる彼らはそのまま愛機のもとへ向かい、乗り込んだ。
「――目覚めよ」
各々にSAMの機動コマンドを唱え、機体を覚醒させる。
起動すると共にモニターや照明によって色づいていくコックピットの中で、操縦桿を握る彼らは一気にそれを前に押し倒した。
「夜桜シズル、【レリエル】、出るわ!」
「御門ミツヒロ、【ラミエル】、出撃する!」
パイロットの声を受け、空挺は地上へ降り立ちやすいよう低空飛行へとシフトする。
ほどなくして漆黒と純白の魔力光を引いて発着場より飛び出すのは、【七天使】の二機だ。
闇と光、対極をなすその二機に続き、三名の佐官の【イェーガー・オフィツィーア】も地上へと降下していく。
ドイツ語で将校を意味する単語で呼ばれるその指揮官機は、通常の【イェーガー】より一回り大きな改良型であった。
黒いボディや人と比較して細長い四肢、獣のような顎や爪はそのままに、頭部の二本の角や肩の装甲を突き破って生えるトゲ、関節部以外を覆うフルアーマーが特徴のSAMだ。
日本の鬼や粗暴な野武士をイメージして作られた無骨なその機体は、防御力と持久力、さらには膂力も格段にパワーアップさせたことで量産機にはない「単体での強さ」を実現している。
「真木中佐は俺と右翼を、葉山中佐は夜桜大佐と左翼、御子柴少佐は毒島中佐のもとで殿を守れ! 敵の『第一級』が確認され次第周囲の兵を撤退させ、交戦せよ!」
敵が知性を持つ【異形】ならば、通常種とは異なり効率重視の狩り方を意識してくるはずだ。
部隊を包囲し逃げ場を奪い、散開することで敵の戦力も分散させる。
敵の思惑通りになるのは癪だが、一体一体に各々が当たるほかに手段はない。【七天使】や【機動天使】の突出した力で各個撃破を繰り返すのみだ。
「――御門少将! 右翼側、左翼側、後方の三方向に巨大な魔力反応を感知しました! 先ほどの孔雀型の『第一級』のそれと似た波長です!」
司令部からもたらされた報せに、ミツヒロは機体をトップスピードで飛ばして駆けつける。
シズルやシオンも各々の持ち場へと疾駆していき、その最中、部下の【イェーガー・オフィツィーア】を伴いながら上空に開いたワームホールを睨み据えた。
異空間に繋がる黒き穴より産み落とされる【異形】たちの血走った瞳は、人類への敵意と殺意、そして飽くなき闘争心を宿してシズルたちを見下ろしていた。
左翼を守るシズルらの前に現れたのは、漆黒の体躯を有し、黒煙のごとく揺らめく魔力の鬣を持つ馬型の【異形】、序列四番のガミジン。
ミツヒロのいる右翼側に出現したのは、灰色の毛並みをした巨大なコウノトリに似た容貌である序列四十四番・シャックス。
そしてシオンらが受け持つ後方に舞い降りたのは、青白い光が五芒星を描いた姿の、全身が魔力の集合体で構成される序列六十九番・デカラビア。
『魔道書』に記されし地獄の大公爵たちは、眼下の人間たちを真紅の眼で睥睨し――吼え猛った。
『オオオオオオオオオオオオオオオオッッ――――!!』
咆哮が大地を震わせた。『第一級』の出現により本陣へ撤退を開始していた兵たちは、奈落の底より這い上がってきたような怨嗟と憎悪に塗れたその声に畏怖する。
原初的な恐怖を強制的に沸き立たせる声に動けなくなる者も続出する中、そんな彼らを待たずに【異形】たちは容赦ない攻撃を仕掛けてきた。
黒煙の鬣から燃え上がる魔力が、双翼が巻き起こす竜巻が、五芒星の中央に閃く光線が、撤退中の弱者めがけて放たれる。
*
「立ち止まらず逃げなさい! ここは私が守りぬくわ!」
兵士たちを背に【レリエル】は敵の前に立ちはだかり、闇属性の防御魔法【絶対障壁】を発動した。
魔力で出来た六角形の黒い板を幾つも継ぎ合せ、巨大な盾とする魔法である。
自身が現在扱える防御魔法のうち最上級のものを惜しみなく用いるシズルの言葉に、部下たちは我を取り戻したように動き出し始めた。
わななく足を叩いて迅速なる撤退を再開する彼らを尻目に、シズルは馬型の『ガミジン』を見据える。
初見の敵を相手取るには、まずよく観察してその行動パターンを理解すること。敵の視線の動きや魔力の波長を観測し、次の手を打ってくるようなら即座に対処する。
長年の戦いで染み付いた経験則を活かし、彼女は盾越しに敵を凝視した。
「……っ、来る!」
足を踏みしめ、鼻から荒く息を吐き出す『ガミジン』。
それを攻撃の兆候と捉えたシズルは、両手で握っていた長杖を右手だけに持ち替え、敵の第二撃に備える。
直後、彼女の予想と違わず『ガミジン』は地を蹴った。
土煙を巻き上げて突進してくる黒馬の【異形】。
その瞬発力は凄まじく、約三十メートルの間合いをコンマ数秒で詰め切るほどだった。
「――ぐうっッ……!!」
機体を粉砕せんとする衝撃が【レリエル】を襲う。
単純こそ最強を体現するかのごときタックルを【絶対障壁】をもって受け止めようとするシズルだったが、止められない。
部下たちには絶対に手を出させまい――その信念で踏ん張るも、足は地面を抉りながら後ろへ押されるばかり。
激突時の衝撃によって機体の各所が軋みを上げている中、パイロットであるシズルは歯を食いしばってその痛みを堪えていた。
「……負ける、もんですかッ!!」
魔力を燃やせ。絶対に押し負けるな。それが夜桜シズルの――英雄のあり方なのだから。
「はああああああああああああああああッッ!!」
その咆哮は優美な女には似合わない。だが今のシズルはそんなものではなく、ただ敵を征伐する鬼神と化していた。
機体後部のブースターが火を噴き、燃焼する魔力が彼女の背中を押す。
最大速度で回転する足底部のローラーもそれを後押しし、敵の勢いを徐々に相殺していった。
「力比べで夜桜シズルに挑んだこと、後悔させてやるわ!」
背後の部下たちへの想いが女に力を与える。
高まった感情は脳を限界まで活性化させ、リミッターが外れて迸る魔力は機体の推力を最大まで引き上げた。
加速する。加速する。加速が止まらない。
『ガミジン』の十数トンはあるだろう巨躯を押し返していくシズルの姿は、正しく「英雄」だった。
部隊からみるみるうちに離れていくSAMと【異形】を見送る兵たちは、天を仰いで主の勝利を祈る。
勝利の女神がどちらに微笑むのか――その結末を彼らが知るのは、もう少し後の話であった。
*
翼のひと振りで発生させることができる竜巻を部隊へと直撃させてくる、コウノトリ型の【異形】『シャックス』。
ミツヒロや真木中佐の【防衛魔法】は近くの中隊を守りぬくも、彼らから見て後方の部隊まではカバーしきれなかった。
本陣にほど近い位置まで撤退を進められていた兵たちへの竜巻の直撃。
抵抗も許されず巻き上げられた機体は空中分解され、原型を留めない幾つもの残骸が地に墜ちる。
竜巻を食らった者の中に生存者が一人たりともいないことは、語るまでもない話であった。
「一個小隊が、わずか数秒で壊滅するなんて……!?」
それを目にするミツヒロらに守られた兵たちの感情は早くも絶望に支配された。
この【異形】相手に「距離を取る」という対処法は通用しないのだ。迂闊に動けばそこを狙われて木っ端微塵にされるだけ。彼らが生き残るにはミツヒロらの下でじっと身を潜めるしかなく、それは上官らの足を確実に引っ張る行為であった。
「御門少将! 我々を守ったままでは満足に戦えません! 我々のことは気にせず、どうかあの敵を討って――」
「ダメだ! お前たちを無為に死なせるわけにはいかない! それが夜桜大佐の願いなのだから!」
誰よりも信奉されている大佐の名を引き合いに、ミツヒロは部下たちを黙らせた。
たかが一個中隊を守ることに戦略的な価値があるとはミツヒロも思ってはいない。死んでも換えが効くような人材しかそこにいないということも、残酷ながら事実だ。
しかし――知性ある【異形】と戦争しているこの状況で、味方を見捨てることによる禍根を彼は残したくなかった。
それに、見捨てた結果部下たちからの信頼が薄らぐことも怖かった。明るみになれば失墜は間違いない不祥事を抱えてしまったミツヒロは、これ以上の悪手を打つわけにもいかなかった。
結局はエゴによるところが大きかったのだが、部下たちはそれを知る由もなく、彼の言葉に涙を流す者さえいた。
竜巻の暴威をドーム型に展開した【防衛魔法】のバリアで防ぎながら、ミツヒロは早口に真木中佐へと命じる。
「真木、お前が中隊を守り抜け。【オフィツィーア】の総魔力量ならば五分間は一個中隊全体を覆う【防衛魔法】を展開し続けられるはずだ」
「む、無茶です少将!? 今だって精一杯なのに、一人でなんて……!」
真木ヒナという若い女性中佐はミツヒロの命令に異議を唱えた。
それが無謀な話であるのはミツヒロも重々承知である。しかし、やらなくては勝てないのだ。このまま防戦一方ではこちらの魔力が削られていくだけで、戦局は全く動かないのだから。
「俺が出てあの鳥型を討つ。『第一級』相手で動きを完全に止められるとは思っちゃいないが、竜巻を発生させるペースを落とすことくらいは出来るはずだからな」
『海越え』の際に使用し、海中の『凶鮫型』を軒並み停止させた魔法を用いるのだとミツヒロは言う。
彼の口調からその意思が揺るぎないことを理解した真木中佐が二度目の反駁をすることは、なかった。
「信じています、少将」
その言葉を胸に刻み、ミツヒロは防壁越しに巨鳥の【異形】を見上げる。
細心を払うべきは【防衛魔法】を一部解除して飛び出す瞬間だ。味方に被害が及ぶリスク、【ラミエル】が風に翼をもぎ取られるリスク、共にその時が最も高くなる。
気象条件ではなく魔力によって発生している竜巻は、自然発生するそれよりも収まる速度が速い。せいぜい一分――ここまでのやり取りの最中に観察した限りだが、ミツヒロはそう分析していた。
『シャックス』も魔力が尽きれば後がないことは分かっているらしく、竜巻の乱発はしてこない。一回終わればすぐに次のものを巻き起こす――そうして継続的に防壁にダメージを与えていけばいずれ勝てると、知性がなくとも本能で理解している。
――生きて勝利するために。
青年は最後に親友の顔を思い浮かべ、そして、深呼吸した。
防壁の向こうで吹きすさぶ烈風を掻い潜り、それを越えた先に待つ怪鳥の【異形】の懐に切り込む様を強く、鮮明にイメージする。
「――行くぞ」
一言、号令をかけ――真木中佐が防壁の一部を解除したのと寸分たがわぬタイミングで、ミツヒロは飛び出した。




