第六十四話 ラファエルの光 ―Coffee and pistol―
第一輸送艦を護衛する水無瀬ナギは、海中での敵との戦闘をそつなくこなしながら、潮流の微妙な変化を感じ取っていた。
彼はそこに微かな引っ掛かりを覚える。先程まで凪いでいた海が兆候もなしに騒ぎ出すなど、普通ではない。
「っ、何あれっ……!?」
コックピット内に突如鳴り響くアラート。モニタに表示されているのは無数の敵影。
いつ現れた。これほどまでの敵に襲われては、いくら【ガギエル】といえども捌ききれない。
そんな焦りに駆られる彼だったが――敵は彼や艦にではなく、別の方向へと一直線に向かっていた。
無数の『凶鮫型』の大移動。潮流の変化はそのために発生したものなのだと、ナギは理解する。
「水無瀬大尉、敵が離れていきます!」
「なんだって!?」
入ってくる部下からの報告にナギは目を見開いた。
間違いではなかった。海底からこちらに上がってきていた『凶鮫型』の「突撃者」がカーブして、東の方角へ猛然と向かっていくのを彼も目撃した。
「何が起こってるのかは分からないけど、警戒は絶やさないで! 海軍の誇りにかけて、艦だけは何としてでも守り抜くんだ!」
*
空を舞う巨人。
それを言い表すに最も相応しい言葉は他にないと言えるほど、その威容は確かなものだった。
【七天使】が一人、御門ミツヒロ少将が駆る機体、【ラミエル】である。
光を司る天使の名を冠したそのSAMの体躯は、ガラス色。日光に溶け込み姿をくらませるステルス能力を有した、最新鋭の第五世代機だ。
二対四枚の翼は半透明な青色で、飛行機のものと似た形のそれに螺旋を描くプロペラ型のブースターが各翼に二個ずつ取り付けられている。
体高六メートルとSAMの中では標準サイズの機体の胸部にあるのは、赤々と光を灯すオーブ。『コア』と直接繋がるそれは、魔力を凝縮した超威力の光線を撃ち出すための機構である。
「瀬那、聞こえるか! ここからは俺も加勢する!」
「御門少将――!? なんで、あたしだけでもやれるのに……!」
海上を旋回して『魔力液』をばらまいている【ラファエル】のカメラも、その姿を捉えたようだ。
通信と併せてミツヒロの存在に気づいたマオは舌打ちし、ぐぐっと急加速すると同時に上昇する。
私はあくまで一人でやる、お前が来るなら戦わない――そう主張するような挙動だった。
「待て、瀬那! これは【ラファエル】の初陣だ、それを中途半端な結果で終わらせるつもりなのか!?」
御門ミツヒロは早くもマオという少女の手綱の握り方を理解し始めていた。
彼女は自分の力を示すことに執着している。自分が自分らしく振舞うのを望み、縛られるのを嫌う。
昨日の邂逅を振り返ったミツヒロは父の罪を認め、父に代わって彼女にどういう償いが出来るか考えた。
一晩かけて導いた答えこそ、「彼女の願いを満たすこと」。
被害者である彼女が自分の過去を明かしても、ミツヒロに責める権利などない。父の過ちは自分へも波及するだろうが、大人の男として自分は関係ないのだとはっきり言うのだ。
最初は親の七光りで出世し、周囲からもそれを揶揄されていた青年だったが――それもこの期に卒業しようと彼は決めた。
「そういうわけじゃ――」
「だったら俺の協力を受け入れろ! 俺の下でなら、君のやりたいようにやらせてやる!」
赤い水滴がまだら模様を描く海面を見下ろして、ミツヒロはマオにそう宣言した。
横っ腹から流血する不快感と、それに伴って寒気を増していく感覚の中、マオは頷く。
『魔力液』を撒き餌にするという諸刃の剣を使った以上、マオに残された時間はもって二、三分だ。このペースで血がなくなり続ければ、もっと早い可能性もある。
不本意ながらミツヒロに従うマオは、眼下に群れる『巨鮫型』を睨み据えて叫んだ。
「あたしとあんたの光線で、鮫どもを焼き尽くす! それでいいんでしょ!?」
「上出来だ! それで構わない!」
怒鳴るような口調で言葉を交わし合う二人。
上昇から一転、マオは鯨波のごとく海上へ迫る【異形】たち目掛けて急降下していく。
「あたしはここにいるよ、【異形】ども!」
声を張り上げ、存在を誇示する。
滴る魔力液の臭いに加え、そこに宿るパイロットの殺気を受けて『凶鮫型』たちは一層激しく牙を剥いた。
水面を尾で叩きつけ、その勢いを利用して飛び上がる。
「――――ッ!!」
風を突っ切る音が耳朶を打つ。眼前数メートル先には隙間なく生え揃った鮫の牙が並んでいる。
その敵意に満ちた小さな瞳を睥睨し、少女は顎が壊れんばかりの力で歯を食いしばった。
振り絞るは魔力。脳が発する焦熱に視界が一瞬くらむが、それはもはや些事に過ぎない。
――飛べ、【ラファエル】!
重力も慣性も無視して機体が飛び立つのを強く、強く想像する。
その光景が一つの写真のごとく脳裏に焼き付けられた瞬間――【ラファエル】は、少女の願いに応えた。
V字を描いて蒼穹へと引き寄せられるように突き進む【ラファエル】。
天高く昇っていく彼女の臭いを捉えんと猛進する『凶鮫型』たちは、海面を突き破って空中にその灰色の体躯を晒した。
「釣れたッ……! 御門少将!!」
これまでの立ち回りでこの一帯に『凶鮫型』は集中している。今の曲芸じみた機動は、【機動天使】のパイロットしてのマオの技量を見せつける演出だ。
空挺から戦場を観測する夜桜シズルらの将校が息を呑み、海上へ顔を出した水無瀬ナギたち海軍パイロットたちも視線を釘付けにする中、最後の光が戦場を包み込んでいく。
「食らえ――【クリスタル・レイ】!!」
投擲された槍のごとく放たれる、【ラミエル】胸部のオーブから吐き出された純白の光線。
天へ打ち上げられたその魔力は極光と化し、そして――その直下海上に強烈なエネルギーフィールドを生み出した。
「離脱しろ瀬那!!」
「言われなくとも……ッ!」
上空から押し寄せる魔力の波は、機体の機動速度を著しく遅らせる。
体中の筋肉が瞬く間に錆び付いて動かなくなる感覚を味わいながらも、マオはありったけの魔力を振り絞って横へ横へと飛び、そのフィールドの範囲外へ退却した。
機体後部のカメラが捉えた映像には、力なく海中に沈んでいく「突撃者」たちの姿があった。
範囲内のあらゆるものの「筋力」を奪う【ラミエル】の搦手。それは十分に恐るべきものだったが、彼の力はそれだけにとどまらない。
「お前に魔力を分けてやる! お前なら海中の「捕食者」どももまとめて潰せるはずだ!」
【ラミエル】のオーブが今度は緑色に瞬き、発せられた光の球は【ラファエル】へと飛来した。
前方からやってきたその眩さにマオは思わず目を瞑る。
その瞬間、激しく痛んでいた頭がすうっと楽になっていくのを彼女は感じた。癒しの力――ミツヒロが扱う第二の能力である。
「ちょっと、これじゃあたしの実力が霞んで見えちゃうじゃない!」
「文句は後だ! さあ、やれるな!?」
ミツヒロの確認などマオには必要もないことだった。
彼女は空中で【モードチェンジ】を発動、畳んでいた四肢を即座に元に戻すと腰のウェポンラックから対【異形】の巨大ライフルを取り出す。
「【斬り穿て、慈悲の輝き】!」
少女の叫びと同時に銃口より伸び出す黄金の光。機体の数倍の長さまで伸びて極熱を放つそれはまさに、光の一刀だ。
「【マーシー・ソード】!!」
振り下ろされる光の銃剣。それが描くは縦横無尽の軌跡。
海中深くまで達する光線は触れたそばから【異形】たちの身体を焼き切っていく。
生という辛苦から死をもって解放してやろうという慈悲が、人との果て無き戦いに望む彼らの命を終わらせたのだ。
空挺の司令室でモニター上の戦場図を見つめるシズルは、そこに表示されていた敵を示す赤い点がみるみるうちに消えていくのを確かめて瞠目していた。
「敵の反応が消えていく。齢十六の女の子が単騎で、あれだけの数を……」
「凄いですね、あの子。でも、夜桜大佐だってデビュー時はあれくらいの年齢だったでしょう?」
側近である若い男性士官の言葉に、シズルは苦笑いした。
自分が十六の時はまだ、周囲からの評価は「少しよくできるパイロット」程度でしかなかった。当時のSAM技術が黎明期だったこともあり、今の瀬那マナカのように敵を殲滅してのけることなど決して出来はしなかったのだ。
最年長の【七天使】としてのキャリアが、「夜桜シズル」というパイロットを過剰に英雄視させてしまっている――彼女の同期が引退し始めた五年ほど前から若い兵士にはそういう傾向が見られだしたが、それがもどかしくてたまらなかった。
「買いかぶりすぎよ。この一帯の敵の殆どを掃討したとはいえ、新たなものが数キロ先から近づいてくるのは確実……陸軍の私たちが出向くことはまあないでしょうけど、万が一に備えて心の準備をしておくのよ」
シズルの忠告に揃って頷きを返す部下たち。
ミツヒロに代わって全部隊の指揮を取る彼女は、コンソールを前に各隊の長たちへの指示を再開するのだった。
*
マオとミツヒロの活躍によって、第一から第三までの輸送艦を九州エリアへ移送させる任務は滞りなく終わった。
先に対岸へ着いていた空軍の兵士たちは、輸送艦で運ばれてきた陸軍兵と合流。
その日のうちに港にキャンプ地を設営し、夜を明かすこととなった。
「あ、瀬那さん。コーヒー淹れてきたんだけど、よかったらどうぞ」
福岡基地は三年前の悲劇の際に半壊してしまい、まともに使える状態にない。
そのため彼らは軍港跡地を当面の拠点とし、【異形】の襲来を常に警戒しながら過ごすことを余儀なくされた。
飽きるほど閉じ込められた空挺の部屋から抜け出したマオは、あてもなく波止場まで歩いてきたところで黒髪の青年と出くわした。
「あんたは……海軍の」
「ありゃ、あんだけ訓練に付き合ったのに覚えてない? こんな美少年の僕が眼中にないなんて、贅沢な――」
「随分と自惚れ屋さんなのね」
数日前に会ったときとは別人のような態度に、水無瀬ナギは目を丸くする。
棘のある口調のマオに「まぁまぁ」と柔らかく微笑んでみせながら、彼はすぐ近くに停められている輸送艦を一瞥した。
「今日はありがとう。君の飛行、見たよ。ほんとに凄かった。その、語彙力が足りないかもしれないけど、とにかく凄かったんだよ!」
思い出して興奮冷めやらぬ様子のナギに、マオはくすっと笑う。
何の他意もない称賛。自分が力を示した結果がこうして返ってきたことを実感し、嬉しさに思わず笑みがこぼれた。
その言葉は渇いた心に染み渡る蜜のようだった。ブラックコーヒーに似た海面を眺めながら、マオは掠れた声で呟く。
「そうでしょ? あたし、凄いのよ。あのミツヒロなんかよりもずっと。あたしがいなけりゃ、海越えは確実に二倍の時間かかってたわ」
「あはは……君だって自惚れ屋さんじゃないか」
彼女は反駁しようとするが、思いとどまってそれを呑み込む。
この人のペースに乗せられちゃいけない――何故だか彼女にはそんな気がするのだ。
混じりけのない称賛。純朴な笑顔。少し青みがかった大きめな瞳に、幼さを残す整った顔立ち。それらはまさにマナカが愛した彼とそっくりで――不愉快になる。
「コーヒー、飲む?」
「こんなところでお茶しようっての? そーいう変な男、モテないわよ」
「口説くつもりで来てるわけじゃないからさ。防寒着着てても夜は冷えるし、温かいの一杯飲んだほうがいいよ」
確かに身体の芯まで冷え切っている感覚はあった。
見えざる【異形】を受け入れている彼女自身は他の【異形】同様寒さにはめっぽう強いのだが、断るのも不自然だろう。
頷く彼女に、ナギはカップ型になっている水筒の蓋を外して、湯気を上げるコーヒーをそこに注いでやった。
そのほろ苦い味を舌先で味わうマオは、この味はマナカの好みじゃなかったな、と淡い記憶を回想する。
マナカの人格が表に出ていた頃の記憶が、マオには完全にないわけではないのだ。微睡みの中でマオはマナカの感じたことを共有しており、それゆえに彼女への嫉妬を増大させるに至っていた。
「そういえば……何で君はこんなところに? 夜の港は危険だって、アキラさんたちに教わらなかった?」
「歩きたかったから歩いてただけよ。大人が止めようがあたしはあたしの好きなようにやる」
悪びれず言うマオにナギは苦笑した。
その反発心に彼も覚えがないわけではない。自分も好き勝手に海で遊んだりしていた以上、彼は年下の少女に対しきつく言えなかった。
「そっか。まあ、気をつけなよ。水に近ければ近いほど危ないからね……そう、例えば今いる波止場とか――!」
ぞわっ、と青年の肌が粟立つ。
既に知り尽くした敵の殺気。来る――そう察した瞬間、彼は銃を抜き放っていた。
跳ね上がる水音と銃撃の蛮声が重なり、次いで二人の鼻腔を満たしたのは鉄の臭い。
潰れた水音を立てて足元に落ちてきた『魚型』の三等級【異形】を見下ろして、ナギは詰めていた息を吐き出した。
「ふぅ……危なかったね。一撃で急所を射止められたのは幸運だった」
夜間での奇襲という圧倒的不利な条件で敵を返り討ちにしてみせた青年の技量に、マオは驚愕する。
甘いマスクからは想像もつかない鋭い眼光で銃撃したナギは、肩の力を抜き、眉を下げて笑った。
「君、丸腰に見えるけど、夜に出歩くなら自衛したほうがいい。僕の銃のスペアあげるから、懐に忍ばせておくんだ」
「銃、ですか……?」
「実銃を持つのは初めてかい? 大丈夫さ、基本はSAMの銃と同じだから」
青年に押し付けられた拳銃の感触は冷たかった。
その兵器を胸の前に抱え、すん、と臭いを嗅ぐ。
鉄と火薬の臭い。そして、それがもたらす死の匂い。この臭いを感じた途端に彼女の中に這い上がってきたのは、ほの暗い悦楽だった。
目の前の青年の頭を撃ち抜いたら、あの銀髪の彼の眼球を潰したら、天然パーマの彼の心臓を射抜いたら――苦しみ泣き叫ぶ面を思い浮かべるだけで、笑みが漏れそうになる。
それを悟られぬよう顔を俯けるマオに、ナギは優しい声音で訊いてきた。
「瀬那さん? どうしたの?」
「……何でもない。コーヒーと銃、お礼を言うわ。それじゃ」
彼の顔をまともに見ることなく、マオは足早にその場を後にした。
潮の匂いを孕んだ風に髪を揺らす彼女は、肩に届くまで伸びたその襟足を指先で弄る。
「マナカ」としてショートヘアに変えてから、四ヶ月。かつてのマオと同じくらいの長さに伸びた髪を縛るように後ろでまとめて、彼女は呟いた。
「んー、アキラにでも頼んでヘアゴム用意して貰わなきゃね、チュウヤ」
『お姉ちゃんのほうから話しかけてくるなんて、珍しいね』
「ちょっとね。感傷的になっちゃっただけ」
家族に愛されなかった彼女の願いに応え、弟として振舞ってくれている「チュウヤ」はマオの心の拠り所であった。
孤独を癒し、満たす弟――彼が抱く思想が人類に敵対する苛烈なものであったとしても、マオはそれを拒まない。
だって、チュウヤはチュウヤだから。どんな思いを抱えていても、決して代え難いたった一人の弟なのだ。
『お姉ちゃん、いいもの手に入れたね。それを使えばSAMに乗ってなくてもヒトを殺せるよ。ふふっ、手始めにあの口うるさい少将殿でも黙らせちゃう?』
「馬鹿チュウヤ、物事には過程ってのがあんのよ。物語には緩急が大事……そして今は『緩』の時なの」
先走る弟に言い聞かせるマオ。脳内に描くシナリオを正確に進めるために、彼女は決して危ない橋を渡る選択はしない。
自由にやり過ぎて全てを破綻させてしまっては元も子もない。今は崩壊のその時に備え、積み木の塔を丁寧に積み上げられるのを手伝っていればいいのだ。
(月居カナタ……あんたは絶対にあたしが仕留めてあげる。うふふふふっ……彼が死んだらマナカはどんな顔をするかしらね?)
絶望、辛苦、悲嘆。そのどれもが彼女には甘い甘い美酒だ。
退廃的な笑みを浮かべて少女は歩み続ける。全てが終わり、絆も情も引き裂かれるその瞬間まで、その正体を潜めて。




