第六十三話 接触 ―"Mercy"―
そして彼らの『海越え』は始まった。
第一師団の戦闘機・輸送機は海軍が誇る三つの巨大輸送艦に格納され、空挺はそのまま海上を行く手筈になっている。
カナタやマナカの役割は海面に躍り出る【異形】を上空から狙い撃ちし、輸送艦を守ること。
二人は御門ミツヒロ少将が率いる空戦部隊に編入され、アキラらと共に戦うこととなった。
「作戦開始から三日目にしてようやく戦えるね。ちょっとお休みが長い気もしたけど……その分、力は十分蓄えられた」
棒つきキャンディーを口に咥えながら呟くアキラ。
操縦席にかけてうーんと伸びをする彼は、カナタたちと通信を繋げて戦闘前最後の会話を楽しむ。
「月居くん、瀬那さん、ぼくがあげた飴玉は持ってきてるかい?」
「は、はい。さ、さっきまで舐めてました」「私もです」
「そうかい。戦いが本格的に始まったら絶対に口から出すんだよ。うっかり喉にでも詰まらせてみなよ、ぼくがミツヒロからお叱りを食らってしまう」
「え、ええ……き、気をつけます」
のんびりとしたアキラの口調はカナタの緊張を幾分か緩和してくれた。
少年はモニターに映るマナカの表情が強ばっていないのを見てとって、少し安心する。
更衣室から格納庫への廊下で会った時は普段と様子が違ったため、心配したのだが……戦闘前にも拘らず落ち着き払った横顔はいつものマナカだ。
実際のところマオとして初めてSAMに搭乗できる高揚感がその表情に余裕をもたらしていたのだが、それを少年は知る由もない。
「おっと、始まったようだね。ミツヒロから号令が出次第、ぼくらも行こう」
空挺の発着場から眼下の海を見下ろし、アキラは言った。
船首に取り付けられたメガホン型の砲から発される熱波――熱魔法と風魔法の複合によって生み出されたものだ――が進行方向の氷を溶かし、輸送艦は驚くほど静かに西進している。
「あ、あれだけの氷を簡単に溶かしてしまう熱量……き、きっと何十人もの人の魔力が使われてるんだ。僕らの空挺が『アイギスシールド』を出した時みたいに、艦内の人から吸い取って……」
今回の遠征には非戦闘員の者たちも多く参加しているが、おそらくは魔力という燃料を抽出するために用意されているのだろう。
『アーマメントスーツ』を着せた人間を『コア』の近くに配置しておくだけで『コア』の人からの魔力吸収は可能となり、人の操作によって魔法も発動できるようになる。
早乙女博士と月居女史が共同で開発したスーツは、開発当初は失敗も多かった魔法の発動の安定化に大いに寄与した。
『コア』と似た成分である特殊な金属繊維から作られたこのスーツは、『コア』に人を自分自身だと誤認させることでシンクロ率を大幅に引き上げる役割を担っているのだ。
「空軍部隊、発進する! 第一、第二小隊、行けッ!!」
ミツヒロの号令が高らかに響き渡る。
隊列を組み一斉に飛び出した【イェーガー・空戦型】。
第一輸送艦の真上で低空飛行する彼らを見上げるのは、発着場の役割も担うデッキに立つ海軍のSAM数機だ。
「アキラさん――頼みますよ!」
【ガギエル】パイロットの青年の声を受け、第一小隊を率いるアキラは「任せといて!」と返す。
黒き有翼SAMたちはそれぞれ対物ライフルを構え、人の気配を察して海中より迫りくるであろう敵を待った。
「…………来たね」
与えられた猶予は数秒。
だが、それで十分だった。
【異形】たちが輸送艦の索敵網に引っかかり、その報せを受けてコックピット内のモニタにも敵影の位置が表示される。
船の前方から十、下方より七。中型――おそらくは、『凶鮫型』か。
「撃て――ッ!!」
銃口が激しく火を噴く。
波濤を起こし海上に姿を現す漆黒の体躯の鮫に似た【異形】は、その牙を船体に突き立てる前に爆砕した。
緑色の血液が迸り、海の青をたちまち塗り替えていく。
「また来る! 弾幕を絶やすなよ、艦にぶつからせるな!」
『凶鮫型』には二種類ある。
一つは悠然と海を泳ぐ大型の「捕食者」で、これは鉄のように硬い牙で獲物を何でも噛み砕く。そして二つ目が「突撃者」。艦隊にとって厄介なのが後者で、猛スピードで船体へ突撃してくるその様はまさしく海のミサイルであった。
第二級の「捕食者」が、第三級の「突撃者」を使役し獲物を追い詰める――「捕食者」の放つ特殊なフェロモンが「突撃者」を駆り立て、自身の命も顧みずに突貫攻撃を仕掛ける死兵へと変貌させているのだ。
「艦の周囲を撃ち続けろ! 奴らは一度突撃を始めれば止まれない、そこを狙えば防げる!」
叫ぶアキラの指揮下で銃弾を絶えず撃ち放つ兵士たち。
ドドドドドド――ッ!! と重なり響く蛮声が、凍てつく海を瞬く間に戦場へと彩った。
「正しく対処すれば守れる! 決して焦らず、弾切れだけは常に注意するんだ! ぼくたちならば、必ず彼らを対岸へ送り届けられる!」
アキラの鼓舞は、血の臭いが充満する戦場にあっても兵たちの心の均衡を保たせていた。
仲間を鼓舞するアキラの姿を空挺から見下ろして、カナタは感嘆する。
マナカもそうだが、声で人を勇気づけられるのはリーダーに必要な資質の一つだ。自分も見習わなくては――若きパイロットはそう胸に刻む。
「……っ、あっ……!?」
と、その時。
突然頭を横殴りされたかのような痛みが、少年を襲った。
呻吟する彼の視界は歪む。込み上げてくる吐き気に口元を咄嗟に押さえようとするが、できない。
ヘッドセットによる神経接続でカナタの感覚は機体と同調しており、肉体への意思での干渉が出来ないのだ。
吐き気が収まらない。何度も何度も棍棒で殴られていると錯覚するほどの激痛も、とどまるところを知らない。
「月居!? どうしたんだ、月居!?」
這い上がる寒気に全身を震わせる彼の挙動は、【ラジエル】にも反映されていた。
意識を混濁させているカナタにはもう、ミツヒロの呼びかけも届いていない。
彼が聞いているのは、どこからか発信されている男の子の声。
歓喜に弾む、誰かの笑い声。
『あはっ、聞こえるかい、ヒトの女王の子よ。いや……カナタくん、と呼んだほうがいいかな?』
その声の真意は果たして何なのか、少女以外の何者も知り得ることは出来なかった。
脳を苛む『力』の副作用を強制的に引き起こさせる魔法を行使し、その【異形】は万力で締めるように少年を苦しめていく。
『ワレワレに恭順するんだ、カナタくん。世界にはワレワレと、ワレワレに選ばれしヒトだけが残ればいい。数少ない資源を奪い合うよりも、選ばれし者だけ生き残る世界のほうがよっぽどいいじゃないか』
知性は傲慢を生む。感情は理性のタガを外す。
声に耳を傾ければ傾けるほどに脳の感じる痛みは軽減されていって、カナタは自然とその者の意見に引き寄せられていった。
『そう……そうだよ、カナタくん。君はぼくらと一緒に生きるんだ。ぼくらと一緒に、邪魔なヒトを消そうよ。君だってヒトを憎んだことくらいあるでしょう?』
否定はできなかった。
カナタへ悪意をぶつけた人たち。仲良くしていたのに守ってくれなかった友達。まともに関わろうともしてくれなかった母親。庇護してはくれたが何もかも上っ面だけの『レジスタンス』職員たち。
かつては皆嫌いだった。いなくなればいいと思っていた。だが思うだけで何も行動に移せない弱い自分は、一層嫌いだった。
『一緒にヒトを憎もうよ。憎しみで世界を変えるんだ。ぼくらなら世界をもひっくり返せるよ』
少年が胸の奥底に封印したはずの暗い感情を、その声は引きずり出した。
他人なんて嫌いだ。友達なんて信じられない。子どもたちは馬鹿ばっかりで、大人たちは見るべきところを見ていない。
世界が自分中心に回ればいいのに、と中学生の彼は望んだ。
だが結局は何もできなかった。何故か――力がなかったからだ。
「ぼ、僕は……!」
『君には素晴らしいパートナーがいる。他人の悪意を、欲望をそれ以上のどす黒い感情で呑み込んでしまえる怪物が。彼女の手を取れば、君は本当の自分に生まれ変われるんだ』
マオという少女こそがカナタの『契約者』に相応しいのだと、その声は説く。
彼はマナカが引き込んだ「人を信じる」道にさらなる分岐点を用意し、そこへ行くようにカナタを促した。
「ぼ、僕、は……っ」
「――月居!!」
その時だった。
コックピットのドアを蹴破って、ミツヒロが飛び込んできたのは。
手に握ったマスターキーでロックを解除し、彼はカナタのもとへ駆けつけた。
尋常ならざる量の汗を流す少年を一瞥したミツヒロは、すぐにコンソールの前に立つと神経接続の解除コマンドを【ラジエル】へ打ち込む。
それから途端に操縦席に崩れ落ちるカナタの体を腕で支え、腰のホルスターから水筒を取り出して彼の口元へと運んだ。
「君の出撃は中断だ。すぐにメディカルルームへ運ばせる」
朦朧としている少年にそれだけ言って、ミツヒロは空挺内の医療スタッフへと連絡した。
司令の息子を預かっている立場として、彼を全力で守るのがミツヒロの使命。彼のもとに鬼気迫る形相で急いだのも立場を守る保身によるところが大きかったが、少年にはそんなことを考える余力などありはしなかった。
「ご、ごめ、ん……なさ……」
「何も言うな。目を閉じていろ。適切な処置を行えば、必ず楽になる」
力強いその口調は少年を安心させた。
ほどなくしてやって来た医療スタッフが担架に彼を乗せて運んでいくのを、ミツヒロは無言で見送る。
――面倒なことになったな。
心中で舌打ちする青年は、主のいなくなった【ラジエル】のコックピットを物色した。
そこでふと、床に転がっている飴玉に気づき、彼はそれを拾い上げた。
「アキラのやつ……休憩時間でもないのに、こんなもの渡すなんて……」
マイペースな友人の笑顔を脳裏に浮かべてミツヒロは溜め息を吐いた。
天然パーマの髪を左手でかき上げながら、右の掌の上でその包み紙を剥がしてみる。
その行為に特段意味はなかった。アキラはどういう味を好んでいるのだろう――強いて言うなら、そういう子供っぽい興味があった。
「これは……?」
苺ミルクの甘みと酸味の同居した香りが鼻腔を抜けていく。
だがミツヒロはそこに一抹の違和感を抱いた。
妙に酸味が強いような気がするのだ。それも、どこかで嗅いだ覚えのある刺激臭が微かに混じっているような――。
「……アキラ、君は、何を……?」
*
「【ラファエル】、瀬那マナカ、出ます!」
第一輸送艦が海峡の半分を渡り切り、第二輸送艦が発航したタイミングでマナカらも出撃した。
マオとして初めての搭乗、そして戦闘。ようやく手に入れた「力」に高揚する少女は、機体名とパイロット名を高らかに告げ、配属された第三小隊の者と共に空を滑るように降りていく。
蒼穹を背後に翼を広げる、黄色を基調とするボディのSAM。細長い四肢を身体にぴったりと付けるように折りたたみ、飛行機のごとく変形する【モードチェンジ】機構を搭載した第五世代機である。
第四世代【イェーガー・空戦型】との相違点はまさにそこで、人型の身体に翼を取り付けただけの旧型よりもより飛行に特化した形となっている。
反面、パイロットの感覚を機体とシンクロさせた際、「手足を折りたたむ」という人間にはできない動作を行うことで強烈な違和感を覚えてしまい、拒絶反応を起こすリスクも孕んでいた。
だが、マナカはその違和感を克服していた。――否、そもそも彼女は最初から違和感さえ抱いていなかった。
「これがあたしの新しい姿。あたしの力。見ててチュウヤ、あたしがあんたと共にあるのに相応しい人間なんだって、証明してみせる!」
違和感の代わりに彼女が覚えていたのは、全能感だ。
身体の感覚を機械のそれに変えられたって彼女には構わなかった。力さえあればそれでいい。誰よりも疾く翔ける翼と、敵を撃つ魔力があるなら違和感など些細な問題だ。
――今の自分は戦闘機なのだ。どんな機体よりも速い、最強の。
「隊長、あたしに自由行動を許可していただけませんか?」
「な、何を言う瀬那!? いくら【機動天使】といえど、軍規を乱す真似は――」
「いいから見てなさいって。敵を倒すにはあたしだけで十分だって、思い知らせてあげるから」
そう勝気に言って、マオは返事を聞かずに通信を切る。
年若い隊長が憤慨しているのも最早意に介さず、彼女は単騎、海上すれすれのところまで飛び出していく。
「あはっ、気持ちいい!」
高速旋回しながら歓喜の声を上げるマオ。
翼の片側で凍てつく海面を切るように突っ走り、波立たせる彼女は【異形】たちからしても「異物」に映った。
「冷たッ――でも、楽しい!」
高笑いと同時に機首をぐいんと回し、【ラファエル】は飛び上がる。
その直後――彼女の狙い通り、『凶鮫型』の「突撃者」が破砕された氷の隙間より獲物を食らわんと躍り上がった。
敵の気配がすればそこに一直線に突撃する習性、これを利用しない手はない。
アキラたちのように艦の周囲に弾幕を張るやり方だけではダメなのだとマオは断ずる。ここは【異形】たちの本拠地であり、海中に潜むその数は無数と言って差し支えない。艦の周囲に弾幕を張り続けようにも魔力と弾薬には限りがあり、敵の攻勢が強まれば強まるほど限界も早まってしまう。
それならば敵を少しでも艦から遠くに引き寄せ、そこでの各個撃破を並行で進めるべきだ。
その方法は一機に多くの負担をかけてしまうが、【ラファエル】はそれも苦にしないだけのスペックを有している。加えてマオのSAMへの適応はマナカ以上であり、彼女自身、その戦い方をやり抜けると確信していた。
「――輝きよ!」
鋭く叫び、両翼の前方に取り付けられている小型の砲より白き魔力弾を撃ち放つ。
着弾と同時に爆発し、周囲の氷をも巻き込んで数体の敵をまとめて吹き飛ばす一撃の威力に、マオはほくそ笑んだ。
「まだまだ、こんなものじゃないよ!」
そのとき彼女が取った行動に、第二輸送艦を防護するパイロットたち全てが瞠目した。
【モードチェンジ】を一部解除して腕を伸ばし、鋭利に輝く白い爪を【ラファエル】は自らの身体に突き立てたのだ。
鉄の装甲が歪み、小さく穿たれたそこからは赤々とした『魔力液』が漏れ出す。
彼女の狙いに最初に気づいたのは、第三輸送艦の海峡入りまで待機しているミツヒロだった。
「あいつ、『魔力液』を撒き餌にするつもりなのか……!」
エーテルはSAMにとっての血潮だ。失われ続ければやがて機能停止し、戦うこともできなくなる。
SAMを倒すことでその血の匂いを記憶し、何世代にも渡って遺伝子に刻み込んできた【異形】たちは、エーテルの匂いを数キロ先からでも鋭敏に感知できるのだ。
海の底から多くの敵をおびき寄せ、一気に叩く。失敗すれば確実に大損害を被る作戦だが、そのぶん成功に漕ぎ着ければ、帰りの「海越え」に割くリソースは大幅に節約できるだろう。
「東野、お前が許可したのか?」
「い、いえ、あの子が勝手に……! わ、私は止めたのですが――」
第二小隊を率いる年下の士官に訊ね、ミツヒロは舌打ちした。
しかし彼の表情は怒りに歪んではいなかった。むしろ逆で、【ラファエル】の選択を喜んでいるようにさえ見えた。
「み、御門少将?」
「彼女の行動については、お前の責任を問わないこととする。俺の配属ミスだ。ああいうのは、ある程度の自由を与えてやったほうが輝く」
ホバリングする空挺の発着場から戦場を見下ろすミツヒロは、愛機【ラミエル】を揺り起こした。
静かに響きだすモーター音。両翼にあるプロペラ型のブースターが魔力を燃やし始める中、彼は部下たちへ告げる。
「これより第三小隊の指揮権は重松大尉に移る。俺は【ラミエル】をもって瀬那マナカの【ラファエル】を援護。鮫どもを一網打尽にする」
ふわふわの髪を掻き上げる青年の瞳には獰猛な眼光が宿っていた。
彼の心は既に決まっている。その揺るぎない声を聞いて反駁できる者は、部下たちの中に一人として存在しなかった。
「【ラミエル】パイロット・御門ミツヒロ――出る!」




