第六十一話 海越えへ ―The affection which intersects―
遠征開始から二日目の夜、第一師団は広島基地に到着した。
現行で稼働している『長野プラント』以西のエリアは『レジスタンス』の整備もあまり行き届いておらず、劣化した旧国道を辿りながらの行軍となったが、今のところ予定通り進められている。
港にほど近いドーム型のシェルターの脇に輸送機や戦闘機を停め、一日目と同じように彼らは夜を明かした。
「おっはよー、カナタきゅん、マナカたん♡ あたしとは初めまして、だよねっ」
出立の間際、空挺のタラップを上ろうとしていたカナタたちに声をかけたのは毒島シオンだった。
昨日から落としていないように見受けられる崩れたメイクがダウナーな印象を与える彼女は、早朝にも拘らず弾けた口調で二人に手を振る。
「あ、あの、あなたは……?」
「んー、知らない? 【七天使】が一人、【マトリエル】の毒島シオン。君の同級生である毒島カツミはあたしの弟だよ」
言われてみれば確かに鋭い目元や高い鼻梁に面影がある。「はじめまして」と挨拶を返すカナタは、隣のマナカが特に反応せずに階段を上がろうとしているのに気づき、呼び止めた。
「ね、ねえ、あの人【七天使】だよ? あ、挨拶くらいは……」
しかし、マナカはカナタのほうを見もせずに空挺へ乗り込んでいってしまった。
呆気に取られる少年に、シオンは「気にしてない」と笑って言う。
「女の子だもん。ちょっと調子悪くて周りを気にしてらんないことくらいあるって。カナタきゅん、彼氏としてあの子のことちゃんと支えてあげなきゃダメだぜ?」
昨日からマナカは妙に口数が少なく、一日目の夜はカナタと手を繋いだりこっそりキスを求めたりしてきたのに、それもなかった。
地上や『レジスタンス』の緊迫した空気に染まってそれどころではなくなった――そう考えたいところだったが、カナタの胸にはしこりのような違和感が残っていた。
「と、ところでそっ、その呼び方は何なんですか……? きゅ、きゅん、って……」
「あたしなりのフレンドリーさの演出! さぁ、君も早く空挺に乗りなよ。今日は『海越え』で、君も護衛についてもらうことになるからね」
「う、海越え?」
広島基地から西へ進み、中国エリアと九州エリアの狭間の海峡を渡るのが三日目の主な任務だ。
そこから夕刻までには福岡基地へと向かい、四日目の『プラント』奪還作戦に備えることになる。
「もぉ、作戦の要項にはちゃんと目を通しておかなきゃダメだよ? 君、身の周りのことは他の人に助けてもらうタイプでしょ。一人前の兵士になるには、まず自立! 分かった?」
「は、はいっ。こ、心がけます」
「よろしい。じゃあ説明するとね……海にはたくさんの『異形』がいるんだ。むしろ地上よりも海中のほうが奴らの本拠地といってもいいくらいにはね。海の表面は氷結してるけど、何も全部が凍ってるわけじゃない。凍ったその下は液体の水があって、そこに奴らは潜んでる。君らの仕事は、海軍と協力してその敵を排除すること」
海面の氷を破砕して海軍の輸送艦隊は進行しており、今日の昼には目的地の海峡に着くそうだ。
彼らが地上の進軍速度にもペースを合わせられるのは、海中戦闘に特化した【ガギエル】他、【イェーガー・海戦型】の存在が大きい。
十年前にある女科学者の手によって起こった水中対応のSAMの誕生は、まさしく革命だった。これにより『レジスタンス』内に海軍が新設され、海峡を超えて『福岡プラント』が建設されるに至った。
旧自衛隊の艦を流用した艦隊は、現在では世界最大の規模であり――彼らの力ならば北海道にも『プラント』や基地を新設する計画を実現できるのではないか、と『レジスタンス』上層部で囁かれているほどだという。
「み、水無瀬さんたちと一緒に戦うってことですね」
「お、ナギきゅんのこと知ってんの? もしかしてどっかで会ってた?」
カナタが口にした青年の名に、シオンは興味を引かれたらしく聞いてくる。
彼女の問いに頷きを返して、カナタは言った。
「ふ、フラウロス戦のあと、トラウマで戦えなくなったA組の子たちのために、湊先生が『補習』しに来てくれたんです。み、水無瀬さんはその付き添いでした」
「ふーん。呼ばれたら案外素直についてくんだね、あの子」
水無瀬ナギは湊アオイが辞めた後、シオンに散々弱音を溢していた。
先輩の指名で【ガギエル】の後任パイロットになったけれど周りが依怙贔屓だの何だの言ってくる、先輩と比べるとどうしても見劣りしてしまう自分に嫌気が差す、先輩さえ辞めなければまだ余裕を持てたのに……等々。
シオンの前ではナギはアオイへの恨み節ばかりだったが、慕っていた気持ちは本当は全く薄らいでいなかったのだろう。
そういう関係の相手がろくにいないシオンは、内心で羨ましく思った。
いつでも彼女は異彩な存在で、パイロットとして尊敬はされても人として親しい者は一部の例外を除いていない。
「はい、そろそろお喋りはおしまい! 出発時刻までもう15分切ってるし、さっさと乗るよ!」
カナタの背中を押してシオンは足早にタラップを上がっていく。
少年は昨日と同じ部屋へ、シオンはミツヒロらの待つ司令室へ。
「……ミツヒロくん? 顔色悪いけど、どしたの?」
カナタとシオン、二人の中に生じた違和感。
隣に変わらずいてくれるはずの人の様子が、どうもおかしいのだ。
そして彼らは悟ってもいた。理由を聞いてもはぐらかされるだけで真実には辿り着けないのだろう、と。
*
第一師団司令部では、佐官以上の将校たちによる会議が開かれていた。
円卓に集う軍人たちのトップに立つ御門ミツヒロは、先程シオンに問われたことを気にかけながらも、そのために自らの役割を疎かにするつもりは微塵もなかった。
凛然とした表情で忌憚なき意見を求める彼に、部下たちは率直な考えを口にする。
「第二師団の人員損失は殆どないとはいえ、彼らの消耗は無視できません。こちらから増援を出すことを提案いたしますが、少将はどうお思いですか?」
「それはできない。こちらの戦力が減れば、【異形】から物資及び人員を守りきれなくなる。第二師団にあるのは2000機のSAMと10000の人員だ。人員の中にはパイロットではない者もいるが、それでも機体に対しての兵の比率は高い。交代で乗らせれば消耗もそこまで気になりはしないだろう」
淡々とした口調でその申し出を拒むミツヒロ。
彼に否定されても「しかし……!」と食い下がる将校に対し、挙手して発言を求めたのはシズルだ。
「夜桜大佐、何かご意見が?」
「第二師団の兵員の四割以上が失われた場合、必ずこちらから増援を出すこと。それだけは約束していただけないでしょうか? 三年前の惨劇の再現を防ぐためにも、どうか」
『福岡プラント』が【異形】に奪われた際、月居司令は『プラント』内の部隊を見捨てて帰還するよう命令を出した。
二個師団の七割にも上る兵が亡くなったあの悲劇の現場から生還した者として、シズルは切実に願う。
「希望を持って助け合えるのは人の美徳です。御門少将――いえ、ミツヒロくん。司令が今回の部隊を二分させた理由は理解してるつもりよ。でも……どちらかが壊滅しても一切助けずに作戦を続行するなんて、私はしたくないの。助けられる力が残っているなら助けるべきよ」
胸に手を当て、真っ直ぐ青年の目を見て訴える。
これまで多くの仲間を喪った彼女の主張に保守派のミツヒロがどのような答えを出すのか、将校たちは固唾を飲んで見守った。
「……夜桜大佐、貴官は何か早とちりしているな。俺は今すぐに増援を出さないと言ったんだ。貴官の思うところは理解できるが、憂慮のあまり早まった発言は控えるように」
艶やかな黒髪の女性は恥じらうように一瞬年下の上官から視線を逸らし、唇を噛む。
そんなんだから年長者のくせに未だに大佐から昇格できないのだ――ミツヒロの眼差しに滲む冷たさを直視して、シズルは俯いた。
「出過ぎた真似を致し、申し訳ございません」
「分かればいい。他に意見がある者はいるか?」
この場の陰険な雰囲気の中で挙手できる勇気を持つ者はいなかった。
容貌の柔らかさも打ち消してしまうようなミツヒロの威圧感は、かつて政界で辣腕を振るった御門前総理と酷似しており――シズルはそこに、どうしても危うさを覚えてしまうのだった。
*
引き続き行路を西へ定める第一師団を阻む【異形】たちの数は、海へ近づけば近づくほどに減っていった。
まるで自分たちの本拠地へ誘い込むように、彼らは示し合わせたかのごとく姿を潜めている。
その違和感はミツヒロをはじめとする将校たちも抱いていたが、作戦遂行のためにはその狙いにも乗らざるを得なかった。
氷に覆われた大地を通り、寂れた港の跡地へと彼らは出た。
中国エリア西端の地、下関である。
「ここには元々橋がかかってたんだけど、三年前の悲劇の時に落としちゃったんだ。陸生の【異形】たちがこちらに渡ってこれないように、ってね。まぁ、体重の軽い種は凍った海面を歩いてきちゃうから、そこまで意味もなかったんだけど」
窓から望める凍てついた海峡について、アキラはカナタらに解説した。
白い氷が正午の日差しを反射して眩しく、SAMに搭乗する際はそれも気にしなくては……と、カナタは小声で自分に言い聞かせる。
「もうそろそろ海軍の部隊が到着するそうだ。君たちもアーマメントスーツを着て、スタンバイしておいて。……あ、月居くん、スーツを着るときは更衣室で誰かに手伝ってもらってね。一人じゃ背中のファスナー閉められないから」
それだけ注意してから、アキラは二人についてくるよう言ってSAM格納庫脇の更衣室へ足を運んだ。
男女別の扉の前で立ち止まってから、アキラは眉を下げて呟く。
「……瀬那さんのスーツはぼくが着せてあげるからね」
「あ……はい。というか、アキラさんって女の人だったんですね」
「んー、身体はね。まぁ色々面倒なんだよ、ぼく。ありがたいことに女性らしさの象徴はぺたんこだから、外面のコンプレックスはそんなにないんだけど」
SAMパイロットの『コア』との距離は、パイロット自身の心に欠落があればあるほどそれを埋め合わせるように密接になる。
ミツヒロはアキラが優れたパイロットであると言ったが、おそらくはアキラの場合、肉体と心の性が一致しない辛さが「欠落」となって『コア』とのシンクロ率を上げているのだろう。
精神的に満たされている人、幸せな人ほど不向きな仕事――それがSAMパイロットなのだ。ただでさえ苦しみを抱えながら死の淵で戦い続け、さらに心をすり減らし、その果てには『同化現象』が待っている。
なんて残酷な役割なのだろう、とカナタは思わずにはいられなかった。
「……あ、ミツヒロ」
「呼び捨ては止めろと常々言っているだろう、似鳥大尉」
格納庫へ向かっている『アーマメントスーツ』姿の青年――彼ら高級将校は部下たちの手前、常に戦場に出られるようスーツを着用し続けている――に、アキラは声をかけた。
ミツヒロの言葉は厳しかったがその声音は幾分か優しく、彼がアキラと親しい間柄だと明確に語っていた。
「いいじゃん、こんくらい。君だってほんとは嬉しいんでしょ? ぼくと学園で初めて会った時、一目ぼれしてその日のうちに告白してきた人が、嬉しくないわけないよね?」
途端に完熟トマトを思わせるほどに頬を紅潮させるミツヒロ。
彼はからかってくるアキラに立場を忘れて怒鳴りつけるが、それは結果としてアキラを喜ばせるだけだった。
「そんなことない! 俺は男で、君の心も男だと分かった時点で、そういう感情は完全に消え去った! 勘違いするなよ、俺が君を気にかけるのは君がぼんやりしてて危なっかしいからだ! 決してそういう意味ではない!」
「あーあ、また出たよツンデレくんが。困っちゃうよね、こういうの」
肩を竦めるアキラにミツヒロは大人気なく文句を言おうとしたが、そこでマナカとカナタの存在を思い出して口を噤む。
少女と目が合って一瞬揺らぐ瞳をアキラは捉えていたが、こういう話題を女の子に聞かれて動揺したのだろうとしか思わなかった。
「あ、そうだミツヒロ。月居くんにスーツ着せてあげてくんない? ぼくは規則上、男性更衣室入れないからさ。そのほうが知らない人に裸見られるよりも、月居くんの心理的負担も少ないだろう?」
時間が惜しい、とミツヒロは言おうとして思いとどまった。
カナタとは話しておきたいことがある。更衣室は幾つもの密閉された個室が並んだ作りとなっており、盗み聞きされる恐れは盗聴器でも置かれていない限りない。
「分かった。じゃあ付いてこい、月居」




