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暁の機動天使《プシュコマキア》  作者: 憂木 ヒロ
第三章 永訣の火

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第五十九話 屍を越える者 ―The person who threw away the gentleness―

「行くぞ、【ゼルエル】」


 肩幅の広いがっちりとした漆黒のボディに、肩や胸、肘、膝などを覆う黄金のプレート。

 眼光は赤々と輝き、鋭く伸びた爪牙は獣のよう。

 体高はSAMにしては大型の10メートルで、「物理最強」を語るに相応しい威容を誇っている。

 天使の名を冠しながら禍々しさを放つ魁偉かいいの容貌を持つSAM、【ゼルエル】――そのパイロットである青年、生駒センリは好戦的な笑みを浮かべて前方をまっすぐ見据えた。


 鼻をすんと鳴らし、機体のセンサーが敵を捉えるよりも先に飛び出していく。

 彼にはわかるのだ。敵の気配が――その「臭い」が。

 それは十年間SAMに乗り続けて進行した『同化現象』による感覚の変化によるものだ。『コア』が与えてくれた、敵を討つための力。


「……出たな」


 地面に車輪の跡を抉りながら前進する【ゼルエル】の眼前に出現するは、大挙して押し寄せる二等級の『異形』たち。

『毒蛇型』と呼ばれる最大十メートルの黒い体躯をした【異形】の集団を睥睨し、青年はその拳を固く握りこんだ。


「いざ――成敗ッ!」


 そして地を蹴り、猛然と飛び出す。

 巨体を十全に活かしたタックルが地響きと共に放たれ、シャーシャーと激しく威嚇音を鳴らす蛇の群れに風穴を穿った。

 吹き飛ばされ地表に身体を打ち付けた衝撃により、一瞬にして絶命させられる『毒蛇型』。だが集団の外側にいた個体は【ゼルエル】の初撃から逃れ、果敢にも彼へと牙を剥いた。

 尻尾を地面に叩きつけた勢いで跳ね上がり、SAMの左腕に絡みつく。

 

「…………」


 筋肉の塊に腕を締め付けられる感覚にも、センリは眉一つ動かさなかった。

 右腕、両肩、脚、さらには這い上がって首――身体の各所が残る蛇たちに巻き付かれ、動きを封じられてしまう。 

 蛇たちに知性はない。彼らはその上位者たる理智ある【異形】に使役され、後発の人間たちの部隊を襲撃しているに過ぎない。

 だが、そこにはほの暗い喜びがあった。【異形】の本能である、人を苦しめることへの快楽。

 みしりみしりと機体が軋む。巨体の関節が、悲鳴を上げている。

 その音は美女の嬌声のごとく、彼らの興奮を掻き立てた。さらに締める力を強め、獲物の辛苦に漏れ出る声を聞こうとする蛇たちだったが――しかし。


「……逝けよ」

 

 短い呟き。

 その直後、【ゼルエル】の黒い身体の表面が赤い魔力を帯び、強烈な熱を放ち出した。

【異形】の鱗がじゅわっと焼けただれる。瞬間的に高熱を発したことで体表に貼り付いた彼らの脳を焼き切ったセンリは、その精悍な顔に苦痛を滲ませた。

 ――死の臭いがする。死ぬ瞬間の恐怖が、臭いに乗っている。

 それを感じるたびにセンリは思うのだ。殺さずに敵を無力化できる術があれば、どれだけ楽になれるだろうか、と。


「……また来たか。輸送機には近寄らせない」


 鼻を鳴らし、蛇たちの屍の山を踏み超えて、青年は緑化した住宅地から次々と顔を出す『狼人型』や『毒蛇型』の【異形】たちへと向かっていった。

 拳が獲物の肉体を粉砕する。一気に捕らえ、握り潰したものたちの体液が指の隙間から勢いよく噴出していく。

 ――嗚呼、臭い。臭い。臭い。

 それは蹂躙だった。かつて【異形】が人類に対してしたことを、【ゼルエル】はそのまま彼らに返していた。

 自分は、自分たちはどれだけの間、その蹂躙を続ければ良いのだろう。

 戦の終焉という果てを目指して突き進む青年は、機体に染み込んだ血の臭いに今日も顔をしかめる。

 レーダーが知らせる敵の反応が尽きた頃、血だまりと屍の山の中央にセンリはしばらく佇み続けていた。



 通常機体に一つである『コア』を胸部に複数個詰め込んだ、女体型のSAM【イスラーフィール】。

 白機士しろきしの異名を持つその機体は長槍を旗のごとく掲げ、青きマントをはためかせて兵たちの前に立つ。


「くれぐれも陣形から離れすぎないよう! ユイさん、私の部下たちのデータと指揮権の一部をあなたに譲ります! 兵の使い方、中国むこうで学んできましたよね」

「感謝します、宇多田少佐」


 画面にポップアップした一個小隊三十名のデータにざっと目を通し、ユイは頷いた。

 白翼を羽ばたかせ天空を舞う【ミカエル】の主な役目は、その制空能力を活かして敵を翻弄し、地上で苦戦する兵の助けとなること。

 陣形を組んで戦うのがセオリーな陸戦SAMとは逆で、まだ機体数のわずかな空戦SAMの戦法は遊撃がメインとなっている。


『オオオオオオオオオオオオッッ――!!』


 鬨の声のように打ち上がる敵の咆哮が、兵たちの構える大地を震わせた。

 重なる足音。風に乗って流れてくるのは、獣特有のすえた臭いだ。

 出現した【異形】は、かつての住宅地を根城にしていた二等級『狼人型』と、三等級ながら最大体高二メートルにもなる『凶狼型』である。

 この二つの組み合わせにカノンは目を見張った。

 近縁種といえども、異種間の群れが共同で人を襲うなどこれまで確認されたことのないことだった。

 しかも、『狼人型』の中には『凶狼型』の背中に乗って騎馬のごとく使役しているものもいる。

 

「総員、構え! 撃てぇ――ッ!!」


 カノンの号令で一斉に鳴り響く銃声。敵の軍勢の最前にいるものが倒れていく中、そこで戦場を見下ろすユイは息を呑んだ。

 

「待ってください、あれは……!?」


 ユイの喫驚の声が鋭く走る。

 上空から敵を俯瞰する彼女が気づいたのは、敵の軍勢の並びの法則性。この陣形は彼女らがつい最近使ったばかりの「魚鱗」だ。

 それが偶然に過ぎないとユイには断言できなかった。もしや先日の『ベリアル』が『第二の世界』での戦闘データを受信して、それらを【異形】たちに教え込んだのではないか――その可能性は決して捨てきれない。


「宇多田少佐、敵は魚鱗陣形敷いています! 単なる【異形】と、侮らないほうがいいです!」

「陣形を!? 確かに、言われてみれば見えなくもないですが……わ、分かりました!」


 魚鱗、と言われてもカノンは腑に落ちなかった。

 数では敵が有利で、包囲網だって敷けるはずだ。どうせ包囲するなら魚鱗よりももっといい陣形はあるのに、と。

 狼たちの遠吠えは連鎖し、静寂に包まれていた旧国道はにわかに狂騒の舞台と化した。

 魚鱗の陣形を複数作って周囲を固めてくる【異形】らを見据え、カノンは部下たちに命じる。


「どうやらあの並びは、奴らなりに陣形を作っているようです。これまでの【異形】どもと同じとは思ってはなりません。――しかし、やるべきことは変わらない! 敵の群れを切り崩し、討つ!!」


 陽光を反射して煌く穂先を戦旗に代え、カノンは兵たちを導いた。

 足底部のホイールを高速回転させ、敵陣へと突進していく。

 

「はぁあああああああッ!!」


 喉が焼き切れんばかりの大声で、カノンは吼えた。

【戦場の歌姫】は可憐さを求めない。彼女が突き詰めるのは、敵を前に身体を昂ぶらせる焦熱のみ。

 優しさは要らない。苛烈さだけがあればいい。獲物に隙を晒せば終わりだ。それで終わった者を何度も彼女は見てきた。

 だから――兵たちの絶対の指標となるよう、鬼神のように得物を振るう姿を彼らの記憶に刻ませるのだ。


「せぇえええええいッ!!」


 流麗なる槍捌きで『凶狼型』に騎乗する『狼人型』の喉笛を立て続けに掻っ切る。

 飛び散る緑色の血液、絶鳴も上げられずに落下する骸。

 その遺骸を踏み越えて、【イスラーフィール】は敵陣のど真ん中に切り込んでいった。


「陣形に穴が開いたぞ! 宇多田少佐に続け!!」

「おおおおおッ――!!」


 下士官の一人が叫び、上官の掴み取った好機を逃すまいと一斉に突撃を開始する。

 弾薬も魔力もなるべく温存したい戦場において、刃による力押しこそが最善手。【異形】に対抗しうるよう度重なる改良を施した鋼鉄の得物たちが閃き、血と狂乱の戦場を彩った。


「すごいです……! 敵味方これだけの人数、混戦になっているのに、誤って味方を刺すことは決してない」


 ユイの出番すらそこにはなかった。

 乱戦に見えて緻密に互いの距離を計算し、決して仲間を切り結んでしまわないようになっている。日頃からこういった戦闘をシミュレーションして訓練を重ねるのは当然として、味方と完璧に呼吸を合わせられなければ実現できない動きだ。

 一人が前へ踏み込めば、その前の者も同時に踏み出す。後ろを振り返ることなく味方の動きを察して動く――全員がそれを可能とするのを前提に、彼らは戦闘している。

 まるで部隊が一つの生き物のようだ、とユイは感嘆した。

 これが最先端の兵士の戦い。中国こきょうの仲間たちのそれとは、まさしく天と地の差だ。


「A組の子たちと、この戦い方を実現できたら……」


 それを望むのが贅沢な話だとはユイは思わなかった。

 技術と絶対の信頼関係があれば、自分たちでやるのも不可能ではない。

 しかし、その未来に期待を馳せられる時間は数秒もなかった。上空から目視できる範囲に敵影を捉えたユイは、カノンから預かった部下たちへ命じる。

 

「機体コードN2から三時の方向、10を超える敵影あり! N4、N5、対【異形】ライフル構え――撃てッ!!」



 空挺の司令室では生駒センリに指揮を任された妙齢の美女、麻木ミオ中佐が目覚しい味方の活躍に瞠目していた。


「前方では大きな群れは宇多田少佐の群れが相手取り、小規模なものは刘雨萓……暫定中尉が接近前に発見し、狙撃兵に始末させているようですね。後方でも生駒少将が単騎で多くの敵を討伐しています。右翼と左翼もそれぞれ、敵の撃破に成功していますね」


 報告すべき上官は隣にいないが、普段の癖で戦況を声に出してしまうミオ。

 敵の包囲網は既に七割方壊せており、彼女の声は否応なしに弾んだ。


「輸送部隊、速度上昇! 敵の数が減った今が好機だ、前進せよ!」



 第一師団が大阪基地を出立してから十一時間。

 時刻は午後三時を過ぎ、敵との遭遇も小規模な群れが数個のみと、カナタたちは暇を持て余していた。

 少年は双眼鏡を目に当て、窓の外をぼんやりと眺めている。

 人がいなくなって二十年が経過した無人の街ゴースト・タウン。緑化した道路。乗り捨てられスクラップになった自動車に、見覚えのあるコンビニのロゴが入ったプレート。ある民家の跡には、玄関前に白骨化した犬の骨らしきものも転がっている。


(戻らない飼い主を待ち続けて、朽ちてしまったのかな)


 人が築いた社会がそこには確かにあったのだ。今の『新東京市』よりもずっと多くの人がそこにいて、命の営みを日々繰り返していた。

【異形】が本能のままに奪ったものは、あまりに大きい。人類が彼らに対し赦しを与えることは、決してないだろう。

 対話による融和が成功すれば、戦いは終わる。だが本当にそれは叶うのだろうか。人の憎悪が残る限り、復讐心がある限り、どちらかがどちらかを滅ぼすまで戦いは終わらないのではないか。


 地上に出る前は、見つけた理想に飛びついて浮かれていたのだ。

 自分の好きなロボットアニメの主人公のように、無闇に敵を殺さずに戦いを終わらせてみせたいという憧れだけがあったのかもしれない。

 だが、所詮はフィクションへの憧れ。

 現実に人が滅んだ街々を目の当たりにして、彼の感情が揺らがないはずがなかった。


「……人の息遣いをまだ感じるでしょ? あの街は古代遺跡なんかじゃない。二十年前にはちゃんと人が住んでいて、社会を形成していたんだ。君たちにとって教科書で学ぶ『昔』の話だけど、ぼくたちの時代と地続きの過去なんだ」


 地下都市の生活が当たり前になった世界に住む、地上を知らずに育った世代の子供たち。彼らにとって想像するしかなかった地上とその過去は、決して隔絶されたものではないとアキラは説いた。

 押し黙るカナタとマナカに、アキラは鞄から取り出したお菓子を差し出す。


「チョコレート、飴玉、クッキー、お煎餅、ポテトチップス……まぁ他にも色々あるんだけど、食べる? あ、なるべく賞味期限の早いものから取ってくれると助かるな」

「い、いただきます」


 カナタは一粒の飴玉を手に取り、包み紙を剥がして口へ放り込んだ。

 じんわりと舌の上に広がる檸檬れもんのフレーバーに、ふと数ヶ月前の矢神キョウジの言葉を思い出す。


『人付き合いは少し舐めてかかるくらいがちょうどいいんだ』


 くすり、笑みがこぼれた。


「カナタくん、どうしたの?」

「い、いや……ちょっと、思い出し笑いしちゃって」


 少し、気分が楽になった。 

 何かについて舐めてかかるのは無論、褒められたものではないが――しかし、張り詰めすぎるのも違うだろう。肩の力をほどよく抜いていたほうが、いざという時も楽に動ける。

 無精ひげの教師に心中で「ありがとう」と呟いて、カナタは口の中で段々小さくなる飴玉を転がした。


「だ、第二師団のレイやユイさんは、だ、大丈夫かな……」


 理想について悩むのは後でも構わない。現状、心配すべきは【異形】の集団に襲われているという第二師団だ。

 自分たちだけ敵襲に晒されておらず、彼らばかりが苦しむ事態を痛ましく思いながらカナタは問う。

 アキラはタブレットに視線を落とし、絶えず第二師団司令室から入ってくる情報を読み上げていった。


「……というわけだね。早乙女くんも刘さんも敵の討伐に大いに寄与し、彼ら自身も含め自軍を殆ど死なせていない。予定通り、十八時頃には大阪基地に着けるってさ」


 その報告にひとまずカナタたちは安堵した。

 だが、それは始まりに過ぎないのだと察してもいた。彼らを襲った【異形】の軍勢は、理智あるものたちがもたらした知恵の実を食らって学びを得ている。

 これまでは先発が通った道を記憶して、そこで後発を待ち伏せることしかしなかった【異形】たちだが、奴らが記憶に基づく「推測」を覚えたとしたら?


「あの、アキラさん。私……【ラファエル】を見てきます。機体に触れない時間が長いと、なんだか不安になるので」


 マナカはカナタを残してふらりと席を立った。

 足早に空挺後部のSAM格納庫に向かう彼女は、自身の予感が間違っていないのだと確信していた。

【異形】たちはそう遠くないうちに第一師団にも襲撃をかける。その軍勢の苛烈さは、これまでの比ではないものになるはずだ。

 彼らは学習する。どれだけの数を差し向ければどれほど敵が損耗するか、少しずつ測ってきている。

 その学びが頂点を迎え、確実に人間たちを潰せる手段を弾き出したその時が、瀬那マナカという人間の最期の瞬間となるのだろう。

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