第五十八話【七天使】―Young heroes―
窓から望める凍てついた大地に、動きはない。
見渡す限り灰色の世界が続いており、散見される市街地の跡も完全なるゴーストタウンとなっている。
そこに生き物の影はなかった。極寒の世界には【異形】の影すら見えず、作戦の一日目は敵との遭遇を経ずに終わった。
「着いたよ。大阪基地だ」
焦げ茶色の髪の中性的な相貌の上官――似鳥アキラに促され、カナタとマナカは輸送機を降りて基地へと足を踏み入れた。
「さ、寒っ……こ、ここが基地……!」
近畿エリア最大の拠点である大阪基地は、旧都市部の郊外に建造された要塞だ。
これを築くための時間稼ぎに、実に千を超すSAMと万を超す兵がこの地に散った。
先人の犠牲の上に成り立つドーム型の巨大シェルターを見上げ、二人はまず敬礼する。
「多くの兵たちの命を支払って建てた拠点だよ。その意味を分かっているようで良かった」
分厚い防寒着を纏っていても、吹き付ける風の冷たさは肌を刺した。
寒さのあまり口もきけない二人の背中を押して、アキラは足早に発着場からドームへ向かっていく。
もう7年近くパイロットを務めているアキラは、この寒さにもすっかり慣れていた。
顔を覆うマスクの下で飴玉を舐めながら、少しでも少年たちを元気づけようと鼻歌を口ずさむ。
「そ、その曲って……『ガンタム』の……」
「へえ、わかるんだ? ふふ、聞いてた通りだね」
自分が彼らの面倒を見ることに決まったその日のうちに、アキラは色々とリサーチしていたのだ。
少しでも仲良くなれるよう彼らの趣味や好物を頭に入れておいたのだが、さっそく役に立ったようだ。
目を細めるカナタの頭をポンと叩いて、アキラは笑う。
「一緒に歌おうよ。瀬那さんも、メロディーだけでも口ずさんでごらん」
「わ、私もですか……!? でも、こんな時に呑気に歌ってていいのかな……?」
「こんな時こそ、だよ。別に、誰も注意なんてしないからさ。ぼくなんていつもどこでも歌ってるよ」
それはアキラの呑気さに呆れ果てて誰も何も言わなくなっただけなのだが、当の本人は一切気づいてもいなかった。
マイペースなアキラと一緒になって歌い出すド天然のカナタにジト目を送り、しょうがないなあ、とマナカも最大限の小声でそのフレーズを口ずさむのだった。
*
「基地までのルートで【異形】集団との遭遇は十八回、そのいずれも最前方のSAM部隊が掃討。死傷者と機体の損失はいずれもなし、か」
空軍少将の御門ミツヒロは、基地の会議室に集った士官たちの報告をそうまとめ上げた。
一日目の経過は順調。部下たちの表情も明るい。
凛然とした仮面を纏いつつ内心で安堵するミツヒロは、ふわふわの天然パーマを撫で付け――これは彼の癖だ――、士官たちに訊ねた。
「先日『第二の世界』で目撃されたという『飛行型』は見られなかったわけだな?」
「は、はい。報告にあった『飛行型』『巨影型』、ともに確認はされませんでした」
「そうか。月居少年らによると、『ベリアル』はワームホールを用い『飛行型』等の下等種を大量に差し向けてきたという。いつ奴らが同じ手を使ってきてもおかしくはない。警戒網は緩めるなよ」
鈍い光を宿した双眸でこの場の面々を睨み据えるミツヒロ。
彼らの上に立つ者として、敵と遭遇しなかったことで若干でも緩んだ意識を締め直す。
決然とした面持ちで頷く部下たちに念を押し、彼はこの日の会議を切り上げた。
解散となり各員がそれぞれの持ち場へ戻っていく中、薄暗い廊下を歩くミツヒロの背後から声を掛ける者がいた。
「調子はどう、坊や?」
妖艶な響きを帯びた女性の声。
その呼び名に顔を赤くしたミツヒロは咄嗟に俯いてしまう。
「夜桜大佐。も、もう俺も二十六です。その呼び方、止めていただけませんか」
「あら、そう? 私からしたらあなたはいつまでも可愛い坊やなんだけど……。そう、もう八年も経ったのね」
艶めく黒髪を暗がりに溶けさせる彼女の名は、夜桜シズル。
【七天使】最年長の三十五歳の彼女は、『レジスタンス』発足当初からSAMに乗り続けている最年長のパイロットであった。
「実はね、私、月居司令に今回の作戦で師団長を務めさせてもらえないかって掛け合ってたの。あなたにはまだ荷が重いって、思ったから」
「……何故、それを今言うんですか」
少し刺のある口調で訊いてくるミツヒロに、シズルはくすりと笑声をこぼした。
「言い方はあれだけど、あなたの代わりはちゃんといるってことよ。バックアップは私がする。だからあなたは、失敗を恐れずに行きなさい。今回の作戦は人類の生存率を高めるための重大なもの……決して失敗はできないけれど、それを恐れるあまりに消極的になっても意味がないわ」
あなたの尻拭いは私が引き受ける――そう言ってくれる年上の女性の存在は、若くして重責を背負った青年にとって鎮痛剤のようなものだった。
「感謝します、夜桜大佐。……では、俺はこれで」
敬礼してから去っていくミツヒロの背中を見送り、シズルは首元に手を当てながら呟いた。
「……これでいいのよね、ミユキちゃん」
*
翌早朝、まだ太陽も東の空に顔を出す前にはもう、第一師団は出立していた。
基地に備蓄していた非常食等の物資を輸送機に詰め込み、近畿エリアを抜けて中国エリアへ向かう。
昨日と同じ搭乗席に座るカナタとマナカへ、アキラは早朝にも拘らず元気いっぱいな声で挨拶した。
「おっはよー、月居くん、瀬那さん。良く眠れたかい?」
「ぜ、全然……」「私も殆ど寝れませんでした……」
二人の目元にはクマが出来ていた。アキラのそれと比べてそこまで酷いものでもなかったが、語るまでもなく睡眠不足はSAM操縦時にミスを引き起こす原因となる。
「そっか、ならこの飴あげるよ。舐めれば眠気が湧いてきて、四時間くらい泥のように寝れる。ぼくは長らく不眠症を患っているんだけど、これがあるから最低限の健康は保っていられるんだ」
『レジスタンス』の科学部と【異形】研究部が共同開発した、『植物型』の【異形】から採取した蜜を原料とする睡眠薬。
アキラの提案で作製されたそれは、その好みに合わせて飴玉という珍しい形をしていた。
「い、いただきます」
二人はにこりと笑うアキラから飴玉を受け取り、口の中に放り込む。
粘っこい甘味の中に若干の苦味が同居する奇妙な味を舌先に感じ、それが溶けてなくなる頃には暗闇の底に引き込まれるように彼らは眠りに落ちていった。
座った姿勢で眠る二人の前にかがみ込んだアキラは、手を伸ばして彼らの首元をまさぐる。
襟足の髪を掻き分けて覗けた少年の白い首筋を見つめ、アキラは舌打ちした。
「刻印がない……力を持っていながら、どうして」
カナタの髪を整えて不自然のないように戻してから、今度はマナカの首元を確認する。
そして、アキラはその目に歓喜の光を灯した。
「……あった」
人間が【異形】と契約を結んだ印。人と【異形】との境界線をなくし、決して触れ合わない地平線と地平線を交わらせる「可能性」の証。
彼女はどこまで知っているのだろう――気になりはしたが、アキラにとってマナカが刻印を持つ人物だとこの目で確かめられただけでも十分な収穫であった。
*
「見ーつけたっ! さぁ、このシオンちゃんが華麗にやっつけちゃうぜ!」
ショッキングピンクのショートヘアにこれまた派手な赤いアイシャドーという、戦場らしからぬファッションの女性が叫んだ。
部隊の進路上、一キロメートルに渡って群生している【異形】は二等級の『植物型』。様々な種が見られるが、その多くが光合成のみならず近くを通りがかった生き物を何でも食らう巨大な食肉植物である。
今回彼女らの前に待ち構えているのは、悪臭を放つ極彩色の花を咲かせ、地面に蔓延る蔓性のものだ。
専用機【マトリエル】を駆る毒島シオンは、いっそ禍々しいほどに肥大化した『植物型』を睥睨して口元に笑みを刻んだ。
「決して近づきすぎないでね! あれは見た目以上に動き回る! ちょっとでも隙を見せれば触手みたいな蔓を伸ばしてあたしたちから魔力を吸おうとしてくるよ!」
紫の体躯は量産機【イェーガー】と比較して細く、全体的にすらっとしていて洗練された印象を見る者に与える。だが何よりも特徴的なのは、その四足の脚部と四本の腕、蜘蛛のそれに似て膨れた腹であった。腹との境目近くの胸部から生える脚は腕の二倍ほど長く、その足先は錐のごとく尖っている。
さながら半人半蜘蛛の怪物、アラクネのような威容は【異形】のそれから着想を得たものだ。
『レジスタンス』の機体としてはいささかデザインが良くないのではないか――そんな意見も組織内には散見されたが、当のパイロットであるシオンはむしろこの攻めた見た目を大層気に入っていた。
「さぁ、ぶっぱなしちゃうよ!」
自身が開発に携わった『毒液銃』、その改良型である巨大なライフルを構えるシオン。
血気盛んな若い兵たちを制する彼女は、天を仰いで銃の照準をそこに合わせた。
「司令部へ! 『アイギスシールド』展開、急いで!」
「承認した! シールド展開、全部隊を守れッ!!」
闇属性の黒い魔力が銃口から噴出し、どす黒い弾丸が天へ目掛けて撃ち出される。
シオンの要請を受けて即座に『アイギスシールド』展開を許可するミツヒロ。
旗艦の空挺内に設けられた『コア』が起動し、師団全体を覆う桁外れな規模の魔力防壁を生み出していく。
「ぐっ……やはり慣れないな、これは……!」
SAMの機構を応用して輸送空挺に適応させた『コア』の数は、百。
魔法とは本来パイロットとSAMが揃って初めて実現するものだが、この空挺の場合は『アーマメントスーツ』を着用している乗員全員が「パイロット」扱いになる。
機体の床を踏む足元から容赦なく魔力を吸われ、立ちくらみを起こしてミツヒロはよろけた。
彼の身体を支えてやりながら、シズルは「頼むわよ、シオン」と胸の前で祈るように手を組む。
「降れよ雨! 滅べよ【異形】ッ!!」
喉が張り裂けんばかりの砲声。
上空で爆発した弾丸は黒い毒の雨を降り注がせ、地表の『植物型』の身体をたちまち溶解させていった。
花が、茎が、葉が、蔓状の触手が――跡形もなく、どろどろの液体と化していく。その毒液は地中の根にまで到達し、その地に息づいた『植物型』の全てをわずか数分で死滅させた。
灰色の世界を彩っていた極彩色は既になく、黒ずんだ液状の残骸だけがそこにあった。
「……進行を再開する。ミツヒロくん、ルートは?」
「マップにも表示したがひとまず左折し、南方へと行く。そこからは再度西進、迂回で遅れたぶんペースも上げるつもりだ」
「了解。ごめんね、あたしの魔法こういうのしかなくて」
「謝罪には及ばない。即効性・範囲ともに優れる貴官の魔法には俺たちも常に感謝している。……それと」
最後に一言、ミツヒロは付け加えた。見る人に柔和な印象を与えてしまうふわふわの髪を掻きむしりながら。
「俺は上官だ、空軍少将だ。同級生とはいえ、戦場では立場を弁えてそれなりの言葉遣いを――」
「ミツヒロくんはいつだってミツヒロくんなの! あんたのほうがだいぶ偉くなっちゃったけど、あたしくらいは同じ目線でいさせてよ。そのほうが、寂しくないでしょ?」
「だ、誰が寂しいとなんか……」
「口下手なんだから。ほんと困っちゃうよね、うちの男どもはそーいうのばっかりで」
動揺を隠しきれていないミツヒロにそう言い返して、シオンは通信を切った。
そして彼女は思う。後方の第二師団にいるソラや、輸送部隊のナギたちはどうしているだろうか、と。
*
白髪の少年、もとい青年はぼやいていた。
「しっかし便利だな、あの【太陽砲】ってやつ。敵との距離なんて数キロはないも同然、か」
「あら、嫉妬してるんですか? 君らしくないですね、ソラくん」
「あっ? って、カノン!? なんだよ、今の聞いてたのか!?」
【サハクィエル】を駆って上空から哨戒している彼のつぶやきを拾ったのは、同じく【七天使】の宇多田カノンだ。
数分前の通信をソラは切り忘れており、彼女に独り言を聞かれてしまったというわけである。
動転して機体も空中でぐらつかせる彼に、カノンはくすっと笑みをこぼす。
「【メタトロン】は私たち【七天使】の第四世代機を凌駕する、第五世代機。スペックで負けているのを嘆いても仕方ありませんよ」
「まあ、そうだけどさ……でも、悔しいじゃんか」
学園時代からの腐れ縁である女性に、ソラは本音を語った。
笑みを収めて真顔になるカノンは、前後左右どこからの敵にも対応してのけている【メタトロン】の砲撃を画面上で確認しながら言葉を返す。
「私は別に気にしてませんけどね。ちょっと優秀な機体を貰っていても、所詮は学生。私たちの立場が揺らぐことなんて微塵もありませんとも、ええ」
「……めちゃめちゃ気にしてないか、お前」
「ごほんッ、そ、そんなことありませんよ。――真剣に言いますと、機体スペックで抜かれたことは延々と気にする問題ではないです。現に私は先日、SAM開発部に【イスラーフィール】の改良案を提出したんですから」
ソラの指摘を咳払いで誤魔化し、カノンは同僚へ初めてそのことを明かした。
彼の驚愕の気配を息遣いで感じ取りながら、金髪の美女は微笑む。
「私、君に言われなければ学生時代にメカニックコースを選んでいたくらい、機械いじりは好きなんです。よければ君の【サハクィエル】の改良も手伝ってあげましょうか?」
「お前がメカニックとしてもやってける人材だなんて、初耳だぞ。なんで今まで黙ってたんだよ。……なんで、そっちの道に進まなかったんだ」
優しさを捨てて【異形】の命を刈り取る鬼となった宇多田カノンに、ソラは問いかけた。
確かにカノンにはそういう未来もあった。彼女の意思次第で、戦場に出なくとも良い道は選べた。
それでも彼女が戦うことを選択したのは――
「さあ、何ででしょうね」
その答えは胸の奥に秘め続けていよう、とカノンは決めていた。
言っても信じてもらえないだろうし、無駄にからかわれるだけだ。からかう側は自分でないと気がすまない、宇多田カノンはそういう人だった。
「お喋りはこの辺でおしまいにしましょう。レイくんばかりに負担を押し付けるのも悪いですしね」
それで話を終わらせて、カノンは機体のレーダーが探知した敵の位置をマップ上に表示させた。
自分たちの周囲だけでなく、これから進む予定の道路近くにも二等級以下の【異形】が群れをなしている。その数は二十を超し、一つの集団あたり最低でも三十匹以上はいた。
「第一師団からの報告では、進路上で殆ど【異形】と遭遇しなかったとのことでしたが……どうやら、今回は違うようですね」
大阪基地までの行路はまだ半分も消化できていない。日没までには到着したいが、このペースで敵が出現し続ければ否応なしに進軍速度は落ちる。レイの【太陽砲】を連射すればその問題は片付くが、彼も既に数発撃っており、そろそろ休ませないと魔力消費量が危険域に達してしまうだろう。
自分たちが率先して敵を討伐しにいかなければならない――カノンはそう判断して、師団長へと意見を仰いだ。
「生駒少将、私としては中隊を率いて前方の敵を討ちに参りたいのですが、構いませんか?」
「問題ない」
「ありがとうございます。右翼と左翼、それぞれの部隊も横からの敵の排除に当たらせますが、そちらも大丈夫でしょうか」
「ああ」
テレビ電話の画面に映る寡黙な青年の顔を見つめ、「相変わらず無口な人」とカノンは肩をすくめた。
黒い短髪で朴訥そうな顔立ちの彼の名は、生駒センリ。洒落っ気がなく無愛想、プライベートでの人付き合いは殆どないという、カノンとは正反対の人種な男だ。
だがそれでいてパイロットとしては『レジスタンス』内でシズルをも凌ぐ実力者で、その無骨で逞しい背中や激しい戦いっぷりに憧れている兵たちも多い。
扱うSAMは「力」を司る天使の名を冠した【ゼルエル】。そのモチーフの通りパワーに特化したこの機体は、肉弾戦において右に出るものはないと言われている。機体スペックだけでなくパイロット本人も幼少期から空手、柔道、剣道の三つを極めており、その技術は正真正銘の最高峰。
物理攻撃最強のセンリ、魔法最強のシズル――この二人が【七天使】のツートップだというのは組織内では満場一致であった。
「……第一師団の行軍を見て俺たちの動きを予測し、待ち受けた。そうだとしても、おかしくはないな」
司令室にいるセンリは呟き、卓上に貼り付けられた液晶パネルに視線を落とす。
戦場にいる敵味方の位置を表示した地図を睨み、彼は周囲の部下たちへ告げた。
「俺も出る。何か……臭うんだ」
「はっ。では、指揮は私が」
そう名乗り出る副官の女性――黒いショートヘアで、怜悧そうな顔立ちである妙齢の美女――に、センリは頷きを返した。
「ミオ、何かあったら輸送機の安全を第一にしろ」
「わかっています。ご武運を、少将」
切実な祈りを捧げる麻木ミオという副官に、センリはぎこちない笑みを浮かべる。
それからすぐに踵を返してSAM格納庫へ走っていった少将は、愛機に乗り込んでヘッドセットによる神経接続を開始した。
「早乙女は風縫と、刘は宇多田の下で戦え。雲行きが怪しい……決して気を緩めるな」
「は、はい」「了解です」
若干の緊張を窺わせるレイの声と、現場慣れしているぶん冷静さを崩していないユイの声。
二人の子供たちにそう命じたセンリは、開門した空挺の搭乗口から【ゼルエル】を発進させ――そして、降下していった。
「行くぞ、【異形】。お前たちが学習能力を身につけたとして……だから、何だ?」
黒き巨体が大地に降り立つ。
砂埃を舞い上げて部隊後方に単騎で出たセンリは、その鋼の拳の動きを確かめるように握って開いてを繰り返し、獰猛な笑みを口元に刻んだ。




