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暁の機動天使《プシュコマキア》  作者: 憂木 ヒロ
第三章 永訣の火

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第五十六話 対話の代償 ―He'll have no images at childish time any more.―

 小鳥のさえずりをアラーム代わりに起床したカナタは、ベッドから抜け出ると空っぽの二段ベッドの上段を見上げた。

 すうすうと穏やかな寝息を立てている相棒を起こさないように、忍び足で洗面所へと向かう。

 ここ数日レイは泊まりがけの訓練のために学生寮に帰っていなかったが、作戦開始を明日に控えた今日は丸一日休むよう組織から言い渡されていた。


「い、いよいよ、明日か」


 カナタは呟き、鏡に映る自分を見つめ返した。

 長めの前髪をピンで留めて、表情を隠すものを取り払う。冷水で洗った後の顔は自分でも驚くほど引き締まっていて、同時にとても穏やかに見えた。


(な、なんだろう、不思議と落ち着いてる。完全な未知に触れる前だっていうのに――)


 そう内心で言葉にした、直後。

 胸に鋭い痛みが走り、彼は激しく咳き込みながら洗面台に崩折れる。

 同時に襲い来る吐き気、そして目眩。並行してやって来たこれらは、『獣の力』を発動した際も彼の身体に降りかかったものだ。


「がはっ、ごほっ……!」


 その苦痛は長くは続かなかった。だが、しかし――彼の手元に残った「跡」は、その身に起こっている変化の紛れもない物証だった。


「う、嘘……ち、血が……」


 咳に混じった血液の鮮やかな色と臭いに、カナタは血の気がすっと引いていくのを感じた。

 喀血かっけつは微量だが、無視できない症状である。これまで主に脳に影響があった『獣の力』が呼吸器までも痛めつけたとなれば、ただ事ではない。

 鏑木博士が知れば、確実に『力』の使用を制限しようとするはずだ。

 まだ【異形】のシードを発見できていない状況で『力』を使わせてもらえなければどうなるか――それを考えれば、今のことは誰にも明かせない。


「きょ、今日も、行かなきゃ……」


『レジスタンス』の主力が都市を離れる前に、脅威の火種を取り除かなければならない。

 レイたちと同様に鏑木博士から休養するよう言われていたカナタだったが、それを無視して彼は一人、誰にも告げずに寮を出るのだった。

 


 銀髪の少年がまず向かったのは『レジスタンス』本部ではなく、彼が幼い頃独りで遊んでいた公園だった。

 学園の敷地から少し離れた保育園の近くにある、小さな公園。

 滑り台やブランコ、砂場やジャングルジムの並びは、彼の記憶にあるそこと何も変わっていなかった。

 まだ朝早い時間帯ということで、彼以外の人影はない。


(『フラウロス』が見せてくれた記憶の光景では、『見えざる者』以外にも多くの靄みたいな【異形】がいた。彼らと対話すれば、何かヒントを得られるかもしれない)


 彼らも『見えざる者』と同じく知性を有しているはずだ。【シード】発見の糸口を掴めるかは分からないが、やってみる価値はある。

 思い出よりもだいぶ小さく見える遊具たちを見渡しながら、カナタは装着していたヘッドホンを外し、潜めた声で語りかけ始めた。


「見えざる【異形】たちよ、聞いてください。僕は『ヒトの女王の子』、月居カナタ。あなたたちに訊ねたいことがあります。どうか、答えてはくれませんか」


 彼我の立場に優劣はつけない。丁寧な物腰で【異形】たちとコンタクトを取ろうとするカナタは、彼らの応答があるまでしばしその場に佇み続けた。

 幼い頃の記憶では、靄のような【異形】たちは空中に幾つも漂っていた。今ももしかしたら、触れれば届く距離にいるかもしれない。

 あなたはそこにいますか――両手を胸の前で祈るように組んで、彼はそう強く念じた。

 すると、壊れたラジオのようなひび割れた音声が、どこかから聞こえてきた。


『ワ、タシ……ココ、ニ、イル』


 片言な女性の声だった。

 存在を主張する彼女の声は、カナタにとっての希望。

 光明を手繰り寄せた少年は指と指を組み合わせたまま、逸る気持ちを抑えながら静かに訊ねる。


「……あ、あなたたちの同胞が、ぼ、僕ら人間が作った仮想現実にウイルスのような【シード】を仕込みました。そ、それを探るための、ヒントを得たいのです。そ、そちらが対価を求めるならば、こ、この身体でさえも……」

『ナゼ』


 微かに震える声で訊いた少年に、その者は逆に問い返した。

 

「ぼ、僕は、あなたたちと対話をしたい。あ、あなたたちとただ争い、どちらかがどちらかを滅ぼすまで戦いを続けてしまえば、て、敵味方問わず多くの命が失われる。……そ、それだけは、避けたいのです。た、戦いに拠らない解決方法があるなら、ぼっ僕はそれを選びたい」

 

 それが月居カナタの導いた答えだった。

 他人は怖い。【異形】も恐ろしい。だが、殺したくはない。

 他者を他者と割り切って互いに傷つけ合わない世界を、彼は望む。互いにいがみ合わないようある程度の距離を置きつつ同じ世界に共存するという形を、彼は目指す。

 少年はその理想を見えざる【異形】へ語った。

 数分の間を置いて、【異形】は抑揚のない口調で言う。


『互イヲ知ルトイウコトハ、互イニ憎シミ合ウ可能性モ生ム。ソレガ破滅ノ原因トナル可能性モアル。ソレデモ貴方ハ対話ヲ望ムカ?』


 知らぬが仏、ということもある。対話が孕むデメリットを呑む覚悟があるかと【異形】は少年を試していた。

 憎しみ。それはカナタも抱いたことのある激しい感情だ。

『ベリアル』にマナカを傷つけられて彼が激高したように、【異形】たちもヒトに仲間を殺されて憎しみに駆られているのだろう。

 既にヒトは【異形】たちを傷つけすぎた。その憎悪は対話を持ちかけるのも困難なほどに膨れ上がっているのかもしれない。 

 何も知らなかった【異形】がヒトとの対話からヒトの『反逆』を知ったら、怒りや憎しみがさらに伝播してしまう可能性もあるのだ。

 それでも――


「あ、あなたたちのように知性を持つ存在がいるのなら、い、【異形】とヒトが平和的に事態の解決を目指せると、ぼっ僕は信じます。お、幼い僕と一緒にいてくれた彼のように、友好的な者も中にはいるのだと、信じています」


 そう答えながら、カナタの胸中にはあの『見えざる者』とまた会いたいという気持ちが湧き上がった。

 彼ならきっと、微笑んでカナタの主張を支持してくれるのではないか……そんな気がした。

 姿の見えない女性の声は、『ナラバ』と少年へ言葉を授ける。


『対話ヲ求メルナラ、【シード】ヲ除去スルノハ止メロ。ソレハ接触ノ機会ヲ断ツ行為デアル。真ノ融和ヲ望ムナラ、「ワレワレ」カラノ干渉ヲ拒ムナ』


【シード】の放置は【異形】たちに人類を知られることに繋がる。

 ヒトやSAMの情報を得た彼らはより強くなり、人類にとっての大いなる脅威になるだろう。

 対話を掲げるならばそのリスクを代償として払え。それが見えざる【異形】の言葉だった。


「ぼ、僕は……」


 選択権はカナタにのみある。彼が【シード】を除去しない選択を取れば、『レジスタンス』がそれを発見するまでの時間――多く見積もって数ヶ月――を理智ある【異形】たちに与えられる。

 対話の成果が実る確証はない。犠牲は確実に払うことになる。

 それでも理想を貫くか――少年は長い懊悩の果てに、自分だけの答えを掴み取った。


「ぼ、僕は、君たちと話したい。い、意思があり、心があるなら、その精神は人と同じだ。ただ敵として殺すなんて、できないよ」


 AIが発展しだした頃、人に限りなく近しい人格を有したAIに人権を認めるかといった論争が一部であった。生物種としての「ヒト」であるかどうかを重視するか、「人」としての心を持つか否かを見るか。その議論は結局平行線のまま終わっていない。

 理智ある【異形】が登場し、彼らの中に『見えざる者』のようなヒトに対して友好的なものが現れれば、そういった論議も起こるだろう。

 その時カナタがどのような答えを出すのか――対話を初めて訴えた者として、彼はその回答を既に定めていた。


「あ、ありがとうございます。ぼ、僕はやることを決めました。……よ、よかったらまた、話しましょう」


 それ以降、カナタの頭の中に響く声はなかった。

 対話してくれた見えざる【異形】に感謝した少年は、意識を現実へと戻していく。

 それからふと聞こえてきた幼い女の子の声に、彼は苦笑した。


「ねぇ先生、あの人さっきからずっと一人でお話してるよ?」


 彼女の声はカナタ以外には聞こえていないのだ。いつか皆も彼女らと会話できるようになったらいいな、と考える少年は、その園児のそばにいる保育士が驚いたような顔でこちらを見つめていることに気づいた。


「カナタくん、なの……? どうして……」


 残念ながらカナタにはその三十代後半くらいの保母さんに見覚えはない。

 だが保母さん側は彼を知っているらしく、少々狼狽えた様子でいた。

 彼女らのほうに歩み寄って、カナタは訊ねる。


「あ、あの……ぼ、僕のこと、知ってるんですか?」

「え、ええ。私、君が保育園にいた頃からそこに勤めてたのよ。まぁ当時はかなり太ってたし、十年以上経ってるから君が覚えてなくても無理はないわね」


 何となく記憶の中に小太りな保育士がいた気がするが、どうにも目の前の女性に結びつかない。

 首を傾げる少年がそこに下げている白いヘッドホンを目にして、保育士は懐かしむような声音で言った。


「今もヘッドホンを持ち歩いているのね。保育園にいた頃の君は、ずっと部屋の隅で音楽だけを聞いて、誰とも話さない子だった。あまりに話さないものだから失語症とか緘黙(かんもく症なんじゃないかって、お母様に相談したくらい。でも……今は話せるのね。話す相手も、見つけたのね」


 この保育士がカナタと【異形】が対話する姿をどう見たのかは、少年には分からない。

 だが、どう捉えられようがそれで構わないとカナタは思った。

 彼女はカナタの成長を祝福している。かつて彼を保育した立場から、穏やかに笑っている。


「その制服……もうそんな年齢になったのね。訓練は大変でしょう? きちんと三食食べてる? 早寝早起きはできてる? お友達は作れたのかしら……って、ごめんなさいね、一方的に色々訊いちゃって」


 彼女の問いかけに、カナタは微笑を湛えて深く頷いた。

 よかった、と保育士の女性は目を細める。

 足元で「遊んでよー」としきりに訴える園児たちを「もうちょっと待ってね」となだめつつ、彼女はカナタの手を握って言った。


「数年前、園を最初に卒業していった子供たちが兵士になる年を迎えてから、毎年多くの卒業生たちが亡くなった報せが園にも届くようになったわ。彼らの幼少期を育てた保育士として、彼らを死なせた『レジスタンス』を恨んだこともあった。だけど……その恨みがお門違いだってことも、分かってるの。彼らの犠牲があってこそ、私たち大人や小さな子供たちの命は守られてるんだから」


 保育士の目には涙が滲み、ぽつりと滴り落ちていった。

 彼女はそれを拭うこともせずカナタの手を固く握って、言葉を続ける。


「私たちに出来ることは何もないけど、君たちの無事はずっと祈ってるわ」


 カナタのことを興味津々な様子で見上げている子供たち。保育士の彼女と共に幼い彼らを見つめるカナタは、「ありがとうございます」と微笑んだ。


「ぼ、僕、明日地上へ行くんです。れ、『レジスタンス』の最新機のパイロットに選ばれて。か、必ず勝って戻ってきます」

「――もう、行ってしまうの? まだ十六なのに……」

「し、死ぬつもりはありません。こっ、ここにいる子供たちのためにも、人類の希望を掴んで帰ってくると約束します」


 非情な宣告に泣き崩れそうになる彼女を抱き留め、カナタは毅然と空を見据えた。

 少年の覚悟を保育士は受け止める。誰とも関わりを持たずに部屋の隅でずっと俯いていた子が、誰かのために覚悟を決めて戦おうとしているのだ。一保育士でしかない彼女に、それを止める権利などありはしなかった。

  

「いってらっしゃい。戻ってきたら、よければ園に顔を出していって? また君の顔を見られる日を楽しみにしてるわ」


 じゃあねー、と無邪気に手を振る子供たちと保母さんに見送られながら、カナタはその公園を後にした。

 あの子供たちに未来を繋ぐために自分たちは戦うのだ。ヒトも、【異形】もなるべく死なせずに平和な世界を目指す――絵空事かもしれないが、挑戦する前から諦めるわけにもいかない。


(マナカさん、レイ、みんな……僕、頑張るからね)


 快晴の空を見上げ、少年は決意を胸に一歩踏み出していく。

 その旅路の先に何が待つのかも知らず、一途に希望という地平線へ向かう彼の顔には、もう過去の怯えた面影は微塵もなかった。   

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