第三十四話 同化現象 ―Change in spirit―
月居カグヤが学園の講堂で語った『パイモン』にまつわる真実は、翌朝には各メディアが『新東京市』全体へ広めていた。
その反響は凄まじかった。ネット上では『レジスタンス』の対応を巡る議論が盛んに起こり、『パイモン』出現から約二ヶ月も情報を伏せていた『レジスタンス』への疑念の声も多くあった。
隠匿に協力していた学園もバッシングの対象となり、学園長をはじめとする教師陣は授業を放り投げてその対応に追われることとなった。
矢神キョウジもその一人。ひっきりなしにかかってくる電話に辟易する彼は、受話器を叩きつけるように置いてからぼやく。
「全く、あの人は何を考えてるんだ? ここに来て民衆をかき乱し、『レジスタンス』への反感を抱かせるような行動を取るなんて」
「あら、矢神先生でも司令の意図は分からないんですか? 先生、司令の愛人なんじゃないかって噂が立ってますが……」
職員室で席の近い養護教諭の沢咲が、缶コーヒー片手に彼の後ろを通り過ぎる。
すれ違いざまに冷えたコーヒーを渡してくれる彼女に礼を言いつつ、キョウジは訊ねた。
「沢咲先生。あなたは昔、司令の専属医として働いていましたよね。俺にはどうも、最近の司令が何か焦っているように見えるんです。この前会った時だって何だか上の空な感じでしたし……心当たり、ありませんか?」
市内のとあるホテルで会った夜、キョウジの腕に抱かれるカグヤの目は彼を見ていなかった気がした。
彼女の意識は常に別のところに向けられている。何かキョウジも知らない目的があるのではないか――そう思えてならない。
「私なんかが司令の本心を見透かせると思いますか?」
「そう、ですよねぇ。すみません、変なこと聞いて」
「いえ、司令のことが気になっているのは私も同じですから。……何か分かったことがあれば、教えてください」
年下の女性教諭に頷きを返し、キョウジは目の前のパソコンに視線を戻す。
その画面に表示されているのはA組の生徒一人ひとりのデータだ。カグヤの演説直後の訓練時の、生徒たちのバイタル。
「その表、わざわざ『エル』に申請して出してもらったんですか? 生徒の健康に関しては、矢神先生の管轄ではありませんが……」
「訓練時に脳波の変化が見られる生徒がいましてね。『エル』側から担任の俺も把握しておくようにと通達があったんですよ」
「でしたら、私の方からもデータを提供しましょうか? 入学時からの記録がこちらの手元にありますけど」
『エル』とは『新東京市』の全システムをコントロールする人工知能だ。
彼女――『エル』の人格設定は女性である――からデータを受け取ったキョウジは、それを睨んで唸る。
「瀬那マナカくん……彼女の精神がどうも通常よりも攻撃的になっている。昨日の訓練には俺も立会いましたが、やはり戦い方が前のめりになり過ぎていた。彼女は基本的に、戦闘中は落ち着いていた子なんですがね」
「『コア』の影響かもしれませんね。私、後で瀬那さんをカウンセリングしてみます」
「本当は俺の役割なんですが、俺はあの子に胡散臭く思われてる。そうしてもらえると助かりますよ」
無精ひげをさすりながら感謝を告げてくるキョウジに、沢咲は柔和な笑みを浮かべた。
自分の席へ戻っていく養護教諭の背中を見送る彼は、缶コーヒーのプルタブを開けてほろ苦いそれを口に含んだ。
(生徒の心を守るのは教師の役目だ。それが人として正しい行いだと思うが、あの人はそうは思わないのだろうな)
SAMの『コア』はパイロットの脳に干渉して力を発揮する。そのパイロットの心に欠落という『穴』があれば、そこに入り込んでより力を増す。
『コア』とパイロットの『同化現象』――それが起こった果てにあるのは、SAMと完璧に一つになった兵士の誕生だ。乗り手の人格が二度と帰らないものになるのを代償に、燃料切れを起こさない限り永遠に戦い続けられる鬼神が目覚める。
人ならば抱きうる恐れ、痛み、疲労、それら全てを無視して戦場へ臨める兵。それは、『レジスタンス』が渇望してやまないものだ。
無人で稼働するSAMの開発研究は十年以上前から行われてはいるが、未だ成果は出せていない。無人機を諦め、『同化現象』による完璧なSAMを目指すべきなのではないか――『レジスタンス』の研究員の中にはそんな論調の者もいるという。
(【機動天使】のパイロットに支給されたヘッドセットも、彼らを『同化現象』に近づけるリスクを孕んだ機器のはずだ。にも拘らず司令がカナタくんたちにそれを与えたのなら……あの人は、息子を――)
その先は言葉にするのも憚られた。
溜め息を吐くキョウジは、机上に置かれた写真立てに目をやる。
大学時代のゼミの仲間と月居博士とで撮った、集合写真。約二十年の時を経て色あせ始めた写真の中で笑う博士が、今のカグヤやカナタを知ったら何を思うだろうか。
博士の舎弟であった身として、自分は何をすべきか――その後職務に戻ってからも、彼はずっとそれを考え続けていた。
*
「射撃の成功率が落ちていますよ、瀬那さん。余計なことは考えず、無心でやりなさい」
モニター越しに届けられるレイの声に、マナカはつい舌打ちしてしまった。
そんなことは言われなくとも分かっている。分かっているのにどうにもならず苛立ち、それがまた失敗を呼び寄せるという負のスパイラルに彼女は陥っていた。
「早乙女くん、私、ちょっと一人になりたい。冬萌さんたち見ててくれる?」
「勝手な行動は控えるのは、軍隊における絶対の原則なはずですが」
「でも、この前だってカナタくんが昼休みに勝手に決闘して、それで必要な訓練に遅れても何も咎めなかったじゃない。君にとって彼だけが特別なの? 彼のことが個人的に好きだからって、えこひいきするの?」
硬い声音で注意してくるレイに、マナカは刺のある口調で言い返す。
その言葉には私情が大いに含まれていた。溢れてくる苛立ちや嫉妬心に振り回されてしまう少女は、「こんなの私らしくないのに」と思いながらも自分を律せなくなっていた。
昨日の沢咲先生のカウンセリングで、その原因は彼女も把握している。『コア』がパイロットの精神に影響を与える現象――いわゆる『同化現象』の進行だ。
彼女の場合、自分の感情を制御できなくなるという形でそれが現れている。SAMから降りさえすればこれ以上の変調もなくなると沢咲は話していたが、マナカにその選択肢は始めからなかった。
彼女の理想を現実にするには、SAMがなくてはならないのだ。
「ごめん、早乙女くん。私、君を見ているとダメになっちゃいそうなの。本当に身勝手なのは分かってる、あとでいくらでも謝る。だから……今だけは、見逃してくれる?」
「……仕方ないですね。ただし、行き先をきちんとボクに知らせなさい。今のあなたが一人になったら何をしでかすか分かりませんからね」
『第二の世界』のマップを開き、誰もいなさそうな場所を適当に選ぶ。
その地名をレイに告げてからマナカは一人、クラスメイトのもとから離れていくのだった。
「……カナタ、話は聞いてましたね?」
「う、うん。マナカさん、大変みたいだね」
障害物を避けながら走行するユキエやイオリたちを眺めながら、レイは銀髪の少年に訊く。
モニターの隅に映るカナタの心配そうな顔に頷いてみせる彼は、深刻な声音で呟いた。
「『コア』の影響によるパイロットの精神の変質……知識として知ってはいましたが、こうも早い段階で現れるとは思ってもみませんでした。それだけ瀬那さんが『コア』との親和性が高い、ということなんでしょうが……今のままでは、作戦に支障を来すおそれもあります」
通常、『コア』との『同化現象』が進むことによる変化が出るまでには、五~十年程度はかかる。
そのため『レジスタンス』の兵は殆どが三十歳を迎える前には引退し、メカニック等に転職するわけだ。しかし、マナカのように異常な速度で『同化現象』が進行する例も極稀にあるという。
「ね、ねえ、レイ。ぼっ、僕たちもSAMの『コア』との高いシンクロ率を出していたよね。そ、それこそ常人以上に……れ、例外といえるくらいに。そ、そんな僕たちがマナカさんと同じ状況に陥らないって、いえるかな?」
「知りません、としか言いようがありませんね。何しろ、『コア』に関してはかなりのブラックボックスです。その仕組みの全てを知ることが許されているのは、『レジスタンス』のメカニックのみ。ボクらが考えても、何も分かりませんよ」
――分からない。また、それだ。
無力感に苛まれるカナタは溜め息を吐きたい衝動を堪え、「そ、そうだよね」とだけ返した。
結局、子供に知られることは限られている。卒業し、成人になって『レジスタンス』に入隊しなければ、鳥籠の中で飼われるペットのまま。
「カナタさん、レイさん! 大変、イオリさんが!」
と、その時。
刘雨萓の金切り声が二人の耳に届いた。
「な、何!?」
「カナタ、君が行ってください! 彼らがいるところは障害物が多く、足場も悪い。【メタトロン】の巨体を動かすには、少々条件が悪いですから」
「わ、わかったよ!」
不安定な足場の中で【異形】と戦う訓練を行っていたイオリのもとへ、カナタは急ぐ。
ユイの声からして状況はただ事ではない。何があったのか――嫌な予感を胸の奥に押し戻しながら、彼らは現場へ駆けつけた。
先日の『ラウム』戦同様の廃墟と化した都市が再現されたフィールド。乗り捨てられた車が散在する道路に降下した【ラジエル】は、そのカメラに仲間たちの姿を捉えた。
「七瀬くん! 七瀬くん、しっかりして!」
アスファルトの足場が崩壊し、開いた大穴に落ちたイオリの【イェーガー】。
そこに降りたユキエが応答のなくなった仲間へ必死に呼びかける中、穴へと迫ろうとする【異形】――豹の獣人のような姿をした『フラウロス』――から彼らを守ろうとリサやシバマルが必死に防戦していた。
「あ、危ないッ!」
振り下ろされた激しく燃え盛る拳を左手で受け止め、カナタはリサたちを守る。
その拳の熱と勢いに腕を軋ませる【ラジエル】は、翼を大きく広げて敵を威圧した。
「か、神崎さん、犬塚くん! こっ、ここからは僕が戦う、君たちは下がってて!」
「ま、待てよツッキー! おれたちだって、戦える!」
退避を促すカナタにシバマルは食い下がる。
本当のところを言えばカナタ一人で倒してしまったほうが早い。最新機の【ラジエル】からしたら旧式の【イェーガー】など足手まといだ。
だが、カナタは古い機体でも乗り手次第で十分強くなれることを不破ミユキという少女に教わっていた。
仲間を信じる。信じて、背中を預ける。――クラスとして戦う以上、そういう姿勢で臨むのがベストだろう。
「ご、ごめん、犬塚くん。ぼっ僕、君たちの実力を、信用しきれてなかった」
言いながら広げた手のひらの前に【防衛魔法】を展開し、カナタは『フラウロス』が燃やす拳の熱波を遮断する。
順調に獲物を追い詰めていた時に登場した邪魔者に、豹人間の【異形】は敵意に満ちた眼差しを送ってきた。
赤々と輝く瞳孔に理性の色はないように見える。――『パイモン』とは違う、これまで確認された【異形】と同質の個体だ。
(だったら――僕は惑わされない。確実に討てる)
【異形】を前にすると湧き上がる、「また心を揺さぶられるのではないか」という恐れ。相対してみてそれが杞憂だと確信したカナタは、【ラジエル】の専用武器【白銀剣】を空いた右手で抜き放った。
「いっ犬塚くん、神崎さん、え、援護を! ぼ、僕が切りつける瞬間に敵は後ろへ逃げようとするかもしれない! そっその逃げ道を塞ぐんだ!」
「了解だぜ!」「承知致しましたわ!」
防壁越しにも伝わってくる焦熱に顔を歪めつつも、カナタは仲間たちへ指示を出す。
彼の声に快く応じた二人は、『フラウロス』の背後を取るべく【ラジエル】の陰から飛び出した。
瓦礫を乗り越え、廃車を足がかりに跳躍する。
「行くぜっ、化物!」
少年の顔ににやりと笑みが刻まれた。
視界の端に現れて後ろへ消えていった二機の【イェーガー】に『フラウロス』は注意を引かれ、正面を押さえるカナタへの意識が一瞬緩まる。
拳の炎が僅かに勢いを落としたのを認め、カナタは即座に【防壁魔法】を解除。
鯉口を切った剣を一閃、その首を落とさんとする。
が――その刹那。
少年の頭の中に、機械音のような加工のかかった奇妙な男の声が響いた。
『オマエは嘘つきだ』
流れるように放たれた剣撃の軌跡が、意図せぬ方向に曲がった。
――まずい。
敵に肉薄しての攻撃をしくじった。心臓を切り裂くはずだった刃は少し下にずれて、下腹部を斬りつける。腸が露出し、【異形】特有の緑色の血液がどばっと流れ出るが、即死には至らない。
『ワタシは真実しか口にしない。そしてワタシは嘘つきだ』
何を言っている――そう、思考を誘導された時点で「隙」に付け入られてしまったのだ。
モニター上に「警告」の赤文字が大量に表示される中、銀髪の少年は突如襲い来る頭痛に呻吟する。
『オマエは嘘つきだ』
嘘つきだと断じられて、カナタは心の片隅で見て見ぬふりをしてきた感情へ意識を引っ張られざるを得なかった。
母親への気持ち。愛情を渇望し、信じたいと思っているのに、本心では恐れている。自分は彼女にとっての愛玩動物でしかなく、自由意思を持たない人形であることを望まれているのだと、気づいてしまっている。気づいていてもなお、それに気づかない純朴な息子を演じたがっているのは、母の愛を捨て去りたくないからだ。
『ワタシは真実を示す。ワタシは嘘を暴く。ワタシは嘘をつき、真実を照らす』
手のひらを傷つけることも厭わずに、『フラウロス』はカナタの刃を掴み取った。
嘘と真実――その二つの言葉でヒトを惑わし、かき乱し。
ヒトの精神を蝕む【異形】はその口元に笑みを刻み、少年から武器を奪う。
「ち、違う……僕は、僕は、嘘つきなんかじゃない! ぼっ、僕は、自分の気持ちを誤魔化したことなんてないんだ! あるはずがない! あっ、あって、たまるか!」
『それも嘘だ。真実を見よ』
悪魔の声は少年の叫びを否定した。
奪った剣を『コア』の眠る胸部に突き立てて、『フラウロス』は魔力を【ラジエル】へと送り込もうとする。
刃の切っ先が赤く光った、その直後――肩を撃たれる痛みに【異形】はカナタとのコンタクトを取りやめた。
『オマエにも――真実を見せてやろうか』
「なっ……こいつ、喋った!? いや、テレパシーなのか……!?」
【ラジエル】を突き飛ばして振り返る体高5メートル程の【異形】。
パイモンよりも人とかけ離れた姿で発声器官も持たないものの、魔法の力でヒトに思念を伝える力を持つその存在に、シバマルは凍りついた。
銃を構えたまま、襲い来る激しい頭痛に悶え苦しむ。
「な、んだよ、これ……ッ!? 変な技、使うんじゃ、ねえ!」
じわじわと蝕まれていく思考、意識、精神。
脳内に焼きついては消えていく鮮明な惨劇の光景に、シバマルの抵抗の意志は徐々に刈り取られていく。
焼けただれてどろどろになった腕の肌をぶら下げ、おぼつかない足取りで歩く少女。内蔵が露出した状態で道路に打ち捨てられた瀕死の男。赤子を抱いたまま血みどろで倒れている母親。都市は燃え、ビルは倒壊し、人々が屍を踏み越えて逃げ惑う惨劇。
若い世代が決して知らない【異形】襲来時の悲劇が、シバマルの記憶領域に刻み込まれた。
人は【異形】に抗えず、ただ蹂躙されて死にゆくのみだと、知らしめるために。
「嫌だ、嫌だ、嫌だッ!? こんなの見たくない、おれは、こんなの――」
『オマエが、オマエたちが見るべきは真実だ。真実を知れば、愚かな考えを抱くこともなくなる』
『パイモン』に次いで『第二の世界』内に出現した、知性を有する【異形】。
彼がパイモンと異なるのは、これまでに同種の知性を持たない個体が確認されていることだ。『フラウロス』は三年前に風縫ソラの部隊に討伐され、そのデータは学園の試験等での仮想敵として扱われている。
通常知性を持たない種にも拘らず、理知を有する個体が現れるなど前代未聞だ。
先日のカグヤの演説で彼女が警告していたのは、おそらくこういう事態だったに違いない――そう心中で呟くリサは、『フラウロス』から一旦距離を取ってレイや雨萓に連絡しようとした。
だが、しかし。
アスファルトの道路を揺るがして振り返った『フラウロス』は、地面を蹴り飛ばしてリサの【イェーガー】へと猛進する。
「あがッ――!?」
獰猛な肉食獣のごとき俊敏さで彼我の間合いを詰め、伸ばした手で首根っこを握り掴む『フラウロス』。
「い、いやっ……こんな、ところでっ……こんな、やつに、殺され――」
みし、みしっ。
【イェーガー】の決して細くはない頸が悲鳴を上げていた。
それは彼女にとって敗北を告げる死神の声であった。操縦桿を必死に動かしてもがこうとするが、掴み上げられた機体は空中でじたばたするのみでまともに抵抗できない。
鈍く乾いた音が響き渡り、機体としての死を迎えたSAMはその場に打ち捨てられる。
漏れ出た魔力液が血だまりを広げていく中、鋼鉄の遺骸を踏みつけて『フラウロス』は進んでいった。
真実を知らぬ子供たちに、地獄の炎を教えるために。【異形】に抗おうとする若い芽を、早期に摘み取るために。




