第二百九十三話 究極のSAM ―Metatron descent―
真っ暗な箱の中では何も見えやしない。
だが、その声だけはカオルに手放しかけた希望を取り戻させていた。
早乙女・アレックス・レイ。
声の主は確かにそう言った。
信じられない。死んだはずの彼が舞い戻ってくるなんて、幻覚の類いに違いない。
それでも、自分がまだ生きていることに理由付けするならば――それくらいの奇跡が起こらないと有り得ない。
「本当に……アンタなの、レイくん……?」
太陽を背負い、悠然と舞い降りるSAMが一機。
翼を持たない代わりに真紅の結晶で形作られた羽衣を纏い、腰部にも同様に結晶で出来たスカートを巻き付けた、天女のごとき容貌。
大型の『コア』を搭載して張り出した胸部を有するその体躯は、純白で細身だ。
『ナノ魔力装甲』にも似た赤い光芒を薄らと帯びる威容は、悪魔の『バエル』をもってしても神々しさを感じさせる。
『なんだァ? その妙な鉄人形は……!』
「【メタトロンオリジン】。SAMの力の原初たる『コア』、そこから独自に派生した『花弁の結晶』の力を直接取り込んだ究極の機体です」
目を剥く『バエル』にレイは淡々と答えた。
視界はクリアだ。思考には一切の雑念も混ざっていない。ただ心を研ぎ澄まし、機体と一つに。
相棒が機体を設計し、レイが動力周りをデザインしたこのSAMは、本当に自分の身体のようにしっくりきている。
この【メタトロンO】を共に作り上げてくれた相棒と、協力してくれた三人の理知ある【異形】に感謝を捧げながら、早乙女・アレックス・レイは最後の戦いに臨んでいく。
「ヒトの世界も、【異形】の世界も、どちらも尊く守るべきものだとボクは思う。だから……ボクは、ヒトを殺そうという貴方を止めます」
抱き留めた【ウリエル】に触れる指先から伝う『花弁の結晶』の光が、纏わりつく蝿たちを瞬く間に消滅させ、傷ついた機体を修復していく。
その光景を目にして眉間に皺を刻み込んだ『バエル』は、湧き上がる苛立ちを吐き捨てた。
『結晶だかなんだか知らないけど、俺の邪魔する人間は一匹残らず排除する! お前の魔力も喰らってやるよォ!!』
彼の眷属たる『死蝿型』たちが一斉に真紅の光線を乱射する。
命中すれば獲物の魔力の流れをせき止め、機能停止に追い込む死の一閃。
それが何条にも重なって【メタトロンO】へと降り注いだ。
「守れ――【太陽砲】!」
レイの一声で虚空に幾つも浮かび上がるは、黄金色の輪である。
構えられた計十機の砲門から放たれる純白の極太レーザーは死の光線と激突し――魔力爆発を引き起こした。
『チッ――』
「逃げてくださいカオルさん。あとはボクに任せて」
魔力と魔力の衝突によって発生した爆煙。
それが目くらましとして機能している今しかないのだと、レイはカオルに離脱を促す。
迷っている時間はなかった。悔しさを噛み殺し、少女は新たなる機体【メタトロンO】へと運命を託す。
『ごめん、レイくん。――必ず生きて戻って。アンタと話したいこと、いっぱい、あるんだから……!』
「約束します。ボクたちにも伝えたいこと、たくさんあるのですから――」
涙声で訴えてくるカオルにレイは力強い口調で頷き、次なる魔法の準備に入る。
目の前で揺らぐ煙も、背後をSAMが飛び去っていく音も、彼の意識の範疇には既にない。
全神経を魔法の詠唱にのみ集中させる。それ以外は不要だ。
『俺には無限の魔力がある! 何度でも撃つまでのことさァ!!』
『バエル』の叫びもレイの耳には届いていない。魔力消費を一切鑑みない高火力の斉射。先ほどよりも規模を増した光線の鯨波は爆煙をものともせず、【メタトロンO】へと襲い来る。
それに対してレイが行ったのは――
「【ブラックオーロラ】」
赤き結晶がその輝きをひときわ強めた瞬間、展開されるのは漆黒の魔力のカーテン。
夜桜シズルと香椎マシロが乗った【レリエル】の防御魔法だ。
黒きカーテンが光線の本流を完全に遮断し、封殺する。
「――【リリーフリコレクション・破】!」
『バエル』が瞠目した一瞬の間にレイが発動させていたのは、【ガブリエル】の付与魔法である。
皇ミコトの十八番であるこの魔法によって【メタトロンO】はその速度、火力、耐久力を格段に上昇させ――実質的に機体の世代を一世代分繰り上げた。
闇を切り裂いて太陽の化身が現れる。
天高く躍り上がって振り下ろす剣が齎すのは、何もかもを吹き飛ばす【ラジエル】の大風だ。
「吹き飛ばせ――【大旋風】ッッ!!」
刹那、大地を巻き上げるほどの巨大な竜巻が発生。
竜巻の中心にいる『バエル』を除き、王の眷属たる蝿たちを一掃した。
『いくら眷属どもを殺そうと、魔力さえあれば奴らは無限に湧き出でる! 俺の肉体と同じさァ!』
「――!」
高らかに哄笑しながら両腕を広げ、既に魔力を充填している『死蝿型』たちを召喚する『バエル』。
レイは振り向きざまに【ガギエル】の技【水銀の盾】を展開、汞のベールにて投擲された光の槍を屈折させた。
『チッ――面倒くせぇんだよッ、お前ッ!!』
「幾らでも言ってください。そして何度でも掛かってきてください。あなたの技はボクには届かない。何度蘇ろうが、同じことです」
冷徹に。冷然と。レイは一人のパイロットとして現実を突きつける。
かつて理知ある【異形】の『ザガン』は語った。『楽土』に生息する【異形】たちが電脳化を果たしたのは、『花弁の結晶』が各SAMの得た記憶という名の情報を他の『コア』から得た結果、【異形】たちに機械を模した進化を促したためではないかと。
『コア』は大元を辿れば一つの結晶体『カラミティ・メテオ』に帰結する。ルーツを同一とする『コア』は記憶の共有を可能とする。
それを知り得たレイは、共有された記憶を如何にして引き出すかを考察し続けてきた。
これまでのSAMでそれが不可能だったのは何故か。既存の『コア』では何が足りないのか。どうして『花弁の結晶』だけが、周囲の生態系を変貌させる規模の現象を起こすことが叶ったのか。
結論として――レイは一つの仮説を立てた。
知性ある存在の魂を喰らった『コア』だけが、共有された記憶の引き出しを実行できるのではないか、という論である。
『コア』はそれ単体では単なるエネルギーの塊としての役割しか持てない。それがSAMを介してヒトと接続を果たすと、機体の心臓としても記録装置としても機能するようになる。『コア』にとってのヒトは、指令を出す「脳」であるのだ。
だが、ヒトは『コア』の記憶を手繰り寄せる術を持たない。故にヒトはSAMに乗ったところで、自分の経験に基づくパフォーマンスしか出せない。
しかし、知的生命体の精神を取り込んだ『コア』は違う。ヒトではなく自身が一つの「脳」となったそれは、ヒトが過去の思い出し方を教わらずとも知っているように、共有された記憶も引き出せるようになるのだろう。
では何故、マナカとマオはそれを成し得なかったのか。
その答えについては現状、「彼女たちが『コア』に取り込まれた後も、人間としての精神を強く保ち続けたためではないか」とレイは考えている。
元々の人格が薄らぎ、本当の意味で『コア』と一つになったとき――その事象は起きるに違いない。
「ヴィネという理知ある【異形】の魂が溶け込んだ、『花弁の結晶』という名の『コア』……機体が宿すその『脳』こそが、ボクに既存の全ての魔法を与えてくれる」
今のレイにはSAMの歴史上存在した魔法の全てが扱える。
かつて月居カナタが『バエル』を眠らせて封印した魔法も、当然使える。
故に『バエル』に勝機は無い。
そうでありながらレイが最初からその魔法――【ドーン・オブ・フェイス】を用いなかったのは、それでは問題の先送りに過ぎないと分かっていたからだ。
『そうかい……今の俺では勝てはしないと、お前はそう言うのかい』
「ええ。だからこれ以上の戦いは無意味なんです、『バエル』さん」
力を振りかざし、対話という選択肢を突きつける。
そのやり方が卑怯であることは重々承知だ。それでも抑止力としての武力が無ければ『バエル』と話し合うことが不可能であるとレイは判断した。
『……やっぱり人間ってやつはどこまでも傲慢なんだなァ! 力を以て弱者を甚振る、それがお前たちの本性だ!!』
「蹂躙が目的ではありません! ボクたちはただ、不戦による平和を実現したいだけです!」
破鐘のごとき大音声で叫び、『バエル』は『死蝿型』の軍勢を再展開する。
蝿たちの複眼が瞬くと同時、一斉に迸る真紅の奔流。
破滅を齎す魔力の濁流に対し、レイは平穏を願う意志を魔法に込めて応じた。
「【リリーフリコレクション】!」
桃色の大盾が『バエル』の憎悪を受け止める。
その感情に呼応するように力を強める血の色の光線にレイは歯を食い縛り、汗を流した。
「それが、あなたが人を敵視する理由なのですね。その思いが、あなたを戦いに駆り立てているのですね――」
迫害された。排斥された。抑圧された。蹂躙された。
それ故に『バエル』はヒトを憎む。恨む。認めぬ。
彼の心に深く根ざしたそれらの黒い感情は、決して取り払えるものではないだろう。
それは仕方のないことだ。レイだって姉や友を奪った【異形】への憎しみが完全になくなったかと言えば、嘘になる。だが平和のため、その思いを割り切って彼はここにいるのだ。
「ボクはあなたの怒りを受け止める! 何度だって受け止める! それであなたの気が少しでも晴れるのなら、ボクは進んであなたに撃たれにいこう!」
『バエル』がヒトを殺しに来る限り、レイは【メタトロンO】で止めにいく。
彼の怒りを受け止め、受け入れ、無関係の人々を守り抜く。
命を奪うためではなく、生かすため――それが【メタトロンO】の設計理念にして、レイが相棒と共有している揺るがぬ覚悟であるから。
『撃たれに来るだって!? 頭いかれてやがんのか、お前はァ!?』
「確かにそうかもしれません。ですが、そうでなければ世界は変えられない!」
少女の理想を顕現した桃色の防壁は波紋を描くように、その光輝をどこまでも拡散させていく。
広がっていく優しい光が『バエル』の光線を包み込み、桃と赤の粒子が静かに溶け合う。
その光景を見つめながら、レイは肩で息をする『バエル』へ穏やかに言った。
「SAMが戦いのために進化していく時代は、ボクたちが終わらせます。これからのSAM技術は、人類と【異形】とが共存していくために使われるべきだ。その第一歩としてボクたちは、宇宙環境に適応したSAMを開発したいと考えています」
カナタから『バエル』の望郷の念を聞かされてから、ずっと頭の片隅にあったことだ。
これまでは目下の【異形】との戦いを優先して、そのアイデアを表に出すこともなかった。だが【異形】との果てなき争いに終止符を打つ目処が立てば、開発リソースをそちらに割けるようになる。ミコトたちも大いに賛成してくれるだろう。
『……だから、何だってんだよォ……!』
「人類が宇宙進出を果たした暁に、遠い銀河の星々へ飛ぶことのできる技術は必ず生まれるはずです。魔法技術が発展すれば、『カラミティ・メテオ』を地球へ運んだワープも、きっと再現できる。遠い未来になるかもしれない……それでも、あなたの望みはいつか、叶う日が来ます」
遙か未来に訪れるかもしれない一つの可能性をレイは提示する。
長くても百歳ほどまでしか生きられないレイたちには無理でも、不死の『バエル』ならば見られるだろう青く美しい星。
胸を掻きむしりたくなるほど強烈な望郷の願い。
それを抱く元凶となった者たちを恨み、降り立った異星に住まう故郷の人類に似た「ヒト」への復讐心に呑まれることで、『バエル』はその思いを忘却しようと努めてきた。
『本当に……叶うのか? 俺はまた、生まれ育った場所に帰れるのか?』
「帰れます。長い時間が経ち、景色もそこに棲む者たちも変わっているでしょうけれど……あなたの星に。故郷に」
長い、長い沈黙が訪れた。
黙りこくる『バエル』をレイは静かに見守った。彼がどのような選択を取っても、レイにはそれを受け入れる覚悟があった。【メタトロンO】はそれを可能とする機体であり、レイ自身もこの数年の戦いの中で他者を受容できる大きな器へと成長していた。
『…………』
意志が定まったのだろう。緩やかに『バエル』は地上へと降下していく。
彼と共に焦土と化した地面に立ったレイは、問いかけた。
「ボクたちを信じてくれますか、『バエル』さん」
『信頼はしないよォ。お前たち人間の顔は相変わらず見てるだけで反吐が出る。「バラム」みたいに仲良しこよしなんざァごめんだ。でも、まァ……お前たちの技術開発に対する執念は認めよう。二十年そこらで鉄人形を、俺を超えるほどに進化させた開発力……それは信用に値する』
端正な青い肌の顔を歪め、何かを吐き出すジェスチャーを交えて『バエル』は答える。
その態度に苦笑しながらもレイは、ほっと安堵に胸を撫で下ろしていた。
憎悪に従ってヒトを滅ぼすか、ヒトを生かして一縷の希望に賭けるか。『バエル』が後者を選択したことで、人類と理知ある【異形】との一つの戦いが幕を閉じたのだ。
「『バエル』さん……改めて」
『いや、いいさァ。お前の名前は覚えてるし、どのみち名乗ってもらう必要はないからねェ』
コックピットを出て直接顔を合わせようとしたレイに、『バエル』は首を横に振ってみせる。
怪訝に思うレイが口を開くのに先んじて、『バエル』は言った。
『言っただろォ、俺はお前たちとつるむつもりはないって。だからお前の鉄人形の魔法で眠らせてもらいたいんだよ。五百年後にでも目覚めれば、この星もいい感じに発展してるだろ』
いわゆるコールドスリープのような要領で、その時が来るまで眠りに就いていたい。
交流が果たせないことを惜しみつつもレイは頷き、『バエル』の意志を尊重した。
再び操縦席に着き、毅然と佇む『バエル』へ【メタトロンO】の掌をかざす。
「……ゆっくりお休み。望郷の士よ。その目覚めた先に、安らぎがあらんことを……」
少年の言葉に乗せて魔力が流れ出し、暁の星空が『バエル』を包み込む。
銀河の輝き以外には何も存在しないその結界の中で『バエル』は、故郷にどこまでも広がっていた緑に思いを馳せ、そして目を閉じた。
「……行きましょう。まだ、戦いは終わっていないのですから」
深海に沈むように眠りに就いた『バエル』を横抱きにして、【メタトロンO】は飛び立った。
人類と理知ある【異形】との最後の戦場へ。
――『新東京市』へ。




