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暁の機動天使《プシュコマキア》  作者: 憂木 ヒロ
最終章

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第二百九十一話 復讐者 ―Sacrifice to preserve hope―

 微睡みの中で、その【異形】は声を聞いていた。

 遠く離れた東の地で勃発した、戦闘の叫びを。

【異形】も人類も区別なく叫喚する、地獄の戦場。

 それは彼にとって至上の舞台であった。

 遙かな時を経てもなお色褪せない憎悪が、彼という存在を駆り立てる。


『……あァ、いい目覚めだァ……ヒトが死んでる……それ以上に心躍ることなんてない……』


 突沸するように膨れ上がった魔力が彼を拘束していた鎖を引き千切る。

 その魔力と物音に『福岡プラント』常駐の兵士たちが駆けつけようとした時にはもう、彼は飛び立っていた。

 光の柱が基地の天井を突き破り、屹立する。

 ヴヴヴヴヴヴヴヴヴッッ――!

 奏でられるのは無数の羽音の重奏だ。


「やっ、奴が脱走します!」

「押さえろ! 奴だけは行かせてはならん!!」

「【ベルセルク】十機、撃破されました! 突破されます!?」


 覚醒した彼にとっては名もなきパイロットたちの【ベルセルク】など、敵ではなかった。

『プラント』を守る衛兵たちは光線の乱射に無慈悲にも焼き消され、追撃のビーム砲も彼の使役する蝿たちが肉壁となって阻む。

 この『プラント』や基地は彼からすればどうでもよかった。

 目的は一つ、復讐だ。

 人類を殲滅する。その上で――自分を殺さず眠らせたあのSAMのパイロットを、この手で潰すことだ。


魔導書ゴエティア』に記されし序列一番の王、『バエル』。

 約一年にわたる長い眠りから覚めた悪魔が今、牙を剥いていた。



 最初に感じたのは静寂だった。

 次に、ひそひそという誰かの囁き声。

 茫洋とした意識の中で目を開く。曇天を背後にこちらを見下ろしているのは、漆黒の体躯を持つ鋼鉄の戦士たちだ。

 

『……ぼく、は……』

「目覚めましたね。バラムさん」


 透き通った少女の声が彼の耳朶を打つ。

 機体を降りて歩み寄ってくる桃髪の彼女をぼんやりと見つめながら、バラムは状況を少しずつ思い出していた。

 

『ぼくは……君たちを殺そうとするもう一人のぼくに負け……そして、目覚めた……ということは、つまり……』

「もう一人の貴方は眠っておりますわ。香椎マシロの【レリエルLルクス】の魔法によって」


 少女の言う通り、バラムのすぐ隣には雄牛の頭をしたもう一人の彼が横たわっていた。

 自分の中の「恐れ」を代弁した存在。上体を起こして見るその寝顔は、全ての苦しみを忘れたように穏やかであった。


『……よかった。いい夢を見てるみたいだね。……それに、三人目のぼくも』


 彼の左肩の上では羊の頭がすーすーと静かな寝息を立てていた。

 あどけない少年の顔に微笑みを湛える『バラム』は緩慢な動作で立ち上がり、自分と同程度な背丈の少女と向き合う。


『マシロが鎮めてくれたんだね。ヒトを恐れるあまり暴走してしまった、もう一人のぼくを……。ねえ、マシロを呼んでよ。お礼を言いたいんだ』

「……それは、」


 目覚めたばかりの彼に真実を告げることをミコトは躊躇った。

 そんな彼女に代わり、口を開いたのはグローリア中佐である。


「『バラム』さん。香椎マシロは己の命と引き換えに、もう一人の貴方の人格を鎮めたのです」

『え……? そんな、嘘でしょ……? ぼくが、もう一人のぼくが、殺したっていうの……?』


 信じられなかった。信じたくはなかった。その動揺はほどなくしてもう一人の人格を抑えきれなかった自分への怒りと悔恨へと変わる。

 己の罪に苦しむ【異形】の少年にミコトは寄り添い、静かに言った。


「あなたはもう、独りではありません。一緒に償いましょう。マシロさんもきっと、それを望んでいた」


 共生を願って命を懸けたマシロの思いを継ぎ、ミコトはその慈愛を以て『バラム』を抱擁する。

 ――ヒトってこんなにも温かいんだ。

 それは初めての感触だった。生まれ落ちて自我が芽生えた瞬間から、彼は独りだった。同じ知性を持つ怪物と行動を共にするようになっても、決して本心から打ち解けようとはしなかった。怖かったのだ。己の陰の部分を知られることが。だからバラムは天真爛漫な少年を演じ続け、いつしかその仮面と矛盾する感情が別の人格として発露するようになった。

 

「泣いて、いいのですよ。あなたはもう、自分の感情に素直になってよいのです」


 堪えていた熱いものが、ミコトのその言葉で決壊した。

 彼は泣いた。幼子のように声を上げて、思い切り泣いた。

 固くしがみついてくる『バラム』を優しく抱き返し、ミコトは彼の涙が止まるまでそうし続けていた。


「……ねえ、見て……」「あれは……!?」


 カオルの囁きにカツミが目を見開く。

 気づけば少年の左肩に載っていた羊の頭と、横たわっていた雄牛の悪魔は白い光の粒子となって消え始めていた。

 その光は『バラム』の背中へと吸い込まれるようにして流れ込んでいく。

 輝きがぴたりと止んだ頃、『バラム』はミコトから身体を離し、赤く腫れた目をごしごしと擦りながら言った。


『ヒトへの恐れも、全部忘れて目を背けたい気持ちも、全部ひっくるめてぼく自身だ。――ぼくはもう逃げない。ヒトとどう関わっていくか……戦いではなく言葉で、それを模索していくよ』


 決意した『バラム』にミコトは深く、頷きを返した。

 この場の全員を代弁して、彼女は理知ある【異形】との共生の第一歩を踏み出す。


「わたくしは皇ミコト。バラムさん……これから、よろしくお願い致しますね」

『改めて、ぼくは『バラム』だよ。こちらこそ、よろ――』


 そこまで口にして『バラム』は手を差し出した体勢のまま、硬直した。

 上空から聞こえてくる不協和音。急速に迫り来る圧倒的な魔力の気配に、彼は物凄い勢いで振り仰いだ。

 数多に重なり合う羽音の重奏。築かれようとしていた異種族の友好関係を嘲笑うかのように響くその音に、『リジェネレーター』の戦士たちは思い出す。


「まさか……『バエル』……!?」


 黒い台風のごとく渦を巻いて降り立つ『死蝿型』の群体。

 戦慄の声を漏らすシバマルを庇うようにユイが羽を広げ、そんな二人を守るように『バラム』が【絶対障壁】を展開する。


「何故今になって……!? 『バエル』は月居少年の魔法で休眠状態にあったはずだ! 彼の死後もその魔法の効果は続いていると、『福岡基地』が報告していたはずだが――」

『「バエル」は自分の意思で仮死状態になれる! 魔法が切れた後、彼はそうして自分が寝たままであると思い込ませたんだよ!』


 そんなミラー大将の疑問に、羽音に掻き消されないよう声を張り上げて『バラム』が回答した。

『バエル』は好機を待ち続けていたのだ。同じ轍を踏まぬように、今度こそ人類への復讐を果たせるタイミングを狙っていた。

 それこそが今だった。


『あァ? ……何をしてる、バラム?』


 理知ある【異形】が魔法で人類を守っている。 

 そんな有り得ない光景を前に『死蝿型』への命令を一旦止め、『バエル』は問うた。


『ぼくは人類を信じてみようと決めたんだ。ぼくは彼らと共に生きたい。だから……お願いだ、戦うのを止めて!』


 一縷の望みをかけて『バラム』は訴える。

 戦いを終わらせたい。そう願ってヒトと手を取り合ったばかりであるというのに、また戦いが起きるなんて――。

 が、しかし。『バエル』は彼のその思いを一笑に付した。


『人間風情に負けて錯乱したのかァい、バラム! 俺たちの生きる場所に害虫なんざァ要らない、そうだろうが!』


 悪魔の眷属たちが死を齎す光線を斉射する。

 降り注ぐ魔力の乱打が防壁をたちまち凹ませていく。

 灼熱に耐えられず変形していく壁を前に、『バラム』は顔を歪めるしかなかった。

 相手は序列一番の王と呼ばれる悪魔だ。周囲に死を振りまき、己は死を克服した、最強の理知ある【異形】。


『ぼくじゃ、勝てない……! たとえ姿を消せても、あれだけの量の眷属たちに邪魔されれば見つからずに接近するなんて不可能だ! 悔しいけど……今の君たちでどうにかできるとも思えない』


 単身壁を広げ、ミコトたちを背後に匿いつつ『バラム』はふるふると首を横に振る。

『バエル』の力を知るユイとシバマルは何も言えなかった。この場のSAMで自爆特攻でも仕掛ければ倒せはするだろう。だが、不死の存在相手にそれをしたところで意味がない。倒すのではなく無力化しなければ勝機はないが、それを為せる可能性のあった【レリエルL】は大破してしまっていた。

 

「バラムさん。確かにあなたの言うように、勝利は不可能なのかもしれません。ですが、負けないように足掻き続けることはできるはずです」

『ミコトさん――何を、言ってるの?』


 香椎マシロが託してくれたバトンがあったからこそ、理知ある【異形】との対話という一つの目標を果たせた。

 今度は自分たちがそれを未来に繋ぐ番だ。それを成し遂げるまでは死ねない。死んではならない。

 

「ここで諦めていいはずがありません。わたくしは誓いました。わたくしを信じて戦った全ての者たちと、未来を見ることなく理不尽に命を奪われたあの子たちに、人類と【異形】との架け橋であり続けるのだと――!」


 凜と顔を上げ、皇ミコトは使命を謳う。

 生き残ること。それこそが未来の希望を切り開く唯一の方法なのだ。


『でもっ、どうすればいいの!? ぼくの魔法じゃこの光線を防ぎきれない! 逃げ切るなんて無茶だ!!』

「無茶でもやるのですよ。わたくしたちは常にそうしてきた。そして……その無茶をわたくしたちの世代で止めるために、今、戦っているのです」


 揺るぎないミコトの意思を受け、バラムは決断した。

 彼女の選択を信じる。たとえ無茶でも無謀でも、僅かでも生き残る可能性が残っているなら行動する。それしかない。

 

「撤退戦か、面白い!」

「殿は私たちが務めましょう。先ほど死に損なった命、ここで使わせてもらいます」


 崩壊しかける防壁の裏側から『バラム』が新たな一枚を張り直す中、ミラー大将とグローリア中佐が名乗り出る。

 若者たちに後を託すのが大人としてやるべきこと。彼らにはそれを為せるだけの覚悟と潔さが備わっていた。

 が、当の若者たちはそれを拒む。


「何言ってんだ、大将、中佐。あんたらがいなくなったら今後、誰が軍を担うってんだ! あんたらに死なれるのは俺たちとしても困るんだよ!」

「ミコトさんや『バラム』さんはもちろん死ねない……そうなると役割的に消去法でアタシらになるよね。【ラジエル】や【ミカエル】じゃダメでも、アタシらの機体ならいけるかもしれないし」


 カツミとカオルに恐れはなかった。

【異形】相手の撤退戦は既にカナタとレイが挑み、その役目を果たしていた。あの二人にできて自分たちにできないはずがない。なんたって自分たちは同じ【機動天使】であり、同じ心で戦った同志なのだから――。


「凡才でも天才に敵うってとこ、見せてやろうよかっちゃん」

「『凡才』とは謙虚だなカオル。俺だったら『秀才』って言うぜ」

「あはっ。それくらいなら言ってもいいかもねー」


 軽口を叩き合う二人は踵を返し、ミコトたちに背を向けた。

 ユイは静かに唇を噛み、シバマルは「くそッ!」とコンソールに拳を打ち付ける。

 悔しいのはミコトも同じだ。叶うなら二人を犠牲にしたくなどない。

 だが、撤退の時間を稼ぐ必要がある以上、殿を務められるだけの実力のある誰かがその役割を担わなければならない。カオルの言うとおり、候補はもう二人しかいなかった。


「急いで皆! 『バラム』さんの防壁も長くは保たない!」

「――カオル。カツミ。ありがとう。いただいた時間、無駄にはしません!」


 風縫カオル。毒島カツミ。二人の勇敢なる戦士に最大級の敬礼を表して、ミコトたちは発進した。

『バラム』の防壁が崩れ去る。それと同時に【ウリエル】は『ナノ魔力装甲』の粒子を自身から離し、周囲の空間全体へと拡散させた。

 蝿たちの撃つ真紅の光線が、空気中でナノ魔力粒子に阻まれて威力を相殺される。

 

「ぶっつけ本番だったけど上手くいったね。カツミ、アンタも同じ事をして!」

「俺だってやったことはねえんだがな……まァ、飛べねえ俺にはこれくらいしかできねえ。全力でやるまでだ」

「あんがと。アンタは『ナノ魔力粒子』でミコトさんたちを守りながら撤退して。その間にアタシは『バエル』をここに食い止める」


 魔力と魔力の激突。その衝撃にも涼しい顔をして、カオルとカツミは作戦を打ち合わせる。

 時間を稼ぐ。敵の戦力を削ぐ。自らの命を以てそれを成し遂げることが、カオルが自身に課した最後の使命だった。


「……分かった」


 少女の覚悟を瞳に焼き付けた少年は一言、答えた。

 彼個人としてはこの結末は断じて認められない。だが、軍人としての毒島カツミは理解していた。

 この選択がミコトたちを生存させる最も可能性の高い戦略だと。

 最愛の彼女の命とミコトの命、二者を天秤に掛けてカツミは前者を捨てることを決断した。

 きっと一生後悔する。何度だって涙を流す。それでも未来に希望を残せるなら、人と【異形】の終わりなき戦争に終止符を打てるのなら、カツミはカオルを犠牲にする。


「俺たちは正しいことをしてるよな、カオル――」


 独白めいた呟きが別れの言葉だった。

 ミコトたちを伴って撤退していくカツミはもう、振り返りはしなかった。

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