第二十九話 ミカエル、降臨 ―"Modesty"―
三対六枚の翼を持つ【機動天使】、【ミカエル】。
白翼の一対で頭を、もう一対で胴体を隠すSAMは、その四つの眼を赤く光らせて滾る戦意をカナタへ伝えてきていた。
相手は未知数の新型機。それでも負けるつもりはない、と銀髪の少年は意気込む。
緊張に鼓動の速度が上がる。深呼吸してそれを落ち着ける彼は、審判である教官が下す試合開始の号令を聞き――
「試合開始ッ!」
――飛び出す。
カナタは足底部に格納されていたホイールを展開、高速回転させて猛進した。
付与魔法による加速も併せていきなりトップスピードを叩き出した【ラジエル】。
抜刀された白刃が眼前で閃く中、しかし【ミカエル】は悠然と構えたまま。
「よ、様子見だなんて余裕だね!」
【ラジエル】の最大の武器は天を制す飛行能力、そして素早さだ。
まずはその後者をもって一撃を浴びせてやろう、そう考えたカナタだったが――。
「是。わたしは余裕です」
その台詞と共に、カナタの視界から【ミカエル】の姿が掻き消える。
直後、背後に感じた地を削りながらUターンする音に、銀髪の少年は振り返った。
真下から跳ね上がり、胸を狙って突き込まれる一刀。
それに対応せんとカナタは【白銀剣】を胸元まで引き戻そうとするが、間に合わない。
「ッ――!?」
ガッッ!! という激しい衝突音と同時に、無数の火花が舞い散った。
SAMは機体が受けたダメージをそのままパイロットへフィードバックする。肋骨の間に刃を差し込まれたかのような痛みに少年が呻吟し、歯を食いしばる中、【ミカエル】のパイロットである刘雨萓は獰猛な笑みを浮かべた。
「ふふ、どうですか! わたし、まだ本気出してませんよ!」
すかさず迫るもう一撃。
カナタは双翼のブースターを起動、その剣撃から逃れんとする。
最初の一撃で地上戦では速度面でカナタが不利だと判明した。だが、空中戦ならば――【サハクィエル】の飛行システムを改良した【ラジエル】が遅れを取るはずがない。
――が、しかし。
「地上でも、空でも、【ミカエル】からは逃れられない」
小柄なSAMが持つ翼が、赤い炎のごときオーラを纏った。
高まる魔力が放つ輝き。その光芒が何をもたらすのかを、少年はすぐに知ることとなった。
ふわり、舞い上がる。
真紅の光を纏う熾天使は、上空へと躍り上がった【ラジエル】へと肉薄し――すれ違いざまに軽装の胴体に剣身を斬りつけた。
瞬間、鮮血――SAM内に循環する魔力液――が飛散し、地面へと降り注ぐ。
「ぐっ――はっ、【破邪の防壁】!」
激痛を懸命に堪えて純白の防壁を展開するカナタ。
間一髪のところでとんぼ返りしてきた敵の一撃から身を守った彼は、浅く息を吸った。
(あの羽は飾りなんかじゃなかった。デザイン性だけじゃない……【ミカエル】は実用性も兼ね備えてる。機体を小型化して重量を落としたことで機動にかかるパイロットへの魔力負担を減らし、リソースの余裕を生み出しているんだ。だから、装飾過多に見えても実際はそれが足を引っ張ってたりなんかしない)
コンパクトさが実現したデザインの自由。勇猛なる熾天使を想起させる翼や甲冑が天空に煌き、剣舞を舞う。
連続して襲い来る衝撃が、防壁越しに機体を揺らす。
一撃一撃が重い。あの小さな機体のどこから、と驚嘆せずにはいられないほどの膂力だ。
このままではいずれ防壁は破られる。逆転のチャンスは芽生えない。
(逆転の一手は何だ? 何が【ミカエル】には有効なんだ……?)
どれだけ痛もうがカナタには構わない。自分の身体が損なわれようとも、彼にはどうでも良かった。ただ欲しいのは勝利のみ。自らが愛するSAMを駆って、戦い、強さを示す――それが自分の生き方だと、彼は信じていた。
「意外と、硬い、ですねッ!」
既に十度目を超した剣撃の乱打。それでも壊れない防壁にユイは感嘆の声を上げる。
話に聞く通りの実力だ。そこらの兵が同じ魔法を使ったとしても、三発も耐えられまい。
「ふふっ、じゃあ、今度は――!」
青髪の少女は瞳を輝かせ、ようやくあいまみえた好敵手に不敵な笑みを浮かべた。
普段の大人しい性格から豹変し、好戦的で荒々しくなったユイは、翼を赤く燃やす【ミカエル】を遥か上空へと昇らせた。
「【ミカエル】の必殺技、決めてあげます!!」
太陽をバックに剣を掲げる熾天使。
身体と頭を保護していた白翼はその任を解かれ、音もなく広げられる。
次いで真紅の花弁のごとき光の粒が無数に舞い、それは【ミカエル】の刃の周りに纏わりついた。
くるくると螺旋を描くように舞い踊る炎の魔力。
剣を執る右腕を限界まで後ろへ振り絞り――そして、放つ。
「――【紅蓮花舞】」
花の嵐が巻き起こった。
唸りを上げて眼下の【ラジエル】へと急迫する炎熱の螺旋。
ドリルのごとく円錐形を成して防壁を貫通せんとする炎の魔法に、カナタはあらん限りに目を見開いた。
(防ぎきれない、避けるしかっ――)
彼が防壁に見切りをつけるのは早かった。
ドガガガガガッッ!! と激烈な音を奏でて【破邪の防壁】を削る花弁の舞いに対し、球形に展開していた防壁の上部だけを残して解除する。
すかさず【斥力魔法】を発動したカナタは【ラジエル】と防壁を反発させ合い、その力で瞬発的かつ強制的な離脱を敢行した。
間一髪。【ラジエル】が後退し右方へ急ハンドルを切ったことで、一直線に防壁を貫いた螺旋の花弁との正面衝突は避けられた。
魔法を使った回避術と、空中で強引な進行方向の変更を成功させたカナタに、観客席から歓声が上がる。
「やった、大技を避けたぞ!」
「これでユイさんの魔力は残り半分以下になったはず! 対するカナタくんはまだ魔力を三分の二以上残してる! 余力はカナタくんのほうにあるわ!」
立ち上がったシバマルが拳を振り上げ、観客席の手すりから身を乗り出すマナカは興奮からか早口で状況を確認した。
他のクラスメイトたちも湧き上がる中、しかしキョウジとレイだけは厳つい表情を崩してはいない。
「それで終わる程度なら、【機動天使】の名を貰ってはいないさ」
「【機動天使】?」
「……あぁ、君らには説明してなかったな。月居司令が直々に開発に関わり、新種の【異形】に対抗するべくデザインされたSAMシリーズ……それが、【機動天使】というらしい。俺も最近知らされた名称なんだがな」
怪訝そうなレイに素直に答えるキョウジ。彼を横目で窺うのは、その名称を教えた張本人の風縫カオルだ。
キョウジのことを今一信用していないカオルは彼の言動に細心の注意を払っており、キョウジもそれは察している。だから彼は、それ以上の詳細な情報をレイに伝えはしなかった。
「ほら見ろ。赤き龍が暴れ狂ってるぞ」
回避に成功した。そんな確信をしなかったからこそ、カナタはユイの追撃への迎撃に移ることができた。
一直線に防壁を貫通した螺旋を構成していた、炎の花弁たち。それが瞬時に組み換えられて形状を変化させ、龍のようにうねりながら【ラジエル】を追ってきていた。
「ほ、炎が迫るなら、吹き消すだけだ!」
音速をも超える最大速度で龍の襲撃から逃れんとしていたカナタ。
自由自在な機動で上空を高速旋回し、追っ手を攪乱する彼は、その赤き龍からある程度距離が取れたところで身体を翻し――正面から花弁の集合体を見据える。
「か、風よ、吹き荒れろ! ――【大旋風】!」
腕を介して剣へ伝う『コア』の魔力が、その刃を白銀に瞬かせた。
少年が空中に刻むのは、無作為に放つ幾つもの剣撃。
剣の軌跡の一筋ひとすじが「蜘蛛の糸」のように虚空に網を張り、その時を迎えた瞬間に牙を剥く。
赤き龍があぎとを開き、そこに鎮座するカナタへと食らいつく直前――「待機」状態にあった魔法が芽吹きだした。
「こ、これでどう!?」
その構えはまさに凪。その暴威はまさに颶風。
一切の予兆すら感じさせずに覚醒した風の魔法が、その赤き魔力の集合体を木っ端微塵に解体していく。
吹き飛ばし、押し流す。ユイの渾身の魔法はカナタの機体には届かず、即座に空中分解へと追い込まれた。
「どうもこうも、ないですよ?」
が、しかし。
得意げに叫んだ少年の背後から、彼女の声は届いた。
気づいた時には既に遅い。
赤々とした刃の一閃は、【ラジエル】の翼ごと背中を袈裟斬りにしていた。
「あああああああああああああああああああああッッ!!?」
悲痛な絶叫が響き渡った。
傷口から流れ出た魔力液が飛散し、熾天使の身体を赤黒く濡らす。
カメラを汚す返り血をワイパーで掃除した【ミカエル】は、激痛のあまり制動が効かなくなっている敵を見据え、止めの一撃を放たんとした。
「これで、終わりです」
紅炎が再び舞い踊る。
剣の周囲で螺旋を描くその花弁の攻撃を食らえば、【ラジエル】は完全に破壊されてしまうだろう。
最初の回避と、次なる迎撃。それはよくやったとユイはカナタを賞賛した。
だが、到底至らない。三年間、若くして前線で『異形』の襲来から地下都市を守ってきた彼女の経験と、気迫には。
中国では慢性的に兵士が不足しており、訓練が十分でない青少年が戦場に駆り出されることも当たり前となっていた。SAMを量産する体制も整っておらず、機体は古い世代のものを何度も修理して使い回した。いつ崩壊してもおかしくないギリギリの状況で、ユイたちは戦ってきたのだ。
仲間の死は何度も見てきた。壊れた機体も幾度も弔った。それでも、希望を捨てずに前へ進むことができたのは――SAMの開発者である月居博士とその妻、カグヤ女史の理念を本で知っていたから。
『SAMは必ず人類の希望となります。今はまだ、未発達の段階ですが……人類の科学力の全てをつぎ込み、パイロットたちと共に発展させていけば、いずれかは【異形】をも打ち破る狩人となるでしょう』
SAMには未来がある。魔法や『コア』の研究がより進めば、どんどん強くなっていく可能性がある。
ならば、信じようとユイは思った。
SAMがあらゆる【異形】を駆逐できるほどに進歩する時まで、人類の命を繋ごうと。
「負けは、しないッ!!」
信念の叫びが鋭く少年の耳朶を打った。
翼を損傷し、地表へと墜落していく【ラジエル】は空中で体勢を仰向けにして、最後の魔法を撃とうとする【ミカエル】を見上げる。
【ラジエル】はもう飛べない。だが、それでも腕は動く。脚も、顎も、戦いに使えうる部位はまだ機能不全にはなっていない。
ならば、諦めるのは早まりだ。
刘雨萓にパイロットとしての矜持があるように、月居カナタにも信念がある。
母親から与えられた役目だけではない、大切な仲間に影響され、そして自らの意思で選び取った「理想」があるのだ。
「ぼ、僕だって、負けるわけにはいかないんだッ!!」
感情の奔流。
それを認めた瞬間――カナタは胸に、熱く激しい衝動が突き上げてくるのを感じた。
(あの、力……!? やっぱり、僕の『感情』の高まりがトリガーになってる……?)
レイを守ろうと無我夢中で飛び出したグラシャ=ラボラス戦。
SAMに工作された怒りと、レイを助けたいと必死に願ったラウム戦。
敵の魔法によってその力を呼び起こされたパイモン戦を除けば、カナタが『獣の力』を発現させた時は、周りが見えなくなるほど一途に自身の感情に従っていた。
(少し、分かってきた。ある程度のコントロールも、できる!)
地面に激突するまでの予測時間はおよそ20秒。
その間にユイの攻撃を防いだ上で、墜落を回避しなければカナタの敗北は決定する。
(力を貸してもらうよ、パイモン!)
人の顔をした【異形】の微笑みが脳裏に過ぎり、癪だと思いながらも奪った力をカナタは行使することにした。
敵を喰らって脳に取り込んだ知識をもとに、魔法の詠唱を素早く唱える。
「【紅蓮花舞】!!」
巨大な竜巻と化して踊り狂う炎の花弁たち。
その熱波に肌を焦がされる感覚を味わうカナタは、相手の全力の攻撃に笑みを浮かべてみせた。
ユイの想いがその魔法に更なる力を与えている。波打つ彼女の魔力から、その意志が伝わってくる。
刘雨萓は人間だ。カナタと同じ、人類の未来を願う者。
それが分かっただけで、嬉しくてたまらなくなった。
「あ、ありがとう」
黄金の閃光が【ラジエル】の身体を包み込む。
光のベールに包まれたその機体をユイが見下ろした、刹那。
「――は?」
彼女の視界に飛び込んできたのは、無数の赤き炎の花弁だった。
【ラジエル】へ放ったはずの攻撃がそのまま、彼女のもとに跳ね返されている。
前代未聞だ。ありえない。直撃すればSAMを一瞬で溶かし尽くす火焔を防ぎ、敵へ反射させる魔法など、人が作ったものの中には存在しない。
咄嗟に二対の翼で急所を覆い、残り少ないなけなしの魔力で【防衛魔法】を展開したユイだったが――自慢の【紅蓮花舞】はその発動者であっても遮断することは不可能であった。
「月居、カナタさん……その、力はっ!?」
爆砕。
最後にひび割れた声でカナタへ問うユイは、機体が焼き尽くされる痛みに意識を失い、そのまま『第二の世界』から強制ログアウトさせられた。
「っ、がはっ!?」
スタジアムのフィールドに墜落したカナタは濁った呼気を漏らし、天を仰ぐ。
攻撃の反射にはどうにか間に合ったが、墜落を回避するための魔法まで発動する余裕は流石になかった。
背中や胴体から魔力液を流し、赤い水溜まりを広げていく【ラジエル】。
【ミカエル】を倒したはいいものの、動けない。出血量が多すぎて、身体が凍えるようだった。
「さ、流石、だね……ユ、ユイ、さん……」
カナタは瞼を閉じ、ほどなくして起こるだろう強制ログアウトを静かに待った。
新暦20年7月2日。三体目の【機動天使】、【ミカエル】のパイロットである刘雨萓と月居カナタとの試合が行われる。
矢神キョウジ、風縫カオルを通して『レジスタンス』に雨萓の実力が知らしめられ、同時に、カナタが獲得した『力』の強大さも再確認されることとなった。




