第二百八十五話 抵抗者たち ―phantom―
「高魔力反応確認! 距離700!」
「目標、接近しています!!」
「都市内に多数の魔力反応確認! これは――」
『丹沢基地』の司令室内では、士官たちの声がひっきりなしに飛び交っていた。
レーダーが観測した魔力の波形は先の事変で確認したそれと同一のものだ。
想定していた【異形】の拠点ではなく、この都市の直上に今、『プルソン』が現れた。
それが意味するところは即ち――
「とっ、都市内に大量のワームホールが出現! 【異形】が無数に雪崩れ込んできています!!」
当初の作戦は、総攻撃を仕掛けられた敵側が防衛に専念することを前提に成り立っていた。
だがこの瞬間、『プルソン』が自ら『新東京市』に攻め込んできたことでその前提は崩壊した。
都市は【異形】の尖兵たちによって蹂躙される。ここ『丹沢基地』も『プルソン』の手によって無慈悲に焼き払われるのみだろう。
【七天使】抜きでは理知ある【異形】に勝てない。誰もがその現実を理解している。
しかし理解していてもなお、腹の奥底から声を張り、喉を震わせる者も存在していた。
巌のごとく司令席に座す陸軍大将、冬萌ゲンドウである。
「――総員傾聴!! 理知ある【異形】『プルソン』が出現し、ワームホールによって都市内に【異形】が侵入していることは紛れもない事実である! 奴は我々の想定を超え、我々は奴が思うより浅はかだった! それも事実である! しかし――この事実を受けてもなお、決まっていない事柄が存在する! 即ち、『人類の敗北』である!!」
降りかかった絶望を撥ね除ける、強靱なる意志。
その言葉が士官たちの本能を破壊し、軍人としての己を再構築させる。
恐怖も諦念も不要だ。必要なのは士気と矜持。
人の命を守る。尊厳を守る。社会を守る。そのために立ち上がり、無辜の民たちの盾となる。
それが軍人だ。それが、『レジスタンス』の在り方だ。
「ここに残された兵員のみで『プルソン』及びワームホールより出現した【異形】を掃討する! 愛する者の元に戻れずとも、彼ら彼女らのその後の幸福を願うならば――反抗の士よ、立ち上がれ!!」
冬萌大将の咆吼に、士官たちは各々の顔を上げる。
この言葉は「ここで死ね」と命じているのと同義だ。【七天使】不在で人類が理知ある【異形】に勝てる見込みは、ない。
それでも士官たちはここで心臓を捧げる覚悟でいた。
自分たちが死ぬのは構わない。だが、大切な家族や恋人、友人たちが無惨に喰われていくのだけは想像すらしたくなかった。
「大将、残存する全ての部隊を出撃させましょう!」
「元よりそのつもりだ。もはや人手が足りん――貴官らもSAMに搭乗し、部隊を直接率いて戦え! 【ベルセルク】隊を除く全ての小隊は『頂の階段』から順次【イェーガー】を降ろし、都市内の【異形】を排除せよ!」
一斉に敬礼を返し、士官たちは迅速に行動を開始した。
司令室を飛び出していく年若き彼らを見送って、残された大将は数名の【ベルセルク】隊員と向き合う。
覚悟を宿した悲壮な面持ちの彼らへと、冬萌ゲンドウは普段通り淡々と告げた。
「ここからは蓮見司令の指示で動け。【輝夜】を全力で支援するのだ」
「「「はっ」」」
レーダーが捉えるもう一つの高魔力反応――【輝夜】の出陣である。
人類の命運はかつて人類を原初に還そうと画策した機体へ託された。
【ベルセルク/指揮官機】のパイロットに任命されている青年将校たちは敬愛する陸軍大将に一礼し、足早に退室していった。
彼らの背中を見送りながら、冬萌大将は自ら戦場へ赴けない老体を呪う。
「ユキエ……父はもうSAMには乗れない。乗ったところでただの足手纏いだ。私に出来るのは、都市のために戦う皆を指揮すること……それだけなのだ。見ていてくれ……お前が守ろうとした都市は必ず、私が存続させる」
独りモニターの前に立ち、男は表示された都市の全体図を見渡す。
そこは戦場という名の盤上。
百機の【イェーガー】という駒を手に、冬萌ゲンドウは一つのミスも許されない極限の勝負に臨んでいった。
*
黒く染まった両翼を広げ、その機体は飛び立つ。
「お披露目だ――【イェーガー・カーオス】」
片頬に鳥の刺青を入れた男は口角を上げ、その名を歌うように呼んだ。
工業地帯の一角、とある工場の地下より彼らのSAMは出撃を開始する。
開いた屋根、スライドする床から顔を覗かせる射出機。
男の号令を以て彼らは勢いよく空へ躍り上がり、各々の持ち場へと移っていった。
「三機一組に分かれていくよぉ。まずはこの工業エリアG区画を鎮圧する」
「了解。ツグミ、その後は?」
「俺たちの数で出来ることには限界がある。もしかしたら俺たちのシマを守るだけで手一杯かもしれない。だけど……」
愛人である冷徹な女に訊かれ、ツグミは答えようとして口ごもった。
その様子に女は首を傾げる。が、それ以上何かを追求しようとはしなかった。
「夢のためにあなたはここまで来たんでしょう? なら、私もその夢に乗っかるだけです。得られる物のなかった人生に意味を与えてくれたあなたに、私は報いたい」
『新東京市』という箱庭で餓死する寸前であった彼女に手を差し伸べたのが、ツグミであった。
彼女だけではない。金に困窮した者、家庭での居場所を失った者、都市の未来に絶望した者……全ての『逸れ者』をツグミは歓待し、悪の道に引きずり込んだ。
生きるためなら何だってする。それが『黒羽組』のモットーだった。盗みも詐欺も暴力も、必要なら躊躇はしなかった。この都市は限られたリソースの中で回っている。逡巡一つで奪う側から奪われる側へと逆転する。故に彼女らはどこまでも冷酷になれた。
「報いたい、ねぇ。俺はそんなにいい奴じゃないよ」
「ええ、悪人には違いありません。ですが……そんなことはどうだっていい」
逃げ惑う人々へ群がる『蜚蠊型』へ、彼女は容赦なく爆弾を撃ち込んでいく。
薄い膜に覆われたこの大型爆弾は、対SAM改造兵器『ツェアシュトーレン』。
ドイツ語で「破壊」の名を冠したこの兵器は、一言でいうならばクラスター弾だ。
空中で炸裂するとその中に込められていた幾つもの小さな爆弾が雨のごとく降り注ぐ、広範囲殺傷兵器である。
「悪だっていいではありませんか。だって……世界はこんなにも残酷なのだから」
連鎖する爆発が人も【異形】も無関係に呑み込んでいく。
飛ばされてきた人の腕の切れ端を『カメラ・アイ』から鬱陶しそうに払い除け、女は乾ききった声で呟いた。
人と【異形】、双方の悲鳴と絶鳴が重奏を響かせる。
その狂想曲の指揮者たる【イェーガー・カーオス】は、元よりテロのために用意されていた機体である。用途上、目標の懐に一撃を加えられれば十分なために攻撃力より敏捷性を優先して設計されており、その体躯は通常の【イェーガー】より小型かつ軽量。
漆黒のボディは一切の光沢を持たず、夜闇に完全に紛れることが出来る。蜂の怪人を思わせる禍々しい容貌はまさにカオスの体現だ。
「あはははははっ!」
目抜き通り上空を通過しながら『ツェアシュトーレン』を投下し、爆撃の花を咲かせるショウ。
種族など関係なしに見る影もなく吹っ飛んでいく光景に笑声を上げる彼は、これまで溜め込んできた鬱憤を晴らすようにひたすら爆弾を撃ち込み続けた。
【カーオス】部隊によって工業エリアG区画の大通りはたちまち炎上していく。
「爆撃は大通りに留めるんだ! 工場まで潰しすぎると後に響く!」
「「「了解!!」」」
戦いの終結した後の未来を見据えているツグミに、部下たちは威勢良く応答を返した。
クラスター弾の威力はすさまじく、このエリアで最大の目抜き通りは既に制圧されつつある。
散開して細道に侵入している【異形】どもの討伐に乗り出した彼らの動きを確認しながら、ツグミは次なる一手を思考していた。
(【異形】を出現させているあの黒い穴……あれをどうにかすれば事態は解決か? いいや……そんなに甘いわけがない。穴を出現させている大元……『アイギスシールド』も余裕で突破できる理知ある存在を討たなければ、意味がない)
自分たちの戦いは目先の敵を潰しているのみに過ぎず、事態の根本的な鎮圧にはなっていない。
都市の外――そこでワームホールを生み出している敵の元まで辿り着かなければ、ツグミの夢は潰えたままだ。
「マリ! ここは任せる!」
「ツグミ……!? どこへ!?」
「行くべきところがあるんだよ! そこに行かなきゃ、この戦いは終わらない!」
愛人の女にこの場の指揮を押しつけ、ツグミは単独行動に出た。
『頂の階段』を上る。地上に出て理知ある【異形】を討つ。蓮見タカネが為すべき事を、彼よりも先にやる。
立場も肩書きも混沌の前には関係ない。ただ進み、ただ潰すだけだ。
「またなぁ、マリ。お前のことは本気で、愛していたよ」
ひらひらと手を振って男の機体は東の方角へ発っていった。
その後ろ姿を目で追いながら女は思う。
見え透いた嘘だと。所詮は都合のいい女でしかなかったのだと。だって彼の目は常に別の人を見ていたから。彼を本気で愛してしまったマリだからこそ、分かる。
「兄貴を潰すとか、そんな子供の戯れ言に本気になれるほどあんたはガキじゃない。最初から分かってたよ。あんたはずっと……初恋の女の子に焦がれ続けていたんだって」
*
それは正しく災厄の再現だった。
都市に【異形】たちの軍勢が雪崩れ込んだのと、同時刻。
『丹沢基地』の駐屯兵たちも、その大群の姿を目視で捉えていた。
「おい……おいっ!? 何だよあの数……!?」
「ここにはもう【七天使】はいねえんだぞ!?」
「とっ、とにかく報告だ!! 蓮見司令なら――司令ならきっと――」
地鳴りのごとき足音の数々と土煙が、高々と上がっている。
様々な種の低級【異形】が入り混じり行進する、百鬼夜行。
その魑魅魍魎を前にして、兵士たちは戦慄くことしかできなかった。
この場の多くの兵が幼少の頃に体験した、地獄の光景。
フラッシュバックする悪夢にある兵が崩れ落ち、ある兵が嘔吐するなか、司令に状況を伝達しようという勇敢な兵もいた。
が、その兵も仲間に肩を叩かれて口を噤んでしまう。
「言ったって無駄だよ。政治家上がりの司令殿に、あれをどうにか出来ると思うか? いいとこ『全軍で出撃して掃討せよ』だぜ?」
地平線の果てまで、全方位を見渡す限り埋め尽くす【異形】の大軍勢。
密集し黒々と蠢く奴らに、この基地は完全に包囲されてしまっている。
駐屯兵全軍で出て行ったところで、どうにもならない戦力差だった。
「せめて『阿修羅』がこの場にいたらな……」
「何言ってやがんだ。あの方はもう――」
希望はない。もはや諦念に支配された兵士たちは、じりじりと距離を詰めてくる【異形】たちをただ眺めていることしかできなかった。
これが世界の終わりなのか。
大地を埋め尽くし、大空を覆い隠す怪物の軍勢を前に、彼らがそう思ったその時――。
影が、揺らめいた。
戦場の中央、『基地』真正面。
人のような形を成した、紫紺の光芒を帯びた半透明の巨大な影がそこに現れていた。
「【異形】、なのか……!?」
「いや、あの形は……SAM、じゃないか……?」
瞠目する人間たちを意に介さず、巨人の影は咆吼する。
悲愴に涙する女の声のごとき大音声は一帯の空気をびりびりと震わせ、【異形】たちの足を一瞬止めた。
その光景に駐屯兵たちはわけも分からず立ち尽くす。そんな彼らに声を投じたのは、【ベルセルク】部隊の精鋭たちであった。
「『丹沢基地』駐屯兵諸君! 諸君らはこの都市を守る最後の砦である! 動ける者は全員SAMに搭乗し、眼前の【異形】どもの排除に努めよ!」
「そんな、無茶です! あんな数相手にどうやって――」
「我々は中衛を務める! 諸君らは後衛で討ち漏らしを片付けるだけでいい! 相手は低級【異形】なのだ、その程度で出来ないとは言わせんぞ!」
「べ、【ベルセルク】隊が中衛……? で、では、前衛は誰が……?」
困惑する兵たちに【ベルセルク】の一機が前方を指さしてみせる。
触覚のような飾りの付いた兜を被り、白銀の長髪を腰まで流した白銀のSAMのごとき影。
その影は地を滑るように駆け出し――そして腰より太刀を抜き放った。
居合いの刃が虚空を斬る。
刹那、数百メートル前方にいた【異形】の一群が見えざる斬撃に一掃された。
「――【輝夜】だ。蓮見司令はあれを『幻影』と称していたがな」
その殺戮に歓喜するように雄叫びを上げる『幻影』に、兵士たちは畏怖の眼差しを送った。
『狂乱事変』の元凶。魔力で生み出された【輝夜】の分身にして、破壊の神。
SAMでありながら【異形】が宿す自然の「美」に到達しようとした究極の機体に、彼らはただ打ち震えた。
「行くぞ。都市の命運は諸君らの双肩にかかっている」
そう言い残し、【ベルセルク】小隊三十機は『幻影』の後に続いて出撃していった。
視界の端から端を占拠する百鬼夜行を前に、兵士たちは決断する。
自分たちは『レジスタンス』だから。
何もかもを諦める前に、せめて最後に抵抗してみせようと。
その時、ぱんっ、と誰かが銃を宙へ打った。
「ささやかだがな。これが俺たちの反攻の号令だ」
一人の中年大尉がニヤリと笑い、彼の下で『基地』を守ってきた部下たちも表情を変える。
もうそこに恐れはなかった。
司令から名もなき一兵卒まで、『レジスタンス』の全てを投じた最終決戦が幕を開ける。




