第二百七十三話 陥落 ―Destruction Trap―
マトヴェイ・バザロヴァの表情は硬い。
出現した新【七天使】機の【マトリエルB】、【サハクィエルA】、【ラミエルL】への応戦のために、【ミカエル】、【ラジエル】、【ウリエル】、【ガブリエル】の四機を出さざるを得ない芳しくない状況。
たとえ『レジスタンス』を出し抜いて先に理知ある【異形】との接触を果たせたとしても、残る【機動天使】が【ラグエル】一機のみでは彼らと対峙する戦力としては不足している。
【異形】の領域に入った瞬間、彼らはこちらへ攻撃を仕掛けてくるだろう。
それに耐えられるだけの力がなければ、対話には漕ぎ着けられない。
「力なくして対話は果たせない。……早く、なるべく早く、戦いを切り抜けてこちらに戻ってきてちょうだい、みんな……!」
「なんだよ、俺一人では力不足ってか? 最高指揮官どの」
不満そうに言うのは毒島カツミである。
これ以上【機動天使】を出撃させられないということで、彼はブリッジに残り火器管制の補佐を務めていた。
妨害してくる『レジスタンス』の【イェーガー・空戦型】部隊を威嚇射撃で牽制しながら、カツミはマトヴェイを一瞥する。
「そんなつもりじゃないわ。ただ、適材適所ってもんがあるでしょう。アンタは【異形】の領域に辿り着いてから投下する、地上戦の要なのよ。それとも……パラシュートなしにスカイダイビングするほどお馬鹿さんだったかしら、アンタ?」
誰もニヤリとも笑わなかった。
大型の【ラグエル】は飛行ユニット【アラエル】を装着したところで、重すぎてまともな機動力が出せない。端から空中戦への参加は選択肢の外だ。
「対話を求めるこちらの通信にも、あちらさんは初めから応じる気はなし。……分かってはいたけれど、そうなればなおさら理知ある【異形】の領域に先着しなければ」
半ば独り言のようにマトヴェイは呟いた。
状況が悪くなると口数が増えるのは彼の癖だった。
それを分かっている旧知の間柄であるミラー大将は、モニターに映る地上の映像を眺めながら一つの疑問を口にする。
「『レジスタンス』の過去の大規模遠征の際、理知ある【異形】たちは低級【異形】の大群を差し向け、波状攻撃を仕掛けてきた。だが、今回はそれがない。人類側のこれだけの動きを奴らが全く察知できていないなどということが、果たして考えられるだろうか?」
「確かに不自然ではありますね。あまりに順調すぎる進軍……私にはこれが、そうなるよう仕向けられたもののように思えてなりません」
ミラーの考えにグローリア中佐も同調した。
マトヴェイも同じ推察を重ねていたところだった。
不自然なほどに滞りない行軍。そう、まるで自分たちの拠点の場所を知る人間たちを誘き出し、罠に掛けようとしているかのような――。
「『レジスタンス』側の指揮官がそれに気づいていないわけないでしょうけれど……。彼らが総攻撃で理知ある【異形】たちを殲滅しようとしている以上、このまま突き進み続けるのでしょうね。蓮見タカネの命令、決して逆らえないその意思に従って……」
哀れな『レジスタンス』の兵士たちを思い、マトヴェイは沈痛な面持ちになる。
彼らには何の落ち度もない。兵は上官の手足となり、上官はその上官の意思を実現するのが絶対の役割だ。
「蓮見タカネ。アンタは理知ある【異形】のことを所詮は怪物だと考えているんでしょう。力はあれど、言葉を解せども、人とは異なる獣に過ぎないと見下しているんでしょう。けれど、違うのよ。彼らはアンタが思っている以上に聡く、鋭く、我々人類への対抗策を打ち出してくるわ」
新東京市の管制塔に鎮座しているであろうタカネへと、マトヴェイは語りかけた。
結論からいうと、彼やミラー、グローリアの推察は当たっていた。
目的の座標に足を踏み入れた『レジスタンス』第一師団に対し――そこに仕掛けられた罠が、一斉に牙を剥いたのである。
*
第一師団が目的地手前に到着するまでに要したのはおよそ三時間ほどだった。
魔力に引き寄せられて現れた野生の低級【異形】たちはさしたる障害にはならず、予定通りの時刻に到達を果たすことができ、兵たちはみな安堵すると共に緊張感を纏い直した。
ここが理知ある【異形】の領域。
この場所に一旦踏み込んでしまえば、いつ敵の襲撃があるか分からない。
「けど……なんか、思ったより変わんないな。【異形】の領域っていうから、もっとなんかおどろおどろしい場所なのかと……」
「確かにそうだな。風景もここまでの樹海と同じようなもんだし……本当にここが、【異形】の本拠地なのか?」
とある兵たちが抱いた疑問は、この場の全軍が共有しているものだった。
彼らを率いる赤城ケイト中佐も一瞬同じ事を考えそうになってしまったが、すぐに首を横に振った。
機体の魔力探知機はここから先に高密度の魔力が充満していることを如実に示している。ここまでの道中では感じることのなかったその魔力は、この場所が何らかの魔法をかけられた領域であることの証左だ。
「ここより先に一歩踏み込めば、そこが【異形】の領域よ。みんな、覚悟はいいわね?」
鬱蒼とした樹海を上空から見渡し、ケイトは兵たちにそう言った。
辺り一面の濃緑。植物型の【異形】と交配し、寒冷な気候に適応した木々で構成されたこの樹海ならば、理知ある【異形】が身を隠すのにはもってこいの場所だろう。
先陣を切り、ケイトは外界と【異形】の領域との境界線を踏み越えていく。
そこを通過した際に感じたのは、じりじりと肌を焼くような熱だった。
「っ……ここが……!」
一見、景色は先程までと何ら変わっていないように思える。
が、高濃度の魔力の影響で途端に目眩やふらつきを覚える者が続出していた。
『ピコ魔力装甲』を纏い、外から機体内へ流れ込む魔力をシャットアウトできるケイトはまだしも、【イェーガー】の兵たちは耐えられずに不調を訴えてしまう。
「ゆっくり、ゆっくり先へ進みなさい! ここに近づくまでの間、少しずつ強まりつつある魔力の場に皆は適応してきたわ! 今は急激に濃度を増したせいで身体がびっくりしちゃってるだけ! 焦らないで、間もなく慣れるわ――」
そう部隊を励まして、ケイトは領域内へ仲間を誘導していった。
これは早乙女博士によって想定されていた事態だ。兵たちが十分に慣れる時間さえ作れれば、なんとかなる。そしてその時間を稼ぐのが【七天使】や【ベルセルク】部隊の仕事だ。
「【ベルセルク】隊は【イェーガー】の周囲を守って! 【イェーガー】隊は上官の指示に従い、焦らずゆっくりと前へ進むのよ!」
冷静な口調でそう言いつつも、ケイトは違和感を感じ始めていた。
理知ある【異形】側の反応が何もない。これだけの数のSAMが侵入を果たしていながら、何故――?
嫌な予感がした。何かが起こる、本能的にそう直感した。
彼女が素早く高度を上げた、その時。
世界が爆発した。
「――――――――ッ!!?」
耳を聾する大音声が轟き、機体を揺さぶる衝撃にケイトは操縦席の背もたれに思い切り叩きつけられる。
濁った呼気を漏らしながらモニターを睨み上げ、瞳に映った光景は、まさしく地獄絵図。
大地が沈んでいる。半径5キロメートル以上にもわたる広大な範囲が、そこに生える木々ごと地面の底へと陥落していた。
直後、空に無数に開くワームホール。
そこから投下された大量の【異形】たちは崩落に巻き込まれたSAMへと飛びかかり、群がり、食らいつく。
「何よ……何よ、これ……!?」
まるで巨大なクレーターのようだった。
或いは怪物たちの暴れ狂う蠱毒の壺か。
いや、そんなものどちらでもよい。
目の前で起こっているのは兵たちが大地の陥落に呑まれ、ある者は倒れた樹木や土砂の下敷きとなり、ある者は這い寄る【異形】に蹂躙され、ある者は助けを求めて藻掻く悪夢であった。
「嘘よ……こんな、こんなことが……!?」
女はうわ言のように引き攣った声で取り乱す。
彼女の側近たる【ベルセルク・空戦型】部隊の面々は一切の言葉を失い、眼下で起こっている災禍をただ見ていることしかできなかった。
自分たち十数機ではもはやどうにもならないほどの被害だ。
【異形】の領域に足を踏み込んだ者のほとんどが巻き込まれてしまったこの現状で、もたらされた犠牲者を数えることすら彼らは放棄したかった。
それでも――赤城ケイトは彼らを指揮する者として、命じなければならなかった。
「各員――【異形】を出現させているワームホールを、光魔法で打ち消しなさい。あたくしは……この惨劇を演出した者を、捜しに行くわ」
『ちゅ、中佐――理知ある【異形】に、お一人で……!?』
「心配しないで。【七天使】の一人として、必ず使命を遂げるわ。あなたたちはワームホールに対処し、これ以上の被害を食い止めるのよ。いいわね」
上官の身を案じる副官にそう告げ、【イスラーフィールFF】を駆るケイトは飛び出していった。
付き纏う『飛行型』の【異形】を蹴散らしながら進む彼女を見送り、【ベルセルク】隊も意を決して動き出す。
それぞれが光線銃――【異形】側のSAMが使用していた『魔力光線砲』を参考に開発されたもの――を構え、有翼の【異形】たちの攻撃を掻い潜りながら漆黒の大穴へと撃ち込んでいく。
*
発生した揺れと地響きに、進軍していた全てのSAMが足を止めた。
戦闘中であった【七天使】と【機動天使】も互いに武器を収め、最前線からの情報を待った。
理知ある【異形】の領域があると見られる方角で起こった、異常事態。
『レジスタンス』も『リジェネレーター』も問わず、彼らは状況を究明すべく走り出した。
『一時休戦だ! あっちでやべえことが起こってる!』
『そうするしかないね。情報を共有できる? 悪いけど、アタシらが自分たちで見に行くのは悠長すぎるし――』
『……善処する。緊急事態ならたぶん許されるだろうから』
通信を交わしながらユウリ、カオル、ユイの三機は共に最前線を目指して飛び立った。
もはや戦闘を続行している場合ではない。十数キロ先の空を覆い隠すほどの砂煙――そんなものを見るのは彼らの人生で初めてのことだった。
*
理知ある【異形】が仕掛けた、罠。
その発動を悟ったマトヴェイは爪を噛み、「言わんこっちゃない……!」と苛立ちを露に呟く。
「地震……!? それとも――」
「何が起こったのかは実際に見て確かめるほかあるまい! 残っているSAM部隊は出撃準備だ!」
グローリア中佐が形の良い眉を顰め、ミラー大将はよく通るバリトンボイスで命じる。
マトヴェイは前のめりの体勢でモニターを食い入るように見つめ、前方の上空を占める黒煙を睨み据えていた。
「被害状況によってはこちらから『レジスタンス』側へ救援部隊を出す必要があるわね。尤も、彼らがそれを受け入れるかは分からないけれど」
「その際は私たちが橋渡しになろう。裏切り者とはいえ、彼らも海軍大将の言葉を無下にはできまい」
そう言ってくれるミラー大将を頼もしく思いながら、マトヴェイはオペレーターのユリーカ・クインシー大尉に【機動天使】へ通信を繋ぐよう指示した。
ほどなくして応答。
『こちら劉雨萱。現在、風縫さんと共に事態の究明に臨むべく、現場に急行中です』
「分かったわ。そのまま向かってちょうだい。まもなく【エクソドゥス】もそちらに合流します。――ミコトさん、シバマルくん。アンタたちは?」
マトヴェイが促すと、遅れて残る二機のパイロットも返答してきた。
『こちら皇ミコト。現在、新型【ラミエル】との戦闘を停止しているのですが……』
『あの【ラミエル】も動いてこないんです。ここで俺たちが【ラミエル】を放置するべきかどうか、正直わかんなくて――』
二人の状況報告にマトヴェイは怪訝そうに目を細めた。
【ラミエル】が動きをみせない? 理知ある【異形】が出現した可能性が高いこの状況で、あの機体が静観を決め込むとはどういう訳なのか。
「……アンタたちもユイさんたちと同じく、現場に急ぎなさい。途中、【ラミエル】が戦いを再開しようとしてきても振り切って」
『了解ですわ』
短く答え、通信を終えたミコトたちは急発進した。
【エクソドゥス】が全速前進していくなか、マトヴェイは独り黙考する。
単なる戦力温存のために【ラミエル】を動かさないのであれば、敵将は愚物といえるだろう。だが、流石のタカネもそこまで戦況が見通せない男ではあるまい。所詮は獣と理知ある【異形】を見下しているにしても、その脅威は理解しているはずだ。『プルソン戦役』――自らの指揮した初めての大規模作戦にて、彼は多くの兵たちを失わせているのだから。
「【ラミエル】を向かわせないのは、何か他に役割があってのこと? でも、この状況下でそんなものは――」
マトヴェイが握っている情報からは何も見えてこない。それが歯痒くて仕方がなかった。
「坊主、深読みはするなよ。いま見えていることだけに集中しろ」
焦燥に陥ろうとしている年下の総指揮官へ、ミラー大将はそう諫言した。
瞳を閉じて深呼吸し、マトヴェイは彼に頷きだけを返す。
指揮官とは頭脳労働の役職だ。思考が鈍れば確実に、敗北に直結する。
一瞬の切り替え。目を開いた赤毛の将の瞳はクリアだった。
「……ニネルとテナの出撃用意を。【ドミニオン】隊の出番よ」




