第二百六十六話 軍議 ―canvas―
理知ある【異形】の拠点、その座標。
マシロから情報を得たタカネはその日のうちに将校たちを召集し、軍議を開いた。
集まったのは【七天使】や冬萌大将らを含む高級将校たち、およそ30名。
『レジスタンス』の主力級の人材が勢揃いした『円卓の間』にて、九重アスマ少年は蓮見タカネ司令の話を聞いていた。
「周知の事実ではあるが、月居元司令は【異形】に傾倒していた。私は彼女が【異形】に関する未確認の情報を掴んでいたのではないかと疑い、彼女の近辺について、側近を使って独自に調査を進めていた。その調査の中で先日、富岡氏の名義で所有されていた別荘にて、2047年に行われた地上探査作戦にまつわるデータが発見された。そのデータには月居元司令らが作戦中に理知ある【異形】と接触を果たし、その拠点にも足を踏み入れたと記されていた」
巧みに嘘を織り交ぜながら、タカネは確認できた事実を語る。
将校たちの間にざわめきが拡散していく。
「月居司令はその情報を握っていながら、なぜ敵の拠点に攻め込もうとしなかったのだ!?」
「やはり彼女は理知ある【異形】と結託していたのではないか?」
「息子のカナタも【異形】の力を宿していると噂になっていたし……母子ともに奴らと繋がっていたということか」
静粛に、とタカネが一声を発すると、たちまち場は静まり返った。
ヒートアップするとなかなか収まりのつかない政治家たちと違って、軍人たちは上官の一言で引き締まる。
ありがたいことだ、と胸中で呟いてタカネは話を続けた。
「座標は富士山麓南西側、北緯38度、東経138度付近。此度行われる『ダウンフォール作戦』の最終目的地はこの地点となる。大まかな予測が確定事項に変わった――これが意味するところは即ち、作戦の実行許可を下せるようになったということ」
『レジスタンス』の大規模作戦を実行するには内閣府の許可が要る。
兵站を市民たちから徴収する都合上、『レジスタンス』の独断で進めることは出来ないのだ。
「既に手は回してある。ほどなくして国会で審議にかけられた後、作戦案は認可されるだろう」
「質問を。本作戦の実行日時でありますが……蓮見司令、貴殿のお考えは?」
冬萌ゲンドウ陸軍大将が挙手し、そして訊ねる。
彼としては慎重を期すべきだという考えだった。『ダウンフォール作戦』に投入される人員は四個師団ほど。これまでの大規模作戦よりも更に多い兵たちを生かすためには、兵站の強化が不可欠になる。
司令は電撃作戦にすると言っているが、必ずしも上手くいくとは限らない。兵たちの命がかかっている以上、備えは何より大切であり、それにはなるべく時間を割くべきなのだ。
「草案にも記したが、出来る限り早期の実現を目指している。冬萌大将――物資や兵站を十全に整え、後顧の憂いなく作戦に望むべきだという貴方の考えは察している。しかし、私には作戦の実行を急がねばならない理由があるのだ」
冬萌大将の巌のような顔の表情は動かない。
もしや、秋の国会に間に合うように夏中の実行を目指したいのではないか――政治家でもある司令に対し、そう穿つ視線を向ける者たちもいるなか、タカネが出したのはただ一人を除いて予測していなかった答えであった。
「心して聞いてくれ。『レジスタンス』の内情に関して、海軍および『リジェネレーター』へと情報を流している者が存在する。異形殲滅を掲げる我々を、彼らが妨害してくる可能性はゼロではない。既にリーカーによって『リジェネレーター』側は作戦の大まかな実行時期を知り得ている。故にその予測時期より早く動き、彼らを出し抜く必要がある」
リーカー。裏切り者。
その存在が明らかになった瞬間、将校たちは一斉に張り詰めた空気を纏い出した。
それは一体誰なのか。もしやこの場にいるのではないか。疑心暗鬼の視線が行き交う。
(――見抜かれていた? なんで――)
そんな中、九重アスマはただ一人、冷たい汗を背中に流して俯いていた。
タカネはこれまで一切、疑う素振りなど見せていなかった。一体いつから気づいていたのか。
陸軍の士官にリーク情報を渡した時? それとも夜桜シズルと接触した時? 或いは――行動に出る以前から、疑われてマークされていた?
「貴官らは安心してほしい。そのリーカーは既に特定されており、身柄を預かっている。真壁リョウタ陸軍少尉……彼は先日の演習の後、海軍からの食料の受取の際、海軍側にリークしたと自供している」
タカネが名を挙げた真壁リョウタ少尉は、アスマが情報を渡した張本人だった。
彼は九重重工の専務の息子であり、アスマとは幼少期から付き合いがあった。
いまタカネが言ったことが正しいのであれば、真壁少尉は指示役がアスマであったことは黙ってくれているということになる。
「真壁少尉……アタクシは馴染みがないけど、確かコタロウの部下だったわよね?」
「そ、そうっすけど、俺もいま初めて知ったことで、何も……」
ケイトの言葉にコタロウは動揺しきった震え声を返す。
部下の失態は上官にも責任が追求される。部屋中から向けられる視線に怖気づく哀れな郷田コタロウ少佐に、助け船を出したのはタカネだった。
「その件に関して郷田少佐は無関係である。調査の結果、真壁少尉の動機は妹の所属している『リジェネレーター』を支援したいということであり、リークも彼の独断で行われたのだと判明した」
司令がそう断言してもなおコタロウに疑いの目を向ける者はいなかった。
胸を撫で下ろす彼に、隣に座す赤城ケイト中佐は耳打ちする。
「分かっていたわよ。ごめんなさいね……どうせ意地悪な誰かが言うだろうから、先にアタクシが言っちゃおうと思ったの。問いと答え……あなたの無実を証明するためにも必要なことだった」
「い、いえ。ケイトさんに疑われてないって分かって、安心したっす。にしても……」
コタロウの気持ちは晴れない。真壁少尉は年も若く勢いに満ちていて、彼も期待をかけていた部下の一人だった。裏切りのショックは大きい。
「情報を得たことで『リジェネレーター』側も確実に動き出すだろう。彼らとの正面衝突を避け、確実に使命を全うするためにも、『ダウンフォール作戦』の決行日は前倒しする。リミットは二週間だ。それまでに兵装・兵站を万全に整え、作戦を完遂できるよう努めよ。――私はヤマト皇太子の悲願を背負ってここにいる。たとえ大きな代償を払うことになろうとも、殿下の思いに報いる所存だ」
円卓に集いし将校たちの表情が、研ぎ澄まされた刃のごとく引き締まる。
【異形】を討滅するという悲願。皇太子が掲げるその思いは、この場にいる誰もが共有しているものだ。
「部隊編成については冬萌大将らと議論したうえで、改めて発表する。以上をもって今回の軍議を解散する」
足早にこの場を後にする蓮見司令に続き、冬萌大将をはじめとする将官らも退出していく。
上官たちが去ったのを見計らってから佐官以下の者たちも『円卓の間』を出ていくなか、アスマだけはその席に釘付けになったままでいた。
「……アスマくん、どしたの? 早く出ないと鍵、閉められちゃうぞー」
「ユウリ……先、行っててください。僕はちょっと……その、お腹が、痛くて……」
「あーね。とりまトイレいっとき? アスマくんの部下の面倒は、頼れる先輩が代わりに見てあげるからさ」
先輩風を吹かす――まあ実際先輩なのだが――ユウリに、アスマは黙って頭を下げる。
「またなー」と手をひらひらと振って去っていく彼を最後に、『円卓の間』に残った者はアスマ一人となった。
(……やばい、やばい、やばい……っ。一体どこまでバレてるんだ。もし、もし全部あの人にバレていたのだとしたら――)
【七天使】としての九重アスマは、終わる。
自分が内側からタカネのストッパーになるという、シズルに誓った役割も果たせなくなる。
そうなればもう、『レジスタンス』にはタカネの暴走を阻める者はいなくなってしまうだろう。
(僕は、どうすれば……?)
極限の不安がアスマを苛む。
惑う少年が縋ることの出来る者はもう、『レジスタンス』には誰一人として存在していなかった。
*
「良かったのですか、司令? 九重少年の裏切りを表沙汰にせずとも」
秘書の牧村に問われ、タカネは鷹揚に頷きを返した。
首相官邸の自室のソファに掛け、愛飲している赤ワインを呷りながら彼は語る。
「彼の行動には最初から気づいていたさ。彼が私の命令に異議を唱えた時から、反意を抱くのではないかと疑っていた」
そして、数か月の間を置いてその疑念は確証に変わった。
夜桜シズルの監視役を買収し、アスマは大胆にも彼女との接触に踏み切ったのだ。
その報告を「狗」たちから聞いた時は流石のタカネも驚かざるを得なかった。
金を使って人を動かす。なるほど、それは確かに理にかなったやり方なのかもしれない。
だが――金で人の忠誠は買えない。少年はそのことを見逃していた。
「甘かったな、九重くん。SAMに関しては天才である君だが、それ以外の部分は未熟な子供だ。浅慮の極み、そう評すほかあるまい」
狗からの報せを受けてタカネが実際に問い詰めたところ、少年に買収された監視役たちはすぐに真実を吐いた。
アスマの裏切りの確定。それを事実として認めながら、しかしタカネは彼を泳がせ続けた。
「分かっていてもなお九重少年を泳がせ続けたのには、どういう意図が?」
「単純なことだ。彼の働きかけによって『リジェネレーター』は確実に動く。『プルソン事変』の際に仕留めきれなかった残党……奴らを潰す機会をくれているわけだ」
『リジェネレーター』は排除せねばならない障壁。
しかし、都市内では民意を意識して手出しすることが出来ず、地上でも海軍と合流してしまっているためにどうにもならずにいた。
これは今度こそ彼らを葬るための、撒き餌だ。
『リジェネレーター』は必ず、『レジスタンス』に先んじて理知ある【異形】との接触を目指すはず。
彼らのもとには『交信』能力を有する『新人』がおり、捜索範囲を絞れば【異形】の領域にも辿り着ける可能性がある。
「マトヴェイ・バザロヴァほどの将であれば、『侵入禁止区画』に奴らの拠点がある可能性は考慮に入れているはずだ。まずは少数の部隊で探索に臨み、確証が取れ次第、大部隊を派遣する。その大部隊が動き出したタイミングで、こちらは彼らを迎撃すればいい」
理知ある【異形】を滅ぼし、『リジェネレーター』も殲滅する。
地上でどれだけ血が流れようが都市の者たちには知らぬが仏だ。
支配の障害を全て取り除いてようやく、蓮見タカネの王国は完成する。
「……しかし、蓮見さん。圧倒的な力を持つ理知ある【異形】に加え、『リジェネレーター』のSAMまで相手取るのはいささか無茶ではないかと思われますが。それに、海軍の存在もあります」
臆せず意見をぶつけてくる牧村にタカネは不敵な笑みを向けた。
「後者に関しては心配はいらない。ミラー大将らはあくまでも『レジスタンス』だ。彼らがその立場と責務を重んじるならば、『リジェネレーター』の作戦に直接は参加してこない。来るとしても状況が悪化してからの援軍として、だ。
そして前者についてだが――私には秘策がある」




