第二百六十五話 マシロの真実 ―hidden memory―
明坂ミユキから理知ある【異形】の座標にまつわる情報を引き出すことは叶わなかった。
【輝夜】に搭乗して記憶の海を再び泳げばその情報に辿り着けるかもしれないが、己の身体を鑑みればそうもいかない。
最後に乗ったあの日、タカネは初めてコックピット内での失神を経験した。度重なる【輝夜】とのリンクによって脳にダメージが及んでしまっていることは確実だろう。
(あのとき月居カグヤと共に地上探査に乗り出した者たちは他にもいる。彼らについての情報を得られれば良いのだが、『エル』は開示を拒むだろう。意思を有した管理システムというのも厄介なものだ)
その日の政務を行うなか、タカネの頭には常にその思考が過っていた。
現在『侵入不可区域』に指定されている領域の調査。その情報をカグヤが素直にデータベースに載せているとは考え難い。紙媒体、あるいはメモリやチップに情報を記録して、どこかに隠匿していたはずだ。
(カグヤに近しい人物……第一に考えられるのはあの調査に同行した明坂ミユキだが、彼女は数年前に『レジスタンス』を一度去っている。そんな人物にデータを預けたままでいたとは考えられない。冬萌大将はカグヤとの付き合い自体は長いが、大将自身、カグヤに歩み寄る姿勢が足りていなかったと回顧している。信頼関係からして、彼でもないだろう)
カグヤが密接に関わってきた者の数は少ない。
故にタカネはすぐに最も可能性の高い人物を導き出すことが出来た。
月居カグヤが『レジスタンス』の司令に就任する以前から付き従っていた執事の男――富岡氏だ。
この日最後の閣僚らとの会議を終えて首相公邸に戻ったタカネは、自室に入るやいなや秘書に電話での指示を出した。
「――牧村。すぐに狗どもを解き放て。月居司令が所有していた別荘……そこに鍵がある」
『承知いたしました。迅速に手配いたします』
彼が「狗」と呼ぶのは警察内に存在する『尊皇派』に従順なグループのことである。
業務時間外にも拘らず、黒髪の美人秘書の牧村は文句一つ言わずに応じてくれた。
「自分が便利屋扱いされていることへの不満くらい、ぶつけてくれても良いのだがね」
『全てが済めば存分に吐き出させていただきますよ。それまでは貴方の右腕として尽力いたします』
電話越しに恭しく一礼している様が目に浮かぶ。
彼女に労いの言葉を掛けてから通話を切ったタカネは、緩めたネクタイを机の上に放りながら思う。
『能天使工業』による新【七天使】機の製造は順調だ。各部隊の演習も形になってきている。これまで以上の大規模作戦になるが、実行に支障はないだろう。
あとは最後のピースを嵌めるだけ。
敵の本拠地の座標を特定し、電撃作戦で落とす。総攻撃はするが総力戦には持ち込まない。何事もなるべく損害なく、スマートに片付けるのがタカネの流儀だ。
*
翌日。
司令としての職務を終え、首相官邸に帰宅したタカネはさっそく、届けられた書簡の封を切った。
そこに入れてあったのは一枚のSDカードである。
狗どもの仕事の早さに頷きながら笑みを浮かべた彼は、自室のPCを立ち上げてカードを読み込ませる。
「……ふむ」
記録されていたファイルは一つ。
その件名には年数と日付が記されているだけで、内容は開いてみないと分からない。
2047年8月12日――期待感と微かな緊張感を纏いながら、タカネはそのファイルをクリックしてみた。
「……画像、か」
三十枚を超す数の写真に映る光景には見覚えがあった。
赤い結晶が林立した山道。間違いなく【輝夜】の中で見た月居カグヤの記憶にあったあの場所と同じだ。
植物型【異形】と交雑し肥大化した幹や枝葉を持つ木々。巨大な体躯を有する『巨象型』や『牙獣型』の【異形】たち。結晶に侵食された岩肌や、倒れて月日が経ち結晶を纏うことになった獣の白骨。
カグヤたち調査隊が目撃した地上の風景を、タカネは一枚一枚確認していった。
「グラフ……魔力の波形を記録したものか」
クリックを繰り返していくと、今度は写真ではなく波グラフの画像が表示された。
タカネは魔力や魔法のエキスパートではない。こちらの分析は早乙女博士らに任せることにして、次に進んでいく。
幾つかのグラフを見ていった後、彼の目に映ったのは、最後に思い出されたように挿し込まれた一枚の集合写真であった。
「……これは」
調査開始前に撮られたものであろうか。
『新東京市』直上の管制塔の前、佇む第一世代SAM【クリーガァ】をバックに、月居カグヤを中心とする『アーマメントスーツ』姿の一団が集まっている。
中腰になっているカグヤの隣でピースサインをしているのはミユキだ。
その前列に二名の男女がしゃがんでおり、後列には三名の男性パイロットが並んでいる。
「――!」
この七名が理知ある【異形】との邂逅を果たした日、地上探査に臨んだメンバー。
顔も名前も知らない、未踏の地へ足を踏み入れた勇気ある者たち。
彼らについて調べねばなるまい――そう思ったそのとき、タカネはふと強烈な既視感に襲われて画像に目を戻す。
最前列でしゃがんでいる二人の内の一人。
肩口まで伸ばした、艶やかでふんわりとした黒髪。アーモンド形の大きな瞳に小振りな鼻、薄めの唇。中性的で抜群に整っているその顔立ちを、タカネは知っている。
「……マシロ……?」
髪は白くないうえに、目も赤くはない。それでも彼が新【七天使】に任命した香椎マシロと瓜二つな顔が、この集合写真には映っていた。
酷似している。だが本人であるはずがない。マシロはアスマと同い年の十七歳であるはずだ。この写真が撮られた二十年前にはまだ、生まれてすらいない。
「どういうことだ、これは……いや、待て」
明坂ミユキ。どういうわけか彼女は二十年前より若々しい姿で『学園』に現れ、少年少女たちと共に学生生活を送っていた。
それが何を原因として起こった事象なのかは分からない。だが、同じことがマシロにも起こっていたのではないか――そう推測することは出来る。
問いただす必要がある、とタカネは胸中で呟いた。
この人物がマシロ本人であるのか否か。本人であれば、調査で得られた情報の全てを。そして、その見た目の若さを保っているからくりも。
*
さらに翌日、蓮見タカネの召集に香椎マシロは普段通り応じてきた。
「十分の遅刻だぞ、マシロ」
「ごめんなさーい。ちょっとSAMの調整中で」
円卓の上座に掛けるタカネは溜め息を吐き、白髪赤目の彼に座るよう促した。
遅刻を咎める時間も惜しい。『ダウンフォール作戦』を実行に移すための最後のピース、それがいま手に入るかもしれないのだから。
「……で、わざわざ円卓の間を貸し切ってまで何のお話ですか、司令ー? ぼくたち二人だけならもうちょっと小さい部屋でも良かったのに」
「香椎マシロ。単刀直入に問おう」
小首をかしげるマシロに対し、タカネはその言葉を答えとして返した。
朗らかな表情を僅かに固くした彼に、続けて訊ねる。
「2047年8月12日の『レジスタンス』における地上探査作戦。君はこれに参加していた。違うかね?」
数秒の沈黙のなか、マシロはタカネから目を逸らすことなく何かを考えているようだった。
すぅ、と息を吸い、それから目を弓なりに細めてマシロは言う。
「驚いちゃった。あの探査作戦の情報は完全にシークレットになってたはずなのに……どこでそれを?」
「【輝夜】に搭乗し、月居元司令の記憶を覗き見た。彼女の記憶が無ければ、私は『ダウンフォール作戦』の立案すらしなかっただろう」
タカネは正直に情報の出所を明かした。情報の提供を求めるのなら、己も明かせる部分は全て語る。それがフェアな取引であると彼は思った。
「うそでしょ? あの【輝夜】に? 乗り手を殺すって言われてるあの【輝夜】ですよ? ……あはっ、蓮見司令ってすごい人だとは思ってましたけど、まさかそんな無茶をするなんて! ぼく、ぞくぞくしちゃった!」
胴を抱き、身体を震わせてマシロは笑う。
暫しの間笑い続けた彼だったが、やがてそれも治まり、神妙な表情で答えた。
「ぼくがあの地上探査作戦に参加していたというのは、事実ですよ」
「では知り得ているはずだ。あの場所にいたならば理知ある【異形】の拠点、その座標を」
作戦に不可欠な最後のピースをマシロが握っていることが、ここで確定した。
情報を、情報を、情報を! ――逸る気持ちを抑えきれず、前のめりに問い詰めるタカネ。
そんな彼にマシロは静かに頷きを返した。
「知ってます。けど……月居司令にあの頃のことは他言するなと言われてますので」
「今の司令は私だ。『ダウンフォール作戦』の達成のため、人類のためだと思って情報提供を求めたい。……頼む」
タカネはこのとき初めて、『レジスタンス』司令として部下に頭を下げた。
しばしの無言。カグヤの命を守ってこれまで真実を秘匿し続けた彼だ。それを破ることへの躊躇いは当然あるだろう。
タカネに出来ることは最大限の誠意を見せ、マシロの情に訴えることだ。
「……分かりました。いいですよー、教えます」
タカネが顔を上げると、マシロは席を立って彼のそばまでやって来ていた。
「スマホ出してください。細かい座標の数値は覚えてないですけど、大体の場所なら把握してます」
言われるままに地図アプリを表示させる。
細い指を画面上に踊らせるマシロは、富士山麓周辺をズームアップし、そしてその一点にピンを打った。
「この辺りです。ぼくの記憶に間違いはありません。なんたって、この場所で何年も過ごしてたんだから」
タカネは目を見開いた。
月居カグヤがパイモンと結んだ契約。生きて帰してもらう代わりに男女二名の隊員を引き渡すこと。
その契約で【異形】の地に渡った一人が、マシロだったというのかと。
「何年も……。そこで君は【異形】どもに何をされてきたのだ?」
「覚えてません。あの日【異形】側に引き渡されてから、パイモンの呼びかけに応えてミユキさんの部隊が迎えに来るまでの間のことは、何も……。分かっているのはぼくが五年間あそこで過ごしたという事実と、身体に異変が生じてしまったのだということ」
魔力を過剰に増幅させてしまう体質。
それは生まれつきなどではなく【異形】の領域で得た可能性のあるものなのかとタカネが訊くと、マシロは首を縦に振ってみせた。
「たぶんそうでしょうね。彼らの人体実験……その副産物なんだと思います。ヒトの身体に【異形】レベルの魔力を宿させる……『新人』の存在を知ったとき、ぼくがされたのは彼らを生み出すための準備だったんだって分かりました」
「そうか。奴らの実験のために君のパイロット生活には著しい制限が科されることになった。辛い思いをしたな」
「辛い? そうですね……向こうでのことは何も覚えてないから、そこまで思ったことはないですけど……。ぼくとしてはむしろ、こんな力をもらえてありがたいくらいですよ」
そう言って、子供っぽい笑みを無邪気に浮かべる。
マシロが【異形】の領域でのことを覚えていないというのなら、そこでのことを問うても仕方がないだろう。
不老の秘密にも迫りたいところだったがそこは諦め、タカネは改めて地図上に打たれた一点を凝視する。
ようやく掴むことが出来た敵の本拠地の座標。
それを実感してやっと、タカネの胸には高揚感が湧き上がってきた。
「情報の提供、感謝する。おかげで『ダウンフォール作戦』の最終目的地が定まった」
「いえいえー」
ふんわりとした白髪をくしゃくしゃとしながら、マシロはにこりと笑った。
眼鏡の底で男の瞳は欲望の黒い炎を燃やしている。司令として冷静さの仮面を被りながら、彼は胸中で歓喜に打ち震えていた。
「目標が完全に定まったのなら、早急に準備を推し進めねばな。【七天使】と佐官以上の将校をここに召集し、一時間後にも軍議を執り行う」
「お仕事が早ーい、司令! じゃ、ぼくもアスマくんたち呼んでくるねー」
これで全ての懸案事項は解消された。あとは子細な調整を済ませてしまえば、いつでも実行に移すことが出来る。
「【異形】を滅ぼし、名実ともに全ての人間の頂点に立つ。もはや『新東京市』民に留まらず、私は全人類にとっての【異形】からの解放者となるのだ」




