第二百五十九話 花弁の結晶 ―management system―
『楽土』の最下層――そのさらに最奥。
回廊のようなアジトに囲まれる大空間の直下にある、地下空洞。
それは、そこに咲き誇っていた。
「こっ、これ、は……!?」
七色の眩い輝きが少年の視界を満たす。
花弁を象るように広がった結晶の集合体。足場に設けられた柵から身を乗り出すようにして、カナタは眼下の巨大結晶に釘付けとなった。
綺麗だ。ずっと、ずうっと見ていたくなるくらい、美しく神々しい虹の光。
『輝かしいだろう。これがこの「楽土」全域に生える結晶の大元。俺たちが「カラミティ・メテオ」の破片を回収し、持ち込んだ最初の株だ』
恍惚とするカナタの腕を引き、ザガンは足早にその場を離れる。
結晶を取り囲むように作られた回廊に隣接している「管理室」へと入り、彼は丁重に後ろ手で扉を閉めた。
「も、もうちょっと見てたかったのに……」
『結晶が放つ高出力の魔力を浴び続けるのは危険だ。魔力に耐性のある俺たちでさえ、ここでの長時間の作業は出来ない。具体的に言うと高負荷の魔力に耐えきれず脳が爆発するおそれがある』
飛び出したショッキングなワードにカナタは絶句した。
凍り付く少年に悪戯っぽい笑みを返し、ザガンは話を続ける。
『一応、この部屋は外からの魔力を概ねシャットアウト出来る作りになっている。だから即死する危険性はない。安心したまえ』
「そ、それは安心……って、なっ、なるわけないじゃないですかっ!?」
珍しくツッコミに回るカナタに、「そうか?」と真顔で返すザガン。
言い返そうとしてちょっと迷い、結局言葉を呑み込んだカナタはこの結晶について詳細な説明を求めた。
「こ、これが『楽土』を制御するシステム……ってことなんですよね?」
『ああ、そうだ。システムと言ったが、実のところ俺たちにもほとんど解明できていない。まさしくブラックボックス……それがこの「花弁の結晶」』
初めは小さな、拳一つぶんほどのサイズの結晶であった。
『カラミティ・メテオ』の血潮のごとき赤色に魅入られたザガンは、戦いを避け、離島に隠れ棲むことを決めた際、どうしても手元に置いておきたくてそれを持ち込んだ。
自らの魔法で拠点を作る日々を送りながら、ある時、彼は安置していた結晶の破片が徐々に大きさを増しつつあることに気が付いた。
種が芽吹いて地面に根を張り巡らすかのように、それは次第に大地を侵食し、やがてカルデア内の全域を支配するに至った。
『巨大化した結晶が発する魔力は俺たちを含め、周囲の生物全てに悪影響を及ぼすほどの魔力を有していた。故に、俺たちはその「花弁の結晶」を地下に封じ込めた。初めは何が何だか理解できなかった。だが、結晶の生える領域が拡大していくにつれて、そこに生息する【異形】たちも姿を変え始めたことに気が付いた。奇妙な姿の【異形】たち……彼らがヒトの操る機械に酷似している理由は何なのか。俺たちの同胞であった「ヴィネ」という男は、その調査に乗り出し――そして、事故に遭った』
ライオンの頭を持つ獣人のヴィネは『花弁の結晶』に長く触れ過ぎたために、自らの精神をも結晶の魔力に侵食され、廃人状態と化した。
「そっ、それって……SAMパイロットが『コア』に魂を取り込まれる『同化現象』と同じ……?」
『「花弁の結晶」も「コア」も、もとは同じ「カラミティ・メテオ」だ。同様の現象が発生してもおかしくはないだろうな。……ヴィネが結晶に精神を奪われた後、【異形】たちには劇的な変化が生じた。非常に好戦的であった奴らが、俺たちを一切襲わなくなったんだ』
赤い複眼を激しく点滅させて襲撃してきていた【異形】たちが、眼を穏やかな青色に変えて何も仕掛けてこなくなった。
自分たちを敵ではないと認識し、攻撃を止めたのではないか。ザガンらのその考えは正解だった。
『取り込まれたヴィネの精神が結晶に何らかの影響を及ぼしたのではないかと、俺たちは仮定している。結晶を解析する魔法が未完成な以上、実証する手段はないがな。しかし事実として、ヴィネが心を失ったその日から共食いも辞さなかった【異形】たちは穏やかになり、統御されているように見えた。それが確信に変わったのは、カルデア外部より【第一級異形】フェネクスが舞い降りた時』
魔力に引き寄せられるように降り立たんとした不死鳥の【異形】に対し、大穴に住まう【異形】たちは統率された軍隊の如く、共闘して追い払ってのけたのだ。
『彼らは必要に応じて「楽土」の守護者へと変貌するのだと、そのとき俺たちは理解した。そして俺はベレトやアスモデウスの手も借りて、結晶の膨大な魔力を魔法へと変換し、カルデアを今ある「楽土」の形へと作り変えた。……あの時は本気で死ぬかと思ったね』
外敵からこの場を守る軍隊がいるのなら、彼らを活かせる要塞がなくてはならない。
その理念の下、決死の思いでザガンは同胞と共に『楽土』の建設に着手した。
誰に襲われることもなく平穏を享受したい。アスモデウスほど表に出さずとも、ザガンもその思いは同じだったから。
そのために結晶に魂を取り込まれるリスクがあろうとも、たった二人の同志であり同胞の安らぎを守れるならば構わなかった。
「そ、そうやって今の『楽土』が出来たんですね」
『ああ。君たちのような高尚な大義もなく、ただ隠れ棲むためだけに作ったものだがね』
「た、大義とか、そんなの……へっ平和に暮らしたいってだけでも、十分すぎるくらいですよ」
「楽土」は既に【第一級異形】を撃退できるレベルの武力を有している。
自分たち三人の理知ある【異形】の安穏のためのみに得ていい力なのか――そんな思いを滲ませるザガンに、カナタは首を横に振ってみせる。
『そう言ってもらえれば、結晶に呑まれたアイツも報われるだろう。ありがとう、カナタくん』
カナタはザガンを見上げ、微笑みを返す。
マナカとマオが【ラファエル】に意思を宿してカナタたちを支えてくれたように、この『楽土』はヴィネという理知ある【異形】の精神が護っているのだ。
先程歩いた第十層は暗く、寒々しい空間ではあったが、どこまでも静かで穏やかな場所でもあった。それはきっと、ここに根ざした彼の心の在り方の表れなのだろう。
『質問はあるか? 分かっている限りの全てに答えよう』
「え、えっと……あ、あの、どうして結晶の影響を受けた【異形】たちは機械みたいな見た目になったんでしょう?」
ヴィネが調査し、その結果精神を取り込まれることになってしまった事象。
それについて触れたカナタに、ザガンは少々難しい顔をした。
『あくまでも推測であり、実証は叶っていないことだが……ヴィネの書き残したメモを見るに、「カラミティ・メテオ」を大元とする結晶体は記憶を共有している可能性がある』
「き、記憶……?」
一拍置いて、ザガンは解説を続ける。
『そうだ。たとえば君が乗っていた【ラファエル】の「コア」には瀬那マナカくんとマオくんの記憶が宿っているな? 「同化現象」によって「コア」はヒトの記憶を完全に取り込むが、同化に至っていない機体とパイロットにおいても部分的にではあるが、同様の現象が起こっているらしい。SAMを使用するなかで蓄積された記憶という名の情報――各「コア」とそれを共有した結果、「花弁の結晶」はSAMを模した進化を【異形】に促すようになったのではないか……。それがヴィネの出した結論だった』
結晶体が【異形】の進化を促進させた。
にわかには信じがたいことだ。しかし事実として『楽土』の【異形】たちは特異な変化を遂げ、『花弁の結晶』に統御されている。
『コア』とは、『カラミティ・メテオ』とは一体何なのか。
異星から降り立った少年少女が怪物たちを封印するために生み出した、魔力の結晶。それをもたらした張本人たちに話を聞ければ早いが、生憎いまはそれが叶わない。
「……き、記憶の共有……そ、それが事実なら、SAMの開発においても、なっ何らかのブレイクスルーが起こせるかも……」
一つの可能性が浮かび上がってきた。
現在ロールアウトされている最新の第六世代SAMを超える、第七世代機。
自分たちがその開発に関われないのがもどかしいが、『楽土』での実機開発が成功すればあるいは――。
『ふふ……面白くなりそうだな』
「は、はいっ」
未来に思いを馳せる。
新しい目標の達成――そのためには日々、研究を重ねていかねばならない。
弛まぬ努力が要求されるだろう。しかしカナタはそれを苦にせず、むしろわくわくでいっぱいであるのだった。




