第二百五十八話 鋼鉄の怪物たち ―cyberwarrior―
「楽土」で初制作となるSAMの開発に着手する。
アスモデウスに発破をかけられた後、レイはカナタやザガンらにそう提案し、彼らもそれを快諾した。
何もかもが未知数のチャレンジだ。
けれど、カナタもザガンらもむしろ乗り気であった。
『いずれは制作に取り掛かるつもりだったからな。想定より早かったが……まあ、トライするのも悪くはないだろう』
「いっ、一緒に頑張ろうねっ、レイ! まっ魔力周りのシステムは任せていいかな!?」
ザガンが不敵な笑みを浮かべ、カナタは普段よりテンション高めにレイに頼んでくる。
相棒に大事な役目を託されて得意げに頷き、レイは話を黙して聞いていたベレトに視線を遣った。
「ベレトさんやザガンさんには部品の材料となる物資を調達していただきたいです。ボクらには【異形】が蔓延る中を探し回るのは難しいので……」
『適材適所というものであるな。うむ、良いだろう!』
堅物の大男ベレトが快諾してくれたのも心強い。
できることならアスモデウスにも手を貸してほしいところだが、それは追々で構わないだろう。
すぐに距離を縮めにいくのは彼女も望まないだろう。
「まっマナカさん、マオさん。もっもうすぐ、身体を作ってあげられるからね」
まず作るのは、二人の魂が眠る『コア』を心臓とする機体だ。
完成の暁にはようやく、マナカとマオに会える。『楽土』に来てからの一ヶ月余りで話したいことはたっぷり溜まった。語り尽くすには一晩では足りないだろう。
そして、カナタのやりたいことはもう一つある。
「ざっ、ザガンさん。べっ、別の件で、おっ、お願いがあるんですけど……」
『前に言ってたあの件だな? ……いいだろう。ここ一ヶ月の訓練で、君の魔法の腕は合格ラインを満たしたからね』
ありがとうございます、とカナタは頭を下げる。
彼に薄く笑みを返したザガンはベレトを一瞥し、視線で了承を乞うた。
少々間を置き、ベレトは豊かな顎髭を擦りながら頷く。
『許可しよう。ただし、少年一人では行かせないという条件付きだ』
『いいね? カナタくん』
「はっ、はい!」
そんな彼らのやり取りを眺めながら、レイは思う。
カナタがやりたいことをしている間に、自分も出来ることを全力でやるのだ。これまでに得た知識を総動員して、自らSAMを手がける。
「何事も、まずはやってみること」――いつかミコトが口にしていた言葉を思い返し、レイは意識を引き締めた。
『レイくん。申し訳ないが、今日のところは俺はカナタくんに同伴することにする。彼のうずうずした顔を見たら流石に、我慢しろとは言えんからな』
分かりました、とレイは答える。
この日はカナタとザガン、レイとベレトに別れて、さっそく新しい取り組みに着手することになった。
*
回廊のようなアジトを出て、結晶の煌めく大空間へ。
そこから遥か遠くに見える青空を仰ぎ、カナタは目を細めた。
『良い天気だな。新たな挑戦の門出には相応しい』
「はっ、はい。じゃ、じゃあさっそくですけどザガンさん……」
『準備は万端のようだな。では行こうか』
カナタはザガンが魔法で作り出してくれた防寒着――地上の寒さにも耐えられるような分厚い迷彩柄のダウンジャケット――を纏い、耳当てや手袋も着用して万全の装備だ。
背負ったリュックには薬や空のガラス瓶が幾つかと、弁当や水筒、それからザガンが【異形】について記したノート数冊が入っている。
これから行うのはこの『楽土』に棲む【異形】の調査である。
データはザガンが既にある程度把握してはいるが、カナタは自分の目で見て、自分の手で調べたかった。
それに【異形】たちの進化は目まぐるしい速さで進んでいる。きっと新しい発見があるはずだ。
(初めてここに来た時……大穴を降りていく時に見たこともない銀色の身体をした【異形】がいっぱい見えた。ザガンさんが電脳化したって言ってた【異形】……彼らがどんなふうに暮らし、生きているのか、それを直接確かめたい)
これまで踏み入れることが許されていなかった領域に、今から行く。
期待感と高揚感を噛み締めながら見上げてくるカナタにザガンは頷き、少年の肩に手を置いた。
『三、二、一……飛ぶぞ』
足が地を離れ浮き上がる感覚。
瞬く間に景色は光の差す白から、薄闇の黒へと変わる。
「……っ」
靴越しに岩肌の硬い感触が伝わってきていた。空気は冷たく、湿り気を含んでいる。
いきなり暗い場所へと転移したために何も見えない。汗ばんだ手をぎゅっと握り込み、カナタは何度か瞬きを繰り返した。
隣にはザガンの立つ気配がする。肩に置かれたままの掌の熱が、少年の平常心を保つ楔となっていた。
『……直に目が慣れるさ。ここは「楽土」の第十層……俺たちのアジトがある最下層の一つ上の層で、最も広大なエリアだ』
事前に教わった『楽土』の情報をカナタは脳内で復習する。
『楽土』の階層は全部で十一層。アジトのある最下層は魔法の結界によって【異形】が寄り付かない安全地帯となっているが、それ以外の各層は彼らの跋扈する領域となっている。
ザガンがいま言った通り、第十層はこの『楽土』で最も天井が高く、生息する【異形】の種数も最大の規模である。
結晶が帯びる僅かな燐光のみを光源とする、暗黒の世界。
そこに棲む【異形】たちは生存競争の中で進化を繰り返しており、ザガンたちがまだ知らない新種がいる可能性も高いという。
『目は慣れたか、カナタくん?』
「……は、はい。あっあの、ザガンさん……うっ後ろ……」
じっとりと背中に汗を滲ませながら、カナタは掠れた声で囁いた。
視線を感じるのだ。そこに潜む何かの。微かな息遣いが静寂の中で敏感になった聴覚に、よく響く。
『後ろ? ああ――』
カナタの肩を掴み、ぐるりと身体の向きを変えさせるザガン。
翻ってそこに見えたのは、暗闇の中に浮かんだ赤々と光る二つの眼であった。
「う、わっ――」
『大声を出すな。怖がらせてしまうだろう』
がさついた大きな手がマスク越しにカナタの口を押さえる。
息を殺して見つめる先、赤い複眼がちかちかと点滅していた。
虫型の【異形】か――そう思ったのも束の間、動き出した影の輪郭にカナタは息を呑む。
四足の獣。体高一メートル弱の小柄な体躯。丸っこい耳にずんぐりとした胴体を持つその姿は、熊のように見えた。
異彩を放っているのは、闇の中に光る複眼である。
こちらを見据えるその眼はしばらくすると点滅を終え、色を青く変える。その様を見てカナタは『新東京市』の横断歩道に置かれた信号機を思い出した。幾つもの光る眼が寄り集まって一つの目を形成しているのと、LED信号機の見た目はよく似ている。
『「鉄熊型」の【異形】だ。熊であるだけあって怒らせると怖いが、その性格は非常に臆病。攻撃されない限りは俺たちに危害を加えてくることはないから、安心したまえ』
「もっ、もし、攻撃してしまったら……?」
『ミンチだな。即座に』
恐ろしいことをさらっと言い、ザガンは『鉄熊型』の前を悠々と通り過ぎていく。
慌ててその後を追いかけながら、慣れてきた目でカナタは周囲を見回してみた。
アジトと同じく、各階層はカルデアの内側を縁取る回廊のような形状をしている。今いるここもいわゆる「廊下」のどこかになるのだろうが、天井は霞むほど高く、横幅も見通せないくらい広い。
「さ、さっきの熊さん、眼が光ってましたけど……くっ暗闇の中であんなに光って、が、外敵に見つかってしまったりしないんですか?」
『アレに外敵らしい外敵はいないよ。君らが初めに「楽土」に降り立った日、ここに棲む【異形】は電脳化を果たしていると言ったが、敵がいないのはそれが理由なんだ』
果てが見えない不安感を誤魔化そうとカナタはザガンに話しかける。
彼の問いに鷹揚な口調で答えるザガンは少年に合わせて歩くペースをやや落とし、続きを語った。
『電脳化した【異形】たちは個の意識を持つと同時に、彼らを統べるシステムによって行動を制御される場合がある。同種の他個体に接触した時は共食いしないように抑え、外敵と接触した時は反撃するように促す……といった具合にね。
無論、彼らも生き物だから、電脳化した【異形】同士で食い合うこともある。この「楽土」にも食物連鎖のピラミッドがあり、上位者は下位の生物を糧にして生きている。その頂点に座しているのが『鉄熊型』をはじめとする肉食獣型の電脳化【異形】だ』
暗黒の世界には草も生えない。足元の湿った地面には苔がまちまちにこびり付いていて、壁面に生える結晶の燐光を反射してエメラルド色に輝いてみえた。
かさかさ、という足音には聞き覚えがある。地上の調査で何度も聞いた、地を這う虫たちの立てる音だ。耳を澄ませ、その方向を探りながら視線だけで追ってみると――転がる岩と岩の隙間から、赤い複眼を瞬かせる頭部が顔を覗かせる。
「あっあのゴキブリ型、ち、小さいですね。ちっ地上のはすっごく大きかったのに……」
辺りに転がる岩は大きいものでも高さ一メートル程度。その隙間からちょろっと出てきた頭部は幅二十センチほどに見える。普通のゴキブリと比べたら当然巨大ではあるが、【異形】の一種として見ればかなり小さい。
『さっきの「鉄熊型」も小柄だったろう? 「楽土」は地上よりも暗く、そして狭い。そこで生き抜くには巨大な図体よりも、消費リソースを抑えることの出来る小さな身体のほうが都合がいいわけだ』
「な、なるほど……こっこれだけ暗いと植物もろくに育たないし、そ、そうなると獲物の種類も限られてきますからね」
暗さゆえにメモも取れず、写真に収めることも出来なかったが――【異形】らの保護のためフラッシュは焚くなとザガンに厳命されている――そこに棲む者たちの息吹を感じ、目に焼き付けられれば十分だろう。
カナタはその場にしゃがみ込むと鞄を弄り、小瓶とへらを取り出して、地面に貼りついた苔をがつがつと削って採取していく。
小瓶に仕舞った苔を顔の前で眺める彼は、エメラルドの光をきらきらと放つそれにしばし見惚れていたが、ややあってあることに気づいた。
「こっ、この苔、自ら光を発してるんですね。けっ結晶の光を反射していたわけじゃないんだ」
『ここには苔を食す【異形】もいる。敢えて見つかりやすくなることで捕食者の体内に入り込み、排出された糞から種を芽吹かせるのさ』
それからカナタたちは静かに道を歩きながら、時おり立ち止まって闇に潜む【異形】たちを観察していった。
大半は鉄の装甲を纏った昆虫型の【異形】であったが、一度だけ遭遇した大きな目玉に蝙蝠のごとき翼を生やした『飛行型』の電脳化した亜種には心臓が飛び出るかと思うほど驚かされた。
何しろ音もなく近寄ってきて、顔の真ん前で赤く光る複眼を点滅させてくるのだ。
「おっ、おしっこ漏れるかと思った……」
『ははっ、アレは悪戯好きでね。こうして気配を消し、突然現れて脅かしてくる。なかなかチャーミングな奴だが、「楽土」における哨戒者として重大な役割を果たしてくれている』
いわば『楽土』の管理システムが操るドローンなのだ、とザガンは語った。
電脳化した【異形】。『楽土』の管理システム。
自然と機械、相反するものを融合させた生ける機構。
知りたいと、心の奥底から湧き上がる知的好奇心が囁いてくる。
「あっ、あの、ザガンさん。『楽土』の管理システムって何なんですか……? い、いくらザガンさんが魔法で色んなものを生み出せるといっても、そんな誰も聞いたことのないようなもの、本当に作れたんですか……?」
『鋭い問いかけだ。……隠す意味もないだろう。それにこの技術……否、現象は君たちが求めるSAMの製作に大いに役立つだろうからな』
システムの全貌を語る上で、見てもらわなければならないものがある。
そう告げてザガンはカナタの肩に手を乗せ、もう片方の手で指を鳴らした。
それを合図に景色はまた、一瞬にして変わっていく。




