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暁の機動天使《プシュコマキア》  作者: 憂木 ヒロ
第十章 比翼の絆

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第二百五十五話 怒れる女王様 ―Renewing our commitment―

『やあ女王様。ちょっといいかい?』


 レイたちに話しかける時より幾分か優男風に、ザガンはアスモデウスという理知ある【異形】の一人に声を掛けた。

 食事の手を止め顔を上げた彼女は、その美しい顔を不快感に歪める。


『見てわからぬか? わらわは今、食事中じゃ。邪魔をされては飯が不味くなるわ!』

『貴女が食に没頭される方だというのは重々承知。けれど、今だけは直ちに説明しておかなきゃならないことがある。後回しにしてトラブルでも起きたら、彼らの身が危ないと思ったからね』


 彼ら、というザガンの言葉に胡乱な面持ちになったアスモデウスは、すぐに見慣れない顔が二つほどあるのに気が付いた。

 ザガンが横抱きにしている銀髪の少年と、ベレトの隣に立つ金髪の小柄な少年。いずれも肌の色が自分たちと違う。人間だということは一目で分かった。


『……何のつもりじゃ?』

『彼らは俺が地上探索中に拾った人間だ。ここに連れてきたのは、ひとえに貴女とベレトに事の経緯を説明するため』


 並べた椅子の上にカナタを横たわらせ、ザガンはアスモデウスの正面の席に腰を下ろす。

 ベレトも同席し、レイも少々迷った末、その隣に座った。

 

『まずは話を聞いてくれ。どうするかはその後で決めてほしい』


 そう前置きして、ザガンは語りだした。

 自分と二人の少年との邂逅を。

 命を救い、彼らの理想について聞き、馬鹿馬鹿しくも輝かしいその思想に賭けてみたい、と思った瞬間の期待感を。

「生命の保障」と「SAM技術の提供」とを交換条件に、ザガンは二人の少年を自分たちのアジトに受け入れることを決めた。

 

『……確かに人類が扱うSAMとやらの技術が手に入るのであれば、我々の防衛力はより強固となる。だが……本当に信じられるのか? 彼らは人類だ。我々とは異なる』


 全ての話を聞き終えた後、最初に開口したのはベレトであった。

 ザガンの発言を疑わずに受け入れるのなら、「楽土」にもメリットはある。しかし――。

 

『……ザガンよ。ぬしは己が人間にされたことを忘れたわけではあるまいな? 同胞を殺され、住処を焼かれ、何もかもを奪われたあの悪夢を……。故に我らは追放されたこの地にて、「楽土」を築いた。誰に侵されることもなく、静謐な安寧を享受する――ようやく得られた平穏を、主は壊そうというのか?』


 アスモデウスは静かに語気を強める。

 その瞳には遠き星で燃やした怨讐の炎が蘇っていた。

 血を分けた仲間を討たれる、身を切られるような痛み。故郷を奪われたことで永遠に満たされなくなった、切なる郷愁の念。誇りであった宝物でさえも略奪されてしまった、遣る瀬無い悔しさ。

 それらがいっぺんに胸の奥から湧き上がってきて、女を衝き動かす。

 力任せに薙いだ腕で卓上の食器を一掃し、はす向かいに座っていたレイの身体と顔へ、陶器の破片を浴びせかけた。


「あぐっ……!?」

『アスモデウス――!』


 少年の頬は流血しており、破片の突き刺さった『アーマメントスーツ』も赤く滲んでいた。

 思わず立ち上がったザガンを見上げながら、アスモデウスは鷲掴みにした茶碗を粉砕する。


『妾の御前に人間を連れてきて言うことがそれか。主のことは前々から掴みどころがなく、気に食わぬと思っておった。しかし……今宵のこればかりは勘弁できぬ』

『貴女の気持ちも分かる。俺たちは過去に迫害されていた。だが、それはあくまでも昔の、遠い別の星での話だ。この星に住まう人類には何の罪もない。彼らは似て非なる存在だ』

『そんなことどうだって良いのじゃ! 妾はこの安寧を壊されたくないと言っている! それが人類であれ、同胞であれ、等しく変わらぬ!』


 説得しようとするザガンに、アスモデウスは声を荒げて訴えた。

 抑制しきれない感情が魔力を暴発させ、周囲のテーブルを歪めて捩じ切る。

 ザガンに首根っこを掴まれて後ろへ下がらせられようとしていたレイだったが、直感的に、ここで引いてはいけないと思った。

 ザガンが言うだけではダメなのだ。過去の傷に囚われ、何者をも受け付けなくなっている彼女に対しては、心からの思いをぶつける以外に理解してもらう方法はない。

 

「ザガン、さん。ボクから、お話をさせてください」


 顔から血を流していてもなお、レイは毅然と申し出た。

 ザガンの了承を得るより先に彼は一歩前に出て、アスモデウスと正面から相対する。


「ボクは貴女たち【異形】に対して、最初は恐怖心を持っていました。ボクの姉や友人は【異形】に殺されて死んでしまったから。大切な者を守れなかった自分への怒りと、自分から全てを奪った【異形】たちへの憎しみ……それらに支配されて、ボクはSAMパイロットとして戦い続けてきた」


 アスモデウスたちが故郷の星で蹂躙されていたように、レイたち人類も【異形】によって大切なものを失った。

 それによって生じる痛み、苦しみ、怒り、憎しみ。それらもまた、同じだった。


「けれど、ボクは知りました。怒りや憎しみだけを糧に生き続けることは辛いんだって。隣にいてくれる誰かの存在で、その辛さが和らぐんだって」


 レイにとっての仲間たちとの出会いが、きっとアスモデウスにとっては「楽土」で得られる安穏であるのだろう。


「次第にボクの戦う理由は、【異形】への憎悪ではなくて、大切な仲間を守りたいというものに変わっていきました。それに伴ってボクの視野はだんだんと広くなっていきました。【異形】とヒトのハーフである『新人』と出会ったとき、ボクの中には以前のような憎しみはもう湧き上がってこなくなっていました。憎悪のフィルターを外して彼らに接してみたら、ボクたち、分かり合うことが出来たんです。喜びも、楽しさも、それから悲しみまで、ボクたちは共有することが出来ました」


 この瞬間も鮮明に思い返すことができる。

『福岡プラント』、および『丹沢基地』で『新人』たちと交流したあの日々を。

 言葉を教え、話を聞かせ、共に歌い、共に笑い、共に持ち寄ったお菓子を食べ、共に風呂に入った。

 その日々が突然の終わりを告げ、残されたニネルとテナと共に涙を流したことまでも。

 つい昨日のことのように蘇ってくる。


「アスモデウスさん。あなたが過去に辛い思いをしてきたことはお察しします。ですが、その記憶に囚われて、これから新しい関係が結ばれる可能性を閉ざしてほしくないんです。きっと今のままでも楽でいられる。けれど、それでは前に進めない」

『主に妾の何が分かるというのじゃ!? そのような説教など……!』

「無礼は承知です。でも、ボクは貴女やザガンさん、ベレトさん、「楽土」に棲む数々の【異形】たち、全てのことを知りたいんです! 分からないものは怖い――けれど分かるようになれば、互いを尊重して生きられるようになる。それってすごく良い事だと思いませんか?」


 真っ直ぐに言葉をぶつける。偽りなど目の前の女性には通用しない。そう思わせるだけの威容と気迫が、アスモデウスにはあった。


『良い事? 人間の分際で正義を説くか。人間など所詮、醜く争い、他者から奪い、自然を損なう――』

「確かに! ボクたち人類は醜いかもしれません。全てが全て、綺麗なんかじゃない。誰かを傷つける人も、奪う人も、残念ですけれどいます。ですが、そうでない人がいることも、確かなんです」


 過去のトラウマから人類の全てを敵だと思ってしまっている彼女に、知ってもらいたい。

 だが、話したところですぐに認めてはくれないだろうことも、レイは分かっていた。

 互いの距離を縮めるのには時間が必要だ。今はこうして、こちらの思いを聞かせられただけで十分。


『気を損ねた。料理人! 口直しの甘味を持って参れ! それから主ら、妾の前からく失せよ!』


 立ち上がり、調理室のほうへ一声を飛ばすアスモデウス。

 彼女は振り返ることなく唸るようにレイたちへ言い渡し、彼らに背を向けたまま離れた席に座り直した。


『女王様は難しいお方だ。それに過去を思えば、あの態度も無理はない』


 そうこの場を去るよう促しながら、『ザガン』は流血しているレイの顔に掌をかざす。

 するとそこにぽうっと温かな緑の光が灯り、魔力で少年の傷を癒していった。

 頷き、レイは並べた椅子に寝かせられていたカナタを覗き込む。

 先ほどまで青白くなっていた顔は少しばかり血色が戻ってきていた。良かった、と呟いてレイは相棒に呼びかける。


「カナタ。……気分はどうですか? 苦しくはないですか?」

「……れ、レ、イ……。……お、おなか、空いた……」

「お腹、ですか? ええ、大丈夫ですよ。ここの料理人さんがすぐに作ってくれますからね」


 ぼんやりとした意識の中でカナタが発した言葉に、レイは思わず笑みをこぼした。

 こういうところは実にカナタらしい。良くも悪くも、欲求に正直な人だ。


「あの、ザガンさん。お食事、頂いても……?」

『問題ない。君たちをここに招く上で、衣食住を保証すると言ってあるからね。好きなだけ貰うといいさ』

「ありがとうございます。……アスモデウスさん、ボクらの分の料理が出来るまで、ちょっとだけここに居させてください」


 端のほうの席に着いているアスモデウスに一声かける。

 彼女は相変わらずこちらを一瞥することもなかったが、何を咎めることもなかった。

 それを了承と受け取ったレイは、カウンターへと向かい料理のオーダーを済ませる。

 理知ある【異形】の食するものが自分たち人類の口に合うかは分からない。だが、先程アスモデウスが食べていた『巨鯨型』の肉を混ぜた炒飯を見るに、いけなくもない――いや、かなり「いけそうな」予感がするのだ。


(……あの人は)


 隣接する調理室をカウンター越しに覗き、レイは内心で呟く。

 たった一人、白い帽子とエプロン姿で調理に励んでいる、青い肌の男性。

 遠目だがかなり若く見える。おそらく、レイたちとさほど変わらない年齢だろう。 


(青い肌。人間のような容姿。けれど理知ある【異形】から感じる魔力の圧がない……。となると、あのひとは『新人シンジン』?)


 ちらりと『ザガン』を見やる。

『新人』とは、『ベリアル』たち理知ある【異形】が使役するために生み出した【異形】と人間の混血種であったはずだ。それがこの「楽土」にいるとはどういうわけか。


『……彼の名は「イナホ」。元々「ベリアル」たちのところで働かされていたんだが、訳あって殺処分されそうになっていたそうでね。そこを「アスモデウス」が助けて、俺たちの「楽土」に連れてきたんだよ』


 いつの間にかレイの背後に立っていたザガンは、そう教えてくれた。

 イナホという名の『新人』はせかせかと動き回って複数の調理を並行で進めている。負担は大きいがフライパンを握る横顔は活き活きとしていて、それを感じさせない。


「彼は、料理が好きなんですね」

『「ベレト」が教えたんだ。なあ、ベレト?』

『料理人がいたほうが便利だと思ったまでだ』

『またまた。素直じゃないなぁ、君は』


 むっとする『ベレト』に苦笑するレイ。

 しばらく談笑していると、どうやら料理が完成したらしい。

 胸の前に料理を載せたトレーを二つ浮かせながら、イナホがこちらに歩いてくる。


「完成いたしました。貴方には、こちらの握り飯とドリンクを」


 金色に光る瞳でレイを見つめ、淡々と『新人』の青年はそう告げる。

 魔法テレキネシスで動くトレーから分厚い葉っぱに包まれたおにぎりと、二本の水筒を受け取ったレイは、突然の来訪であるにも拘らずオーダーに応えてくれた彼に礼を言った。

 

「いえ。これが、私の仕事ですから。……では」


 イナホはお辞儀して、すぐに『アスモデウス』のもとへと向かっていった。

 抑揚の少ない話し方。落ち着いていて大人びた雰囲気は、ニネルやテナたち『福岡プラント』出身の『新人』たちとはだいぶ毛色が違う。

 

『口数は少ないし表情も乏しいが、情に厚い奴だ。「交信」能力とやらで他者の体調を見抜き、それに適した料理を出してくれる。その握り飯を食べればほどなく、カナタくんも元気になるだろう』


 では行こう、と『ザガン』はレイたちに食堂を出るよう促す。

 カナタに肩を貸しながら歩くレイは、『ザガン』の案内で廊下を少し進んだ先の一室に通された。

 仄暗く、何もない小部屋。だが『ザガン』がパチンと指を鳴らした途端、視界は白く染まり、無から物質が生まれ出る。

 

「っ、これは……!」


 気づけば、先程まで何もなかった空間はさながらホテルの一室に変わっていた。

 穏やかな暖色のランプ。ふかふかの布団が敷かれたダブルベッド。冷蔵庫にレンジ、ソファー、机の上には小さな書棚まで設けられている。

【異形】のアジトにはそぐわない光景にレイとカナタが目を丸くするなか、『ザガン』は得意げに言った。


『器用貧乏な俺が唯一得意なのが、この「物質変換魔法」。空間中に存在する魔力を別の物質へ変える。この「楽土」は「結晶」が発する魔力で満ち満ちているからね。この程度の内装なら容易く作れる』

「そうなんですか。それにしても、凄いですね。まるで本物のホテルのよう……」

『俺は人間の書物を発掘して、読み漁るのが趣味でね。人々が地上に残した痕跡からは、学べることが多い。そこで散った者たちには悪いがな』


 ソファの前の小机にイナホから貰ったおにぎりと水筒を置き、どさっと背もたれに身体を預ける。

 寝床にありつけたと思った途端に、眠気と疲労感が一気に湧き上がってくる。

 振り返れば『レジスタンス』の襲撃を受け、『プルソン』との戦いを終えた後からずっとろくに休息を取らずにここまで来た。やっと、やっと、心置きなく熟睡できる。


『眠いだろうが、寝る前にちゃんと食事を取りなよ。しっかり身体に栄養を取り込んでおくんだ』

「ふぁ、ふぁい……」「了解です」


 欠伸交じりに返事するカナタと、律儀に頭を下げるレイ。

 彼らに笑みを返し、軽く手を振って『ザガン』はその場を後にした。

 残された二人は梅干しのおにぎりをドリンク――甘味の増したスポーツドリンクのような味がした――で流し込み、早々に夜食を終えると、そのままベッドに直行した。


「何だか、夢みたいですね……」

「う、うん……」

「ボクたち、本当にこれからここで暮らすんですね」

「ん……」

「大丈夫、ですよね。ボクたち、きっと……」


 朦朧とする意識のなか、不安だけが鎌首をもたげる。

 花の香りがする柔らかな布団に身を委ね、横になりながら相棒のほうに顔を向ける。

 心配でいっぱいのレイに対して、カナタの顔は寝ぼけ眼の子供だ。

 その表情を見ていると、不安も心配も阿呆らしく思えてくる。

 

「……だ、大丈夫、だよ」


 ゆっくりとこちらに首を向け、カナタは青い眼差しで見据えてくる。

 信じてくれている。瞳がそう語っていた。

 それだけ呟いて、カナタはすぐに寝落ちしてしまったようだった。すー、すーと穏やかな寝息だけが隣から聞こえてくる。

 大丈夫だ、とレイは胸中で繰り返す。

 自分たちは二人で一つだ。SAMという翼がなくとも、その絆が断ち切れることはない。たとえ人類の世界に戻れなくとも、【異形】たちと関わる中で何か少しでも良い方へ変えていければそれでいい。

 

「……頑張ろう」


 決意を新たに。

 思いを声に出し、レイもまた瞳を閉じるのだった。

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