第二百四十七話 見据えるべきもの ―What I realized after the mistake―
時は静かに過ぎていく。
『プルソン戦役』が終結して、およそ二か月。
季節は春を迎え、『学園』前の桜並木は満開に咲き誇っていた。
少年――九重アスマは久々に制服を着て、この日入学式が行われる『学園』まで足を運ぶところだった。
「……めんどくさ」
ポケットに手を突っ込みながら歩き、爪先で石ころを蹴っ飛ばす。
視線を右に向けると、なだらかな土手の下に河川敷が見える。
穏やかに流れるその川を眺めながら、アスマはゆっくりと頭を振った。
この川沿いの遊歩道は、イオリやミユキと一緒に『尊皇派』のアジトから帰る時によく通っていた。
あの頃当たり前のように時間を共有していた二人の先輩のうち、一人は死に、もう一人は敵対組織に身を移してしまった。
「……ミユキさん……」
会いたい。
そう切実に思った。
だが、それは無理な話だった。九重アスマは蓮見タカネと契約を結んだ。人類のため、皇太子ヤマトの悲願である【異形】討滅を果たすべく、使命を遂げると誓った。
その達成までは自分は『レジスタンス』でやっていく。
そう決めたから、もう振り返らない。振り返りたくない。
(立ち止まってはダメだ。僕が作り出さなきゃいけないんだ。【異形】を滅ぼす最強のSAMを、僕が……!)
そのために学生という身分も捨てるつもりだ。
今日『学園』を訪ねるのも、退学に必要な手続きを済ませるため。
子供の逃げ場所はもう必要ない。道は、一つなのだ。
「……九重、アスマくん? どうして、こんなところに……」
女性に声を掛けられてアスマは立ち止まり、顔を上げた。
その声には聞き覚えがあった。しかし、目の前の女性は少年がよく知っている姿ではなくなっていた。
「麻木中佐……それに」
銀縁眼鏡に黒のショートヘア。そこまではアスマの記憶の中の彼女と一致している。以前と異なるのは、右目を覆う白い眼帯と右手で突いている杖、それから着ているパステルカラーのニットと、ゆったりとしたフレアスカートだ。
そして、彼女の前には車椅子に座っている痩せこけた病衣の男がいる。
「……生駒センリ、元中将です。……センリさん、九重アスマくんですよ。新たな【七天使】の」
男は落ち窪んだ目でアスマを一瞥し、すぐに視線を明後日の方向に飛ばした。
もはや現役時代の覇気は見る影もなくなっているセンリを前に、アスマは言葉を失う。
深い憂いを目元に湛えるミオは、敬愛する上官を見下ろしながら囁くように言った。
「……センリさんは『ダンタリオン』との戦いの中で精神的ショックを受け、心に深い傷を負わされてしまったのです」
軍医が言うには、回復までは地道に時間をかけるほかないのだという。
薬で無理やり気分を上向けることもできるが、それでは根本的な解決にならないとも。
だからミオはセンリに寄り添って、彼の復活を待とうと決めた。
「……私のほうも、魔力欠乏の後遺症で右目の視力を失い、右の上半身は麻痺してしまいました。利き目も利き手も使えない以上、軍人としては使い物にならない。退役は、やむを得ない処置でした」
睫毛を伏せ、ミオは力なく笑う。
引退など、かつての彼女は一切考えていなかった。自分は『阿修羅』の副官として、彼と共に戦場で骨を埋める。そう疑わずに信じていた。
だが、現実は違った。果てなき戦いに身を投じていた彼女らは、思わぬ傷病によって足を止めることとなった。
「……少し話をしませんか、九重くん」
「えっ……あ、はい」
「では場所を変えましょう。あそこのベンチが丁度よさそうですね」
ミオがそう口にすると、センリを乗せた車椅子はオートで遊歩道脇のベンチ前まで移動していった。
目を丸くするアスマに「能天使工業製のAI搭載型自動車椅子ですよ」と解説しつつ、杖を頼りに数分かけてベンチに辿り着いたミオはそこに腰を下ろす。
「ゆっくりで申し訳ないです。ですが……身体は、使いたくて。どれだけ動かしにくかろうが、自分の身体が少しでも応えてくれるなら、出来る限り自分で動こうって決めているんです」
持論を語り、思わず苦笑する。
時間効率は作戦上、士官が常に意識しておくべき事項だ。SAM開発に携わるメカニックも、効率化を第一に考える。
軍人時代の思考はもう、すっかり抜けていた。
それが良いことなのか悪いことなのか、ミオには何とも言えない。
「私は……自分がずっと戦いを望んでいると思い込んでいた。ですが、長い長い修羅の道を途中で抜けた今……センリさんと二人で穏やかな時間を過ごせることに、深い安心感を抱いている自分に気づきました。たとえ物言わなくとも、大切な人と共にいられるだけで嬉しい……そのことを知るまでに、私は二十数年も費やしてしまった」
あまりに遅すぎた、とミオは自嘲する。
作戦の中で数多の部下を犠牲にした。『プルソン戦役』では【ラミエル】の大魔法で罪なき兵たちを無差別に葬った。
麻木ミオは大罪人だ。そんな自分に人間らしい幸福を享受する権利などないと、彼女は自責している。
だが、それでも――せめてもの罪滅ぼしとして、一人の男が再起するまで力を貸したかった。
「あなたは何だか悩みを抱えているように見えました。だから、言いたかった。修羅ではなく人として生きるために大事なのは何なのか――それを見失わないでください、と」
アスマはその言葉を聞いて、静かに俯いた。
大事なのは何か。それが分かればどれだけ楽になれるだろうか。
アスマには皇太子の期待という重圧が圧し掛かっている。『プルソン戦役』によって『リジェネレーター』が壊滅状態となった今、【異形】討滅を掲げるヤマトに共鳴する人々は増え続けている。もう、アスマは逃げられる状況ではない。
「……僕は、【七天使】です。そして、彼らの機体を手がけるメカニック」
九重アスマもミオと同じく、人が人を撃つ罪に加担した。
その負い目から彼は、次第に自らの行動理由に正義を求めるようになった。
あの罪を繰り返させてはならない。
ならば自分たちは何をなすべきか――それを考え、現在の己の立ち位置を鑑みて導き出した答え。
それこそが【七天使】として【異形】を滅ぼすことだった。
「僕たちが【異形】という障害を取り除けば、人同士が奴らを巡って対立することも、小さな都市でリソースを奪い合う悲観的な未来も回避できる。『レジスタンス』の究極的な理想は最初からそれだったんだ。なら……僕たちの行く道は、間違いではないはずだ」
少年の横顔には最早あどけなさの欠片もなく、張り詰めたその面持ちは老練の戦士を思わせるものだった。
アスマは迷いを断ち切ろうとしている。彼の事情を知らないミオにも、それくらいは分かる。
だが、その言葉が彼の本心から湧き出ているものであるとは到底思えなかった。九重アスマはSAMをこよなく愛するメカニックの少年であったはず。理想とか、使命とか、そんなものはどうだっていい。かつてのアスマだったらそんな風に鼻で笑っていてもおかしくはなかった。
それが、こうだ。『プルソン事変』を経て、蓮見タカネに新【七天使】の長に任命されてからアスマに何があって、どのような心境の変化が起こったのか。
「九重くん……あなたは」
「すみません、麻木中佐。この後『学園』に用事があるので、これ以上の長話は遠慮させてください」
ミオは問おうとしたが、アスマにそう断られては食い下がるわけにもいかなかった。
ベンチから立ち上がり、少年は足早にその場から離れていく。
取り残された女は物言わぬ男の手をそっと握りながら、去りゆく少年の小さな背中を見つめ続けるのであった。




