第二百四十六話 想いに触れて ―What I can do now―
小田原港に寄港した『リジェネレーター』だったが、彼らはそこから動けずにいた。
理由は単純だ。『新東京市』側が、彼らを完全に外へ締め出しているのである。
「済まない、マトヴェイ総指揮官。私自ら何度も掛け合ってみたが、『都市への帰還は認められない』の一点張りでな。何故かと尋ねてもまともに答えすらせん」
「想定はしていたことですけれど、いざ現実として直面すると遣る瀬無いですわね。『レジスタンス』時代からずっと守ってきた都市から、追放されてしまっただなんて」
港に置かれた海軍本部の会議室にて、ミラーはマトヴェイと『リジェネレーター』の幹部らを招いて今後の方針を決めんとしていた。
苦渋の面持ちで謝罪してくる黒い肌の大男に、赤髪の将は溜息を返す。
「帰れないなんて、そんなことあるかよ……ミユキさんやヤイチさん、日野っちやヨリっぺもまだ都市にいるってのに……!」
「シバマルさん……」
声を震わせるシバマルの隣で、ユイは彼の手を机の下でそっと握ってやることしかできない。
カツミとカオルも押し黙ってしまっている。
そんな彼らを横目で見つめ、それからミコトはよく通る声で言った。
「今は都市に残した仲間たちの無事を信じるのです。そして、やれるだけのことをやりましょう。都市への帰還が叶い、『リジェネレーター』として再始動した暁に、市民たちに胸を張れるだけの万全な体制を築かなくてはなりません」
大切な仲間を失った。皆が待つ都市へ戻れなくなった。それでも立ち止まってはならないと、ミコトは説く。
理想の灯を絶やさぬために。喪った者たちに報いるために。
今は、出来る限りの準備をするのだ。
「そうね……SAMの修理、兵たちの訓練、ここでもやれることはいくらでもある。いつまでも下を向いてはいられないわ」
ミコトの言葉にマトヴェイが賛同する。
組織の頭として方針を定めることも、出来る行動の一つ。
彼と視線を合わせたミラーも頷き、豊かな顎髭を擦りながら豪快な笑みを浮かべた。
「その意気だ、『リジェネレーター』の諸君! 我々は諸君らへの協力を惜しまない。パイロットもメカニックも、この本部を好きに使ってくれ。私が許可する」
「いいのですか、ミラーのおじさま? 貴方の立場もおありでしょうに……」
「ここまで来たら一蓮托生だ。何も気にすることはない、マトヴェイの坊主!」
太い親指を力強く立ててみせ、ミラー大将は言う。
人を守り、生かすのが『レジスタンス』の責務だ。たとえ相手が思想を異にする組織であっても、それは変わらないとミラーは思う。
蓮見タカネの強硬策は間違っている。そう訴えていきたいところだったが、現状、海軍も『リジェネレーター』同様に都市への入場を禁止されていた。
強引な突破は同じ穴の狢だ。ここはしばらく、地道に交渉を重ねていくしかない。
「頼もしいですわね。本当に……『リジェネレーター』の長として、心より感謝いたしますわ」
ミラー大将の度量の大きさに敬礼を取るマトヴェイ。
彼に対し「お互い様だ」と笑うミラーは、「では」と副官のルイス中佐に目配せし、両組織の今後を決める議論を進めていくのであった。
*
風に長い金髪が揺れている。
翌早朝、まだ多くの兵たちが眠りに就いているなか、神崎リサは波止場に独り佇んでいた。
「絶対に死ぬ、そう思っていたのに……幸か不幸か、生き残ってしまいましたわ」
飛空艇のCICで、彼女は何度も死を覚悟した。
限界まで魔力を吸われて気を失い、戦いの最終盤では何が起こったかの記憶すらなかった。
そこを死に場所と定めたはずだった。皆の理想を未来へ繋ぎ、そしてあの人のもとまで逝く。
その思いは、叶わなかった。
「月居くんも、早乙女くんも、探したけれど結局は見つからなかった。確認できたのはSAMの残骸、それも細かな破片のみ……誰よりも優秀だった彼らが死んで、最も誇れるのが家柄という私が生き残ってしまうなんて……そんな不条理、あって良いわけがないですわ……!」
水面に感情を吐露する。
そこには歯を強く食いしばり、左目に眼帯を付けた少女の顔が映っていた。
過度な魔力消費は脳に障害を及ぼす可能性がある。早乙女博士がとある論文で記したことだ。
それが彼女には視神経の異常という形で現れた。もう、これまで通りブリッジで火器を扱うのは難しい。
のみならず、彼女は軍医から戦場に立つこと自体をストップされていた。一度でも魔力欠乏による異常を起こした者は、そうでない者と比較して新たな障害が発生するリスクが高い。リサの場合、次に失われるのはもう一方の目の視力だろう――軍医はそう告げてきた。
「……もはやパイロットとしての私は死んだに等しい。家柄なんてものがあっても、この地上では一切通用しない。そんな私が何故、まだ生きているのですか。穀潰しに成り下がった私などが、何故……!」
悔しい。苦しい。
現実に打ちのめされる彼女はコンクリートの足場に膝を突き、地面を叩く。
二月半ばの地上は極寒だ。握り込んだ指先の感覚は既にない。
いっそここで死んでしまおうか。そんな選択肢が頭をもたげた。
「みんなが、あなたに生きていてほしいとねがったから」
その時、聞こえてきた声にリサは顔を上げた。
四つん這いの体勢のまま振り向くと、そこには防寒着を身にまとった最上フユカが立っていた。
「……いつから……どこから聞いていたのですか」
「……ぜんぶ、かな。ごめんなさい……どう、声をかけていいか……わからなかったの」
頭を下げてくるフユカに、リサは無礼を咎める気力さえ湧かなかった。
あるのはただ、恥じらいのみ。無様な姿を人前に晒すなど、彼女の矜持からすればあり得ないことだった。
「……忘れて、ください」
「さむい、でしょ? あの……これ、つかって」
か細い声で言うリサに、返答に代えてフユカは自分のマフラーと手袋を彼女へ押し付けた。
受け取ろうとしないリサに対し、フユカはどうすべきか少し考えた後、無理やり彼女の頸にマフラーを巻き付ける。
「要りません。私のことなど、放っておいてくれませんか」
「ごめんなさい。それは、できない」
凍え切った身体ではまともに抵抗もできず、リサはされるがままにマフラーと手袋を着けさせられ、おまけにコートまで被せられた。
彼女の手をそっと引き上げ、肩で身体を支えてやりながらフユカは歩き出す。
「何で……私は、もう、足手纏いにしか……」
「わたしは、そんなこと思ってないよ。それに、みんなも……あなたのぶじを、よろこんでた」
それはそうだろう。『学園』で一年の頃から共に戦ってきた仲間なのだから。
だが他人からどう思われようが、リサ自身のプライドが己を許せないのだ。
リサはもう戦えない。戦場で輝きを保てない。ならば、もはや生きていても仕方がない。
「あと……あなたのそばにいる、『おともだち』も」
フユカはリサにとって不可解なことを言った。
寒さにぼうっとする頭で数十秒考え、リサはフユカが【潜伏型異形】と話せるということを人づてに聞いたのを思い出した。
【潜伏型異形】は人の魔力の残滓であるという。強い思いを抱えて死んだ者の魔力が世界に残留した、人の「魂」ともいえる存在。
誰の魂が自分のそばにいるのか。リサが尋ねようとするのに先んじて、フユカは口を開く。
「あの、黒いかみの男の子……まえに、わたしに話しかけてくれた、かっこいい子。あの子がね、あなたに、『元気だせよ』って」
リサは立ち止まった。
震える腕を顔の前に運んでいって、今にもくしゃくしゃになりそうなそこを掌で覆い隠す。
彼ならばそう言う。疑う余地もなく確信できる。あのお人好しで、けれど鈍感で、他人に対して真っ直ぐすぎるくらい真っ直ぐに向き合う七瀬イオリならば。
「『元気だせよ』、じゃあないですわ……。本当に、あなたという人は……」
嗚咽を堪えながら、リサは姿の見えない「彼」に恨み節をぶつける。
落ち込んでいる人がいるから、元気だせよと励ます。どこまでも単純で、どこまでも混じり気のない、他者を思う心。
そういう人だからリサは彼に陰ながら惚れていたのだ。
「ずっと、ずっとそばにいてくれていたのですか? 私などの為に、ずっと……?」
「『ああ』、だって」
何故、とは問いたくはなかった。
彼がリサの想いに気づいていなかったことは分かっている。それが単なる親切か同情か、偶然や気まぐれなのか、知る必要はない。
彼がそばにいてくれたということ、その事実だけで十分だ。
「私などよりも、もっと、あなたを求めている子がいます。あなたはそちらへお行きなさい。あの子もきっと、喜ぶでしょう」
風の流れのように魔力にも流れがあるという。
見守ってくれていた彼と離れるのは寂しいが、リサは彼の居場所が自分のもとではないと悟ってもいた。
「あの子の話をしているあなたは本当に、楽しそうだった。たった一人の後輩だからって、弟みたいに可愛がって……どこで知り合ったとか、どういう関係だとか、あなたはついぞ教えてくれませんでしたわね。……それを追求するつもりはないですけれど。あなたにあの子を心配する気持ちが残っているなら、そちらを優先してくださいまし」
九重アスマの現状をリサは知らない。だが、あの戦いを経て激しく揺らいでいるのは確かだろう。人を守るためのSAMで、人を撃たされてしまったのだから。
「行ったところで、あの子にはあなたの声は聞こえないでしょうが……優秀なパイロットは第六感にも優れると聞きます。もしかしたら、何かを感じ取ってくれるかもしれませんわ」
泣き笑いしてリサは「彼」への別れを告げる。
フユカは虚空を見上げて何度か頷き、それから「うん」と小さく言った。
「あのね……あの子が、『ありがとう、行ってくる』って」
「ええ……お行きなさい、七瀬くん」
冷たくも穏やかな風が吹き抜けていく。
長い髪を揺らすそよ風に彼の気配を感じて、リサは微笑んだ。
「あなたも、ありがとう。彼の声を伝えてくれて」
えへ、とはにかむフユカ。
その横顔を見つめるリサにはもう、先程までの鬱屈した感情は一切なかった。
戦えなくとも、何かを思うことはできる。思いが伝われば、何かを変える可能性が生まれる。そう、イオリが教えてくれたから。
まずは、元気を出すのだ。
「私は私のやれることを探しますわ。フユカさん、あなたにもお手伝いしてもらってもいいかしら?」
「うんっ。わたし、おてつだいするっ」
常よりも少し弾んだ声でフユカは答える。
自らを責め立てていたプライドも、『元気だせよ』という単純すぎる一言を前にすれば、ちっぽけで馬鹿馬鹿しいものに思えた。
清々しい気分で空を仰ぐリサは、「ありがとう存じます」と最後に大切な彼へ呟きをこぼす。
冷えた身体を、朝の日差しが柔らかく包み込んでいた。




