第二百三十九話 吹き荒ぶ嵐 ―Mission: Retreat―
「ぼっ、僕が……僕がっ、出ます! 出させて、ください……!」
息も切れ切れにそう申し出たのは、月居カナタである。
自動ドアを出てすぐの壁に肩を寄せる彼は、真っ赤に充血した瞳でマトヴェイに許可を乞うた。
「今の自分の状態を見なさい、カナタくん。支えがないとまともに立つことも難しいあなたを、戦場に出すことなんて出来ないわ」
カナタを一瞥し、すぐに視線をモニターへと戻してマトヴェイは言い放った。
【エーギル】と【エクソドゥス】の両陣営が同時に【グングニル】や【レーヴァテイン】といった魔力砲で攻勢をかけるのを見つめ、カナタは唇を噛む。
紫紺の炎で魔力光線を打ち消しながら急上昇し、飛空艇からの距離を取る鳥型【異形】。
安全マージンを十分に確保したうえで反撃に出る【異形】は、その翼の一振りで黒いオーラを帯びた竜巻を発生させた。
たちまち視界を埋め尽くす黒い嵐。
『アイギスシールド』による防御があってもなお、飛空艇は激しく揺られ、魔力砲撃の照準が不能となる。
「体勢、維持できません!?」
「この嵐を抜けるのよ! 全速前進、突っ切って!!」
強引にでも脱出せよと命じるマトヴェイ。
コンソールに必死にしがみ付く士官たちは推進機の魔力を最大まで上げ、飛空艇を急発進させた。
高負荷に耐える一瞬。
発生したGに顔を歪め、歯を食いしばって堪えながら、前だけを睨み据える。
「ぬ、抜けました!」
「シールド強化! 備えて!!」
歓喜の声を上げる部下にマトヴェイは鋭く指示を打った。
直後、上空より降り注ぐ魔力弾。
小隕石の如き質量と熱を持った連撃が、『アイギスシールド』越しに衝撃を浴びせてくる。
「くっ――!」
竜巻から脱出したところを狙い撃つ攻撃。
いい策だ、とマトヴェイは胸中で敵を称え、そして舌打ちした。
あの竜巻はなかなかに厄介だ。あれに呑まれれば飛空艇はまともに行動できず、かといって抜け出そうとすればそこをロックオンされる。
正直、分が悪すぎるとマトヴェイは思う。
「取舵30! 全速力で南進!! 一旦敵から距離を取るわ!」
「イエス・サー!」
操舵輪を回し、士官は崩れた体勢を立て直しながら進行方向を調整した。
下に傾いていた船首を上向かせ、船体を水平に戻す。その間も襲い来る魔力弾が炸裂するが、構わず加速。
鳥型【異形】との距離を突き放すことに成功する。
「よし。ミラー大将、そちらの状況は!?」
『黒い竜巻を脱したところだ! 考えるところは一緒のようだな、総指揮官!』
「ええ。このまま振り切る!」
同じ意志の下、二つの飛空艇は背後から迫り来る漆黒の巨鳥から逃れんとする。
魔力弾の追撃が断続的な衝撃をもたらし、『アイギスシールド』が徐々にその力を弱めていくなか、マトヴェイはふと少年を気にかけた。
「カナタくん、大丈夫!?」
が、返ってくる声はない。
振り返って見ると、CICの入り口付近にいたはずのカナタの姿はいつの間にか消えていた。
飛空艇が揺れた際、衝撃に突き飛ばされて廊下に倒れたのか。
心配だがマトヴェイも士官たちも、いま持ち場を離れるわけにはいかない。
しかし、その時――モニターの端、小窓に映り込んだのは銀髪の少年の顔。
『まっ、マトヴェイ、さん。ぼ、僕が出撃して、時間を稼ぎます』
決然とした眼差しを送ってくる青い瞳に、マトヴェイは絶句した。
言ったはずだ。「現状ではアンタは出せない」と。
分かっているはずだ。カナタ自身、万全ではない状態で『第一級』相手に優位を取るのは困難であると。
『魔力は十分に補充されてる。機体の制御はアタシが全力でやる。カナタに負担はかけさせない。だから出させて、総指揮官! 目的地まではまだ遠い――このままじゃいずれ、アイツに追い付かれるよ』
マオの言葉も一理あると、マトヴェイは認めざるを得なかった。
今のところ彼我の距離は一定を保っている。だがそれがいつまで続くかは分からない。こちらの魔力に余裕がなくなり、減速を余儀なくされたそのタイミングで敵に加速されてしまえば、マオの言う通りになる。
現に、既に『アイギスシールド』は敵の連撃に弱ってきているのだ。
時間の問題であることは、論じるまでもない。
「……言い分は分かるわ。でも、行かせられない。一機のみではあまりに危険よ。無事に戻ってこられる保証もない」
『でしたら、二機いればいいのでしょう?』
そこで割り込んできたのは、レイだった。
ヘッドセットを装着し、操縦席に掛けた彼の姿をモニターに認めたマトヴェイは、額に手を当てて溜息を吐いた。
それから、お手上げだというように頭を振り、口を開く。
「やめろと言っても聞かないのでしょうね、アンタたちは。……いいわ、許可します。ただし、十分に足止めしたと判断できた時点で、すぐに戦闘から離脱しなさい」
『あっ、ありがとう、ございます』
『感謝します。必ず戻ります』
頭を下げてくる二人のために、マトヴェイは士官たちに射出機デッキを開放するように命じた。
『機体システムオールグリーン。【ラファエル】、出撃準備完了』
『こちらもいつでも出られます』
マオとレイからの通信を受けた管制担当の士官は、その覚悟の据わった瞳をモニター越しに見つめ、躊躇いを振り切ってカタパルトの射出口を開かせた。
*
銀髪の少年の横顔は青白く、憔悴しきっているように見えた。
それをモニター越しに見つめるマオは、出撃のその瞬間まで葛藤していた。
カナタの意志を尊重してマトヴェイに啖呵を切った。だが、彼の虚ろな瞳を前にして、その発言は正しかったのかと迷いが生じてしまう。
魔力回復を済ませているとはいえ、メンタルのケアは全く出来ていない。
カナタは戦いたいと言い張っているが、本当に戦える状態にあるのかは分からない。
むしろ、危険だ。
相手は『第一級』――『魔導書』に記されし序列三十七番の【異形】、『フェネクス』。どれだけ傷ついてもその身を再生させ、灰と化しても蘇るその能力は、まさしく不死鳥だ。倒すのは不可能だと判断していい。
「ボクが先導します」
それだけ告げ、レイは先に出撃していった。
彼はもとよりカナタが声を上げずとも参戦するつもりだったのだろう。それだけの覚悟があるから、逡巡することも、恐れることもなく飛び出せている。
『……カナタ』
マオに出来るのは、選択を委ねることだけだった。
SAMを動かす最終決定権は『コア』ではなく、パイロットにある。
数秒の間。張り詰めた沈黙を、少年は渇いた喉を震わせて打ち破った。
「……いっ、い、行かなきゃ、いけないんだ。みっみっ、皆のためにも、いっ生き残った人たちを僕が、ま、まっ、守らなきゃ……!」
責任を、使命を、贖罪を果たさなければならない。
喪われた者たちの幻影が、そう少年を衝き動かしている。
悲壮な決意を宿したカナタに、マオはそっと睫毛を伏せた。
彼にこれ以上、傷ついてほしくない。だから戦いには出させたくない。それがマオの、そしてマナカの本音だった。
「いっ、行くよ、マオさんっ、マナカさん」
呼びかけてくる。マオとマナカの意思に反し、カナタは飛び立とうとしている。
腹の底から湧き上がっている、行動したいという強烈な渇望。
機体と同調してチューブに流れる血潮を沸騰させるような、瞬間的な欲求。
それらを感じ取ったマオとマナカは、悟らざるを得なかった。もはや自分たちが何を言おうとも、今のカナタは止められないのだと。
『――出撃』
ならばやることは決まっている。
最初にマトヴェイに主張したように、自分たちが【ラファエル】のシステムを最後まで制御するのみだ。
カタパルトデッキを抜け、光の差し込む大空へ。
目を細めたカナタに先駆け、マオはカメラアイをズームして『フェネクス』の姿を鮮明に捉えた。
どうせ回復されるのだから弱点は狙わなくてもいい。大振りな攻撃に「構わせ」、敵の注意を飛空艇ではなく自分たちに向けさせる。
『レイ、一発でかいの撃つよ!』
「了解です!」
『カナタ、けっこー魔力吸うから構えといて!』
登場と同時に【モードチェンジ】を済ませ、翼に備えた砲口の照準を合わせる【ラファエル】。
その動きに合わせ、【メタトロン】も円環型のユニットを後光のごとく背後に並べ、【太陽砲】の砲撃準備に入った。
魔力のチャージにかけた時間は一秒にも満たない。
光属性の強みである速さを存分に活かした奇襲攻撃を、二機は一斉に『フェネクス』へと浴びせた。
『【マーシー・ランス】!!』
「【太陽砲】、ファイア!!」
投擲された槍の如く、一直線に突き進む極太の光線。
流星群のように光の尾を引いてその後を追う、極熱の紅炎。
それらを視界に捉えた時には既に遅い。
魔力反応を感知して敵が【防衛魔法】を展開するより早く、二機の攻撃が『フェネクス』の体躯に突き刺さる。
『――――――ッ!?』
声にならない絶叫が響き渡った。
それもそのはず、『フェネクス』の喉笛には今や、大きな風穴が穿ち抜かれているのだ。
一瞬を超える刹那で放たれた【マーシー・ランス】が、敵の反射速度を上回って大ダメージを与えた。
が、ほどなくして傷の回復が始まっていく。
「もっ、もう一撃……ッ!」
「ええ!」
カナタの呼びかけにレイが応じる。
確かに『フェネクス』の回復力は規格外だ。倒すのは困難、それは間違いではない。
しかし、カナタたちの今の目的は敵を倒すことではなく、味方が逃げ切るだけの時間を稼ぐこと。
敵を回復に専念せざるを得ない状況まで追い込み、攻撃に移らせないようにする。
それがカナタたちに課せられたミッションだ。
「数分でも稼げれば充分! できれば十分以上は延ばしたいところですが――」
『あんまりバカスカ撃ってちゃ、帰るとき全速力出せなくなっちゃうからね! 帰投までがミッション、ある程度パワーに余裕を持たせないと』
引き続き【太陽砲】を乱れ撃つレイの言葉を、マオが継ぐ。
その言い分に違わず、彼女は魔力残量を意識して【マーシー・ランス】から威力は劣るものの燃費の良い【マーシー・ソード】へと技を切り替えていた。
降り注ぐ光の雨は『フェネクス』の傷口を回復したそばから再度、抉っていく。
痛苦に悶え、絶叫する漆黒の巨鳥。その様子に目を眇めるカナタだったが、そこで――
「っ、くっ来る!」
揺らめく炎の如き紫紺のオーラを激しく燃やし、『フェネクス』は加速していた。
瞠目するレイにマオは鋭く迎撃を促しつつ、敵の翼をカメラアイで観察する。
『やっぱそうか……あいつ、回復に使う魔力を推進力のほうに回してる!』
焼けただれたその両翼からは、先ほどまで上がっていた白い蒸気が確認できなかった。
敵は己の痛みを癒すよりも、こちらを仕留めることを優先したのだ。
戦闘から離脱さえすれば、これ以上の痛みを感じずに済むのに――悲痛な面持ちで俯くカナタに、マオは敵の行動原理を説く。
『たぶんだけど、あいつ――「フェネクス」はあたしたちの魔力に釣られて現れた。あたしたちを喰らってさらなる魔力を手に入れ、強くなる。それがあいつらの生存戦略なんだ』
自然界では【エーギル】や【エクソドゥス】、及びそれらが保有するSAMに匹敵する魔力含有量の生物は殆どいない。
『フェネクス』にとって人類の軍隊は滅多に遭遇できないご馳走だ。この好機を逃せば次がいつになるのか分からないなら、飛びつくのは当然だろう。
痛みを甘んじて受けてもなお、『フェネクス』は新たな魔力を欲している。
「……じゃ、じゃあ、魔力を手に入れられさえすれば、『フェネクス』はもう僕たちを襲ってこない?」
「襲ってくる【異形】に力を分け与えろというんですか!? それで満足してくれる保証もないというのに――」
『でも、やってみる価値はあるんじゃない? もとより倒すのは不可能、なら少しでも戦いを避ける選択肢を取らなきゃ』
敵が攻めてくるなら迎え撃つ。兵士としてのその常識に囚われないカナタの提案に、レイは難色を示した。
当然だ。身を切って『フェネクス』に魔力を与えたとして、それで満足してもらえなければ無駄に力を失うだけ。そうなれば魔力不足で反撃も戦線離脱もままならなくなる。
成功すればこれ以上襲われるおそれはなくなるが、失敗すれば死ぬのだ。
それだけではない。敵に【エクソドゥス】と【エーギル】を攻撃させるだけのお膳立てをすることにもなる。
「リスクがあまりに重すぎます! もう少しボクらに戦力的な余裕があれば話は別でしたが……今はダメとしか」
賭けに出ようというマオに対し、レイはきっぱりと首を横に振ってみせた。
必ず生きて戻る、マトヴェイからはそれを条件に出撃を許可してもらったようなものだ。故にそこだけは譲れない。
「わっ、分かっ」
『加速してレイ! このままじゃ追い付かれる!』
カナタの声を遮ってマオが警告する。
紫紺の炎を纏いし不死鳥は美しくも悲壮な調べを奏で、そして。
打ち上げた魔力弾を炸裂させ、小隕石の如き連撃を降り注がせる。
「くっ、射程圏内――」
『シールド展開ッ! カナタ耐えて!』
生存のためのエネルギーを欲する貪欲さは、少年たちの想定を遥かに超える加速を生み出していた。
みるみるうちに縮まっていく互いの距離。
背後の敵影が大きさを増していくごとに早まる鼓動。
避けきれないと判断し二機が即座に『アイギスシールド』を展開するなか、『フェネクス』は一気に畳みかけてきた。
空に打ち付けられる翼が、漆黒の大嵐を発生させる。
「ぐうううっ!?」
機体を包み込むシールドごと揉みくちゃにする風のミキサー。
荒れ狂う竜巻に巻き上げられ、二機は螺旋を描きながら天空へと追放される。
放り上げられたその瞬間、直下より迫り来るのは魔力だった。
竜巻の渦の中、激しくぶれながら猛進する幾つもの紫紺の魔力弾。
それらは直後、二機が纏う球状のバリアに直撃し――撃破した。
「――――――――」
壁を突破してきた弾丸を阻むものは、最早ない。
直後、巻き起こる爆発。
雷のごとく光と音が走り抜けたかと思えば、火炎が噴き、鉄片を孕んだ爆風が吹き荒んでいった。




