第二百三十六話 カナタ班 ―blood spilt from the body―
進行方向を百八十度変更。
目標は『アスタロト』。邪竜に騎乗せし、女体の悪魔だ。
巨躯を誇る竜の咆哮が轟き、大気を揺さぶる。旋回しながらその煽りを受けるカナタだったが、彼はそれに怯むことなく敵へと向かっていった。
「けっ決着は先延ばさない! ぼ、僕らがここで、ケリをつける!!」
散っていった仲間に報いるために。
これ以上の犠牲を出さないために。
自分たちが、カナタ班が何としても、ここで『アスタロト』を討つ。
「「「「おうッ!」」」」
リーダーの号令に部下たちが応える。
【ラファエル】を陣頭にカズヤ、マリウス、リン、スズは『偃月の陣』を組み、首元から漆黒の触手を幾本も伸ばす邪竜へと肉薄せんとした。
手足を折り畳み、飛行機のような形態の【フライトモード】となっている彼らは、最後の力を振り絞っての加速を強行する。
「でっ電撃作戦だ! あっ『アスタロト』の背後を取り、本体を一撃で仕留める!!」
班長が叫ぶ作戦を聞いたスズたちは、これから行う戦術を一瞬のうちに思い描いた。
敵の猛攻を掻い潜り、捉えた間隙を突く一瞬に全てを込める。
触手を全て回避し、瘴気の炎をも越えていく刹那の道程は、これまでに体感したことのない長さであるだろう。
仮想現実の訓練では、『ラウム』をはじめとする『第一級』相手に何度も成功させたフォーメーション。
だが、今はケイタがいない。そして、ケイタ抜きでこの戦術を実行したこともない。
「――――」
上手くいくかは未知数。
失敗すればみんな死ぬ。
それでもカナタがそのフォーメーションを選ぶなら、カズヤたちは彼を信じる。
不安も恐怖も打ち破り、一心不乱に敵の急所を目指そうと思う。
何故なら、カズヤたちはカナタが好きだから。
訓練での真面目な上官としての顔。普段のちょっと抜けている天然な顔。時折『新人』たちを案じる憂いげな顔。そして、戦場での勇敢な戦士としての顔。
そのどれもがカズヤたちの中で、鮮やかに輝きを放っている。
「やったるで、月居さん!」
高らかにスズは鬨の声を上げる。
彼女の叫びに仲間たちも共鳴し、操縦桿を一気に倒して最後の加速を敢行した。
翼を広げた鳥は、白く眩い光を纏って急降下していく。
「行きなさいッ、カナタ班!!」
声を枯らしてレイは【太陽砲】を撃ち放つ。
邪竜が伸ばす無数の触手めがけ、乱射。
リミットを超えた出力にたちまち円環型の『アームズ』たちが爆ぜ、【メタトロン】は爆風に仰け反りながら吹き飛ばされた。
「おおおおおおおおおおおおおおッ!!!」
視界を満たす黒が白へ転じる。
光の砲撃に触手たちは一掃された。生まれた千載一遇の好機にカナタ班は雄叫びを上げ、急降下の体勢から機首を上向けて地面と並行の低空飛行で突き進む。
吐かれる黒い炎の真下を潜り抜け、再びの上昇。
今度は下方へ放たれた竜の火炎が、またも空振りした。
「いける――!」
高揚感を露にリンは叫ぶ。
彼我の距離はあと五十メートルを切った。このまま接敵できれば、あの竜の背後を取れれば勝機はある。
【ラファエル】を『アスタロト』本体のもとへ届かせ、その光の刃で敵の防衛魔法を貫くことが出来れば、カナタ班の勝利だ。
生き残るのだ。勝って、スズやカナタたちと共に未来へと歩き続ける。
思えばリンはすっかり『リジェネレーター』の理想に感化されていた。スズに振り回されて仕方なく付き合ったはずが、いつしかそこが自分の居場所になっていた。
今回の遠征で初めて行った地上の植物などのデータを取る作業は、自分でも意外なほど楽しめた。採取したサンプルを提出するたびにカナタが目を輝かせてくれるのが、リンは何だか嬉しかった。
子供のような感情だと思う。恥ずかしくてスズや班の仲間には言えないが、リンはその時間こそが自分にとって喜びを抱けるものだと気づけた。
だから勝ってこの危機を脱し、そして、またいつか地上での調査に臨みたい。
『地上にあるのは過酷よ。そこに棲む生命はアタシたち人類を、容赦なく喰らう。それでも一緒に来る覚悟がある者だけが、【エクソドゥス】に乗りなさい』
刹那、脳裏に過ったのは出発直前のマトヴェイの言葉だった。
ヒトは獲物。地上は弱肉強食の世界。その摂理を忘れ、僅かでも驕った者から潰される。
彼らに――【異形】に。
「――なっ何!?」
『獣の力』を持つカナタだけが察知できた、邪竜の毒牙。
剝き出しの殺意が魔力へ変わり、首元の鋼の如き鱗を突き破って新たな触手が生え出でる。
直後、爆散。
陣形の最右翼に位置していたリンの機体が、硬く尖ったどす黒い触手に貫かれた。
「リンっ――!?」
「止まるな入野! 突き進め!!」
リンの反対側を担うスズにはもう、己を鞭打つマリウスの声など聞こえていなかった。
『リジェネレーター』に入る前からずっと側にいてくれた彼。これからも変わらず隣に居続けてくれると疑わずに信じていた彼。スズがボケれば必ずツッコんでくれた彼。
そんな存在が一瞬にしていなくなった。
認められない。認められるわけがない。何かの間違いだ。間違いでないと困る。スズにとって本当に憧れの人は、追いかけたかった人は――。
「何でっ……何でっ!? うち、まだアンタに」
半狂乱で訴えた瞬間、視界を埋め尽くしたのは漆黒。
モニターいっぱいに映ったそれを目にしたスズは顔を背け、最後に彼を想った。
コックピットを突き破って侵入した触手が、SAMの頭部を乗員ごと解体した。
「いっ入野さん――」
連鎖する爆発音が耳朶を打ち、鼓膜を揺さぶる。
流れる時間が遅い。直視しがたい現実がそこにある。
だが、目を背ける資格などカナタにはない。この作戦に彼らを付き合わせた者として、月居カナタは最後まで責任を果たさなければならない。
「ぼっ僕の後に続けッ!!」
陣形を変える。
後ろを顧みることなく指示したカナタに、カズヤとマリウスは即座に従った。
【ラファエル】を先頭にカズヤ機、マリウス機が一直線に続くフォーメーション『三連星』。
研ぎ澄まされた第六感をもって迫る触手の軌道を読み、回避しながら加速するカナタに二人は懸命に食らいつく。
『オオオオオオオオオッッ!!』
幾本もの触手の猛攻を縦横無尽の高速機動で躱していく【ラファエル】。
毒に侵された機体は悲鳴を上げ、今にも壊れる可能性を孕んでいる。
それでもカナタは止まらない。止まってはならない。
勝利をこの手に掴むまでは。
「行ってください中佐!! ――僕はここまでです」
けたたましく鳴り響くアラートの中、マリウスは自分の最後をそこで悟った。
通信に使えるだけの魔力が尽きると同時、コックピットがブラックアウトして、彼は胃袋が上に引っ張られるような浮遊感を味わう。
あとは落ちるだけだ。触手も炎も、もはや回避不能。
これで終わり。悔いがないと言えば嘘になるが、それでもマリウスは最後にカナタたちと共に戦えて良かったと思った。
『学園』を卒業してからマリウスが見てきたのは、財閥が利権を独占する歪んだ社会構造。父の経営する会社で役員の卵として教育を受けていた彼は、金と地位に目が眩んだ者たちが支配する世界にほとほと嫌気が差していた。
そんな折、マリウスは『リジェネレーター』の存在を知った。腐敗しきった『レジスタンス』とは違う、その新たな組織に彼は可能性を感じた。
純粋に『新人』含めた全ての人を思い、希望ある未来を目指す思想に彼は共鳴した。それこそが自分たち財ある者のなすべきことだと思った。
「……感謝します、中佐。貴方の班に所属出来て光栄でした。それから高城、新堂、出山、入野……君たちと過ごした数か月は、悪いものではなかった……」
自分たちはこの戦いの中で、『リジェネレーター』の一員として【エクソドゥス】を守り抜き、立派に務めを果たした。
あとは信じるのみだ。希望の船が、未来へ進み続けることを。
「――行け」
マリウスに恐怖はなかった。彼はただ胸の前で祈るように手を組み、呟いた。
その言葉を最後に、新庄マリウスの機体は竜の業火に包まれて灰と化した。
(クソッ!!)
カズヤは顔を歪めて【ラファエル】越しに邪竜を睨み、心中で吐き捨てた。
肉薄まであと数メートル。永遠にも感じられる一瞬の中で、彼は散っていった仲間を思い、そして先導するカナタを想った。
『アスタロト』の防衛魔法を突破できるのはカナタしかいない。カズヤの機体ではたとえ魔力が十分であっても、火力が足りないだろう。
何としても【ラファエル】だけは敵のもとへ届かせなければならない。
(――中佐)
副班長の務めは班長の補佐をすること。ならば、今カズヤがやるべきことは何なのか。
コンマ数秒で導き出した答え。それは――。
「受け取ってくださいッ、中佐!!」
己の魔力の全てを、カナタに明け渡すことだった。
それはこの戦場において自殺に等しい行為だ。だが、それでカナタの勝利できる確率が少しでも上がるなら、カズヤは己の命を手放すことさえ厭わない。
高城カズヤという男の人生はここで終幕となる。
しかし、勝利という血脈はカズヤたちの魂を未来へと繋いでくれる。自分たちの願いは、理想は、生き残った者たちの中で輝き続ける。
「――ッ」
【フライトモード】を解除して人型形態へ。
開かれた胸部装甲から覗けるのは、剥き出しになった赤々とした『コア』だ。
燃えるような光の血潮が迸り、前を翔ける【ラファエル】の背中へ注がれる。
魔力残量を報せるアラートの制止を無視して魔力を解放していくカズヤは、操縦席に力なく掛け、微笑んでいた。
(――高城くん)
ありがとう、とカナタは胸中で告げた。
翼は昂るほどの熱を帯びている。荒れ狂う軌道を描いて迫る触手の連撃を避けて、避けて、避けて。
天を仰いで吐き出される竜の火炎を飛び越えて。
そして、少年は達する。
竜の翼の付け根の辺りに跨る、『アスタロト』本体の背後へと。
「――おっ終わらせる!!」
【モードチェンジ】を行いながら抜き放たれる、剣の一閃。
鞘から迸った黄金の軌跡が虚空を裂く。
第六感をもってそれを捉えた『アスタロト』が振り返らず【防衛魔法】を展開する中、カナタは静かに光の刃をそこへ滑らせた。
『行くっすよ、中佐!』
『さあ!』
『ぶちかましとき!』
『頼みましたよ』
『一緒に!』
刹那、カナタは仲間たちの声を聞いた。
これはただの幻聴に過ぎないのかもしれない。それでも、身体で感じる温かさは本物だった。
カズヤの魔力が最後に贈ってくれた、仲間たちの意志。
それを胸に、少年は全体重を刃にかける。
「はあああああああああああああああああああああああああッッ!!」
柄が激しく軋むほどの力で握り込み、押し付ける。
光に相反する闇の魔力が、侵入を拒んでくる。今にも得物が手の中から弾け飛んでしまいそうな、圧倒的な反発力。
決して死ぬまいと生を渇望する『アスタロト』の抵抗に、カナタは慈悲を下さなかった。
ここで敵を殺さなければ生き残れないから。
確かに『アスタロト』にも【異形】として生きていく未来があっただろう。それを奪うのは罪だとカナタは思う。それでも、彼はその罪を背負ってでも仲間たちを生かすために、『アスタロト』を犠牲にする。そして彼女らの首魁である『プルソン』へと辿り着くのだ。
「ゆっ許せとは言わないよ――」
赤い涙が少年の頬を伝う。
上半身を捩って【ラファエル】を睨み据えた『アスタロト』は何かを感じ取ったのか、瞳を見開き、鋭く息を吸い込んだ。
直後、防壁に亀裂が走り始める。
刃から解き放たれる純白の光が漆黒の壁を呑み込み、溶かしていく。
『――――』
もはや間に合わぬと察したのか、『アスタロト』はそれを受け入れたように無言を貫いたままだった。
灼熱が【異形】の青い肌を焼き、無情に消し炭へと変えていく。
振り下ろす光の切っ先はそのまま邪竜の首元、急所の項へと至り、止めの一撃を見舞った。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!?』
断末魔の絶叫が轟きわたり、文字通り大地を震撼させた。
全ての力を使い果たした少年は機体の中で目を閉じて、重力に身を委ねる。
勝った。これで終わった。少なくとも『アスタロト』との戦いは。
魔力欠乏によって血涙が流れ、視界が霞むなか、少年は沈むように眠りに落ちていった。




