第二百三十一話 騎士と魔術師 ―Kimaris & Dantalion―
マナカから送られてきた『魔導書』に記されし【異形】の情報。
それを一読して頭に叩き込んだミコトは、相対する『キマリス』を凛と見据えた。
(騎兵のごとき【異形】、『キマリス』……特筆すべきはその槍術と馬術。長いリーチを活かした猛攻と、不安定な足場を物ともしない健脚で相手を追い詰めるという。その情報に間違いがないのなら――)
飛行しつつの戦いがベストだ、とミコトは分析した。
しかし、空中戦を行うには地上戦の場合よりも多くの魔力を要求される。
ミオから補給を受けたとはいえミコトには余裕がない。空での戦いはなるべく避けたいところだったが――。
『――――ッ!!』
声なき殺意と共に突撃してくる『キマリス』に、飛び上がっての回避を余儀なくされる。
突き込まれた槍の穂先が足先を掠める。
その感覚に冷や汗を流すミコトは、自身に強化を施す【リリーフプロテクション・破】をすぐさま発動。
短期決戦に臨まんとした。
「はッ!!」
鋭い気合に乗せて撃ち出す弾丸。
それを捉えた『キマリス』は駿馬の腹を蹴り、即座の回避を促した。
漆黒の体躯が幾つもの残像を描いた次の瞬間にはもう、『キマリス』はミコトの眼前にはいない。
「はやっ――」
引き攣った声を漏らしたのはカオルである。
大地を蹴り砕くほどの峻烈な勢いで【ウリエル】の眼前に出現した『キマリス』は、その一槍を横薙ぎに叩き込んだ。
衝撃がコックピット内の小柄な少女を突き飛ばす。
操縦席から振り落とされたカオルは顔を上げ、急ぎ戻ろうとしたが――『キマリス』の連撃にそれも叶わない。
「ぐっ!? あッ……!?」
『ナノ魔力装甲』が機能していてもなお、確実にダメージを与えてくる膂力。
流石は第一級だ、とカオルは歯を食い縛りつつ敵の力を認めた。
「これ以上は看過できないね!」
ヒュッ、と鋭く風切り音が走り抜けると同時、騎馬は仰け反る。
その隙にカオルは死にもの狂いで地を蹴り、後退して体勢を立て直した。
【ウリエル】を危機からすんでのところで救ったのは、【ガギエル】を操るナギであった。
「大丈夫、カオルちゃん!?」
「ええ、なんとか! 気をつけて、あいつの一撃はかなり痺れるわ!」
接近せんとしている『キマリス』を氷の刃の投擲で阻むナギに、カオルが警告する。
槍に打たれた機体は激しく軋んでいる。おそらくあの攻撃を再度食らってしまえば、【ウリエル】の骨格はダメージに耐えきれずへし折れるだろう。
もう、カオルに失敗は許されないのだ。
「食らわなければいいんでしょ? そんくらい余裕さ!」
勝気に言い放ち、ナギはこちらへ向かってくる『キマリス』を睨み据える。
敵はどうやら、間断なく空を切り裂く【ガギエル】の氷の刃を脅威と見たようだ。最優先で排除せんという意思をもって突撃してくる『キマリス』に対し、ナギはすぅ、と深呼吸する。
(気圧されるな。魔法さえ当てられれば――!)
コンマ数秒にも満たない思考。
『コア』との接続によって研ぎ澄まされた視覚が、着地と跳躍を繰り返す騎馬の脚の動きをコマ送りのように捉えていく。
『キマリス』がナギのもとに辿り着くまで八歩。
敵が「確実に当てられる」と油断したタイミング――そこを狙い撃つ!
『――――ッ!!』
騎馬の蹄が地面を砕き、『キマリス』が引き絞った長槍を繰り出さんとしたその瞬間。
ナギは、叫んだ。
「そこだッ!!」
突き出した掌からぶわっと湧き上がるのは、ジェル状の透明な液体だった。
広がったそれは騎馬の足元に纏わりつき、粘っこく絡みつく。
槍を突く勢いのまま前へと倒れ行く騎馬。
地面を蹴って飛び退った【ガギエル】の爪先を、その穂先が掠めていく。
「今だよ、二人とも!」
騎兵の対処法は単純だ。その馬の機動力が脅威であるなら、それを潰してしまえばいい。
『キマリス』が落馬した今こそ、最大の好機だ。カオルとミコトは互いに視線を交わし、寸分たがわぬ同時攻撃を敵へと浴びせた。
「【ディバインブレイズ】!!」
「【風穹砲】!!」
燃え盛る青い炎が『キマリス』を包囲し、逃げ場を無くした敵の頭上から大風の矢が襲い来る。
もはや回避は叶わない。防衛魔法を起動して身を守らんとする『キマリス』へ、ナギもダメ押しの一撃を叩き込んだ。
「【アイシクルランス】!!」
数秒の時間差で防壁に激突した、氷の槍。
大風の矢を受けて脆くなっていたそこに加わった一撃は、『キマリス』の盾を一気に貫いていった。
*
茫洋とした幽鬼のごとき【異形】・『ダンタリオン』と対峙する生駒センリは、胸中で分析する。
(幾つもの顔を持つ悪魔、『ダンタリオン』……『魔導書』にも殆どデータの残されていない、未知数な【異形】。判明しているのは奴が魔法に長ける個体であること、それだけだ)
そうであるならば都合がいい、とセンリは独白した。
【ゼルエル】には切り札【絶対領域】がある。その結界に敵を閉じ込めてしまえば、あとは容赦なく格闘戦で片をつけられる。
「麻木中佐、毒島中佐。貴官らは俺と共に戦ってもらう。あの【異形】を指定の座標へ誘導しろ。良いな?」
「りょーかい!」「はっ!」
【マトリエル】と【ラミエル】、それぞれのパイロットはセンリの命令に迷わず応じた。
四足を蠢かせながら【マトリエル】は敵の背後へ回り、【ラミエル】は飛び上がって真上を取る。
纏う漆黒のローブを揺らめかせ、『ダンタリオン』は音もなく浮遊した。
センリから見て右手、人類軍と乱戦を繰り広げている無数の怪物たちの中へ逃れんとする。
「逃さないよ!」
『ダンタリオン』の速度は予想よりも遥かに素早かった。しかし鍛え上げられたパイロットの目はそれを取りこぼさない。
【マトリエル】がすかさず開いた掌から放出されるのは、糸だ。
鋭く硬質な、先端が鉤爪のように曲がったアンカーの如き糸。
それが黒ローブのシルエットを捕捉する。
『――――!』
糸がローブの端に達したと思われた、その瞬間。
シオンの目には『ダンタリオン』の周囲の空間が歪んで見えた。
直後、彼女は糸から伝わる手応えが消失したのを感じた。
ワイヤーにも似た蜘蛛の糸が、捩じ切れている。
「ごめん、取り逃がした!」
「任せなさ――」
雲隠れしていく敵を自らの魔法で追撃せんとするミオだったが、思わず言葉を止めた。
敵はこの一瞬で乱戦の中に身を投じた。周辺には味方機も多くおり、彼らは一様に疲弊している。普段なら巻き込まれないように『アイギスシールド』の展開を要請することも出来たが、この状況では難しいだろう。
(加減していてはあの【異形】を捉えるには至らない。しかし、全力を出せば味方を死傷させるリスクがある。敵の全容もわからず、一撃で仕留めきれる確信が持てない状況下で、味方を傷つけるリスクを背負ってまで仕掛ける必要性など――)
ただでさえ消耗している状況で、これ以上の戦力を失うわけにはいかない。
それにミオは、もう人を殺したくなどない。
『リジェネレーター』の若きパイロットたちを、ミオは【ラミエル】の光の雨で葬った。敬愛する生駒センリが彼女にそう命じたから、従った。その時は己が正しい選択をしていると思っていた。躊躇いが全くなかったわけではない。しかし、大義という免罪符が彼女に魔法のコマンドを入力させた。
だが、今は。生駒センリという男が月居カナタとの戦いを経て思いを揺らがせ、夜桜少将がマトヴェイ総指揮官との協議で停戦を決定してからは、ミオもまた後悔に苛まれていた。
どんな大義があろうとも、どんな理想があろうとも、人が人を殺めるのは紛れもない罪悪だ。
【異形】への復讐心に呑まれ、上官の命令を疑わずに信じた己の浅ましさをミオは痛烈に恥じている。
ゆえに、彼女は飛び込んだ。
その身一つで、SAMと【異形】とが混沌を極めている戦場に。
「麻木中佐……! アタシも追う!」
『飛行型』の集団を突っ切っていく【ラミエル】を横目に、シオンも決意した。
彼女も思いは同じだった。味方を損なわず、敵だけを倒す。そのために自分はここにいるのだと。
「生駒中将は結界の準備を! 絶対にあいつをこっちに引きずり出してやりますから!」
了解した、とのセンリの声を聞き届け、シオンは眼前の『小鬼型』の群れへとよくしなる糸を叩き込む。
蛇のようにうねる糸は鞭となって『小鬼型』どもを蹴散らし、一掃した。
(【マトリエル】の特性は毒の雨だけじゃない! こうして幾つもの『糸』を使い分け、勝利を手繰り寄せることも出来る! 四つの腕、四本の糸――こいつらを駆使し、あのオバケみたいな【異形】を捕まえてやる!)
【マトリエル】は戦局に応じて硬度・粘度の異なる糸を使い分ける。
次にシオンが放ったのは粘度の高い、「罠」の糸だ。
空中に開いたワームホールの一つへと、網のように広がる硬質で粘り気を帯びた糸が覆いかぶさっていく。
そこから地上へ降り立とうとしていた【異形】たちは粘っこい網に吸着され、動きを封じられる。囚われの彼らは差し詰め、後続の行く手を阻む肉の壁だ。極太で硬質な糸は後から押し寄せる【異形】たちの圧力にもびくともせず、完璧に一つの道を封殺した。
「とりま、新手の登場は防いどかないとね。敵が乱戦に紛れようってんなら、ちょちょっと戦場を整理するまで! ふぅーっ、シオンちゃん頭いいーっ!」
口笛を吹き、己の気分を上げていきながらシオンは残るワームホールの封殺に取り掛かっていく。
それと同刻、【ラミエル】のミオも光魔法でワームホールを打ち消していた。
考えを同じくする二人の活躍によって、荒れ模様だった戦場が少しずつ落ち着きはじめる。
「感謝するぜ、姉貴……!」
「残った雑魚どもは一気に潰す!」
カツミが不敵に笑い、ハルは果敢に鎖鎌を振るっていく。
【機動天使】と【七天使】を覗くSAMパイロットたちは皆、協力して無数の低級異形たちへの対処に当たっている。
持久戦を余儀なくされる彼らが今、戦線を維持できているのはフユカのおかげだ。
彼女は『超人』の中で最も【潜伏型異形】との感応に優れ、その魔力を最大限引き出せる。秘められた魔力を解放し、味方に分け与える――『キマリス』と対決しているミコトに代わって、フユカはこの乱戦を制するための「鍵」となっているのだ。
「みんなっ、わたしの魔力を!」
フユカの【イェーガー・空戦型】が腕をタクトのように振るうと、光の道筋が空中をカーブしながら伸びていく。
その軌道の先へいたアキトはフユカに礼を言い、暖かな魔力の光をその身に浴びた。
「助かる、フユカ! 【デスサイズドライブ】!!」
紫紺のオーラを燃やす『死神の鎌』を振り回し、突撃する攻撃魔法。
足を踏み鳴らして迫り来る『巨鬼型』の群れをそれで木端微塵にしてのけたアキトは、緑色の血液がこびり付いた鎌を軽く振って吐息する。
「……こうも血塗れだと、切れ味が落ちるな」
消耗しているのはパイロットだけではないのだ。
武器も機体も戦いの中で小さなダメージを蓄積させている。それが崩壊という名の臨界点を迎えるまでほど遠くないことを、彼らは皆、理解している。
「アンタたち! 【異形】の群れの中に『ダンタリオン』っつー第一級【異形】が紛れ込んでる! 見つけ次第足止めして! アタシたち【七天使】で仕留める!」
肩で息をしながら戦っているアキトたちに呼びかけたのは、シオンだ。
硬質な糸をカッターのように使い、【異形】たちを細切れにしていく【マトリエル】は、アキトたちのもとへ合流する。
「アイツは見かけによらず速い! それに空間を歪ませるようなミョーな魔法を使う! 一筋縄じゃいかないだろうけど、頑張って!」
「おいおい、策らしい策はないのかよ、姉貴……!」
「んなもんないよ! 『魔導書』に載ってるデータが少なすぎて、奴の全貌なんて分かんないんだから!」
策は戦闘中に敵を観察し、導き出すしかない。
そう言わんとするシオンにカツミやハル、アキトたちは生唾を呑みつつ頷いた。
「――みんな、来るよ!」
フユカの警告に一同は顔を跳ね上げる。
すると上空より甲高い鳴き声を響かせる『鎧鳥型』が、その硬質な翼を羽ばたかせて豪風を巻き起こさんとしていた。
「麻木中佐!」
「分かってます! 【クリスタル・レイ】!!」
風を起こされては銃弾も届かない。自分たちでは分が悪いと判断したシオンはミオにバトンを渡し、ミオもそれに応える。
振り返りざまに【ラミエル】が放った透明な光線は、大空の【異形】たちに警戒を払わせることなく彼らを射止めた。
「透明化できるのは機体だけではありませんよ」
得意げに笑うミオは、続けて【クリスタル・レイ】を上空へ横薙ぎに撃ち込む。
見えざる一撃がたちまち『飛行型』をはじめとする空中の【異形】たちを掃討し、小爆発の連鎖を生み出していった。
ワームホールとそこから投下される【異形】の双方を一気に消滅させていく【ラミエル】。その奮戦によって、一時は目の前すら見えないほど大量に空を覆い隠していた有翼の【異形】たちは殆どいなくなった。
「かくれんぼは終わりだよ、『ダンタリオン』! さあ、観念しなッ!」
風に吹かれて掻き消えていく爆煙の中から姿を現したのは、闇より深い漆黒のローブを纏った痩身の姿。
雲隠れしていた『ダンタリオン』の所在を暴いたシオンは、そいつを指さして威勢よく叫んだ。
周囲の低級【異形】は大方、片付いている。あとは四体の第一級を倒し、その首魁である『プルソン』に辿り着くだけだ。
「頼んだよ、麻木中佐!」
「ええ! ここであの【異形】を討ち、『プルソン』をも討ち果たす!」
高らかに叫び、ミオは魔法の照準を上空の敵へと合わせた。
チカッ――放たれる直前、【ラミエル】の胸部砲口が光を発する。
その直後、発射されたのは透明な光線。
最初に砲口から漏れ出た光はブラフだ。『ダンタリオン』は光線を見てから避けられる。確信をもって敵の力を測ったミオは、相手が避けるために動く位置を予測して数射、【クリスタル・レイ】を撃っていた。
(食らいなさい、第一級異形!)
目を眇め、上空の黒ローブを睨むミオ。
その漆黒は純白の光に包まれ、そして――。
『――――――――ッ!?』
声なき絶叫が響き渡り、巻き起こる魔力の大爆発が黒衣を木っ端微塵に吹き飛ばした。




