第二百三十話 邪竜と射手 ―Astaroth & Leraje―
「月居中佐……」
戦い抜くことを宣言した彼の名を、その直属の部下である高城カズヤは呟く。
未確認の第一級【異形】が四体。対するこちらは体力に限界が迫ってきている状況。
普通ならば勝てるとは思わない。思えない。それでも月居カナタという少年は、諦めずに顔を上げ続けようとしている。
「まっ、マナカさん。ごっ、ご、『魔導書』にアクセスして。あっあの四体がどういう能力を持っているかが把握できれば、対処できる」
カナタは迷いなく言い切った。
『魔導書』といえども全ての情報が載っているわけではない。情報を得た上で抗いきれない可能性もある。
それでも彼が断言するのは、部下や仲間たちを不安にさせないためだ。
『任せて! すぐにデータを送るから!』
そんな少年の思いにマナカは応える。
『コア』の中に魂を得た存在となっても、彼女がカナタを支えたいという願いは不変だ。
『魔導書』のデータは既にインストールしてある。マナカはアクセスした情報を即座に各【異形】と対峙しているSAMへと送信した。
「ありがとう存じます、マナカ!」
「これが魔導書とやらのデータ……感謝する、【ラファエル】に宿りし魂よ」
騎士の【異形】キマリスと相対するミコトと、幾つもの顔を持つ【異形】ダンタリオンと向かい合うセンリが礼を言う。
射手の【異形】レラジェと対決しようとしているのは、アスマだ。
彼は送りつけられたデータを一瞥しつつ、『シールドビット』を展開。
背後に控えるテナとニネルの機体を死守せんとしていた。
(二人を頼んだよ、九重くん。僕たちはこの【異形】を……『アスタロト』を倒そう)
かつて共に『狂乱事変』を戦った少年に『新人』らを託し、カナタは眼前の邪竜とそれに騎乗する人型の【異形】を睥睨する。
皮膜の翼を広げる竜は強大だ。硬質な鱗は刃を通さない。鋭利な爪牙は装甲をたやすく引き裂く。そして、垂れる涎や爪から沁み出す毒液はあらゆるものを腐食する。
倒すよりも封印してしまったほうが早かった。他の『第一級』異形に関してもそうだが――カムパネルラをはじめとする異星の者たちは、『魔導書』でそう伝えている。
(圧倒的なオーラ。殺意。きっとこの『アスタロト』は、僕たちがこれまで戦ってきた『第一級』よりも強大だ)
脂汗を滲ませながらカナタは分析する。
邪竜使いの【異形】は自分たちと同じくこちらの力を量っているのか、動いてこない。
行動を選択するのはお前たちだ――そんなプルソンの試練のようにも思えた。
「れっ、レイ!」
「ええ! ――君の言葉、確かに聞きましたよ。共に生き残りましょう、そして、ボクらの希望を未来に届けるんです!」
【ラファエル】の隣に【メタトロン】も降り立つ。
神々しい純白の翼を誇示するように広げた二機の天使は各々の得物を構え――そして。
「かっカナタ班、戦闘態勢! 『偃月の陣』!」
「「「「「――了解ッ!!!」」」」」
少年の号令に五名の精鋭たちの声が重なる。
一斉に飛翔したカナタ班は「Λ」字に機体を展開、カナタが先頭となって『アスタロト』へと急迫していった。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』
天より攻めるSAM部隊を仰ぎ、邪竜は咆哮する。
戦闘の火蓋が切って落とされた。
「いっくでーッ!」
「狙い撃つっすよ!」
そう威勢よく叫ぶのはスズとケイタだ。
射撃に優れる二人は陣形の後方に位置取り、敵の急所――鱗に覆われていない両眼を狙って魔力光線を射出する。
同時に放たれる二射。
それに対し邪竜は大口からどす黒い瘴気を吐き、光線を遮らんとした。
「甘いな!」
「それは予習済みだ!」
マリウスとカズヤが不敵に笑う。
カナタ班の『偃月の陣』全体が纏っているのは、虹色の光輝。
光輝く巨大な鳥のように翔け抜ける彼らは、その風を切る勢いで邪竜の毒霧を吹き飛ばした。
豪速で通過により発生した風圧に、『アスタロト』本体は忌々しげに顔を歪めた。
【異形】が反撃せんと動こうとしたその時、瞬くのは何条もの輝き。
「さあ、食らいなさい!」
幾つもの日輪から撃ち出される【太陽砲】の連撃。
防御の瘴気が掻き消えた瞬間を狙って照射された熱線が、邪竜にクリーンヒットした。
竜の痛哭が響き渡る。
レイは口角を上げ、上空のカナタ班へと視線を送った。
「今です!!」
「うっ、うん!!」
大空を高速旋回しながら一斉射撃を浴びせかけるカナタ班。
生じた隙をこれでもかと突く弾丸と光線の雨は、『アスタロト』に防戦を強制する。
情報のアドバンテージに勝ることでもぎ取った、好機。
長期戦になればなるほど体力の少ないこちらは不利になる。一気に畳みかけ、何としてでも早期決着を狙わなければならない。
「【太陽砲】ッ!!」
邪竜の毒霧のみならず、自らも漆黒の防壁――【絶対障壁】を発動して『アスタロト』は光線の乱射から身を守る。
光と闇、相反する属性の激突。
少年たちはここで押し切るべく魔力を絞り切り、全力で敵の防壁を突破せんとした。
「はああああああああッ!!」
「くっ、食らえぇええええッ!」
レイが吼える。カナタが唸る。
大空を舞う陣形の先頭から放たれるは、光の一槍だ。【マーシー・ソード】を超える威力の大技、【マーシー・ランス】!
「防壁が――」
「崩れる!」
黄金の穂先が防壁の表面に達した、その瞬間――ぐにゃり、と白と黒の境界線が歪んだ。
負荷に耐えられなくなった防壁が崩れ、光に呑まれて霧散していく。
――このまま止めを刺す!
意志を一つに、少年たちは攻勢をさらに激化させていった。
*
「いいか、テナ、ニネル! 『交信』は続けてもらうけど、絶対に勝手に動くんじゃないぞ。何か気づいたことがあったらすぐに報告しろ。分かったか?」
二人を背にしてアスマはそう言い含めた。
『シールドビット』の防御力は『アイギスシールド』や【絶対障壁】を凌駕する。【アザゼル】の『ナノ魔力装甲』も生半可な攻撃は一切通さない。
彼らを守り切れる自信はある。だが、守り通した上で敵を倒すところまでいけるかは不透明だ。
「うん!」「分かった、です!」
ニネル、テナからの返事を聞き届け、アスマは頷く。
彼ら『新人』とて無力ではない。いざとなれば己で戦うことも出来るはずだろうが――その「いざという時」を迎えないためにも、アスマが全力を尽くさなくては。
「アスマ! 俺たちも一緒に戦うぜ!」
そうアスマに声を掛けたのは、シバマルだった。
シバマルの【ラジエル】とユイの【ミカエル】。二機の【機動天使】が今、彼らを潰そうとしていた【七天使】最後の一機に手を貸そうとしている。
「アンタたちと? はっ……余計なお世話だっての」
「休んでろと言いたいんでしょう? でも、わたしたちは黙って見てることなんて出来ない。共に戦わせてください、九重さん」
胸に手を当て、ユイは切実に訴えた。
そんな彼女にシバマルはにしっと笑ってみせ、肩に長剣【白銀剣】を担ぐ。
「いおりんから話を聞いて、分かってるからな。そいつがただ、素直になれねえだけのツンデレくんだってことは」
「ツンっ――僕はそんなんじゃ……!」
「わーってるって、ごちゃごちゃ言うな。さっ、一緒に大暴れしちゃおうぜ!」
思わず声を上げるアスマを適当に往なし、シバマルは腰を低く落とす構えを取った。
鋭い金属音と同時に銀翼が勢いよく広がる。足底部のホイールを高速回転させ、急発進。
加速しつつ飛び上がり、眼前に佇む敵の頭上へと躍り出た。
「待ち構えるのは性に合わねえ! 先制攻撃させてもらうぜ、『レラジェ』さんよ!」
威勢よく宣言し、腰から抜いた拳銃の一射を敵へお見舞いするシバマル。
それに対して『レラジェ』もまた、動いた。
腕が霞んで見えるほどの早業で弓を引き絞り、矢を放つ。
直後――パンッ!! と何かの弾ける高い音。
「なっ……!?」
レラジェは悠然と佇んでいて、何らダメージを受けた様子はない。
防衛魔法を発動したようにも見えない。
行ったのは矢を射ったこと、それだけだ。
「射抜きやがったってのか、おれの弾を……!」
瞠目するシバマルはそれでも手を止めず、次なる連射を敵へと浴びせた。
しかし、それは先程の二の舞いでしかない。
鋭い風切り音が連なったかと思えば空を裂く銀矢の軌跡が何条も走る。
貫かれ、かち割られる銃弾。
圧倒的な動体視力と反射神経によって実現される、神業だ。
「銃じゃ当たる前に対処されちまうか。だったら――」
「魔法で攻める、そうですよね!」
歯噛みするシバマルにユイが追随する。
腰に佩いた剣を執り、その白刃に気流を纏わせる【ラジエル】。
その傍らで【ミカエル】も中段に構えた長剣に炎を帯びさせ、地を蹴った。
「上と――」
「下から!」
上空からは【ラジエル】が暴風と化した剣を振り下ろし、真正面からは【ミカエル】が燃え盛る刃を突き込んでいく。
異なる方向から同時に迫り来る攻撃。それに対し『レラジェ』はすかさず【防衛魔法】を展開、二方向からの剣撃を受け止めた。
薄布に覆われた【異形】の口元が、僅かに笑みを浮かべたように歪む。
魔法と魔法の衝突によって生じた閃光が一瞬、ユイとシバマルの視界を白く染め上げた。
「くっ――」
押せている手ごたえがない。刃を持つ腕に最大限の力が込められない。
呼吸は短く浅くなっている。滝のように流れる汗、荒れ狂う鼓動。
もはやユイたちは限界なのだ。魔力も体力も、いつ倒れてもおかしくないほど消耗している。
(魔力はせいぜい、あと魔法一回分……もう一発も無駄撃ちできない。銃弾は射貫かれるからダメ、裸の剣じゃ【防衛魔法】は壊せない……最後の【紅蓮華舞】に賭けるしか――)
数歩後退して『レラジェ』との間合いを取りながらユイは思考した。
切り札を使えるのは敵に隙が生まれたその瞬間のみ。それを作り出すのは【ミカエル】でも【ラジエル】でもなく――【アザゼル】だ。
「九重さん――あなたの機体にわたしたちの命、預けます!」
勝負の結末は彼に託された。
限界寸前の身体で『レラジェ』の攻防手段を引き出してみせたユイとシバマルに報いんと、アスマは握った操縦桿を一気に前へ倒していく。
「言われなくとも、やってやるさ!」
猛進する。
赤黒いオーラを背後に揺らめかせ、驀進するその様はまさに鬼神。
九重アスマの感情は今、ぐちゃぐちゃだ。
【異形】を道具扱いする『プルソン』への怒り。ニネルとテナを守り切れるのかという不安。そして、『第一級』の【異形】相手に自らの最高傑作をぶつけられる喜び。
湧き立つ情動が彼の身体を震わせる。
握った拳に関節が白く浮き上がるほどの力を込め、アスマは後ろに溜めた動作から一気に前へ殴りかかった。
「うるあああああああああああッ!!」
後ろに飛び退いて距離を取らんとする『レラジュ』だったが、翼部推進機をフル稼働させる【アザゼル】の加速力には敵わない。
咄嗟に胸の前に張られた防壁へ、少年の拳と連動した右腕のドリルが叩き込まれた。
回るほどに激しさを増す螺旋の一撃。
漆黒に渦巻くオーラと緑光を放つ防壁との激突。
びきり――罅割れたのは、『レラジュ』の防壁だった。
『――――!?』
【異形】の群青の瞳があらん限りに見開かれる。
勝った――少年は確信と共に、敵の胸部へと右腕を押し込んでいった。




