第二百二十七話 序列二十番の王 ―The Devil's Trap―
背面部に飛行用ユニット【アラエル】を装着した【マトリエル】を乗り回すシオンは、突入したそばから群がってきた【異形】たちを見下ろして溜息を吐いた。
「なんとまあ、とんでもない数をご用意で」
「相も変わらず物量戦だなんて、戦略の引き出しが貧困な奴らだよね」
呆れて肩を竦めるナギはシオンの後ろに付き、彼女の背中を守るように『対異形ミサイル』を無造作に撃ち放つ。
「それがアタシたちに対して一番効くやり方だからね~。『新東京市』に産業革命と人口爆発でも起きない限り、その構図は変わらないと思うよ」
口紅の落ちかけた唇を舐め、シオンは口角を上げる。
敵を葬ることに愉悦を覚える彼女にとって、敵が物量で攻めてくるのは好都合だ。
「さ、カナタきゅんたちを援護するよ! とりま、【異形】を生み出してるあの気色悪いのを潰しちゃおっか!」
「りょーかいだよ!」
視線を交わし、二人はそれぞれ反対方向へ飛び出していく。
【マトリエル】と【ガギエル】の十八番である魔法はどちらも広範囲攻撃だ。直径数キロにわたる大空洞の床面にある【異形】の苗床を一気に破壊するのは、二人が適役。
「【マトリエル】と【ガギエル】の大技、ぶっ放すよ! みんな備えて!」
「分かりましたわ! 総員、『アイギスシールド』展開!」
ミコトの号令に従って大空洞に突入した精鋭たちは各々シールドを展開する。
瞬く虹色の光。それを視認するとすかさず、シオンとナギは待機状態であった魔法を発動へと移した。
「【バイオレンスレイン】!!」
「【タイダルウェーブ】!!」
【マトリエル】が毒を込めて放った弾丸が天井付近で弾け、空中の【異形】たちを一掃する。
急降下して地面に降り立った【ガギエル】を始点に湧き上がった水流は渦となり、荒れ狂う大波を起こして全てを流し去った。
一瞬でどろどろに溶け崩れた【異形】であったものが、緑色の雨と化して降り注ぐ。
防壁越しにそのおぞましい光景を見つめるパイロットたちは、激しく唸る荒波が何もかもを片づけるのを黙して待った。
――これが【七天使】パイロットが実現できる大魔法。
ありふれた乗り手ではその魔力消費量に耐えられず倒れるほどの、絶大なる切り札である。
「……すっ、すごい」
「最初っからあの二人だけでよかったんじゃねーか、これ……」
目を丸くして感嘆するカナタに、掠れ声で呟くシバマル。
彼らが見下ろす先では徐々に大波が収まっていき、行き場のない大量の水が泥と【異形】の血液交じりの湖を形成していた。
どす黒くなった一面の水を見渡して、ミコトは次なる指示を出す。
「【異形】を生み出す繭のような物体は、これで大方破壊されたはず。端の方のものは壊れずに残っている可能性がありますが、数としては十分各個撃破できる程度でしょう。……テナ、あなたの出番です。理知ある【異形】とのコンタクトを図りなさい」
アスマに『シールドビット』の防御魔法を解除してもらい、テナはさっそく『交信』に取り掛かった。
その傍ら、手の空いたカナタたちパイロットは残る【異形】の『繭』の対処にあたっていく。
「う、うぇっ……すっすごい臭い……!」
『我慢しなさい、カナタ! 【異形】の親玉さえ見つけられれば終わるんだから』
胃の奥から込み上げてくる不快感に口元を覆うカナタに、マオが檄を飛ばす。
彼女に頷きを返し、理知ある【異形】の痕跡を探ろうとカナタは周囲を見回していると――ある違和感に気がつく。
ぱらぱらっ……と何かが落ちて散る音。
天井を仰いだ彼はそこに目を凝らし、そして見てはならない現象を捉えた。
同時に、『交信』で理知ある【異形】を探っていたテナが呟く。
「……外」
「――みっ皆ワームホールの中に飛び込んで!! てっ、て、天井が崩れる!!」
銀髪の少年が絶叫した瞬間、天井の岩肌に猛烈な勢いで亀裂が走り出す。
鳴り響く崩落の轟音。
頭上より迫る砕けた大岩を仰ぐ暇すらなく、パイロットたちは無我夢中で開いたままのワームホールへと急行した。
「――テナ!」
恐怖に身体が竦んで動けなくなるテナ。
手近なワームホールへ飛び込もうとしていたミコトは振り返るが、
「――っ!?」
アスマに背中を突き飛ばされ、救援の機会を逃してしまう。
「僕が守ります、アンタは来るなッ!!」
びりびりと空気を震わす絶叫にミコトの身体が固まった。
「守れよ『シールドビット』!!」
二枚の防壁がテナ機の頭上に【絶対障壁】を展開する。
だが、それだけでは落下してくる莫大な質量を受けきることは叶わない。
コンマ数秒の勝負だ。生き残れるか死ぬか、それはテナ自身の行動にかかっている。
「逃げろテナ!! 死ぬんじゃない!!」
顔をくしゃくしゃにしてアスマは叫んだ。
自分が何故そこまで必死になっているのか、彼には分からない。戦う理由という建前の裏に隠された感情を、アスマ自身、心の深奥で認められずにいる。
親しくしてくれた先輩のイオリを失ってから、九重アスマは変わった。
彼は恐れを知った。大切な人を失うことへの、恐れを。
見知った人間に死んでほしくない。関わりのある誰かが悲しむ顔を、見たくない。
そんな思いが確かにあった。しかし、それが人との馴れ合いから生まれる気持ちだと考えると、ひねくれ者のアスマには受け入れ難いものがあった。
「こっちだ!!」
超広範囲での『交信』を実現できる『新人』の魔力量ならば、0.01秒以下の一瞬でワームホールまでの十メートル弱を詰め切るのは可能。
そう判断したうえでアスマは自らリスクを犯して救助に戻るより、テナが走り出してくれると信じる選択肢を取った。
会話を交わしたことすらない、ミコトたちの演説を通してしか知らない『新人』。
【異形】は倒すべき敵だというのは、アスマが一貫して持つ信念だ。同時に人は守り抜くべき対象だというのも、曲げられない信念である。SAMとはその二つの理念の下に作られたロボットなのだ。それらの理念も含め、アスマはSAMを愛している。
【異形】と人類の狭間にある存在。彼ら『新人』が『リジェネレーター』の者たちと共に戦い、自ら戦況を変えようと行動したのをアスマは間近で見た。
彼らがヒトのために参戦しているというのなら――選択肢は一つだ。
「――うんっ!!」
その信頼にテナは応える。
アスマの声を聞き、意志を感じたその時、テナの頭には閃光が走っていた。
コンソールを操作する指が軽やかに踊る。残像を描きながら打ち込まれたコマンドに従って、機体が熱を放つ。
増幅する魔力を帯びて赤らむ翼。
ヴウンッ!! と激しく唸りを上げ、【イェーガー・空戦型】は本来の機体スペックを超える加速を見せつけた。
ワームホールへ一心不乱に飛び込まんとする。
だが、その刹那――漆黒の大穴が急速に収縮し始めた。
(まにあわな――)
しかしテナが手を伸ばし、ワームホールへ至らんとしたその一瞬。
収縮が停止し、黒き穴の縁がそれよりも深い闇のごときオーラに包まれた。
テナは外側から差し出されたSAMの手を掴み、一思いに穴の奥へと転がり込んでいく。
「身体は……無事なんですか」
テナ機の腕を引っ張り出したアスマは、穴から十分に距離を取ってから訊ねた。
だいじょうぶです、との返答を確認し、ひとまず安堵する。
「今のは……? ワームホールが小さくなっていくのが止まった、ように見えたけど……」
『それは私の魔法よ、九重くん。【天使の帳】……あらゆるものを現在の状態に「停滞」させる技』
そう通信を繋げてきたのはシズルだった。
【レリエル】が下ろす【天使の帳】は、これまで彼女が使ってきた【天使の夜想曲】の上位互換にあたる魔法だ。
夜想曲はその効果対象を生物に限定していたが、帳は無生物にも通用する。シズルはワームホールを「開いた状態」のまま停滞させ、テナたちの脱出に一役買ったというわけである。
部下や共闘する戦士たちを生きて帰す、そのための「おばさんなりのお節介」がこれであった。
『部下の脱出ルートを確保しておくのは上官の務め。あなたたちが生きて戻れるように仕込んでおいてよかったわ』
わざわざ【レリエル】に乗って戦場に出た甲斐があった、とシズルは胸を撫で下ろした。
「……みっ、皆は……?」
鼓動の荒ぶる胸を押さえつつ、カナタは周囲を見回した。
【機動天使】も【七天使】も、参戦したSAMはみな健在だ。アキトたちの機体も、カナタ班の面々も無事である。
「月居さ~ん! うち、うちっ、ホンマに死ぬかと思いました!」
泣きながらがしっと機体越しに抱き着いてくるスズ。
カナタが警告を発するのが一秒でも遅れたら、或いは彼女らがワームホールから一メートル遠く離れていたなら、生還は不可能であっただろう。
誰一人として犠牲者を出さなかったのは、奇跡としか言いようがない。
「しっ、心臓止まるかと思ったぜ……!」
「ええ……でも、安心するには早いですよ。本命の理知ある【異形】は、まだ登場していないんですから」
胸を撫でおろすシバマルにユイが釘を刺した。
敵は、あれだけの規模の大空洞を一気に崩落させるに足る魔力を有している。そこから推察するにあの『パイモン』や『ベリアル』以上の攻撃力を持つと見ていい。
対するこちらは【テュール】で補給を済ませたとはいえ、体力と気力は既にかなり消耗している。もし、敵が大空洞を破壊した時と同程度の威力の魔法をもう一度放つだけの余力を残していたならば、先程の生還劇の再現は出来ないだろう。
「……いっ、入野さん、く、苦しいよう……」
呻くカナタに、スズは思いっきり抱き締めていた腕を慌てて離した。
頬を赤らめる少女はぶんぶんと首を横に振り、失礼しました! と頭を下げる。
「全く、こんな時に……」
「い、いいんだよ出山くん。ぶ、無事だったのを喜ぶ気持ちは間違っちゃいないから」
呆れて溜息を吐くリンに、カナタは眉を下げて言った。
銀髪の少年は自分が預かる班の面々を見渡し、そして告げる。
「みっ、みんな、僕が付いていない中でも【異形】から【エクソドゥス】を守ってくれてありがとう。――こっ、ここからは僕と一緒に戦ってほしい。り、理知ある【異形】に対抗するには僕らのチームワークが必要になる」
入野スズ、出山リン、高城カズヤ、新庄マリウス、新堂ケイタ。
短い期間ながらも五人ともカナタの下で成長してきた、新進気鋭のパイロットたちである。
「言われるまでもありませんよ、月居中佐」
「そうっすよ、中佐! 一緒にこの危機を乗り越えましょう!」
マリウスが不敵に笑い、ケイタが調子よく親指を立てる。
「恐ろしいとかもう言ってられるかいなね。うちも全力で気張るで!」
「ああ。絶対、皆で勝つ」
「そして、皆で生きて帰るんだ!」
スズ、リン、カズヤも覚悟を改め、モニター越しに顔を見合わせた。
カナタは思う。このメンバーであれば、今なら最高のパフォーマンスを発揮できるはずだと。
仮想現実で幾度も繰り返した連携の訓練。かつてマオがその目に焼き付けた似鳥アキラの用兵術を参考に、カナタは実戦に向けて戦術を練り上げてきた。今こそ、その成果を見せる時。
「てっ、テナ! 理知ある【異形】は……!?」
新たに【異形】が湧き出ることもなくなり、ここにいるものもニネルの歌によって沈静化している現状、残すは理知ある【異形】のみ。
カナタに訊かれたテナは目を閉じ、耳を塞ぎ、感覚の全てを『交信』へと注ぎ込んだ。
魔力の波紋が頭の中に、白っぽいイメージとして浮かび上がる。その始点――発信元はそう遠くない。方角は東。
「――来る、です!!」
ライムグリーンの瞳をかっ開き、喉を枯らすほどの声でテナは警鐘を鳴らした。
その時、誰もが意識した。急迫する圧倒的な魔力を。背筋を凍てつかせ、立つ足を戦慄かせる殺意を。
東の大地が隆起する。大量の土塊を振り撒きながら、その存在は地下より姿を現した。
『私を呼んだのは君かね? 「ベリアル」の子よ』
しわがれた男の声がパイロットたちの脳内に響く。
黒毛の大熊に跨っているのは、ライオンの顔をした青い肌の男。その髪は獅子の鬣の如く顔の周りを縁取っていて、赤く燃える炎のようだ。左腕には光沢のある濃緑の鱗の蛇を巻きつけており、右腕はトランペットを掲げている。
『ゴエティア』に記されしその名は、『プルソン』。序列二十番の王。




