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暁の機動天使《プシュコマキア》  作者: 憂木 ヒロ
第九章 運命の相克

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第二百二十五話 祈りの歌 ―growth―

「マトヴェイさん! 『対異形ミサイル』の残弾、このペースではあと五分足らずで尽きます!」


 もたらされた悲痛な報告に、マトヴェイはその端正な顔を歪めた。

 ブリッジの士官らは既に疲労困憊だ。度重なる『グングニル』や『レーヴァテイン』といった魔力光線砲の使用が、彼らの身体を限界まで痛めつけている。

 絶え間なく流れ落ちる汗を拭いながら、隣でぐったりとコンソールに突っ伏しているユリーカ・クインシー大尉を見つめる男性士官。

 クソっ! と罵声を飛ばす彼は己の頬をぴしゃりと叩き、意識を朦朧とさせている同僚の腕を掴んだ。


「おいっ、クインシー大尉! まだだ、まだ倒れる時じゃない! 俺たち士官は替えが効かないんだからな!」


 元『レジスタンス』空軍の士官が入隊したとはいえ、経験豊富な人材が『リジェネレーター』には不足している。

 控えとして使えるのは実戦に初参加となる『リジェネレーター』発足まで従軍していなかった者たちだ。幾多の死線を潜り抜けてきたマトヴェイらでさえ極限まで追い込まれてしまうこの戦場は、新人の兵たちにはあまりに荷が重い。

 

「そうよ、アンタたち! 今、この外ではカナタくんたちパイロットが懸命にアタシたちを守ってくれている! ここで踏ん張って、あの子たちの思いに報いなさい! 希望の船の一乗員として、誇り高く戦い抜くのよ!!」


 兵器も魔力もじきに底を突く。『テュール』に補給を要請するという手もあるが、生憎向こうにもそこまでの余裕はないだろう。こちら側が激しく抵抗したことが、ここにきて仇となっている。


「踏ん張ると言われましても……! これ以上の持久戦は現実的に考えて無理です! 玉砕覚悟、というのなら話は変わりますが……」


 熟練の壮年士官が突きつける現実に、マトヴェイは反駁の言葉を持ちえなかった。

 それは言われずとも分かっていたことだ。この状況をひっくり返す奇跡的な一手など、ありはしない。にも拘らずマトヴェイが戦い抜けと叫ぶのは、少年少女たちだけに過酷な運命を負わせたくなかったから。

 敵が【異形】を吐き切らないうちに『ワームホール』の中へカナタたちを飛び込ませれば、確かに解決の糸口を掴める可能性がある。だが、その穴の先に待つのはこれまで多くの兵の命を奪ってきた【第一級異形】。ただでさえ倒すのが困難な彼らのみならず、【異形】の軍勢をも相手取らねばならないとなると、任務ミッションの達成はほぼ不可能になると言っていい。

 最悪、全滅もありうるのだ。


「出来る限り時間を稼ぎなさい! アタシたちは軍人である以前に大人なのよ! アタシらみたいな年寄りが、未来ある子供たちに負担を押し付けてどーすんの!」


 破滅的な世界でも理想を語り、前を向いて未来へ歩んでいこうという子供たち。

 そんな彼ら彼女らが先へ行く道を切り開き、後へ託していくのがマトヴェイたち大人の役割だ。

 倒れるべきはカナタたちではなく、大人たち。

 

「種はけたわ。さあ、共に最後まで足掻きましょうか!」


 不敵に笑ってみせる赤髪の将に、『レジスタンス』時代から彼の下で働き続けてきた士官たちは頷きで応えた。

 ここを死に場所と定めた男たちは魔力光線砲と『対異形ミサイル』の照準を定め、新たに出現したワームホールへとぶち込んでいく。


「神崎さん、悪いわね。アンタも未来ある子供の一人だけれど……ここでアタシたち大人の道連れになってもらうわ」

 

 この場で唯一の未成年者である神崎リサを見つめ、それからマトヴェイは頭を下げた。

 若い世代の犠牲を減らしたいと願いつつも、その世代であるリサに過酷を強いなければならない矛盾に彼は歯噛みする。


「問題ありませんわ。わたくしも死に場所を求めていた身……理想に殉じることが叶うならば、それで良いのです」


 それは弱冠十七歳の少女に言わせるにはあまりに重い台詞だった。

 彼女がそう思わずにはいられなくなるような時代を作ってしまった自分たちが如何に罪深かったか、マトヴェイは思い知らされる。

 だが、ここでリサへ謝ったところで、それはマトヴェイの罪悪感を解消する行為にしかならない。彼女の覚悟は既に決まっている。その決意を踏みにじることは、一人の軍人としてマトヴェイ自身が許さない。


「……そう」


 それだけ呟き、マトヴェイは紅の落ちかけた唇を指先でなぞる。

 モニターに映し出される戦場には、光線と怪物の乱舞。

 と、その時だった。

 CICのドアが開き、一人の女が飛び込んで口を開く。


「ここを死線と定めたり。私も、力を貸しましょう」


 黒いショートヘアに銀縁眼鏡がトレードマークである、妙齢の女性。『レジスタンス』の麻木ミオ中佐だ。


「私は機体を鹵獲された身……ですがこの際、立場は関係ないでしょう。何もせずあなた方と共倒れするくらいなら、私はみっともなく足掻きたい」


 マトヴェイはかつての仲間であった女の瞳を正視し、頷きを返した。

 眼鏡の底の漆黒の瞳には闘志の光が宿っている。猫の手も借りたいマトヴェイはその言葉を信用し、気絶寸前であるユリーカ大尉のポジションに彼女を着かせた。


「アンタの魔力が命綱になるわ。頼むわね、麻木中佐」

「私は死ぬつもりなど毛頭ありません。生きて生駒中将のもとへ戻りたいので」


 アンタらしいわね、とマトヴェイは目を細める。

 ミオも加えた人員のありったけの魔力を注ぎ込んで三時と十二時の方角へ『レーヴァテイン』を撃ちながら、『リジェネレーター』の将は叫んでいた。


「撃て撃て撃てぇ――ッ!! 何としても道を切り拓くのよ!!」



「みんなっ……戦いをやめて!!」

 

 キョウヘイやタイチの制止を振り払い、ニネルとテナは【イェーガー・空戦型】で戦場へ飛び出していた。

 カタパルトデッキという境界線を越えるとたちまち、ノイズめいていた無数の叫び声が鮮明なものへと変わる。

 それは言葉ではなかった。だが、がなり立てるようなその「叫び」からニネルたちは確かに感情を読み取れていた。

 怒り。憎しみ。その根底にある――恐怖。

 まるで何かに追い立てられているかのような、焦燥を孕んだ悲痛な訴え。

 

「みんな、怖がっているんだ。周りがぜんぶ、敵にみえてる。だから必死に抵抗しようとして……あばれてるんだ」


 胸に手を当て、テナは空中で散っていく『飛行型』や『蜻蛉型』の大群を見つめる。

 群れ全体が恐怖に駆られているのだ。伝播した集団ヒステリーを解消し、暴れ狂う【異形】たちを鎮めることが出来れば、この戦いにピリオドを打てる。

 状況は分かった。先ほど通信で【エクソドゥス】と【テュール】、そしてカナタたちにそれを伝えた。

 そのうえでテナは何をするべきか。

 時間と共に味方の魔力と敵の命とが減っていく中で、テナに出来ることは果たしてあるのか。


「……ぼくは……ぼくはっ……」


 テナにはカナタたちのように戦う力などない。

交信クロッシング』能力もこれほどの狂乱の最中では、通用しないだろう。

 自分に出来ること。自分だけが出来ること。それは一体何なのか――己の胸に問いかけた時、脳裏に過ったのはいつかのキョウヘイの言葉だった。


『お前たちには、誰かに思いを伝え、また誰かの思いを聞く力があるかもしれないということだ』


 そうだ。テナの武器は『交信』能力なのだ。それは確かにこの場では本領を発揮できないかもしれない。それでも、その力を活かせる場所はあるはずだ。


「マトヴェイ、さん……ぼくは、『新人』です」

『テナくん? ……アンタ、何するつもり?』

「ぼくも出る、です。カナタたちといっしょに、あのワームホールの中に飛びこむ、です」


 通信越しに驚愕する気配がした。

 赤髪の将の制止に先んじて、テナは自分の考えを捲し立てる。


「足手まといになるのはわかってる、です。でも、ぼくにしかできないことがある。ぼくが『交信』で理知ある【異形】とお話しする! ぼくたちの中で一番『交信』を使いこなせてるのはぼくとニネルだから……ぼくならきっと、理知ある【異形】の心にふれられる!」


『交信』は魔法だ。ゆえに強力な魔力耐性を持つ者ならシャットアウトすることも可能。理知ある【異形】の実力を鑑みるに、生半可な『交信』では脳内へ言葉を届けることも叶わない。

 ニネルは戦場の数千の兵に歌声を響かせてのけた。同じ環境で育ち、近しい遺伝子であるテナもまた、彼女と同様の能力があるはずだ。

 魔力の全てを絞り出しての『交信』など未だに試したことがない。だが、やる価値はあるとテナは思う。

 理知ある【異形】の道具に過ぎず、ヒトに恐れられる存在であった自分たちに優しく手を差し伸べてくれたカナタやミコトたちに、報いたい。

 労働しか知らなかったテナはカナタたちと出会ったことで、たくさんの知識を身に着ける喜びを得た。世界にはまだまだ見たことのないものが溢れている。それらを見に行くまでテナは死にたくない。

 だから、戦う。


『……アンタに賭けるわ。平和を願う思いを、理知ある【異形】にぶつけてきなさい』

「はい」


 信じて背中を押してくれたマトヴェイに、テナは微笑んで言った。

 戦いは怖い。しかし、テナよりもわけもわからず暴れている【異形】たちの方が恐怖に苦しんでいるだろう。彼らの痛みに比べたら、テナの気持ちなど些細なものだ。

 怖がっている彼らを救うには、理知ある【異形】を止めるしかない。

 

「ミコト! すぐにワームホールに飛び込もう! ぼくもいっしょに戦うから!」

「なっ――テナ!? 駄目ですわ、危険すぎます!」

「マトヴェイさんに許可はもらってる! それに、いそがないと苦しむ【異形】さんたちがふえるだけ……!」

「駄目です、駄目っ……! あなたはたった二人生き残った『新人』の一人なのですよ!? もし、ここであなたまで倒れてしまったら、ニネルはどうなるのです!?」


 ミコトにとってニネルやテナは友であり、そして家族のような存在だった。

 タカネや皇室の面々と決別してしまった今、二人は本当の肉親にも等しい。

 だからミコトはテナを戦場から遠ざけようとした。

「危険です、あなたは飛空艇に戻りなさい」と。

 しかし、モニターにライムグリーンの髪の少年の顔が映し出された途端、彼女は言葉を失った。


「……ニネルなら、だいじょうぶだよ。ぼくたちは独りじゃない。『リジェネレーター』のひとたちが、ついていてくれるから。それにね、ぼく、こわくないよ。ミコトやカナタたちといっしょなら、ぼく、がんばれる」


 少年は健気に笑っていた。青い頬に子供らしい赤みを差して、あどけなく。

 取り乱しているミコトを安心させようと、戦いへの恐れを覆い隠して。

 

「……いつの間にか、大きくなりましたね、テナ」

「そう、かな」

「ええ。あなたも、ニネルも、わたくしの誇りです」


 無数の羽音の重奏をBGMに、少女は青い肌の少年に穏やかな声で言う。

 現在出現しているワームホールは十個。『レジスタンス』『リジェネレーター』双方のSAMおよび飛空艇が【異形】を迎撃しているものの、敵の数は一向に減る気配を見せない。

 敵の総数は自分たちが想定しているよりもずっと多いのではないか。

 徐々にそう思い始めたミコトは、【メタトロン】の『アームズ』を以て一騎当千の活躍をしているレイへと問うた。


「……このままではキリがありませんわ。致し方ありませんが、テナの言うようにワームホールへの突入を急ぎませんか」

「ボクも丁度同じことを考えていたところですよ。流石にこれだけの数を相手取り続けると、僕ら全員しんどいですから」


【ガブリエル】の前まで舞い戻り、【メタトロン】はもう何度目とも知れない魔力補給を済ませていく。

 魔力光線銃の斉射で迫り来る『鎧鳥型』を排除するカツミは、レイに訊ねた。


「どの穴に突入する、レイ? 突破口は俺たちが開いてやるぜ」

「最も高高度に位置しているあの穴、他のより一回り大きいでしょう? おそらくあれが『福岡プラント』に匹敵する規模の【異形】の生産所に繋がっているはずです。理知ある【異形】がそれを管理しているなら、そこにいる可能性は高い」


 見上げた先、陽光を遮って無数の【異形】たちを吐き出している漆黒の大穴。

 レイの指す目標を見定めたカナタたち【機動天使】の面々に、異論はなかった。


「ミコトっ! わたしも行く!」


 そこで声を上げたのはニネルだった。

 テナが戦うのなら自分もと勇気を出した彼女に対し、ミコトは頷こうとする。

 だが彼女に先んじて、テナがニネルを制止した。


「ううん、ダメだよニネル。ニネルはここにいて」

「なんでっ! わたしだって戦える! こわくなんかないもん!」

「……ニネルはここで、歌ってほしいんだ。こわがってあばれてる【異形】さんたちを落ち着かせる歌を」


 単純な言葉では届かない。しかし、想いを旋律に乗せて響かせれば、狂乱している怪物たちを鎮めることも出来るかもしれない。

 その大役を担えるのはニネルしかいない。『交信』と歌声、その両方に優れる彼女にしか成しえないのだ。


「わたくしからもお願いします。これはあなた以外には託せない役割なのです。信じていますよ、ニネル」


 もはやニネルは穀倉の隅で蹲っていた頃の彼女ではない。

 人と触れ合う中で知識を得て、温かい心を育み、強く優しく成長した。

 恐れていたSAMに搭乗して共に戦えるニネルは、一人の戦士として羽ばたける。


「ミコト……うん、わたし、やってみる」


 皇女の信頼に青い肌の少女は応えんとする。

 胸に手を当て、深呼吸。

 波立っていた心は自然と凪いでいた。ミコトに信頼されている、その事実がニネルの力を呼び覚ます。

 今なら何でも出来る気がした。恐怖に雁字搦めとなり暴れるしかない【異形】たちを沈静化させるため、口を開き、喉を震わせる。


『♪ あなたと夢を見てた 幼い夢を見てた……』



 十個ものワームホールより湧き出す有翼の【異形】たち。

【テュール】と【エクソドゥス】がありったけの『対異形ミサイル』等の兵器を放出し、【イェーガー・空戦型】をはじめとするSAM部隊が飛空艇を守りながら迎撃にあたるなか、パイロットたちはその声を聞いた。

 優しく穏やかで透き通った、少女の歌声。

 懐かしく愛おしい情景を思い起こさせる、再会を願う歌。


「ミコトさま……?」

「いや、違う……この声は……?」


 声はパイロットたちのみならず、飛空艇内のメカニックらにも聞こえていた。

 矢神キョウヘイは引き結んでいた口元を緩め、呟く。


「ニネル……」


 宮島タイチはその名にはっと目を見開き、それから胸の前で祈るように手を組んだ。

 どうか彼女の思いが【異形】たちに届きますように――ヒトと【異形】の狭間にいる彼女こそが両者の架け橋になることを願って、他のメカニックたちもタイチにならった。


「……見て、ナギきゅん。【異形】たちの動きが……!」


 自分たちへと突進してくる【異形】たちの足が徐々に、止まっていく。

 歩調を緩め、やがて完全に静止した『小鬼型』の群れを前に、シオンは困惑した。


『♪ “いつだって会えるよ”

 懐かしくまだ遠い 思い出の笑顔』


 シオンと背中合わせに銃を構えていたナギは、その旋律に睫毛を伏せる。

 いつかの戦場で彼はシオンらと共に同じ歌を聞いていた。あのとき歌っていたのが『新人』の少女であったと、後になってナギは知った。

『新人』など【異形】の血を引いた化け物。以前まではそう思っていたが、改めてニネルの歌を耳にした今、彼の考えは変わっていた。


「……『新人』の歌声が、人も、【異形】も癒していく……本当に、こんなことが……」


 空で鳴っていた羽音の重奏も気づけば止んでいた。

 はじめは呆然としていた戦士たちは次第に少女の歌に聞き入り、命のやり取りの中で荒んだ心に一時の安らぎを得た。


『♪ 巡る夜を越えて わたしは祈ってるよ

 今はこの胸に あなたの温度を思い出して』


 ホバリングしている『蜻蛉型』や『鎧鳥型』を眺めていたカナタは、レイに号令を促す。


「いっ、今なら行けるよ」

「ええ――【機動天使】部隊、出ます!」


【ラファエル】、【メタトロン】、【ミカエル】、【ラジエル】、【ガブリエル】、そしてテナの乗る【イェーガー・空戦型】。

 隊列を組んで飛び立った六機のSAMに、追随するのはもう一機。

 真紅のボディに漆黒の翼を背負い、血の色のオーラを纏う最後の【七天使】、【アザゼル】だ。


「アスマ、あなた……!」

「勘違いしないでください。お姫さんたちのためなんかじゃない、僕が【アザゼル】の真価を引き出すために戦うんです!」

「それでも構いませんわ。ありがとう、アスマ」


 素直に礼を言ってくるミコトに対し、通信をぶつりと切るアスマ。

 相変わらずの彼に苦笑しつつ、桃髪の少女は高らかに叫んだ。


「これより先、一切の憂慮を絶ちます! 仲間を信じ、理想を胸に進めば必ず、希望ある未来を掴めるのです! さあ、行きましょう!」

「「「おうッ!!」」」


 マトヴェイやシズル、センリやカツミ、カオル、ハルたち元『使徒』やカナタ班の面々、全ての仲間に見送られて七人は加速する。

【異形】の大群の合間を縫って漆黒の大穴へと接近した彼らは、果敢にその奥へと身を投じていった。

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