第二百二十三話 反撃開始 ―Show me your dreams.―
『残っている【イェーガー・空戦型】を全部出して! 戦力の出し惜しみなんてしてられないわ、総力で【異形】たちを排除する!』
【エクソドゥス】のCICより『リジェネレーター』の全兵員へと指示を打つマトヴェイ。
聞こえてきたアナウンスにSAM格納庫に待機していた面々は一様に表情を引き締め、各々の機体へと乗り込んでいった。
「皆、決して無理はするなよ……生きて帰るのが何よりだ」
「……信じてるからな」
メカニックを務める矢神キョウヘイと宮島タイチは整備を済ませた機体たちを見上げ、パイロットの武運を祈った。
タイチら若きメカニックにとって、この日の戦いは初めての実戦。キョウヘイは大尉としての戦闘経験があったが、メカニックに転身してからは初戦闘だ。
かつて多くのパイロットを見送ってきた叔父も同じ心境だったのだろうか、とキョウヘイは内心で呟く。
胸騒ぎが収まらない。これから出撃するパイロットの全員が無事に帰還することは、ほぼ確実にないだろう。
「……頼むから、死ぬなよ」
鋭い目を細め、青年は唇をきつく引き結ぶ。
脳裏に浮かぶのは『リジェネレーター』に加入してからの仲間たちの顔と、そして、向こうにいるであろう『レジスタンス』時代の戦友たちの顔だった。
特に『カナタ班』の高城カズヤをはじめとする若者たちは、班の編成以来キョウヘイがずっと機体の面倒を見てきた間柄だ。死なれてはあまりにも寝覚めが悪い。
『システムオールグリーン、カタパルトデッキ開放! ユイ班、カナタ班、どうぞです!』
ユリーカ・クインシー大尉によるアナウンスを受け、先んじてユイの直属の小隊が飛び出していく。
キョウヘイやタイチたちの視線を感じながら、コックピット内の入野スズは何度も深呼吸を繰り返していた。
(何なん、あの【異形】たち……あんな数がおるなんて聞いてへん。うちら、勝てるの……?)
不安に苛まれてばかりではいけない。それを理屈では分かっていても、格納庫のモニターに映し出されていた阿鼻叫喚の戦場を思い出してしまえば、否応なしに身体が震える。
訓練では確かに【異形】の大群想定でシミュレーションはしてきた。しかし、【異形】とSAMが入り乱れ完全に混沌と化した舞台など、その想定の埒外だ。
「……みんな、聞いてくれ。班長は……月居中佐はまだ補給している最中だが、間もなく合流してくれるはずだ。俺たちは中佐について行く。中佐は俺たちを勝利へ導いてくれる。それだけだ」
副長の高城カズヤは抑揚を殺した早口で一同へ言った。
新堂ケイタはトレードマークのニット帽を深く被り直し、新庄マリウスはその長い栗毛を頻りに指先に巻きつけている。出山リンは貧乏ゆすりが止まらない膝を思い切り叩き、「クソっ」と喉奥から吐き捨てた。
「ああ、俺たちは戦うために訓練を続けてきたんだ……!」
「中佐に恥ずかしい姿は見せられない。僕たちはただ、使命を果たすのみ」
「やってやる、やってやるさ! もう逃げられないんだ、この状況じゃあ!」
冷静さという名の仮面はとうに剥離してしまっている。代わりに彼らが纏うのは覚悟だ。
何に代えても勝つ。勝って理想を未来へ繋ぐ。自分たち『リジェネレーター』に勝利を!
「高城カズヤ、【イェーガー・空戦型】――出撃する!!」
青年の声にもはや震えはなかった。
カズヤは分かっていた。この道に退路がなく、戦わなければ生き残れないのならば、武器を取るしかないのだと。
何もせずに死ぬことなど出来ない。何のための機体か。何のための武器か。何のための仲間か。その答えを理解しているのならば、逡巡は選択肢の外だ。
『ガアアアアアアッ!!』
射出機から飛び出した瞬間、真横を『鎧鳥型』が過ぎ去っていく。
羽ばたきの風圧に機体を揺さぶられながらも、操縦桿を握りしめるカズヤはどうにか体勢を立て直し、振り向きざまの一発を先程の一体へとお見舞いした。
ヘッドショット。
薄く纏う硬質の羽毛を突き破った弾丸が、【異形】の脳漿をぶちまける。
「高城!」「副班長っ!」
マリウス機とケイタ機はすぐにカズヤ機と合流し、決して離れまいと互いの背中を預け合った。
言葉にせずとも彼らは、離れ離れになっては【異形】の群れに呑まれて死ぬだけだと分かっていた。
「二人とも、闇雲に撃つなよ! 【エクソドゥス】に近づいてきた奴らだけを狙え! 俺たちの任務は敵の掃討じゃない、あくまでもこの飛空艇の防衛だ!」
「「了解!」」
弾薬の数には限りがあり、敵との物量の差は圧倒的。無駄撃ちはこちらの寿命を縮めるだけだ。
副班長の忠告に頷くマリウスとケイタは『魔力光線銃』を構え、迫る『鎧鳥型』の集団への迎撃を開始する。
「実弾を通さぬ硬い羽根だが、魔力ならば通る!」
「撃てば撃つほど俺たちの体力が削られるのが、珠に傷だけどなっ!」
二人と共に魔力光線の弾幕を張り、真正面から突撃してくる『鎧鳥型』を墜としていくカズヤ。
彼はカタパルトの射出口を尻目に、リンとスズが未だ現れないのを訝しんでいた。
(……二人はどうした!? 何か異常でもあったのか……!?)
生憎カズヤには後ろの状況を気にしている余裕はない。怪物たちの鯨波を飛空艇に迫る前に留めることで精一杯だ。
「炎よ、燃え盛れッ! 【紅蓮華舞】!!」
少女の叫びと同時に、舞い踊る火焔が鳥たちを巻き込んで昇っていく。
視界が開けた先に見えるのは真っ白い天使の翼。
「カナタ班、大丈夫ですか!? 敵の数があまりに多すぎる、魔力残量には気をつけてください!」
【イェーガー】では数体ずつ墜とすのが精一杯だった『鎧鳥型』たちを、【ミカエル】は一瞬で殲滅してのけた。
これが、【機動天使】。
カズヤたちの【イェーガー】とは比べ物にならないほどの性能と、それを完璧に操ってしまえるパイロットの実力。
高城カズヤは『学園』を中退した「落伍者」だった。だが、彼は決して落ちこぼれていたわけではなかった。常に何歩も先を行く同期の背中を追いかけ、追い続け、そして埋められない実力差に絶望して諦めたのが、彼という男だった。
学園を離れてフリーターとしての生活を続ける中で、彼は同期だったあの二人が【七天使】に任命されたことをニュースで知った。宇多田カノンと風縫ソラ。二人は『レジスタンス』で輝かしい栄光を手にしたというのに、自分は都市の隅っこでバイト生活をしているだけ。それが悔しくて仕方がなかった。
あの時、諦めて退学していなければ。
やがてカズヤはそう考えるようになった。やり直しのチャンスがほしいと願い続けてきた。叶うのならばもう一度、自分をパイロットとして高めてみたい。
その機会をくれたのが、『リジェネレーター』であった。
「大丈夫、です……俺たちのことはお気になさらず、刘大尉はあのワームホールへの対処を!」
【機動天使】のパイロットは皆カズヤより年下であるにも拘らず、彼を遥かに凌駕する才能を有している。
しかし、その事実に対する嫉妬や絶望はカズヤの中に既にない。
どんなに強かろうが死ぬときは死ぬのだ。カノンもソラも戦いの中で抗えぬ終わりを迎えた。カズヤが信じ、手に入れられずに諦めた強さとは、絶対のものではなかった。
「ええ! すぐにレイさんやカナタさんが補給を終えて加勢します、それまで耐えて!」
「了解!」
高城カズヤは己の至らぬ部分を認め、それでもなお足掻く決意を固めていた。
弱さが何だ。本当に必要なのはその事実から目を背けず、向き合える強さなのだ。
自分に足りないものを知り、優れたところを活かす。純粋なパイロットとしての実力が才能ある後輩たちに遠く及ばずとも、彼には人を纏める力がある。
(俺は副班長だ。月居班長が不在の今、戦旗を掲げられるのは俺だけなんだ――!)
カズヤは眦を吊り上げ、大量に襲い来る【異形】の軍勢を睨み据える。
相も変わらず突貫攻撃を仕掛けてくる『鎧鳥型』の背後より、『飛行型』がその巨大な一つ目から真紅の魔力光線を撃ち放ってきている。
「『アイギスシールド』展開! 光線に備えろ!」
「待てっ、高城! シールドを張ればこちらの光線も敵へ通せなくなるぞ!」
「なら『鎧鳥型』ごと受け止めればいいだろう! マリウス、ケイタ、全ての魔力を盾に注ぎ込め!」
自分たちは戦場において数多ある駒の一つに過ぎない。【機動天使】や【七天使】とは違う。
だが、変わらぬ意地がある。勝利を目指し、生き残らんとする意志では負けていない。
「魔力を振り絞れ! 魂を燃やすんだ! それが俺たちの戦いだ!!」
仲間を鼓舞し、己を奮い立たせる青年は滝のような汗を流しながら、この戦いに全てを懸けた。
虹色の防壁がその光を強めていく。そこに激突した『鎧鳥型』は衝撃に耐えきれず潰れ、次々とその死骸を墜落させていった。
「負けるな、負けるなッ! 耐えるんだ、何としても!」
カズヤの懸命な叫びはマリウスやケイタだけでなく、後方で出られずにいたスズとリンのもとにも届いていた。
圧倒的な敵の物量。濃く立ち込める死の匂い。打ち上がる叫喚と硝煙。それを前にしてスズの心はすくんでいた。
操縦桿を握る指先が凍り付いたようだ。身体は動いてくれないのに、目と耳だけが戦場からの情報を受信して脳を恐怖で突き刺す。
「スズ、スズ! 怖いのは分かる、でもここで動かずにいちゃダメだ!」
腐れ縁の少年の言葉が響いてくる。
スズは耳を塞ぎ、頭を激しく振りながら蹲った。
怖い。怖い。もう何もしたくはない。
恐怖の鎖に心を縛られた彼女に対し、しかしリンは諦めなかった。
『うち、月居さんみたいなパイロットになる! 小さい子らみーんなにカッコいい言われるようなパイロットを目指すんや!』
月居カナタというヒーローに憧れていたスズの姿を、いつも隣で見てきた。
思えばリンは、スズに振り回されっぱなしだった。
少しでもカナタに近づきたいというスズに付き合って、休み時間に昨年の一年A組の戦闘記録を見ることはしょっちゅうだった。
貴重な休日の時間は『第二の世界』での訓練の相手をさせられた。
矢神キョウジや二年A組の生徒に話を聞きに行ったり、『レジスタンス』の研究所まで赴いてカナタの強さの秘密を探ろうともした。
他人だったらわざわざここまでしない。だが、ただクラスがよく一緒になるだけの縁でもそこまではやらないだろう。
彼がスズのために時間を惜しまずに協力してきたのは――ひとえに、彼女のことが好きだったからだ。
カナタに夢中になっているスズの横顔は、最高に輝いて見えた。平凡でこれといった取り柄もなく、無我夢中で追いかけられるものもなかったリンにとって、スズはあまりに眩しい存在だった。
「月居さんみたいになるんだろ。みんなのヒーローになりたいんだろ。憧れてずっと追いかけてきたものを、半端なところで諦めるんじゃねえよ。俺にも最後まで、夢見せてくれよ」
声に嗚咽が混じっても、リンの言葉の底に通った芯は折れなかった。
まだ終わりではない。諦める時ではない。ヒーローはいつだって、皆が諦めた時こそ立ち上がるものだから。
「一緒に目指そうぜ、月居さんを。お前が月居さんに憧れ始めたその日から、俺たちずっと一緒にやってきたじゃないか。俺さ、結構楽しかったんだぞ? もちろん最初はいやいやだったけどさ……今じゃすっかりお前の同類だ」
二人で飛ぼう、とリンはスズへ微笑みかける。
それから彼は、言うのがこっ恥ずかしい台詞を彼女のためだけに口にした。
「いいか、よく聞けよ。一回しか言わないぞ。俺さ、お前のこと、ずっと」
「あー、かゆーっ。あんたみたいな冴えへん野郎の告白なんか聞いてたら、身体中が痒くなってしゃあないわ」
「……は、はああっ!? 何だよ、何だよそれ! この俺がお前のためにわざわざ言ってやろうとしたのに、そんな言い方ないだろ!?」
思わず顔を真っ赤にしてリンは怒鳴る。
だがまあ、それでこそスズだ。憎まれ口を平然と叩く、そんなところも込みでリンはスズのことが好きになったのだ。
「調子は取り戻したみたいだな。んじゃ、行くぞ!」
「おおきに、リン。まちごてもうちがあんたに惚れてまうことはないと思うけど、世の中にはまさかってこともあるからね。まあ期待せんと待っとって」
「話の続きは戦いが終わってからだ、いいな!?」
「りょーかいやで!」
普段の軽薄で言ってくるスズに強めの口調で言い含め、リンは彼女に先行して出撃する。
三機がかりで『アイギスシールド』を展開し、『鎧鳥型』と『飛行型』の猛攻を凌いでいるカズヤたちへと合流した彼は、副班長らの機体の肩を叩いて笑う。
「お待たせしました、カズヤさん、マリウスさん、ケイタさん!」
「うちもおります! さ、カナタ班の全力見せつけちゃいましょう!」
カズヤの右肩にはリンの手が、左肩にはスズの手が力強く置かれる。
後ろから支えてくれる二人の仲間に頷きを返し、元「落伍者」の青年は高らかに叫んだ。
「さあ、反撃開始だ!!」




