第二百二十話 男の戦い ―Show me what you're made of!―
「僕らの進軍の邪魔、しないでもらいたいな!」
声と同時に降ってきた弾丸を即座に展開した『アイギスシールド』で受け、天を仰ぐ。
広範囲の魔法攻撃をもって敵の陸軍機を足止めしていた【ウリエル】パイロットのカオルは、現れた天使を認めて眉間に皺を寄せた。
「アンタまで出やがったか、水無瀬ナギ……!」
地面に突き刺さり、あるいは砕けているのは弾丸ではなく雹だった。
空気中の水分を吸収して凍らせることで、魔力消費を抑えた上での掃射を実現してくる難敵――今のカオルが最も出会いたくなかった機体だ。
細身な体躯の輪郭は流線形で、臀部からはイルカのそれに似た尾鰭が伸びたシルエット。手足の指の間には薄膜状の水かきが存在する、水陸両用SAMの先駆け。飛行用兵装【アラエル】を背中に装備し、翼を得たそのSAMの名は【ガギエル】といった。
「僕の名を覚えていてくれたとは嬉しいね、風縫中佐の妹さん!」
「あら、アタシにはカオルって名前があるんですけど!」
威勢よく声を上げるカオルであったが、実際のところそこまで余裕はない。
魔力残量もそうであるが、何よりポジションで常に上を取られているのは圧倒的不利だ。空だけに意識を集中できない現状であれば、なおのこと。
「【テュール】のシズルさんたちが手こずってるようだからね、敵の戦力はさっさと削いでやらないと。それに……風縫中佐の仇討ちもある!」
掌に水の魔力を溜め、瞬時に冷却。
生成された氷塊を握り潰した【ガギエル】は、それを地上へ無造作に投擲した。
虹色の防壁に命中したそばから砕け散っていく雹。だがそれで構わない。カオルの背後――助太刀しに来た三機の【イェーガー・空戦型】を、礫の雨で一纏めに潰せたのだから。
「馬鹿ッ……何で、助けに来たのよ……!?」
翼を蜂の巣にされ、頭部を原型を留めぬほどに歪めた味方機の残骸を振り返り、カオルは喉奥から悲痛な声を絞り出した。
「僕らの邪魔をするからこうなるんだよ。死にたくなければその理想を捨てて投降しろ。これ以上、仲間を失いたくはないでしょ?」
水無瀬ナギが憎んでいるのは【異形】だ。人間ではない。殺すべきは【異形】との融和、共生を目指す思想そのものだ。
「何のために、何のためにここまでやってきたと思ってんのよ……! 未来に戦いの負債を残さない――こちとらそのために死ぬ覚悟でSAM乗ってんだっつーの!」
降伏を促してくるナギの思いは、カオルにも分かる。
しかしこれまでに散っていった仲間たちのためにも、共に希望の船に搭乗した青い肌の友のためにも、自分たちの信念を曲げるわけにはいかない。
もう後戻りなど許されないところまで来てしまった。背負った期待を裏切ることも、目指した未来を諦めることも出来ない。
「あぁ、そうかい。君たちは本当に、どうしようもない死にたがりらしいね」
氷の礫が再度、降り注ぐ。
カオルに防戦を押し付けるナギは、意固地になっている年下の少女へと憐みの視線を送った。
*
空へ上昇して十分な安全マージンを確保した上で放たれた、黒き靄――『ガミジンの鬣』。
それに包まれてもなお動きを停止させることなく、力の天使は突き進む。
腕の一振りで靄を払いのけ、踏み出した一歩で大地を揺るがした。
「……そんなもので阻めると思ったのか? もっと、もっと本気を出せ!」
血沸き肉躍る戦闘。
強者を前に修羅の魂は燃え上がり、敵をさらなる高みへ誘わんとする。
その渇望の叫びを聞くカナタは己の魔法がまるで効いていないことに瞠目しつつ、すぐさま【マーシー・ソード】を発動。
腰に佩いた『招雷剣』を抜いた【ラファエル】は、光を纏う刃を上段に構え、振り下ろした。
「はあああああッ!!」
一撃一撃を重く、強くしなければ【ゼルエル】の分厚い装甲には傷一つつけられない。
軋むほどの力で柄を握り込み、裂帛の気合を乗せて繰り出された一閃に対し――修羅の機体は開いた掌を高々と掲げてみせた。
そこに浮かび上がる青い紋章は、『レジスタンス』を象徴する不死鳥の片翼。
それは人類最強の男が胸に燃やす矜持の証であり、早乙女博士から授かった魔法の発動の合図だ。
『やばいかもカナタ!』
紋章の輝きを認めたマオは鋭くカナタへ警告を飛ばす。
この魔法は『エル』のデータベースに存在していない。これまで一度たりとも戦場で使用されることのなかった、【ゼルエル】の防御魔法。
「ッ……!!」
咄嗟にカナタが漆黒の防壁――【絶対障壁】を展開すると同時、顕現した半透明の魔力の盾が光の一刀を受け止め、そして。
そのまま跳ね返してみせた。
「なっ――!?」
「……それだけではない」
驚愕するカナタにセンリは小さく言い添える。
月居カグヤが使っていたのと同じ防御魔法をモノにしている少年を胸中で賞賛する彼だったが、その魔法の結末を見届けることはない。
カナタの視界の端、飛んで行った光線が向かった先は彼が作り出した防壁ではなかった。
そのまま反射されたと思われたそれは空中の一点で曲がり、曲がり、さらに曲がり。
何度も屈折を繰り返してルートを変えた光線は、【ラファエル】よりも高高度で戦っている最中の【メタトロン】へと突き進んだ。
「れ、レイッ!?」
『余所見はダメ、カナタ!』
マオの叱咤にカナタは視線を親友の機体から引きちぎり、【ゼルエル】だけを見据えた。
【ラファエル】の十八番である魔法が通用しなかった。他の光属性の魔法や『魔力光線銃』もおそらくは同様に防がれてしまうだろう。つまるところ、【ラファエル】が持つ飛び道具の殆どは【ゼルエル】には効かないということになる。
『不味いわ、カナタ……あいつの魔法、【ドミニオン】の連中と一緒よ!』
少年の分析は的を射ていた。
脂汗を額に滲ませるカナタは『招雷剣』を固く握り込み、そして掠れた声で呟く。
「まっ、まだ……光線以外なら通じるはずだ」
彼は【絶対障壁】を解除して敵前に姿を晒し、剣に再び魔力を注入した。
呼び起こすはかつての愛機が得手としていた属性の力。
白刃が纏う銀風が唸り、周囲の大気をも巻き込んで竜巻へと昇華していく。
「――【大旋風】ッ!!」
未だ不死鳥のエンブレムを掲げたままの【ゼルエル】へと、カナタは渾身の一撃を見舞った。
「甘い」
だが、しかし。
紋章が青白く瞬いたその直後、相手へ急迫せんとしていた竜巻がぐにゃりと捻じ曲がり、みるみるうちに勢いを弱めていった。
敢え無く、消える。
「そ、そんなっ……」
「無為、無駄、無益。【ゼルエル】の前ではお前の魔法など、赤子の戯れに過ぎない」
弱点があるならばそれを補って余りある対策を。
その理念によって練り上げられ、【ゼルエル】が獲得した魔法は、あまねく魔法をコントロールする絶対なる防御にして、至高の攻撃。
「【絶対領域】」
笑みを深めた修羅は少年へその魔法の名を告げた。
そう、ここは既に生駒センリの領域。
小細工などもはや不要なのだ。その剣を、鋼鉄の肉体を用いることこそ武術の極み。
「さあ、俺の元へ来い! そして戦え! お前の真価を見せてみろ、月居カナタ!!」
軍人ならば誰もが叩き込まれること。そして誰もがSAMに乗る中で、次第に軽んじていくもの。
それこそが体術だ。生存を最優先に動く兵たちは皆、銃に頼り切りになる。己の肉体を鍛えることを止め、魔力を少しでも高めるために糖分ばかりを採るようになる。
結局動くのは機械だからと、人である自身を高めるのを忘れる者をセンリは侮蔑する。
強い心は、魔力は、強靭なる肉体なくしてあり得ない。その肉体を最大限に高める手段こそ、武術の研鑽だというのがセンリの理念だった。
「いっ、生駒中将……!」
ここでカナタが戦わなければ、修羅は次の相手を求めて進撃するだけだろう。
カナタに戦いを避ける選択肢は、最初から用意されていない。
レイや仲間たちについて考えるのは後だ。彼を足止めしなければ、『リジェネレーター』の勝利はないと思え。
「ぼっ、僕はッ、あなたからは逃げない!!」
大地に降り立ち、対峙する。
これから試合に臨む選手の如く、二機は間合いを取った上で相手と睨み合った。
足元には青白い円形の魔法陣が広がり、不死鳥のエンブレムを浮かび上がらせている。
このリングが二人の戦場だ。魔法などに一切頼らない、男と男の闘いの舞台。
「……」
「……」
互いに構える永遠にして一瞬の、間。
少年の掌には汗がじっとりと滲み、心臓は狂ったように早鐘を打っている。
重く横たわる沈黙を最初に切り裂いたのは――【ゼルエル】であった。
踏み出した一歩の震動が相対する機体の芯を衝く。
巨体にそぐわぬ速度で鋭く蹴り上げられた脚を捕捉したカナタは、胸の前で腕を交差させてそれを受け止めた。
骨格を罅割れさせんばかりの衝撃が、腕から肩、そこに連なる全身へと伝わる。
「ぐうッ……!?」
「まだ一撃に過ぎないぞ、月居カナタ!」
圧倒的な膂力に弾き飛ばされた【ラファエル】。
反射的に浮揚して距離を取らんとしたマオだったが、カナタは首を横に振って彼女の選択を拒んだ。
彼に指示の声を出す余裕などない。だがその表情が、瞳に宿した闘志の炎が語っているのだ。
この戦いはカナタとセンリの一対一であり、第三者のマオの手出しを許しはしないと。
『カナタ――』
『――信じてるからね、カナタくん』
マオとマナカ、表裏一体の二人の声が重なる。
信じ、愛する少女たちの思いは少年の背中を押した。
「うっ、うおおおおおおおッ!!」
武道の技術において、月居カナタは生駒センリに敵わない。
それでも彼は叫ぶ。吼える。
虚勢でも構わない。この戦いに全てを賭けなければ、自分たちが積み上げてきた何もかもが終わってしまうから。
「――心の均衡が崩れているぞ、月居カナタ!」
「っ……!」
地面を蹴って猛烈なるタックルを仕掛けんとしたカナタだったが、それもセンリに呆気なく躱される。
払われる【ゼルエル】の脚に刈られ、【ラファエル】の鋼鉄の身体が転倒した。
敵に焦りが見透かされている。――だから何だ。
「ぼっ、僕はあなたに負けるわけにはいかない! あなたを、倒す!!」
次の攻撃へ移らんとした【ゼルエル】のモーションが、少年の目にはスローに見えていた。
確かに技術でも経験でも劣っているかもしれない。だが、月居カナタには生駒センリにはない武器があるのだ。
「――!?」
跳ね起きると同時に右足を軸として身体を翻し、回転しながら溜めた拳を【ゼルエル】の背中へと繰り出す。
瞠目するセンリは振り返りざまにそれを掌で受け止め、相手の拳に爪を食い込ませた。
あとコンマ数秒遅れていたならばセンリはカナタの一撃をもろに食らっていただろう。
カナタが持つセンリへのアドバンテージ――それこそが「速さ」だ。
「そうか。それがお前の力か、月居カナタ! だが、それはお前自身が戦いの中で会得したものではない! 所詮は母親の手によって与えられた、実体なき幽鬼の力に過ぎない!」
頭部へと撃ち込まれる少年のもう一つの拳を腕で弾く。
万力の如き膂力で握り砕かんとする【ゼルエル】の左拳に対し、【ラファエル】は強引にそれを振り払って飛び退った。
「たっ、確かに、僕の力は僕が生まれつき持っていたものではないかもしれない……だっ、だけど、それを使いこなせているのは他でもない僕だ! あっあなたが武道の技を鍛錬の中で身に着けたように、僕だって戦いの中でこの力を自分のものにした!」
構え、互いに次の攻撃の機を伺う間に、カナタはセンリの言葉を否定した。
理性を塗りつぶす獣の力に振り回されずにいられるのは紛れもなく、カナタ自身の強い自制心があるからこそ。
過去のトラウマに縛られた心はいつしか、大切な仲間たちを守る覚悟を宿した魂へと変わっていた。
その覚悟はカナタもセンリも同じであるはずなのに――どうして、こうして死に物狂いの戦いを繰り広げなければならないのか。
「そんなもの……!」
修羅の血走った瞳が見開かれる。ぎりぎりと歯を軋ませる男は一気に敵との距離を詰め、拳の連撃を見舞っていった。
大岩の如き拳が【ラファエル】の腕部装甲を容赦なく殴打し、亀裂を刻む。
少年には眼前の敵が巨人に見えていた。濃厚な殺気を孕んだ赤い眼、身体中から湧き上がる紅蓮の闘気。己が持つ総力をもって獲物の心身を叩き潰さんとする、破壊の化身。
連続する衝撃に攻勢に移ることさえ許されない。
荒れ狂う情動を発露したような暴虐の拳に、銀髪の少年は顔を歪める。
(痛い、痛い、怖いっ……でも……!)
悲しい。
それが、SAMの目を通してカナタが抱いた心象だった。
生駒センリは怒りに支配されている。憎しみに。過去に。
その姿は過日のカナタと同じなのだ。考えを異にする者、己を害する可能性のある者、一度そう認識した相手を頑なに拒絶する心。
センリの拳に込められているのは、鬱屈したやり場のない感情だ。彼は命を失った痛みを、敵対者の命を葬ることで誤魔化している。
「ああああああああああああッ!!」
瞬間、カナタは防御をかなぐり捨てて攻勢に転じた。
振り上げるは赤きオーラを纏った左脚。狙うは一点、恐怖の宿ったその右拳。
前触れなく放たれた恐れを知らない蹴り上げに、センリの反応は僅かに遅れる。
直後、鋭く跳ね上がった足が拳を打ち、その分厚い装甲を一撃で破砕した。
「ちぃッ……!?」
「うおおあああああああああッッ!!」
【ゼルエル】の左拳が【ラファエル】の右胸へと吸い込まれんとした刹那、少年は上体をのけ反らせてそれを回避。
勢いを殺せぬまま空振りしてしまったセンリは体勢を崩し、よろめいたその隙を突いてカナタは相手の懐へと飛び込んでいった。
(行くよ、カムパネルラ、マオ、マナカさん!)
あの蹴りで【ゼルエル】の拳を壊せたのはカムパネルラが与えてくれた『獣の力』があったからだ。
そして蹴りを放った後、こちらがバランスを崩さずに済んだのはマオの機体制御のおかげだ。
最後にカナタがセンリへの恐れを振り払えたのは、マナカの温かい思いが心の氷を溶かしたからだ。
「ぼっ僕は、あなたに勝つ!!」
思いを叫ぶ。
己の肉体と精神、その総力をもって【ラファエル】は【ゼルエル】を押し倒した。
鋼鉄の巨体の背中が地面に打ち付けられる振動と轟音が、重く響き渡っていく。
すぐさまマウントポジションを取ろうと馬乗りになるカナタに対し、センリは胸中で初めて心からの賞賛を送った。
武道を極めていない少年の技は実に稚拙だ。一時の優位を取られてもなお、熟達のセンリならば反撃の関節技で勝負を決めてしまうことも容易いだろう。
だが、センリは敢えてそうしなかった。
否定を叩きつけても折れず、自分に立ち向かってきた少年の勇気を――圧倒的な強者を前に臆さず、己自身を信じて一撃を入れてみせた彼の闘志を、生駒センリという男は認めた。
青白い不死鳥のエンブレムが、地面から色褪せていく。
「お前の理想に懸ける思い……その強さは本物のようだ。戦士としてはまだまだ粗削りだが……見込みは、ある」
スピーカーで伝えられるセンリの言葉に、カナタは目を見開いた。
殴り合いという名の殺し合いは、これで決着したのだ。
「い、生駒中将……」
【ゼルエル】を解放したカナタは、徐に起き上がるその機体を見下ろして呟く。
センリに自分を認めさせることは出来た。だが、戦いはそれで幕を下ろしてくれるわけではない。所詮は戦いの一局面が片付いたに過ぎないのだ。『リジェネレーター』が潰滅するか、『レジスタンス』のトップが停戦あるいは終戦を宣言するまでは、この戦争が終わることはないだろう。
「ちゅ、中将はこれから、どうなさるのですか……?」
「上官の命令を覆す権限は、俺にはない。だが……お前の邪魔をすることも、しない」
公私の狭間で選択を迫られた男が出した折衷案がそれだった。
立ち上がって【ラファエル】と改めて向き合う【ゼルエル】は、ややあって踵を返す。
「どっ、どこへ……!?」
「詮索してくれるな。お前は自分の仲間のことだけを気にしていろ」
カナタにはまだ、センリに訴えたいことがたくさんあった。それでも彼は中将の背中を追っていけなかった。
確かにセンリの言う通り、カナタたちには敵まで気にかけている余裕はない。
(次にコックピットの外で会った時は……もっと色んなことを話しましょう、中将)
最後に胸中で修羅と呼ばれた男にそう呼びかけ――カナタもまた、そこから飛び立つのであった。




