第二百十七話 急襲の『阿修羅』 ―A man fascinated by combat.―
消沈している場合ではないと、理性では分かっていた。
だが、感情に身体を緊縛され、どうすることも叶わなかった。
片翼を失った天使が大地に墜ちる光景を、カオルはただ、そこで見ていることしか出来なかった。
「兄、貴――」
【サハクィエル】は原型を留めぬほどに大破していた。歪んだ鉄屑の中にいるパイロットが生きているとは、誰が見ても思えるはずがない。
掠れた声が漏れる口を、カオルは手で覆い隠した。
泣いている場合などではない。戦場で人が死ぬのなんて当たり前だ。だから、気にせずに戦わなければ。いま死んだのは敵なのだから、歓声を上げて、皆の士気を高めなければ――。
「アタシ、は……」
部下が殺された。兄が死んだ。自分にとって大切なものを、カオルは一気に失った。
士官として、【機動天使】パイロットとしてカオルは戦わねばならない。
なのに――身体は、壊れた機械のように動いてくれない。
「いやっ……嫌。もう、こんなの……こんな戦い、嫌……!」
プライドを投げ捨て、少女は叫んだ。
それは敵味方問わず、この戦場にいる誰もが思っていることでもあった。
しかし、戦争の仕掛け人はいつだって安全地帯にいる。彼にとって戦いの現場とは、駒を動かす盤面に過ぎない。駒がたとえ意思を持っていたとしても、プレイヤーの指につままれた時点で自由を失う。いや――盤に並べられた時点で、駒の意志は始めから存在しないのと同じなのだ。
「目標を捕捉した。これより討伐する」
そして、その駒の一つにして最強の戦士である生駒センリは、この瞬間カオルの機体を捉えていた。
自らの率いる部隊の僚機を振り切る恐るべき加速をもって、筋骨隆々な黒鉄のSAM【ゼルエル】を走らせるセンリ。
黒い瞳に戦意の炎を滾らせ、急迫する。
(――終わった)
気づいた時には既に手遅れ。
限界まで目を見開いて凍り付くカオルは、大地を揺らして接近してくる【ゼルエル】に脂汗を流す。
風縫カオルと生駒センリの間には、埋められない絶対的な戦力差がある。それは決してその場の閃きや機転で覆せるものではない。
あれは最強の戦士なのだ。積み上がった幾多の屍の頂点に鎮座する、戦に魅入られし『阿修羅』――それこそが、生駒センリという男。
駄目だ。無理だ。勝ち目など一切ない。自分はここで、死ぬだけ。
絶望が鎌首をもたげてカオルに寄り添う。
全てを諦めて彼女が目を閉じた、その直後――飛ばされた鬼神の拳が、【ウリエル】の心臓を穿たなかった。
ドゴッッ!! と鳴り響く激突音。次いで齎されたのは、身体を突き飛ばす衝撃。
「え……?」
瞬間何が起こったのか、カオルはにわかに理解できなかった。
しかし己が生きていることだけは、口から溢れ出た声で実感できた。
今一度目を開く。
するとそこに広がっていたのは、黒い靄のごとき魔力のベールであった。
「かっ、カオルさんは死なせない!」
銀色の翼を背負う慈悲の天使。
漆黒の靄を突き破った【ゼルエル】の拳を拳で受け止めた【ラファエル】を見上げ、カオルは瞠目した。
「かっカオルさんは下がって! ぜっ【ゼルエル】に接近されたら、君じゃあ勝てない!」
【ガミジンの鬣】――『獣の力』を覚醒させた少年が【異形】を喰らい、獲得した魔法。
敵の魔力を吸収するその異能を発動したカナタは、魔力によって増幅した【ゼルエル】の膂力を削ぎ、掌で受けることが出来たのだ。
「……ゴメン」
少年に反駁できない自分がカオルは悔しくてたまらなかった。
センリに勝てないと本能で理解していても、同い年でなよっとしたカナタに言われるとどうにも認めがたい自分がいるのだ。
その苛立ちが少女に動く力を与える。
地面を蹴飛ばして再び走り出した【ウリエル】は、大空の【エクソドゥス】を仰ぎ、それに置いていかれまいと【ゼルエル】を回り込む形で前進していった。
(今、生駒中将と渡り合える可能性のあるパイロットはアンタしかいない。少しでもあの阿修羅をそこに縫い留めて、カナタくん……!)
喪失の炎に胸が焼かれている。それでも、守ってくれた仲間に報いないわけにはいかない。
あのカナタから恩だけ受け取って散るなど、カオルのプライドが断じて許しはしないから。
「待ってな、『レジスタンス』の皆様方! アタシが全部受け止めてやるわ!」
前方に大挙して押し寄せる【イェーガー】らを睥睨し、カオルは叫ぶ。
痛みは彼女に冷静さを授けていた。こちらから攻撃すれば「正当防衛」だという大義名分がなくなるのだと弁え、敵前に姿を晒しながらも魔法を撃ち出しはしなかった。
蠢く黒鉄の兵士たちがじりじりと距離を詰めてくる。決して逸らず、相手を入念に観察しながらの動きは、圧倒的な数的優位がもたらす余裕によって為せるものだ。
「来やがれっての……!」
彼我の距離はもはや激突寸前だ。
飛空艇同士の正面衝突。その下では、地上部隊が【エクソドゥス】を離れたカオルたちを囲まんとしている。
「来い……来いっ!」
限界まで引き付けろ。殺気は絶やすな。敵が死の恐怖に、「攻撃」を試みるまで――。
脂汗を滲ませながらカオルは杖を構え、雷魔法を待機状態にしておく。
今にも放たれようとしている青き電流の輝き。
その光が進撃する兵士たちの「カメラ・アイ」に眩く差し込む中、カオルは軍勢の背後から接近する影を目にしてしまった。
空に打たれた黒き点。
それは徐々に大きさを増していき、その姿を鮮明にさせていく。
「何、あの機体……!?」
漆黒の翼が纏うのは、赤く禍々しい魔力。
【イェーガー】よりも一回り大きな体躯は真紅で、肩や肘、膝などの装甲は臙脂色に塗装されている。ボディが帯びる赤い光芒は、『ナノ魔力装甲』だろうか。
何より特徴的なのが骨太な腕の先、右手に装備されている巨大な螺旋機構だ。
頭部には緑色に光るカメラ・アイを除けば顔のパーツにあたる部分がなく、シルエットも全体的に角ばっている。機械を生物へ――【異形】へ近づけようとした月居カグヤのコンセプトとは真逆を行くデザインである。
――チカッ、と。
瞬間、その機体が突き出した左の掌が青く瞬いた。
その直後、耳を劈く大音響が放たれ、足元の大地ごと【ウリエル】を揺さぶった。
「あがっ……!?」
『ナノ魔力装甲』によって低減してもなお、身体の奥底までを震わせる衝撃。
肋骨に響く痛みにカオルは喘ぎ、空の新手を睨み上げた。
「どーいう、つもりよ……! 真っ向から来るなんて……!」
正当防衛という大義を与えてしまう行為。
それはすなわち、敵を余さず叩き潰すのだという意思表明だ。
一人残らず殲滅してしまえば、後から糾弾する者もいなくなる。
ソニックブームによって真紅のSAMがカオルを妨害するとすぐさま、狩人の軍勢は慎重さをかなぐり捨てての猛進を開始した。
湧き立つ土煙に目を細め、体勢を立て直したカオルは待機状態にあった雷魔法を解き放たんとする。
「あたし、やるでしょ……! あれ食らっても待機状態維持できてたんだから!」
笑みを刻む口元に余裕はない。
冷や汗を流す彼女の前には既に、視界を埋め尽くさんばかりのSAMが並んでいる。
攻撃は『ナノ魔力装甲』で全部受け、眼前の敵を薙ぎ払うことに全神経を集中させる――それ以外にこの戦局を乗り切る方法はないと、彼女は判断した。
「ちょっと痺れるけどよろしくッ!」
杖を振り抜くとたちまち雷鳴が轟き、雷が迸る。
大地を走る稲妻は黒鉄の兵士たちの足元を掬い、脚部を伝って昇りゆく。
「雑兵はそこで大人しくしてな!」
カオルの視線は上空の新型SAMに固定されていた。
電撃によって機能を麻痺させられた【イェーガー】たちが足止めを食らっている中、【ウリエル】は矢継ぎ早に新型を狙撃せんとする。
炎、氷、雷、風、光。
有効な属性を探るつもりで各魔法を打ち分けていく【ウリエル】に対し――その新型は、踵を返した。
背中を撃たれても一切構わないというような素振りに、カオルは「なっ!?」と声を上げる。
「逃げようっての!? そうはいかないわ!」
飛ぶは炎の矢、突き進むは雷の槍。
赤と青の輝きが重なり、一つの砲撃となって新型の黒き両翼を穿たんとした。
が、しかし。
翼に魔法が直撃するその寸前、湧き立った真紅のオーラがそれを包み込む。
「っ……!?」
光の残滓だけを残して、カオルの魔法は掻き消えた。
魔法に特化した【機動天使】最新機の砲撃が完璧に防がれたその光景を、彼女はにわかに信じることが出来なかった。
「待ちなさいよ! まだ、アンタの攻撃もらい足りないんだけど!?」
彼女が叫ぼうがそれを意に介すこともなく、真紅の新型は【エクソドゥス】へと一直線に接近していく。
歯軋りするカオルの追撃はもはや無意味であった。
先程の再現を目の当たりにした彼女は、拳をコンソールへ打ち付けて吐き散らす。
「ちくしょうッ!!」
弱いのは【ウリエル】ではない。
不破ミユキが作り上げた至高のSAM、その真価を引き出せなかったカオル自身だ。
力量の差で自分はあの新型のパイロットに敗けている――そう痛感する彼女は、深追いを諦めて進軍してくる【イェーガー】たちへ改めて向き直る。
「せめて、アンタたちだけは止める。それくらい出来なきゃ、死んだ奴らに向ける顔がない……!」
やれることをやるだけだ。
己が身の、朽ち果てるまで。
*
「聞こえるか、『レジスタンス』! 俺は元『使徒』の朽木アキト! 『レジスタンス』の理念は人を守ることであり、人を撃つことではなかったはずだ! それをどうか、思い出してくれ!!」
【イェーガー・空戦型】を駆って【エクソドゥス】から出撃したアキト、ハル、フユカ。
彼ら元『使徒』の面々は『交信』能力を用いての説得を試みていた。
「チッ、止まってねーぞあいつら! それに――」
「もたもたしてたら、やられちゃう!」
ハルが舌打ちし、フユカが眉間に皺を寄せる。
睨み合う飛空艇【エクソドゥス】と【テュール】の一騎打ち。
真紅の新型SAMの登場と同時、攻勢に出た『レジスタンス』側が魔力砲撃を開始した。
青白い神の雷が閃いて、【エクソドゥス】を真正面から穿ち抜かんとする。
「――希望の船は、わたくしが守ります!」
猛進する雷槍の行き着く先に待ち構えるのは、救恤の天使が展開する桃色の盾。
光輝が描く十字のエンブレムは誰かを愛し、守り抜く【機動天使】の象徴だ。
魔力と魔力の激突。炸裂する火花と衝撃波に、巻き込まれまいとアキトたちは【防衛魔法】を使用しつつ後退する。
「……っ、こえが……!?」
誰かに意思を届けようと意識を集中すればするほど、フユカたちの脳内には無数のノイズめいた音が反響してしまっていた。
重なるそれは人の声。戦う者たちの、内なる声。魔力の混線する戦場の中、溢れる感情に雁字搦めにされる。
「いやっ、うるさいっ……!?」
「くそっ、中断だアキト! このまま叫び続けても、僕たちがおかしくなるだけだぞ!」
制御もままならなくなったフユカ機の腕を引き、ハルは一旦【エクソドゥス】から距離を取った。
が、二機のみが離れたその隙を、敵が突かないわけがない。
戦果に逸る【イェーガー・空戦型】三機が一気に飛び出し、同時に『対異形ミサイル』を撃ち放った。
「フユカ守れッ!!」
叫び、咄嗟に『アイギスシールド』を展開するハル。
機体が重い――これでは回避など到底間に合わないと、彼は本能で悟っていた。
【ドミニオン】ならば余裕で避けられたであろう、ミサイルの連射。
それをまともに防御魔法で受けたハルは、たちどころに食らった衝撃によって操縦席の背もたれに叩きつけられる。
「がっ……!?」
機体スペックがなければこんなものかと、ハルは己の無力を呪った。
それでもすぐに手放してしまった操縦桿に食らいつき、機体の体勢を立て直しながら彼は眼前の敵機への反撃へと移っていく。
「簡単に倒せると思うなよ……授かった力が無駄じゃなかったってこと、証明してやる!」
かつては自身の精神をかき乱し、惑わした力。
「母」であった月居カグヤに植え付けられた、ヒトを獣に変える力。
いま敵になくて自分たちだけが有しているアドバンテージは、それだけだ。
「行くぜッ!!」
対話は後回しだ。やらなければやられる。
やむなく攻撃に舵を切ったハルは雄叫びを上げ、己の内に眠る力を醒まさせた。
刹那、脳内に走り抜ける電流。秘められしもう一つの魂が少年の魂と共鳴し、その感覚の全てを引き出す。研ぎ澄ます。
「――抹殺ッ!!」
宙を蹴って飛び出すと同時、腰から抜くのは鎖鎌。
赤きオーラを纏っての急加速。
敵機のカメラ・アイが捉えているのは、残像だ。
断末魔の声さえ許さない瞬撃が、首を刈る。
「ふッ――!!」
描かれた白銀の軌跡を、赤き血潮が辿っていく。
首を失った狩人たちが次々と墜落していく中、ハルはフユカとアキトへ呼びかけた。
「【テュール】周りの【イェーガー】どもをやるぞ! 機体性能が互角なら、有利なのは僕らの方だ!」
「うん!」「了解!」
フユカは二刀、アキトは死神の鎌を振りかぶり、解放した『獣の力』による瞬発力をもって敵陣へと切り込んでいく。
「周囲のSAMは任せましたよ、三人とも……!」
【エクソドゥス】の直上で支援魔法と防御魔法を展開するミコトは、ハルたちの背中を見送って呟く。
身を呈して希望の船の盾となる彼女だったが、そこでこちらへ急接近してくる真紅のシルエットを認めて目を見開いた。
(あれは、新型!? これまでの【七天使】や【機動天使】とも違うような――)
彼我の距離が縮まっていく。迫る殺意が装甲越しに肌を焦がす。
その機体の右腕に見える巨大なドリルを前に、ミコトが覚えたのは否定しようがない既視感であった。
昨年の春、皇ミコトにとって初のSAM戦となる舞台で試合した、真紅に改造された【イェーガー】。
あの新型が放つ気配は、あれと全く同一だ。
「貴方は、アスマなのですか!?」
ミコトの声は震えていた。あの九重アスマがSAMで人を撃つ戦場に出ているなど何かの間違いだと思いたかった。
カナタやイオリと共に月居カグヤに立ち向かったアスマは、人を守るために戦える子ではなかったか。
それなのに何故――そう悲痛に顔を歪めるミコトへ、新型機のパイロットは叫びを届ける。
「そうですよお姫さん! 僕はここで、僕の機体の素晴らしさを証明する! あんたらの理想を、この【アザゼル】で叩き潰すことでねッ!!」




