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暁の機動天使《プシュコマキア》  作者: 憂木 ヒロ
第九章 運命の相克

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第二百十三話 決断の三分 ―"Don't play!"―

【エクソドゥス】のCIC――戦闘指揮所――では焦燥の叫びが連鎖していた。


「現在の状況は!?」

「既に幾つかの小隊は帰投を果たしております! しかし、未だ生存者の半数以上は地上に残っているとみられ……その正確な数も現状、把握できていません!」


 魔力によるネットワークを完全に遮断された彼らには、それに頼った味方機の位置情報特定システムは使えない。

 目視での確認は精度に欠ける。黒く焼け焦げた大地に紛れる漆黒の【イェーガー】の見落としは、避けられないだろう。

 

「なぁ、マトヴェイさんよ。いつまで待つのか、もう決めたのか?」


 誰もが焦りに駆られる中で、そう問いを投げ渡したのはカツミだった。

 彼の言葉に思わず立ち上がり、レイは怒気のこもった声をぶつける。


「カツミくん! どこかで見切りを付けろと、あなたはそう言うんですか!?」

「おいおい、勘弁してくれよ。レイ、お前の過去はカナタから大体聞いた。だがな、それはあくまで昔の話だ。いつまでも仲間を切り捨てるのを怖がって貰っちゃあ困るんだよ」


 カツミもまた席を立ち、自分よりずっと小柄な少年の胸ぐらを容赦なく掴み上げた。

 葛藤に歪むレイの顔を睨みつけ、捲し立てるカツミはその軽い身体を揺さぶる。


「勝つか、負けるか。どっちを選ぶべきか、頭のいいお前に分からないわけはねえよな? 俺にだって分かってんだぞ? 敵は容赦なんかしてこねえ。こっちも同じ思考でいかねえと、食い破られるだけだろうが!」


 敵は狩人だ。そして自分たちは、【異形】と同様に狩られる側の存在と成り果てた。

 獲物として狙われた者には、敵の前から逃れるまで一手のミスも許されない。石に躓いたガゼルはライオンに咬み殺されるだけだ。

 生き残ること。

 そして、理想を決して絶やさないこと。

 それが今の自分たちに求められている行動なのだと、カツミはその黒曜石の瞳で訴える。


「……そうですわ、レイ。わたくしたちが戦う理由――その意味を忘れてはいけません」


 これまで悲痛な面持ちで口を閉ざしていたミコトも、意を決してレイへ呼びかける。

 生き残るために逃げ遅れた部下たちを見捨てることになる自分たちは、死んだらきっと地獄行きだろう。それでも――罪を背負ってでも理想を貫かなければ、同じ夢を描いた彼らへの裏切りになる。

 マトヴェイ・バザロヴァもまた、『リジェネレーター』を率いる者として決断を下そうとしていた。

 腕時計に目を落とした彼は、唇を固く引き結び、それから視線を上げる。


「あと三分。その期限をもって、【エクソドゥス】はここを発つわ」


 あまりに短い刻限。しかし、戦場における「三分」は状況が良くも悪くも一転するには十分すぎる時間だ。

 俯いて拳を握り締めるレイを横目に、カツミはマトヴェイに指示を仰ぐ。


「マトヴェイさん、俺も出させてくれ」

「……戦力の温存を、なんて言ってられるほど余裕じゃないわね。いいわ、行きなさい」


 通信が機能しない以上、CICにいる人員は多少減らしても構わない。

 それに、カツミには戦場に出なければならない理由がある。マトヴェイもそれは承知していた。


「カツミくん、アンタたち【機動天使】の役割は敵の主力である【七天使】の足止めよ。加えて、頃合を見て敵を撒き、ここへ戻ること」

「この不利な状況で両方やり遂げろってか? 常識破りな指揮官サマだな、あんたも」

「何とでも言いなさい。いいわね、必ず帰ってくるのよ」


 鼻を鳴らすカツミにマトヴェイは語気を強めて言った。

 上官に背を向けてひらひらと手を振ってみせる長身の少年は、そのままブリッジを出て行った。

 いつでも出られるよう既に『アーマメントスーツ』に身を包んでいたカツミを見送って、レイは脂汗の滲む額に指を食い込ませる。


「……戻ってこなかったら、許しませんからね……!」


 出会った当初はお互いいけ好かないと思っていたが、今ではレイにとってカツミは大切な仲間だ。死んでもらいたくなどない。

 と、そこでカツミに続き、ミコトも起立してマトヴェイへ申し出る。

 

「マトヴェイさん。わたくしも【ガブリエル】に乗って【エクソドゥス】のデッキから支援を行います。よろしいですか?」

「ちょうど頼もうと思っていたところよ。――ミコトさんは文字通りの生命線だわ、護衛の小隊を付けて」


 桃髪の少女もまた、レイの方を見もせずにこの場をあとにしていった。

【機動天使】でたった一人取り残された彼は、今にも跳ね上がりそうな膝を押さえつけながらマトヴェイに訊ねる。


「マトヴェイさん、ボクは……ボクは、どうしたらいいですか」

「アンタは『対異隊』の頭脳よ。ブリッジに残って」


 自分が守られるべき人材であると、今のレイには思えなかった。

 それならミコトをここに留めおいて、レイが代わりに【ガブリエル】で仲間を助けた方がいい。

 早乙女・アレックス・レイは、かつて仲間を見殺しにした兵士だ。彼はカナタと出会う以前までは【異形】を討つことがその贖罪だと思っていた。だが今では、彼の贖いは仲間を守り抜くことへと変わっていた。

 それなのに、自分は出撃させてもらえない。

 そのことがレイは無性に悔しく、歯痒くて堪らなかった。


「……了解、しました」


 しかし第一に、レイは軍人だ。

 上官の指示を呑み、一つの生き物としての軍の秩序を守らなければ、その不機能を招いてしまう。

 それが理解できないような人間であるならば、彼はこの席には就けていない。


「見てるだけが指揮官じゃないわよ。アタシたちは両手にそれぞれ、責任と兵たちの命を握っている。SAMに乗っていない時間でも、アンタはここで皆と一緒に戦っているのよ」


 今この瞬間も戦っているユイたちを思いながら、マトヴェイはモニターに映る焦土の戦場を見据える。

 出来る限り多くの味方を収容した後に、南西へ向けて飛び立つ――【異形】よりも恐ろしい「敵」を前に、彼は指揮官として今一度覚悟を決めるのであった。



「犬塚大尉……! 本当に、行かれるのですか!?」

「お前たちを船に戻すことだけがおれの役目じゃないからな。ま、信じてくれよ」


 彼らの全速力での一直線な撤退は、幸いにも成功していた。

 コックピットハッチを開け、叫んでくる部下にシバマルも同じようにして応じる。

 親指を立てて笑ってくる年下の上官に、思わず目を潤ませながらも部下たちは敬礼を返した。


「――さあ、行くぜ!!」


 声に気合を乗せ、少年は操縦席へと飛び込む。

 ヘッドセットを接続する間も惜しんで操縦桿を倒した彼は、助走をつけてから一気に飛翔した。

 銀色の翼に反射光を煌めかせ、【ラジエル】は果敢にも【七天使】へと向かっていく。

 

(ブリッジからの指示は聞こえねぇ……おれ一人の勝手な判断になるけど、怒るなよレイ先生!)


 少し口うるさい友人に内心で詫びつつ、シバマルはモニター越しに青天を睨み据えた。

 どこかに隠れている敵からは自分の姿は丸見えだ。隠れ蓑になる雲も、生憎ない。【ラミエル】にとって、【ラジエル】はじっくりと狙いを定められる的なのだ。

 

(いつでもかかってきやがれ、【ラミエル】……!)


 シバマルが不敵に笑えたのには、理由があった。

 攻撃の瞬間、敵は己の位置情報をそこで晒すというリスクを負う。相手がこちらを鬱陶しく思い、排除に動いてくれさえすれば、一撃を叩き込む好機が生まれる。

 そうして飛んできた敵の攻撃を躱すか受け流すかして、なおかつ相手の懐に入り込んで倒す。

【エクソドゥス】には戦力的余裕がない。犬塚シバマルには、たった一人で【七天使】の一機を討ち取るという難題が突きつけられている。

 だが、それでも彼は果たさねばならない。諦めることなど許されてはいない。

 そうあるべきだと、決めたから。

 軍人として生きていくとは、そういうことだと。


「だいたいその辺にいるんだろ、【ラミエル】ッ! そこが一番、この新宿全体が見渡しやすい位置だろうからな!」


 そう当たりを付けてぶっ放す。

 最新装備の電磁投射砲レールガンに魔力を込め、それを電磁気力へと変換。発生したエネルギーが砲身中にある二本のレールの間を一気に駆け、爆発的な加速力をもって弾丸を送り出していく。

 ――手ごたえはない。


「もう一発!」


 決して連発が効く代物でもないが、【ラジエル】の大味な風魔法に比べれば燃費はいい。

『魔力増幅器』の理論を電磁気力への変換装置へと転用した技術を匿名で提供した科学者――その人物のおかげだ。

 白い尾を引いて天高く打ち上がる弾丸を目で追って、シバマルは鋭く息を吸い込む。

 仮に倒せなかったとしても、敵を潜伏させたままそこに縫い留めておければ及第点なはずだ。

 そうだ。そのはずだ。だから――


(これで、いいんだよな……?)


 撃っても、撃っても、手ごたえが返ってこない。

 体高約六メートルの機体が回避のために激しく動けば、少なからず気流が生まれる。飛行特化型の【ラジエル】であってもそれを全く感じられないなど、普通ならあり得ない。

 あり得るとするならば――敵が既にこの周辺にいないという可能性だけだ。


「無駄打ち、だったのか……? おれは、たった一人で飛び出して……それで、何も出来なかったっていうのか……?」


 失ったのは数分にも満たない時間。だが、戦場においてはその僅かな時間のロスが、守れるはずのものを守れなくなる最悪の結果に繋がりかねない。


「くそぉっ、くそっ!」


 牽制攻撃を続行するのか、【エクソドゥス】へ戻るのか。魔力通信による指示が得られない状況の中、少年はその二者択一に迫られた。



 この状況で姉が現れないはずがないと、カツミは確信していた。

 あれは戦闘狂という類の人間だ。【異形】を狩ることに何よりも快楽を見出している毒島シオンが、『リジェネレーター』の理想を良しとするわけがない。

 故に、シオンは拒まない。

 敵陣に実弟や見知った顔が幾つも並んでいようが、彼女は確実に邪魔者を潰しに来る。


(姉貴……やっぱ、やっちまったんだな)


【エクソドゥス】から飛び出した直後、カツミは数百メートルほど離れた地点にがくりと膝を突いている純白の機体を捉えてしまった。

 そしてその機体の向こうにあるどす黒く変色した溶解物も、見てしまった。

 黒髪を鷲掴んで頭皮に爪を立てる少年は、眉を吊り上げて天空の【マトリエル・飛天】を睥睨する。

 この距離で声は届きはしないだろうがスピーカー機能をオンにし、彼は叫んだ。


「ふざけんじゃねえぞ、姉貴ッ!!」


 カツミの激情に呼応するように、【ラグエル】の筋骨隆々とした漆黒の体躯が赤い輝きを帯び始める。

 マグマのごとく脈打つ魔力の流れを全身へと巡らせ、猛るSAMに、上空の蜘蛛に似た機体はスカーレットの八つ目を点滅させた。

【マトリエル】が背負う飛行ユニットの両翼が、空色の光を放ちだす。

 直後――前傾姿勢となった機体が一気に直進、地上の標的へと急迫していった。


『ふざけてんのはアンタらのほうだっての!』


『対異形ミサイル』の乱射。

 すかさず後退するカツミを逃すまいと掌の一つより放出される、粘っこい糸。

 弟が踏むであろう場所に先んじて張られた蜘蛛の糸が【ラグエル】の足を掬い、転倒させる。

 

『かっちゃん、アンタの「ナノ魔力装甲」は単純な物理攻撃、魔法攻撃の両方に強いけど、明白な弱点がある。でも、アンタのことだし……それを自覚しないで戦場に出たってわけじゃ、ないんでしょ?』


 直接ダメージを与えてくる攻撃にはめっぽう強いが、搦手には対応しきれないのが『ナノ魔力装甲』の弱みだ。

 つまり、【マトリエル】は天敵中の天敵。


「ったりめーだろ、クソ姉貴……! 俺ァな、てめーの盲目さを正したくてここにいるんだよ。戦闘以外に自分の価値を知らしめる方法を知らない、知ろうともしない、てめーの馬鹿さ加減をどうにかしたくてなァ!」


 ぎり、と蜘蛛の脚に組み敷かれた巨人の体躯が軋む。

 それでも臆すことなくカツミは腹の底から声を張り上げ、姉に抗った。

 実際のところ、それは虚勢に過ぎない。これだけの隙を生み、敵に上を取られたカツミは圧倒的な不利を被っている。

 

(――馬鹿かよ、俺は……! 姉貴にこれ以上クソみてぇな真似をさせねえために、ここまで来たってのに……!)


 カツミが身動きを取ろうとすればするほど、重ね掛けされた糸が彼の四肢から自由を奪う。

 コックピットの中の彼は額に脂汗を滲ませ、わななく拳を固く握りこんだ。

 視界を覆い尽くす黒々としたSAMの禍々しい姿。頭部の大半を占める、赤々と血走った八つの複眼。

 それを前にしたカツミは、原初的な恐怖が否応なしに湧き上がってしまうのを感じる。

 そこにあるのは姉弟の情などではない。ただ一つ、単純な殺意のみ。


「待て、姉貴。話をするんだ――俺たちは姉弟だろ。話せばまだ、殺しあわなくとも何とかなるかもしれねえ。だから、頼む……姉貴」


 物理攻撃を主体とする【ラグエル】にとって、肉体の動作を封じられたのは敗北と同義だ。

 故にカツミは戦士としてのプライドを捨て、最後の手段として対話を持ち掛けた。

 いや、最後の手段などと言わず、初めからこうしていれば良かったのだ。

 姉が矛を収めてくれるという一縷の望みは、しかし、次の開口で叩き壊された。


『アンタ、アタシを馬鹿にしてんの? ちょっと説得されたくらいで揺らぐ程度の決意でここに臨んでるって、そう言いたいの?』


 伸ばされた手が【ラグエル】の首根っこを掴み、『ナノ魔力装甲』の上からくびにその爪を食い込ませる。

 

『――ふざけるんじゃないよ! 誰がッ、誰が望んで姉弟と戦いたいっていうの!? アタシだって迷ったさ、躊躇ったさ! それでも【異形】を滅ぼす悲願の為だって、蓮見司令やヤマト殿下が望んだことだからって、自分に言い聞かせて出撃したのに――』


 カツミはあらん限りに目を見開いた。

 姉は何も心を痛めずに人を殺したわけではなかったのだ。幾多の葛藤、幾多の逡巡の末に彼女はこの戦場へと舞い降りている。


『ここでアンタを殺せばっ、アタシを縛るものは何もなくなる! だから――だから、ここで死んで、カツミ』


 爪の先から沁み出ているのは、SAMの装甲をも溶かす強酸性の毒液だ。

 カオルの部下を数秒で跡形もなく殺した、【マトリエル】が持ち得る致命の毒。

 そのSAMの手は暴れ狂う女の感情を反映したかのように震えていた。それでも掴んだまま離すことなく、【マトリエル】は容赦なく毒液を敵機へ送り込んでいく。


(……っ、なんで、こんな……)


『ヘッドセット』接続によって機体とシンクロしていたカツミの感覚は、早くも鈍り始めていた。

 糸に締め付けられた四肢の痛みが、分からなくなっている。痺れの類も、悪寒や発熱といった異常もない。

 何もないのだ。毒が頸部の『魔力液エーテルチューブ』を通して身体に巡ってしまった瞬間から、全身の感覚が。

 あるのは思考を凍てつかせる生理的な恐怖だけだ。

 これから自分は実の姉の手によって、殺される。その事実の咀嚼をカツミの脳は拒んだ。

 何故。どうして。ふざけるな。こんなことは違う。こんな結末、自分も姉も望んではいないのに――。


『苦しむ時間も、怖がる時間も与えたくなかったのに……やっぱ、【機動天使】ってすごいんだね。アタシの毒を食らって即死しないなんて、流石は明坂主任だよ』


 抑揚を殺した口調でシオンは【ラグエル】を見下ろし、呟いた。

 間もなく、この声もカツミには聞こえなくなるだろう。感覚という感覚を失った彼が落ちるのは、無という名の深い深い闇だ。

 弟に残された時間は幾ばくか。

 口を噤み、流れの遅くなった時の中でただ待つことを選んだシオンは、静かに瞑目した。

 周囲の戦闘の音が煩い。思考がノイズにかき乱される。最後の別れの時だというのに、あんまりだ。


『うるっさいなぁ! 邪魔しな――』


 ひゅっ、と空気を切り裂く鋭い一閃。

 腕の二本が根元から断たれ、断面よりどす黒い魔力液を噴射しながら視界の外へと飛んでいく。

 痛みに叫びだしそうになるのを歯を食いしばって堪え、シオンが顔を上げたその先にいたのは――。


『【ラファエル】――!!』

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