第二百五話 未来への出航 ―The first, the ground search strategy―
唸る風が荒涼とした大地を削り、裸の木々がぎしぎしと軋んでいる。
見渡す限りの寂しい光景に、コックピットのパイロットたちは溜息を吐くばかりだ。
【カラミティ・メテオ】墜落以後、激しい気候変動によって地上は氷河期に片足を踏み込んでいる。そこに生息する生物は【異形】そのものか、【異形】と交雑することで血脈を繋いだ者たちだ。動物も、植物も、鳥も虫も魚も、もはや【異形】に侵食されてしまっている。
「【異形】を全部滅ぼすって言ってる奴らは、地上の生き物を根絶やしにでもするつもりなのかねぇ」
【ウリエル】パイロットの風縫カオルは、機体のカメラアイをぐりんぐりんと動かしながらそう独り言つ。
彼女から数百メートル離れた地点、緑化した道を通り過ぎていく鹿は、ヘラジカを超える巨躯とねじ曲がった禍々しい角を誇っていた。分厚い脂肪の上に長い毛皮を羽織ったその姿は、駱駝のようにもバッファローのようにも見える。
「あれはあれで進化の形だと思うけどねぇ。……カツミ、そっちの状況は?」
『未だめぼしい反応はねぇな。やっぱ、そう簡単にはいかねえってこった』
カオルが見つめるモニターの隅、地図上に青い点として表示されているのは各味方機である。魚鱗の陣形――部隊を「△」の形に展開する――は進軍開始から四時間が経った今の時点では一度も崩れていない。
集められた兵士たちは一般人から元『レジスタンス』隊員、学生と烏合の衆だ。それでもここまで陣形を保つことが出来ているのは、マトヴェイ直属の部下である士官たちや【機動天使】たちによる徹底的な教育が大きい。
出現が予測される【異形】の全データを叩き込み、仮想現実での訓練の中で戦術と戦略を飲み込ませ、しまいには「試験」をもって過酷なる戦いの恐ろしさを実感させた。厳しい訓練に一般人の中からは脱落者が続出する結果となったが、それを乗り越えられた軍人としての適性を示した者たちが部隊として編成され、こうして地上に出ることとなっている。
「ま、そうだよね。……こちら【ウリエル】風縫カオル。【エクソドゥス】、応答願います」
『カオルさん、どうしました?』
「レイくん、何か進展は?」
『何かあったらこっちから全軍に連絡してますよ。なかなか変化がなくて焦れったい気持ちも分かりますが、あまり頻繁な通信は控えるように。有事の際、手が空いていなかったら困りますから』
心中を察しながらも注意してくるレイに、カオルは「分かったよ」と溜息混じりに返した。
【エクソドゥス】は魚鱗陣形で進むSAM部隊のちょうど真上の空を飛行している。
地上の部隊と空の飛空艇、二手から理智ある【異形】の本拠地を捜索するというのが今回の彼等のミッションだ。
「ぅおっと、危ないっ!」
踏んだ足元が崩れるのを足裏の感覚で瞬時に把握したカオルは、足底部に魔力を纏わせて生まれた斥力をもって離脱する。
彼女らが通っているのは、【カラミティ・メテオ】墜落以後放置されていた国道だ。舗装された道を足底部のホイールを回して走る方が体力的な負担が少ないということで、道路を辿るように進行しているわけだが――時に、こういうアクシデントが発生することもある。
「皆も気を付けなよ! 『魔力ロケーション』である程度劣化の酷い箇所は分かるけど、体重のかかり方次第では安全っぽかった場所が崩れることもありうるからね!」
「「「はい!!」」」
指揮官の一人として周囲に注意喚起を促すカオル。
自分についてきてくれる仲間たちを心強く思いながら、彼女は見えてきた古びたビル街を睨んで呟いた。
「だいぶ自然に侵食されちゃってるみたいだけど……あれが、東京」
新暦22年2月15日。
約三ヶ月の準備期間を終えた『リジェネレーター』は、『第一次地上探索作戦』を決行した。
丹沢から出立した彼らの目的地は、かつての首都・東京。
放棄されてから二十年余りが過ぎた首都圏を三日ほどかけて探索し、『新東京市』へと戻る。
それが、『対異形調査部隊』――通称『対異隊』の初任務であった。
*
「順調な船出ね。まずはそれだけ、喜んでおきましょうか」
煙管を咥え、紫煙を燻らせる『リジェネレーター』総指揮官は、鮮やかな紅を差した唇を微かに弓なりに曲げる。
希望の船【エクソドゥス】の出航は、ミラー大将ら『レジスタンス』海軍の協力もあって妨害なく完了できた。
出立から約四時間、途中の空路で『飛行型』の小規模な群れに遭遇したものの、有翼の【機動天使】たちの活躍によりこれを全て退けることに成功。
地上の部隊も特に遅れなく、徐行している【エクソドゥス】についてこられている。
今のところ、彼らに滞りらしい滞りはない。
「だからといって気を抜いてはいられない……でしょ、マトヴェイさん」
「よく分かってるじゃないのワンコちゃん。そろそろ哨戒任務の交代時間よ、準備して」
「へへっ、いつでも出れますよ」
鼻の頭を掻きながら犬塚シバマルは得意げに笑う。
持ち前の人懐っこさでマトヴェイとすっかり打ち解けた少年は、白い『アーマメントスーツ』を纏った姿で肩を回した。
【エクソドゥス】のCIC――戦闘指揮所――で火器管制を担当していた彼は、隣にオペレーターとして掛けるレイを横目に呟く。
「おれたちが飛空艇のCICに座ってこんなことしてるなんて、なんか、夢みたいだよな。まだいまいち、実感わかねー」
「湧かせてもらわないと困りますよ。これは仮想現実などではない、リアルな戦場での戦いなんですから。ボクたちの行動一つで兵士たちの命運も左右される。人の命を背負って、ボクたちはここに着いているんです」
そのドライな口調は、初任務に浮かれたところのあるシバマルを一気に現実へと引き戻した。
そう、ここは地上。どこにでも【異形】が潜み、隙あらばこちらを喰らわんと好機を窺っている過酷な戦場なのだ。
加えて、今回の任務はこれまでとは条件が異なる。
『レジスタンス』だからこそ受けられた恩恵は、今の彼らにはない。
「私たち神崎財閥が食料等を含めた物資を最大限支援していますが、それでも途中で『レジスタンス』の補給ポイントが利用できないとなると、少しのミスが人命のロスにも繋がってきますわ。ですから駄犬、貴方もこれまで以上に気を引き締めて戦いなさい」
「わかってら、リサリサ。……一旦SAMに乗っちまえばもう、そこは地獄だ」
『第二次プラント奪還作戦』。約半年前のあの戦いで、シバマルはユイたちと共に文字通り生死の淵を彷徨った。
命のやり取りがどういうものか、彼は既に身にしみて理解している。
リサは通路を挟んだ向こう側のコンソール前に座る少年を一瞥し、こういう会話にばかり慣れてしまった自分たちを憂うように睫毛を伏せた。
「シバマルさん、戻りました! 交代します」
「お疲れさん、ユイ。ツッキーたちの様子はどうだった?」
薄青の『アーマメントスーツ』が青髪とコントラストを醸す刘雨萱は、マトヴェイに目礼してからシバマルのもとへ歩み寄った。
彼に訊ねられたユイは表情を僅かに曇らせる。それからやや躊躇いながら、しかし軍人として言うべきことを口にした。
「『交信』の連続使用のために、カナタさんたちは相当魔力を消費してしまっています。わたしの指示でニネルさんとテナさんは一旦下がらせましたが、カナタさんは『僕は大丈夫だから』の一点張りで……。レイさんの口から注意してもらえませんか?」
理智ある【異形】はただ歩いていれば見つかるような代物ではない。
彼らとのコンタクトを取るために『リジェネレーター』が用いた手段こそが、【異形】の力を宿している月居カナタと朽木アキト、来栖ハル、最上フユカ、そして『新人』のニネルとテナの『交信』能力だった。
特に【異形】の血を半分引いている『新人』二名と『獣の力』に高い適性を示すカナタは、半径数キロにもわたって魔力を飛ばし、意思の伝達を行うことが出来る。
ゆえにマトヴェイは元々訓練を受けていなかったニネルらへ戦場に同伴することを求め、彼らにSAMの乗り方を教えたのだ。
「馬鹿カナタ……仕方ないですね、ボクから【ラファエル】に繋ぎます」
お願いします、と言ってユイはシバマルと場所を交代した。
【エクソドゥス】はいよいよ旧東京駅の上空へと到達する。レイがカナタへ呼びかけている声を聞きながら、マトヴェイはモニターの映像から降下できそうなポイントを探った。
「そうね……あのあたりかしら」
かつて林立していたビル群が大破し、広大な更地と化した空間。
約五年前、カナタたちも一年次の最初の試験で戦った鳥型の第一級異形『ラウム』と、宇多田カノン率いる『レジスタンス』部隊との戦いがそこであった。その時『ラウム』の起こした颶風が老朽化したビル群を一掃し、この場所を平に均したのだ。
「十五年放置されていたとはいえ、半径二キロメートルもの範囲のビルを木っ端微塵にし、跡形もなく吹き飛ばした『ラウム』……ボクたちが試験で戦ったヤツは、その本来の力を三割も出していなかったということになりますね」
レイの言葉に、あまりの恐ろしさに返す言葉すら思いつかないユイたち。
『ラウム戦役』とも呼ばれる幾度にもわたる討伐戦は五百名を超える死者――これは『レジスタンス』の一度の戦闘の犠牲者数では『福岡プラントの悲劇』の二千名に次いで多い――を出し、今もその悲惨さが語り継がれている。
「アタシたちは【異形】との対話を目指してる。でも、忘れないで――彼らが持つその力を。少しでも気を緩めれば殺される戦場に、アタシたちは立っているのよ」
真っ直ぐ『対話』に臨めるのは本当にひと握りの実力者のみだとは、マトヴェイは言わなかった。
希望は必要だが傲りは要らない。それは実力者の足を掬いうる、最大の敵だ。
と、その時、ブリッジの自動ドアが小さく電子音を上げながらスライドする。
やって来たのはマトヴェイが実力者と評する一人、月居カナタだ。
「ごっ、ごめん、レイ……ちょ、ちょっとムキになってた……」
「謝るべきはボクではなくマトヴェイさんやユイさんでしょう。まったく、君は本当に他人に心配かけることにかけては一人前なんですから……」
項垂れる銀髪の少年は、レイの言葉を受けてマトヴェイの前に立ち、深々と頭を下げた。
そんな彼にマトヴェイは「いいのよ、アンタが無事なら」と素っ気ない声で言う。
「……でも、次からは『交信』の使用は十五分ごとに十分の休憩を挟むルール、忘れずにね。自分の身を守るのはまず自分よ。動きがなくて焦る気持ちも分かるけど……アタシたちがやってるのは釣りみたいなもんなんだから、気楽にいきましょ」
実際、マトヴェイの喩えは的を射ていた。
これまで理智ある【異形】が出現した際、ほとんど例外なくそこには月居カナタがいた。カナタが終盤までいなかった『第二次プラント奪還作戦』の折も、『パイモン』や『ベリアル』が『人の女王の子』と称してカナタを意識していたことが、レイやシバマルの証言から判明している。
カナタこそが、理智ある【異形】と出会うための鍵なのだ。
なぜ彼らがカナタに執着するのか、未だはっきりとしたところは分かっていないが――マトヴェイは、カナタが発現した力が強大であるがゆえに理智ある【異形】にとって「手に入れるべきサンプル」として見られている可能性が高いと推察している。
似鳥アキラのように彼らに従順な人間が、カナタと同じような力に目覚めたら。それを考えるだけでマトヴェイの背筋には怖気が走る。
「とりあえず降りたら日が沈む前に実地調査ね。自然に侵食された東京が果たしてどう変わったのか……『レジスタンス』が補給路の構築ばかりで疎かにしていた生物学的研究も、この地上で彼らとの共生を目指すアタシたちの役目よ」
苔むした平らな地面へと【エクソドゥス】は静かに降り立っていく。
着地と共に『ナノ魔力装甲』の緑光を収めた飛空艇には、時を同じくして寂れた都市へと突入した地上部隊が足早に合流していった。
地上部隊を束ねる指揮官として出立から兵たちを支えてきたミコトは、彼らに通信をもって呼びかける。
「――さあ、務めを果たすのです。平穏な未来を掴み取るために」




