第二百四話 発進、【エクソドゥス】 ―To a new challenge.―
「やはり、こうなってしまうのは避けられなかったわね……」
赤髪の将は憂えずにはいられない。
久々に雨に濡れた窓辺を見つめ、溜息を吐くマトヴェイ・バザロヴァは手元のスマホから視線を外した。
今しがた会議を終えた室内で休憩を取っていた部下の一人が顔を上げ、上官の言葉に応じる。
「仕方ありませんよ。元より思想は真っ向から対立していたわけですから。今はこの状況下で何が出来るかを考えましょう」
宙に浮いていた『リジェネレーター』の処遇について、昨日、緊急閣議にて「不認可」とすることが正式に決定した。
それは国から違法組織だという烙印を押されたことを意味する。いつ警察に突入されてもおかしくはない、そういった状況にマトヴェイたちは置かれていた。
「明坂さんが神崎に提供した設計図を元に作られた小型SAM、あれをビル前に配置することで警備としていますが……所詮は急場凌ぎのクオリティです。色々と粗があると明坂さんもおっしゃられていました」
「本気で突入されれば止める術はないってことね。けど、政府側が都市内でドンパチやるとも考えにくいわ。『狂乱事変』もあって市民たちは都市内の争いごとは二度と御免だと思ってる。そんな雰囲気でことを荒立てれば、支持率は急降下よ」
「では、少なくともこの都市にいる限りは我々は安全……そういうことですか」
部下の問いにマトヴェイは小さく頷いた。
今の台詞はあくまでも希望的観測であり、絶対ではない。
「人事に関してはほぼ決定、兵器やその他物資についても神崎と系列グループが急ピッチで準備中。『対異隊』を地上に派遣できるのは、早くても年明けの二月末ね」
マトヴェイが憂慮しているのはその先である。
都市内とは異なり、地上は武力を使い放題の無法地帯。そこに出た後に『レジスタンス』との武力衝突が起こったとしても、何もおかしくはないのだ。
「楽観的でいられるほど世情は甘くないわ。【エクソドゥス】には対SAM及び対艦・対飛空艇用の装備を搭載させて。いいわね?」
「……そう、なりますよね」
「仕方ないことだわ。本当に……仕方がない、としか言い様がない」
煙管を片手に煙を吐き出すマトヴェイは、その長い睫毛を憂いげに伏せた。
彼に釣られて部下たちも陰鬱な面持ちとなる中、ドアを開けて勢いよく入ってきたのはシバマルである。
「マトヴェイさーん! 今日の訓練、終わりましたー!」
「報告ご苦労。相変わらず元気ね、ワンコちゃん」
ユイと一緒に定期報告にやって来たシバマルに、マトヴェイら将校たちは口元を緩めた。
その元気さで重苦しい空気を払拭してくれる彼のような存在は、この状況下では普段以上にありがたい。
「こちら、本日の訓練中の各員のバイタルです。鳥海大尉、確認お願いしますね」
慣れた手つきでタブレット端末を受け取った若い男性士官がそれに目を通し、異常値がないか改めて確認していく。
試用の結果、神崎財閥製の仮想現実『新世界』に異常がないことは判明した。だが、それを使うのは『学園』の生徒や現役の軍人のみならず、兵士に志願した一般人もいる。
長らく戦場から離れていた彼らは、仮想現実内での戦闘でPTSDなどの症状を発生させてしまうリスクが高い。そのため、マトヴェイは全兵員の健康チェックの徹底を命じたのだ。
「……やはり、全員に異常がないとはいえませんね。問題のある兵員は『対異隊』の第一次遠征のメンバーからは外した方が良いか……」
考え込む鳥海大尉にユイはこくこくと頷いた。
彼女はこれまでの経験を買われ、兵員の育成係と『対異隊』の人事を受け持っている。亡き宇多田カノンの背中を追うように頑張っている彼女は、関係の上下を問わず組織内で慕われていた。
「わたしも同意見です。今のところ、『対異隊』の編成は心身に問題のある兵を除いて試験で決めようと思っているんですが、大尉はどう思われます?」
「それで良いと思いますよ。……しかし、試験ですか。なんだか『レジスタンス』に入ったばかりの頃を思い出しますね」
「ふふ、わたしもですよ」
日本でも中国でも、『レジスタンス』に入った者たちにとって最初のイベントが試験だった。部隊編成の参考にするため能力を測らんとする、実践に則した過酷な試験である。
ユイが新人時代に行ったのは、限られた物資をもって自分たちの部隊のみで五日間生き延びよという試練だった。【異形】が潜む広大な森林地帯での戦いでは、いつ襲われるか分からないため満足に寝ることもままならず、プレッシャーに潰されてしまう新兵も少なくはなかった。
「ですが、入隊したばかりの一般人には少々厳しすぎる気がしますね」
「確かにそうかもしれません。でも、それを乗り越えられなければどの道、地上では生き残れませんから。想定されうる極限状態は出来るだけ体感させたほうがいいんです。一番の敵は、戦場を甘く見る心ですから」
理想に燃えるばかりで現実から目を背けるようなことがあってはならない。
『リジェネレーター』を軍隊として運用するならば、全ての兵たちに地上の過酷さを一から叩き込む必要がある。
それを分かっているからこそ、ユイは兵たちから恨み言をぶつけられるであろう「鬼教官」の役割を自ら買って出る覚悟でいた。
「そうよねぇ。ま、とりあえずお疲れさま。インスタントのしかないけど、コーヒー飲んでいって」
「いえ、インスタントでも全然! ありがとうございます、総指揮官どの」
「マトヴェイでいいわよって言ってるのに……。総指揮官どの、って長いし堅苦しいしどうにも慣れないのよねぇ」
「ふふっ、じゃあマトヴェイさん」
空いた椅子に掛け、マグカップのホットコーヒーを啜るユイ。
廊下で冷えた身体を満たす温かさに表情を和らげる彼女は、ふと思い出したようにマトヴェイに訊ねる。
「そういえば、カナタさんたちはどちらに? 今日は姿を見かけませんでしたけど」
「あぁ、あの子たちはねぇ、ちょっと地上に出てもらってるの」
「外、ですか?」
ニヤリと笑い、マトヴェイは首を縦に振った。
それから少しの間を置いて、答える。
「……地上にね。【エクソドゥス】への初試乗を任せたのよ」
*
時刻は昼前まで遡る。
カナタとレイ、そしてミコトは明坂ミユキ・科学技術部主任と共に地上――小田原港まで出向き、そこで飛空艇【エクソドゥス】の試乗を行おうとしていた。
「あそこが小田原港、海軍の主力基地が置かれている場所ですね。そして、あの発着場で待っているのが――」
【イェーガー・空戦型】二機と【空戦型・指揮官機】一機に護衛されながら、少年たちを乗せた輸送機は眼下の発着場へと降下していく。
彼らを守っているのは元『レジスタンス』空軍の中尉と一等兵二名。『レジスタンス』との取引で地上へのSAM輸送を融通して貰った彼らは、途中出現した『飛行型』の集団も難なく蹴散らせる腕利きだ。
「あ、あの人たちは……!」
発着場から少し離れた位置、建物の入口付近で空を仰いでいる二人の人影。
黒い肌に大柄な体躯、日光に輝く禿頭のイーサン・トマス・ミラー大将と、遠目にも目立つ銀髪のグローリア・ルイス中佐である。
着陸した輸送機からカナタたちが降りていくと、二人の将は悠然とした足取りで彼らの方へ向かい、歓迎した。
「よく来てくれましたね、明坂主任、皆さん。改めまして、私がグローリア・ルイス中佐です。主任以外と顔を合わせるのは初めてですね」
「はじめまして、ルイス中佐。そしてミラー大将。わたくしたち『リジェネレーター』へのご協力、感謝いたします」
深々と一礼してから握手を交わすミコトに、ミラー大将は「このくらいはさせてくれ」と笑みを浮かべる。
「『第二次プラント奪還作戦』での戦いが終結した後、マトヴェイの坊主と話し合って決めたんでな。私たちは【異形】との戦いにピリオドを打たねばならない――後の世代に問題を先送りにはしないと。勿論、迷いはあったが……坊主が司令を退いた夜にあいつと改めて話し、『リジェネレーター』に手を貸すことにした」
元々【エクソドゥス】は海軍の管理下にあった。未完成のそれを地上の丹沢基地周辺まで飛ばせなかったこともあり、マトヴェイとしては海軍の協力を取り付けるのが急務であった。
彼が『レジスタンス』を去る夜、ミラー大将らに提示した条件は以下の通り。
『リジェネレーター』に全面協力するならば、『リジェネレーター』の収益の半分を海軍へ流すこと。
ミラー大将は『リジェネレーター』のバックに神崎グループがあることを鑑み、地上での探索事業が成功すればそれなりに組織が潤うと見越して、マトヴェイの誘いに乗ったのだ。
「まあ、私がやったことは今のところ博打でしかない。君たちの探索が上手くいき、かつ神崎との商売が成功すればようやくメリットが得られるわけだからな」
「それでもあなたたちに未来を託してみたい――ミコト殿下や月居くんたちの演説を聞いて、私たちはそう思いました。世間はいま真っ二つに割れていますが、少なくとも私はこの選択が間違っていたとは考えていません」
利害関係が第一ではあるが、理念にも共感している。だから信用してほしい、とグローリア中佐はミコトたちの目を見て言った。
ミユキ、カナタ、レイも大将らと簡単に挨拶を済ませた後、一行はさっそく【エクソドゥス】の試乗へと移っていく。
「こっ、これが【エクソドゥス】……!!」
既にイメージ画像で知ってはいたが、それでもやはり実物を前にすれば驚かずにはいられない。
港に浮かぶ白を基調とした巨大な体躯は、誰もに息を飲ませる威容を放っている。既存の飛空艇【テュール】よりも一回り大きく改造された艇の側面からは、何枚もの鋼鉄の羽根が重なった翼が張り出していた。さらに艇の後部には鳥の尾羽を思わせる板状の『魔力増幅器』が扇のように広がり、また前部には嘴を想起させる突起が伸びている。
「空へ飛び立つ白い鳥……まさしく自由と平和の象徴ですわね」
胸に手を当て、しみじみとミコトが呟いた。
彼女の隣で頷くレイは、ミユキを振り返って訊ねる。
「そういえば、【機動天使】みたいに十字架の意匠は施さないんですか?」
「ええ。【エクソドゥス】が目指すのは、これからの世代が拓く未来。何にも縛られずまっさらなキャンバスに希望を描けるようにという思いを込めて、ボディのカラーリングは真っ白にしてあるの」
ミユキは誇らしげにデザインのコンセプトを語った。
そんな彼女の説明も他所に、先程から目を輝かせっぱなしのカナタはレイの袖を引き、既に下ろされているタラップを指差す。
「ねっ、ねえねえ! はっ、早く乗ってみようよ!」
「ばっ……馬鹿カナタ、子供じゃないんですからはしゃがないでください! ミラー大将たちが見てますからっ」
「はははっ、いいじゃないか早乙女少佐。若いのは可愛げがあるくらいが丁度いいもんだ」
豪快に笑う大将に、顔を赤らめるレイ。
一緒にさっそくタラップを上がっていく彼らにミコトら女性陣も続き、ミラー大将らも同伴した。
乗り込んだ先、艇内に張り巡らされた廊下を抜けて辿り着いたブリッジは【テュール】のそれよりも広々とした作りとなっていた。
ブリッジは階段のような二段構造となっており、航行管理を行う下部のメインブリッジとCIC――戦闘指揮所――の置かれた上部のサブブリッジとに分かれている。
CICのモニターやコンソールをわくわく顔で見つめているカナタに「勝手に触らないでくださいよ」と耳打ちしつつ、レイはミラー大将を仰いだ。
「では、大将」
「ああ、分かっている。――お前たち、客人の前だ。【エクソドゥス】の初飛行、びしっと決めてやれ!」
大将の一声で彼の背後に控えていた海軍の士官たちが一斉にブリッジへと乗り込み、各々の持ち場へと着いていく。
ミラー大将はCICの中央に置かれた司令席、グローリア中佐はその脇に据えられた席に掛け、前方の大モニターを正視した。
カナタ、レイ、ミコト、ミユキが固唾を飲んで見守る中、大将の一声を以て希望の方舟は目を覚ます。
「翼部『ナノ魔力装甲』最大展開! 後部魔力推進器出力全開! さあ行くぞ若き戦士たちよ――【エクソドゥス】、発進ッ!!」
奮い立つような震動が乗員たちの胸を衝く。
足元に感じるわずかな浮遊感。鼓膜の奥に響く重低音は、希望へ突き進む艇の産声だ。
白銀の翼にエメラルドの光を纏い、【エクソドゥス】は飛び立つ。
水飛沫を引きながら浮上したその艇は、雲一つない青へと勢いよく向かっていった。
「こ、これが、僕らの船……ぼっ僕らの、希望……!」
ブリッジの大モニターに映る快晴の空を見つめ、カナタは胸を高鳴らせた。
そう、自分たちの――『リジェネレーター』の戦いはここから始まるのだ。
『新人』と出会い、分かり合う喜びを知り、憎悪の行方に心を引き裂かれた少年少女らは、己が望む平和を直向きに願う。
そうして進んだ未来に何が待っているか、今は誰にも分からない。
だが、分からないからこそ足掻く意味がある。必死に戦おうと思える。
『対異隊』に求められるのは、まさしくそれだ。
未知と直面しても懸命に考え、行動を起こし、そして何かを変えていく。
この空の向こうには何が待っているのだろう――来るべき日の邂逅を思うカナタは胸中でそう呟き、隣に立つ仲間たちに微笑みかけるのだった。




