第百九十八話 再生者 ―For harmony.―
途端に報道陣はざわめき始めた。
当然だ。蓮見タカネの唯一の対抗馬であるマトヴェイ・バザロヴァ張本人が、今この場で立候補を取り止めると言い出したのだから。
「ば、バザロヴァ元帥……! どういうおつもりなのですか⁉」
「り、理由は⁉」
「一体なぜ、投票日を目前にして立候補を取り下げたんですか⁉」
詰め寄ってくる各局の記者たち。突きつけられたマイクを手振りで払いのけたマトヴェイは、「そう焦んなさんな」と鷹揚な口調で彼らに言う。
あれほどの発言をしてこの態度。どういう心づもりなのだと周囲が怪訝に思った時点で、場の主導権はマトヴェイの手の内だ。
「私は十一月二十二日を以て、『レジスタンス』司令を辞任します。そして同日付で、新たな組織『リジェネレーター』を発足することを、ここに宣言いたします」
リジェネレーター。直訳するならば、「再生者」。
なぜこのタイミングでの新組織立ち上げなのか。再生者との命名にはどのような含意があるのか。
焦らすように少し間を置き、マトヴェイは咳払いしてから同志たる少年少女を呼びつけた。
「ミコト殿下、レイくん、カナタくん! いらっしゃい」
カメラは舞台袖より現れた三人の学生たちをズームする。フラッシュの雨に打たれながらも毅然と隣まで歩いてきたミコト、レイ、カナタ、ユイを横目に、マトヴェイは説明を開始した。
「世間で取りざたされている通り、私やミコト殿下ら【機動天使】のパイロットたちが『新人』と呼称される【異形】とヒトの遺伝子を兼ね備える者たちと関わっていたのは事実です。しかし、報道されているような人類に歯向かう意思は、微塵もありません。『新人』たちは極めて我々に友好的であり、発見されてよりこれまで、人間への攻撃は確認されていないのです」
蓮見タカネが書き付けたシナリオを、まずは真っ向から否定する。
彼の息のかかったメディアの記者団が声を荒げるのに先んじて、マトヴェイは間髪入れず言葉を続けた。
「本日正午過ぎ、『丹沢基地』付近で【異形】の大群が出現したのは既にニュースになっていることでしょう。この戦闘は約一時間ほどで終結しましたが……『基地』内で保護されていた『新人』ら十三名が兵士たちに虐殺される事件が、戦闘終了まもなく起こりました。彼ら『新人』は人に逆らわず、穏やかに与えられた居室で過ごしていただけにも拘らず、殺されたのです」
兵士たちが『新人』を殺したのはタカネの判断ではなく、「何かあったらすぐに始末せよ」との研究主任の言葉があったからだ。彼らは頭に響いたニネルの歌声を受け、彼女が【異形】の魔法を使ったと判断。危険を排除するために無抵抗な『新人』を銃殺した。
それは紛れもない真実ではあったが、マトヴェイらの視点からすれば推測に過ぎない。
そのため事情を掘り下げるのは避け、ただ『新人』らが殺害されたという事実だけを端的に伝えた。
そこまで語り、マトヴェイはミコトへバトンを渡す。
「『リジェネレーター』の理念は一つ。この世界の争いに終止符を打つこと……それだけですわ」
胸に手を置き、ミコトは透き通るような青い目で聴衆たちを見渡した。
争いを終わらせる。戦いに荒んだ世界を、再生する――それこそが自分たちの意思なのだと、凛然とした瞳は語る。
「罪なき命を奪ったのは、人々の心に根ざした憎しみです。それを取り払い、否定するつもりはありません。【異形】の爪痕は未だ消えず、わたくしたちの怒りや悲しみもまた、心に残り続けています。大切な者を奪われ、傷つけられた者からしたら、【異形】は滅ぼすべき悪と映るでしょう」
蓮見タカネが語った【異形】への憎悪や、奴らと戦おうという意思をミコトは認めた。
その上で、彼女は人々に問いかけるのだ。
『基地』にいた『新人』たちが、『都市』の民たちへ何かしたのかと。
「『新人』たちに罪はありませんでした。彼ら彼女らは【異形】の遺伝子を持つ者ではありますが……人類を蹂躙した【異形】らと同じ罪は背負っておりません。彼らはわたくしたちと言葉を交わし、共に歌い、笑顔でいられる存在なのです」
ミコトが視線を遣る舞台袖には、フードを目深に被った小柄な人影が二つ。
軍服姿の青年に連れ添われて登場した彼らにミコトは小さく、「顔を見せてくださいますこと?」と訊ねた。
間もなく、微かに震える手がフードに触れる。
俯いていた顔が上げられると同時、露になった顔を前にして記者たちは瞠目した。
「ひっ……!?」
青い肌に尖った耳、口元に覗く鋭い犬歯。濃紺の髪の少女とライムグリーンの髪の少年を直視した者たちは、たちまちざわめき出す。
怯える者、露悪的に顔をしかめる者、表情を硬直させる者と、反応は様々。
だが、好意的に受け止める者はやはり一人としていなかった。
「皆様、お静かに。この二人があなた方に攻撃するようなことは、断じてありません」
落ち着き払った、なおかつよく通る強い口調でミコトは記者たちをなだめた。
場が静まるまで少し待ち、それから彼女は二人を紹介する。
「こちらの女の子はニネル、そちらの男の子はテナといいますわ。お二人共、皆様に挨拶してくださいまし?」
「こんにちはっ」
「よっ、よろしくお願いします、です」
溌剌と言うニネルに、緊張しながらお辞儀をするテナ。
同胞を失ってからまだ一日と経っていない二人を横目に、ミコトはあまりに酷なことだと思う。
傷を隠し、無理に笑いでもしないと彼女らが人に認められることはないのだ。
本当なら部屋に閉じこもり、涙を流しても咎められることはないのに、二人はマトヴェイたちの要請に応じてくれた。ニネルもテナも、繊細ではあるが強い心を持った子たちなのだ――赤髪の将は内心でそう感嘆していた。
「フラッシュはなるべく控えていただけますか。この子たちは我々よりも敏感なのです」
しかし、そう頼んでも記者たちがすぐにカメラを下ろすことはなかった。ミコトが再度、先程よりも声量を上げて注意すると、ようやく閃光が止む。
ニネルたちに小声で「大丈夫ですからね」と言い、それからミコトは記者団へ毅然と表明した。
「彼らが、生き残ったたった二人の『新人』ですわ。わたくしたちは彼らと邂逅してからの約四ヶ月間、相互理解を進めるために幾度も交流してきました。人の文化を知らず、言葉にも疎い彼らに話しかけ、歌を贈り、物語を読み聞かせ、共に遊ぶうちに――彼らは、わたくしたちに心を開いてくれました」
そこまで話したタイミングで、会場の照明がふつりと落ちた。
記者たちが当惑する中、ミコトの背後の白い壁にプロジェクターで映像が映し出される。
それは『丹沢基地』のデータベースにマオがアクセスして回収していた、『新人』たちとミコトたちとの日常の一ページだった。
『ミコト、おいしいっ』
『うふふ、良かったですわ。今日のマドレーヌはわたくしが作ったのですよ。先週のクッキーは少々焦げてしまいましたが……今回は上手くいきましたの!』
『……実際のところは半分くらい、ボクがやりましたけどね』
『じゃあ、ミコトとレイ、どっちもすごい?』
『そうですねぇ。ミコトさんもレイさんも、とってもいい感じに焼けてますから』
オレンジ風味のしっとりしたマドレーヌに舌鼓を打つニネルに、微笑むミコト。
ぼそっと言ったレイの声を拾ったのはテナで、歌うような口調で言ったのはユイだった。
とある日曜日のおやつ時の一幕を懐かしむように見上げ、ミコトは記者たちへ語りかける。
「皆様、この光景を目にしても、彼らがわたくしたちの敵だと思えますか。共にお菓子を味わい、共に笑顔になる……たとえ見た目や血筋が違えども、わたくしたちは心で繋がることができるのです」
野次を飛ばす記者は一人たりともいなかった。そこには初めて目撃した『新人』の姿をどう受け止めるべきなのかという迷いがあった。
映像が終わり、会場が再び明るくなると同時にミコトからマイクを受け取ったのはレイである。
「『リジェネレーター』の理念、そして『新人』たちについてはバザロヴァ元帥とミコト殿下が説明してくれました。これから私が語るのは、『リジェネレーター』という組織を設立した理由になります」
マトヴェイに新組織の発足を提言した者として、レイはマスコミ一同とカメラの向こうにいるであろう蓮見タカネを真っ直ぐ見据える。
深呼吸の後、金髪の少年は淀みない口調でその経緯を明かし始めた。
「私たちが『リジェネレーター』を設立せざるを得なかった理由。それは、『レジスタンス』がもはや『新人』たちのセーフティネットとなり得ない現実を、目の当たりにしてしまったからです。たとえバザロヴァ大将が引き続き司令の座に就いたとしても、今回の『新人』虐殺事件のような惨劇が繰り返されないとは限らない。私たちが組織として独立することで、『新人』たちの生命と人権を保護し、彼らと人類との対話の架け橋となる。それこそが、『リジェネレーター』の活動目的になります」
予め用意していた説明書きのパネルを胸元に掲げながら、レイは宣言した。
それから彼に視線を向けられたカナタは、小さく咳払いしてからマイクを受け継ぐ。
「りっ、『リジェネレーター』の目的は、そっそれに留まりません。わっ、私たちの最終目標にして究極の理想は、じっ、人類と【異形】との果て無き争いを終わらせることにあります。すっ既に、人類は第一級【異形】や理智ある【異形】と戦えるだけのSAMを有しています。かっ数の【異形】と、しっ、質の人類……た、長ける領域は違えど、両者の戦力はだんだんと均衡に近づいています。つ、つまり――せっ、戦争で言うところの『停戦協定』を結べるだけの土壌は、出来上がりつつあるんです」
拮抗状態が続けば互いに疲弊し、いずれは停戦、或いは終戦を迎える。
絶滅の淵に追いやられながらも耐え忍び、二十年の間にSAMという兵器を発展させてきた人類はようやく戦いの終わりを見据えられるところまできたのだ。
背中にじっとりと汗を滲ませる銀髪の少年は、脳裏に亡き母を思い描き、彼女のように凛然と語ってみせようと念じて続ける。
「いっ、【異形】たちを統べる理智ある存在。わ、私たちは『新人』のみならず、かっ、彼らとの対話も試みようと思っています。じっ、人類側は【異形】たちの生活区域を保証し、そ、その対価として理智ある【異形】側は理性なき【異形】の管理に努める。もっ、もし理智ある【異形】との対話が果たされた暁には、私たちはそう交渉するつもりです。その後、いっ【異形】と人類の生活区域との間には壁を築き、りょ、両者が干渉せず、争わずに生きられる世界を目指します」
無理難題なのは百も承知だ。それでも誰かが使者にならなければ、戦いはどちらかが滅亡するまで終わらない。
そして、この膠着状態が継続すれば起こってくる重大な問題が他にあるのだ。
ユイはカナタからバトンを受け取って、データを基に未来を予測する。
「政府の支援政策が功を奏し、都市の出生率は二十年前の一・五倍まで上昇しています。『福岡プラントの悲劇』で人口は三割弱ほど減りましたが、その分を加味しても人口は右肩上がりに増えているのです。滅びかかった人類としては喜ぶべきところですが……そう遠くない未来、『新東京市』は増えすぎた人口をカバーしきれずに破綻するでしょう」
『都市』の安全神話が絶対ではないことは、『狂乱事変』が証明した。『北京地下都市』のように【潜伏型異形】が周囲の魔力を吸い取り、動植物の命を枯らす可能性もゼロではない。
もはや、『新東京市』は人々の揺りかごではなくなった。いや、そもそも初めからそのような場所ではなかった。
「私の故郷である北京は一年半前の時点で、半壊でした。【異形】の魔法によって『プラント』が機能停止し、残った僅かな食料を人々が奪い合う地獄と化していたのです。今頃はきっと、市民たちは誰ひとり残らず餓死しているはず。――『新東京市』がそうなる可能性は、皆無とは言えません。誰も百パーセントの安全は保証できないのです。それでも、生き延びられる可能性を上げることはできる。その手段が地上への進出であり、それを実現に近づけるための方法の一つが、理智ある【異形】らとの対話なのです」
突きつけられる最悪の可能性に、記者たちは言葉を失った。
『新人』に加え、初めて公に開示される北京ジオフロントの現状――手に入れた情報に動揺するなというほうが無理な話だ。
最後にマトヴェイがマイクを握り、この会見を締めくくる。
「『リジェネレーター』はまだ、公式に政府に認められたわけではありません。ゆえに、私は国民の皆さんに問います。都市の将来を憂い、我々の理念に少しでも共感してくださる方がいらっしゃったならば、声を上げて頂きたいのです。我が国は民主主義国家です。民意は必ず、政治に反映されます」
その呼びかけは、現在この会見を見ているであろう蓮見タカネへの挑戦でもあった。
『レジスタンス』という古い殻を破らねば実現の困難な理想、それを遂げるための表明。
「これにて本日の会見を終了とさせて頂きます。皆さん、長時間の拝聴ありがとうございました」




