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暁の機動天使《プシュコマキア》  作者: 憂木 ヒロ
第八章 転換の刻

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第百九十六話 憎悪の行方 ―Tragedy―

 その歌声はミコトのみならず、この『基地』にいる全ての者、そして戦場の全パイロットの脳内まで響き渡っていた。

 ミコトを癒し、支えたい――その切なる祈祷は少女に眠る魔力を呼び覚まし、離れた位置にいる者たちへの【交信クロッシング】を実現していく。

 魔力とは意思が、精神が生み出す力。『エル』や『カムパネルラ』、そして【異形】らがいた星でもこの地球でも、それは変わらぬ原則だ。


「これは……」


 間近でその歌声を耳にした大尉はもはや、ここにいる濃紺の髪の少女を敵として見ることが出来なくなった。

 これほど心に染み渡る美しい歌声を持つ者は、彼はミコトを除いて他に知らない。

 ニネルの歌声に込められた優しさは本物だ。悲しくなるほど透き通ったミコトのとも異なる、小さくも温かい手に握られているような声。


「『新人』……お前は――」


 と、大尉が言いかけたその時だった。

 階段上から聞こえてきた銃声に、彼は身を硬直させた。


(――何故)


 聞き間違いなのではないかと大尉は思った。

 建物内での発砲。『基地』内に【異形】が侵入していない限り、そのようなことは有り得ない。

【異形】が、そこにいない限り――。


「っ、お前たち!」


 瞬間、大尉は悟ってしまった。

 今ここで何が起きようとしているのか、蓮見タカネの狗どもが何をしでかそうとしているのか、その全てを。

 青年は二人の『新人』の手を引っ張って走り出す。

 状況を飲み込めずただ恐れだけを顔に宿している二人から、大尉は視線を切った。


「こっちだ!」


 誰かと鉢合わせる前にこの建物から逃れなければ、この子たちの命はない。

 普段は備品置き場として使われている一室へ飛び込み、大尉は窓の方を見た。

 ここは二階。飛び降りても死にはしない。『新人』たちが【異形】譲りの身体能力を有しているのならば、多少の衝撃には耐えられるはずだ。


「なっ、何……!?」

「こっ、怖いよ……」


 耳をつんざく蛮声、続く悲鳴。

 小刻みに震えるニネルらの肩を強く掴んだ大尉は、「ミコト殿下に会うのだろう」と彼女らの瞳を正視して言う。

 恐怖に支配されながらも、ニネルとテナは確かに頷きを返した。

 それを認めた大尉は二人の手をそっと引いて、窓辺へ足を運ぶ。


「ここから飛び降りて外に出る。SAMか何かを捕まえたらそれに乗って、基地の外まで出るぞ」


 上階からは足音が慌ただしく響いてきている。彼らが二名の不在に気づいたら、直にここにも搜索の手が及ぶだろう。

 

「こわいっ、怖いよ」

「――ここで死にたくなければ、俺と来い!」


 何が大尉をここまで駆り立てるのか、彼自身にもよく分かっていなかった。

 彼と二人の『新人』は先ほど初めて対面したばかり。いくらミコトが保護していた者たちとはいえ、この状況で匿うような真似をすれば彼自身も『人類の敵』の烙印を押されてしまう。


「わたし、行く!」


 身体に纏わりつく恐れを振り払い、ニネルは叫んだ。

 大尉は彼女とテナの手を固く握ると、足で窓を蹴り開けてアスファルトの地面を見下ろす。


「――行くぞ」


 躊躇う時間など与えずに大尉は二人を連れ、建物裏の植え込みへと飛び降りた。

 

「っ……!」


 茂みの脇に着地した大尉は足に伝わる衝撃に顔をしかめながら、ニネルらを横目で見る。

【異形】の本能か、二人は教えられなくとも自然と受身を取れていた。身体を起こして体勢を立て直す彼らに頷き、大尉は周囲に視線を走らせる。


「今、外で物音がしなかったか!?」「駐車場の方だ!」


 降ってきた声に舌打ちする大尉は停められていた大型バイク――広大なシェルター内を移動するために用意された、士官ならば誰でも使えるものだ――に市民証を差し込み、そこに跨った。


「乗るんだ! 前の者の腰に腕を回し、しっかりと掴まっていろ!」

「うっ、うん!」


 小柄な二人を後ろに乗せ、エンジンを掛けた大尉は歯を食いしばった。

 こんなことをしてしまったら、もはや自分の立場はない。死んだ両親にも叔父にも申し訳がつかない。だが、それでも――。

 発進する。


(あんたもあの日、こんな気持ちでバイクを飛ばしたんだろう、叔父さん……!)


『レジスタンス』で多くのSAMを手がけた叔父の顔を脳裏に描き、大尉は真っ直ぐ南のゲートへと突き進んでいく。

 隊列を組んで出撃せんと行進している【イェーガー】たちの脇をフルスロットルで通過する彼らに、パイロットたちは一様に目を疑った。


「そこのバイクを捕えろ! 奴は反逆者だ!」


 研究棟からメガホンに乗せた叫びが放たれ、狩人らは一斉に銃を構えた。

 拳の関節が白く浮き出るほどハンドルを強く握り締めた大尉は、脂汗の滲む横顔に覚悟を宿す。

 もうどうにでもなれ――半ば自棄やけになって胸中で吐き、彼はただ逃げることだけを念じた。


「くそっ、くそぉっ!!」


 銃声が追い立ててくる。後ろを振り向くことは許されない。

 ただ外へ。ゲートへと逃れること以外を思考から排除して、前だけを睨みつける。

 

「ッ……!」


 アスファルトに弾丸が撃ち込まれる。殴りつけてくる音の連続。頭の中でリフレインするそれにもはや自分の生死すら分からなくなる大尉は、隊列を組むSAM群から少しでも離れんと左へ逸れようとして――


「振り落とされるなよ、ちくしょう!!」


 迂回路を取っている時間的余裕はない。イチかバチか、この【イェーガー】たちの脇を一直線に駆け抜けるしかないのだと大尉は判断した。

 

「撃て! 撃てぇッ! 反逆者を逃すな!!」


 指揮官の一人ががなり立て、銃弾の雨はますます勢いを強めた。

 直後、隊列から飛び出した一機が大尉の進路上に立ち塞がり、眼下に銃口を向ける。

 しかし大尉は曲がれない。このスピードで急ハンドルを切れば転倒は確実だ。


(――ここまでか)


 たとえ銃弾が外れたとしても、あの【イェーガー】が肉壁となればそれに衝突しておしまいだ。

 バイクたった一つ、たった一人で『新人』たちを抱えての逃避行など、結局は無謀な行為に過ぎなかった。

 刹那、湧き上がる諦念。しかし大尉に後悔はない。己の衝動のままに動き、それで散れるのなら悪くはなかったと最後の一瞬にそう思う。


『――ミコト!!』


 その時。

 頭の中に少女の呼び声が、響いた。

 そして、大尉は目にした。

 見上げたSAMの黒い体躯の向こう、開かれたゲートより飛び込んでくる翼を。



『カナタ、あそこ!』

「うっうん!」


 男と『新人』二人を乗せたバイクを視認し、飛び出す【ラファエル】。

 最大出力での加速。翼の推進器スラスターに燃える魔力を金色にたなびかせ、少年の機体は一瞬にして大尉の進行方向に立ちはだかるSAMとの距離を詰めた。

 

「ふッ……!」


【イェーガー】の頭上を通過する間際、【ラファエル】は眼下のSAMの肩を鷲掴みにする。

 そのまま上昇したすんでのところで、バイクは先程まで【イェーガー】の立っていた地点を過ぎていった。

 

『戦いは決しました! 総員、銃を下ろしてください!!』


 桃色に煌く翼を広げ、救恤の天使は舞い降りる。

 その乗り手であるミコトは、激しく銃を撃ち鳴らす兵士たちを見下ろして命じた。

 ニネルは今、助けを求めてミコトを呼んだ。彼女が危機に陥っているならば、救うのがミコトの使命。


『繰り返します! 総員、銃を下ろしてください!!』


『新人』を乗せて逃げるバイクに、アスファルトに刻まれた無数の銃痕。

 そこから何があったか察せられないほどミコトは愚物ではない。それでも今すぐに『新人』たちの様子を確かめたい衝動を堪えて、彼女は厳然と言葉を放った。


「カナタ、あの者とニネルたちの保護を」


 通信で少年へと頼み、それからミコトは『基地』本部前へと降り立った。

 ここで何が起こったのか、【異形】とヒトとの戦いを終わらせる使命を背負う者として知らなければならない。

 

『わたくしは皇ミコトですわ。貴方たちがわたくしの愛を忘れていないのならば……そこを通していただけますこと?』


 コックピットにいる兵たちの顔は見えなかったが、確かに狼狽えるような気配をミコトは感じた。

 背後の彼らは迷いを抱いている。ミコトが『人類の敵』となったことをどう受け止めるべきなのか、と。

 

『わたくしは本部責任者とお話がしたいのです。わたくしは、今ここで『新人』たちがどうなっているのかを確かめなければなりません』


 少しの間を置いて、放送で司令部の将校からの応答があった。


『……分かりました、殿下。これから部下に研究棟へと案内させます。少々お待ちを』


 感情を一切窺わせない、乾いた声音だった。

 コックピットを降りたミコトは数分経ってやって来た若い士官の後について、本部に隣接する研究棟へと足を踏み入れた。

 歩く間、士官たちは誰もが無言だった。誰もが、ミコトと目を合わせようとしなかった。

 その沈黙から痛ましいほどの後ろめたさを感じて、ミコトもまた押し黙る。

 心臓は早鐘を打っていた。その予感を心のどこかで覚えながらも、桃髪の少女は彼らが笑顔で自分を迎えてくれるのだと信じずにはいられなかった。

 

「……」


 階段を上がる。

 一段、また一段上がるほどに、嗅ぎ慣れてしまったあの臭いが鼻腔を満たしていく。

 足が、止まった。これ以上先へ進みたくないと、何も見たくなどないとミコトの身体が訴えている。

 

「……ミコトさま」


 士官の声に、ミコトは俯いていた顔を上げた。

 逃げることは自らの使命への裏切りとなると、彼女は自覚せざるを得なくなった。

 震える拳をもう一方の手で押さえ込み、固く歯を食いしばる。

 硬直した足元を睥睨する少女は己の感情を殺し、人形のように一歩を進めた。

 

「…………エイトン」


 階段を上がりきり『新人』たちのいる三階の廊下に出て、すぐ。

 そこに骸が転がっていた。

 仰向けに倒れ、恐怖に目を見開いたままで息絶えた、背の高い少年。

 両胸から流れ出た真っ赤な血が、透き通った空色の髪の毛を汚している。


「……なぜ」


 ミコトはその場に崩れ落ちた。

 血だまりに膝が濡れるのも構わず、冷たくなった少年の瞼をそっと閉じさせる。

 8Nことエイトンは、一五人の『新人』の中で一番背が高くて、好奇心旺盛で、心を開いてくれてからは誰よりもやんちゃな顔を見せてくれた子だった。

 彼はお風呂が大好きで、特に懐いていたシバマルへ一緒に入ろうとよくせがんでいた。時にはミコトとも入りたがって、彼女を困らせてしまったりもしていた。風呂上りには皆で集まってキンキンに冷えた牛乳を飲んで、その時にはミコトと一緒に大きな声で歌ったりもした。

 その笑顔はもう、ここにはない。


「なぜ、どうしてっ……彼は、このような目に遭わなければならなかったのですか……!?」


 エイトンは何も悪いことなどしていない。毎週会いに行くたびによく笑い、よく歌い、よく食べた男の子だった。

 何の罪もない彼がどうして撃たれなければならなかったのか。

 何が銃を向けた者の引き金を引かせたのか。

 認めたくない。だが認めなくてはならない。人々の【異形】への憎悪のために彼が――彼らが、殺されたのだという事実を。


「……ほかの『新人』たちのもとへも、案内してください」


 部屋の隅で折り重なるように死んでいた少年たち。ドアのすぐ前でうつ伏せ、事切れていた少女たち。

 彼らに抵抗した痕跡はなかった。ただ恐怖だけが、顔に張り付いていた。彼らが何もできないのをいいことに、胸に何発も撃ち込まれた遺骸もあった。

 ミコトは彼ら彼女らの遺体のそばに跪き、その瞼を優しく下ろした。

 どれほど怖かっただろう。どれほど痛かっただろう。それを思うとミコトの胸は張り裂けそうだった。彼らの恐怖と痛みとを自分が全て肩代わりしてあげたかった。


「あなたたちは……あなたたちは、これが正しい行いだと思うのですか。ただ憎しみに任せて、罪なき者を撃つのがあなたたちの正義ですか。それが本当に、誰かの幸せに繋がることだと、信じているのですか……!?」


 物言わぬ少年少女たちに代わって、ミコトは無言の士官たちに問う。

 問われてもなお、男たちは口を開こうとはしなかった。


「卑怯です。あなたたちは。……ただ、上の者に言われたから殺す。ただ、それが役割だからと無抵抗の者たちを撃つ。己を忘れ、命じられたままに動くだけの傀儡――そんなものにあなたたちは成り下がってしまったのですか!?」


 ミコトの声は怒りに震えていた。崩折れた彼女は髪を振り乱し、涙を流しながら叫ぶ。

 士官たちはやはり、何を返すこともなかった。ただ俯くだけの彼らを赤くなった目で睨み上げるミコトは唇を噛み、拳を床へと叩きつける。

 あと少し、もう少しだけ早くここに着いていれば。

『新人』たちが危険ではないのだと、もっと早く大々的に訴えておけば。

 もっと長く、軍人たちと交流の時間を持っておけば。

 理不尽な殺戮への怒りの次に湧き上がってきたのは、後悔だった。

 しかし幾ら悔やもうと、亡くなった者の命が還ってくることはない。


「……もう一度、問います。あなたたちの正義は、何なのですか……」


 せめて答えを知りたかった。軍人たちが何を思ってこれを実行したのか、分からなければ何も出来ないとミコトは思った。

 血の臭いが漂う部屋の中、少しの間を置いて男の一人が呟く。


「上官の命令に従うこと……我々にはそうするしかなかった」


 究極の縦社会。それが軍隊という組織のあり方なのだ。

 兵士を指揮官の駒として運用するための大前提となるルール。戦場に出る者の一員として、ミコトにそれを否定するつもりはない。

 ただ、信じてほしかった。

 己に与えられた命令に正義があるのか、それに疑念を抱いた自身の心を。


「『新人』たちの身柄をわたくしの下で預かっても良いと、バザロヴァ元帥から許可が出ております。彼らの遺体は……わたくしたちが、引き取ります」


 そのような許可の申請はしていなかったが、せめて安らかに眠らせてあげられるように、ミコトは自分たちの手で彼らを葬送してあげたかった。

 その言葉を聞いた士官たちは素早く動き出した。

 研究員たちが安全な地下エリアに篭っている間に、遺体を外へと運び出す。自分たちの行いへの後悔か、或いは元帥のお墨付きならば従うほかないと思ったのか――どちらにせよ、ミコトはその協力に感謝した。



 生き残った二人の『新人』と彼らを助けた大尉、そして十三名の遺体と共に、ミコトとカナタは都市へと戻った。

 希望を信じた行軍の手土産は、彼らの死という絶望。

 突きつけられた事実は、蓮見タカネの勢力が『新人』の存在を殺戮を以て否定したという一点。

 レイやシバマル、ユイとの再会を喜ぶ余裕など最早なく、ミコトたちは命が奪われた現実に対してどう向き合うべきか、考える必要に迫られるのだった。

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