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暁の機動天使《プシュコマキア》  作者: 憂木 ヒロ
第八章 転換の刻

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第百九十五話 優しい歌 ―I'd like to tell expectation.ー

『♪ 巡る夜を越えて わたしは祈ってるよ』


 にわかに何が起きているのか分からず、茫然と周囲を見回すSAMパイロットたち。

 頭の中に直接響く歌声――それに思い当たる節があったのは、マオだった。


『……交信クロッシング


【潜伏型異形】が有する、特定の対象の脳へと意思疎通を図るための力。

 ヒトの心の隙間に入り込むべく用いられるその能力が今、こうして温かい感情を伝えるために使われている。


「これは、一体……!?」

「『新人』の歌ですわ。わたくしが教えた、再会を願う歌……」


 驚愕するシズルに、ミコトは囁くような声で答えた。

 ニネルの声がどうして今聞こえているのか、それは彼女にはどうでも良かった。大事なのは『新人』であるニネルの想いが、歌声として自分たちのもとに届いたのだということ。

 

「に、ニネル、さん……」


 その歌声は戦士への癒しとなった。同時に、倒れた【異形】らへの鎮魂歌でもあった。

 カナタは空中にホバリングしている敵側の『新人』たちの機体を見つめる。

 彼らはこの歌を聴いて、何を思っただろう。少しでも戦いに磨り減った心が癒えてくれればいいと、カナタは願っていた。


『……撤退する』


【イェーガーオフィツィーア・飛天】の赤い両眼が一瞬、カナタの【ラファエル】を探るように見据えた。

 だがすぐにその視線は外され、乗り手アキラはそう呟く。


「待てッ――」


 ソラが鋭く叫んだ刹那、銃弾がその機体を撃ち抜く前に、彼らは背後に出現したワームホールへと吸い込まれていった。

 コンマ数秒前まで黒い穴があった場所を、鉛が掠めていく。


「っ……この俺が、撃ち損ねるなんて……ッ!」


 銃を下ろして唇を噛むソラは、上官シズルの指示も待たずに機体を翻した。

『都市』へと帰投せんとするその背中を追い、「すみません」とシオンも後に続く。


「どう、しますか。夜桜少将……?」

「そうね……戦いも終わったことだし、私たちも一旦『都市』へ戻りましょう」


 ナギの口調はここに飛んできた時とは打って変わって、覇気を失っていた。

 シズルの声音も判然としない。彼らは皆、揺らいでいるのだ。【異形】という憎むべき存在の血を引く者がヒトと変わらぬ声で優しい歌を紡いだという事実を、どう認識すべきか分からずに。


「ミコトさん、カナタくん。あなたたちも一緒に来るのよ」

「待ってください。わたくしたちはもとより、『基地』の『新人』らと接触するために行動したのです。その目的を果たさずに戻るわけにはいきません」


 明瞭な口調で断ったミコトに対し、シズルは何かを言いかけ、そして止めた。

 それから地上のセンリにも帰還するよう伝えた彼女は、ナギを伴って南へと下っていく。

 撤収していく上官たちを見送るミコトはカオルらの身を案じながら、視線を北へ向けた。


「カナタ、マオ。行きましょう、ニネルたちを守るために」

「うっ、うん」『ええ!』


 蓮見タカネの手から『新人』らを保護するためには、都市の民たちへとミコトたちと『新人』らが友好的に交流する様を見せなければならない。

 自分たちの絆を証明することさえ叶えば、きっと道は開ける。

 そう信じて、彼らは残る空路を飛ばしていった。



 外から聞こえてくる戦闘の音。

 無我夢中で大穀倉の奥へと逃げ込んだあの日の恐怖が、胸の奥底から蘇る。

 

 ――こわい。


『基地』の迎撃砲が轟き、群れなす低級【異形】たちの絶鳴が連鎖していた。

 保護されている個室の中、震える心を押し殺して、ガラス窓に張り付いたニネルは外の様子を探らんとする。

 ドーム型シェルター内の演習場にはSAMが整列し、開かれたゲートより外の世界へと続々と出撃していっていた。

【異形】を討ち、ヒトを守る存在――あの黒くて大きな巨人の「仲間」に、ミコトやカナタたちも乗っている。


「ミコト……」


 あの人はそこにいるのだろうか、とニネルは思った。

 ミコトたちは自分たち『新人』にたくさんの話をしてくれた。

 彼女らはヒトを守るため、戦いをなくしていくためにSAMに乗っているのだと何度も言っていた。その戦いはあなたたちを守るためでもあるのですよ、とも。

 

「ミコトっ、カナタ、レイ、ユイ、シバマル……!」


 手を差し伸べてくれた少年少女たちの名前を呼ぶ。

 彼らが戦いに出ているとしたら。そこで傷つき、命を落とす可能性があるとしたら。

 そう思うとニネルの胸はきつく締め付けられる。彼女は複雑な感情を言語として表現するのは不得手だが――それでも、叫んだ。


「いやっ、いやっ! いなくなっちゃ、いやっ……!!」


 離れたくなどない。二度と会えなくなるなんて、嫌だ。

 涙を流して宙を掻き毟るニネルは、いてもたってもいられずに部屋を飛び出した。

 彼女はもはや幼子ではなかった。尚且つ、思慮深い大人でもなかった。

 意思を叫ぶ力を持ちながら後先はまだ考えられないニネルは、己の感情に正直に従って駆け出していた。


「ミコトっ、ミコトっ……!」


 あの優しい歌を聴けなくなるなんて嫌だ。あの温かい微笑みが見られなくなるなんて嫌だ。

 研究員たちが所定の避難スペースに集められたことで人気のない廊下を、ヒトと【異形】の狭間にある少女は走る。

 どこをどう進めば出口に着けるのかさえ分からない。それでも構わず、ニネルが差し掛かった角を曲がろうとしたその時――


「にっ、ニネル!」


 少年の声が彼女の背中を叩いた。

 濃紺の髪を翻すニネルの視線の遠くにいたのは、ライムグリーンの髪の少年――テナであった。


「テナっ……わたし、行かなきゃいけないところがある!」


 部屋のドアから顔を覗かせた姿勢でテナは固まっていた。

 自分は何をするべきなのか、自ら決定した経験の乏しい彼は行動を迷う中――不安に押しつぶされそうな彼の表情を前に、ニネルの口は思考よりも先に言葉を吐き出す。


「来てっ、テナ!」


 ニネルの衝動に導かれ、テナもまた走り出した。

 いま何が起こっているのかを「知りたい」。それがカナタが彼に教えてくれた欲求だった。


「どっ、どこ、行くの……!?」

「ミコトたちのところ!」


 合流したテナの手を引き、ニネルは曲がった角の階段を降りていった。

 砲撃の音は激しさを増し、足元には震動が繰り返し伝わってきている。

 揺れに踏み外しそうになりながらも手すりを掴み、どうにか体勢を立て直す二人。顔を上げて外へと急ぐ彼女らだったが、進んだ廊下で兵士に見つかってしまう。


「お前たち、そこで何をしている!?」


 足を止めたニネルとテナが行く先、二人の正面から銃を向けてくる男性兵士。

【異形】の襲撃が起こってから『新人』が動きを見せたとなれば、何かしらの関係を疑うのは当然のことだ。

 その兵の声を聞きつけて他の者たちもそこへ集まってくる中、ニネルとテナは固く手を繋ぎ合ったまま身を竦めるしかなかった。


「こいつら、やっぱり何か企んでいやがったのか!」

「大尉、どうなさいますか!?」


 にわかに出来た人だかりの後方から、指示を仰がれた大尉が姿を現した。

 二十四、五歳ほどのその男は、感情の読みにくい切れ長の瞳でニネルたちを見下ろしてくる。

 彼の言葉次第で自分たちはミコトとの再会が叶わなくなる――生殺与奪の権を握られた『新人』の子供たちは大好きなヒトたちの顔を胸に、ただ口を閉ざし、祈るほかなかった。


「…………何をしようとしていた? 言ってみろ」


 数十秒にもわたる長い沈黙の後、若き大尉はそう問うた。

 兵たちの間には困惑が広がっていく。『新人』は貴重な研究対象ではあるが、変な行動を起こした際の発砲は許可されているのだ。問答無用で撃ってしまえばいいものを――そう考えていた者も少なくはない。


「わたし、は……わたしは、ミコトの、カナタたちのとこに、行きたくて……」

「何?」

「ミコトたちが痛くなるのが、嫌だから……怖くなるのが、嫌だから……わたし、なにか、何かしてあげたくて……」


 冷徹な軍人の目に恐れを抱いてもなお、ニネルは必死に自らの思いを表明した。

 涙声で訴えてくる濃紺の髪の少女を正視する大尉は、僅かな間を置いて開口する。


「貴様らの勝手な行動は許可されていない。所定の部屋に戻れ」


 彼は銃を抜かず、言葉を以てニネルたちへ警告した。

 これ以上の狼藉を犯せば無事は保証しない――そんな無言の忠告を汲み取れるほどニネルたちは成熟していなかったが、銃を持った男たちを前に抵抗する無謀さなど彼女らは持ちあ合わせていなかった。

 この場所では、自分たちは何を為すことも叶わない。

 初めて突きつけられる不自由がもたらした無力感に、ニネルたちは俯いた。


「この『新人』は俺が連れて行く。お前たちは先にSAMの出撃準備に移っておけ」

「はっ。しかし大尉どの、良いのでありますか? 研究室長は何かあったら始末せよと言っておられましたが……」

「我々は軍人だ。ミコトさまの意思を無視することはできない」


 蓮見タカネは皇ミコトを『人類の敵』だという。だが、彼を含め多くの軍人たちはミコトの優しさを知っている。彼女の鼓舞と【ガブリエル】の献身によってたくさんの部隊が助けられてきた恩を、彼らが忘れたわけではない。


「両手を上げろ、『新人』。それから並んで俺の前を歩け。いいな」


 部下を先に行かせた大尉の命令にニネルとテナは素直に従う。

 だが、そうして彼女らが歩き出した、その時。

 


『せめてわたくしの願いを、聞いてくださいますか!?』



 声が、聞こえた。

 身体の奥底、心の裏側まで届き、震わせるような悲痛な訴え。

 皇ミコトと名付けられた少女の魂が発した、根幹より湧き上がる請願。

 頭の中に響いたその声にニネルは目を大きく見開き、見えない空を仰いだ。


「ミコトっ……!」

「何? 殿下がどうかしたのか?」


 突然足を止めたニネルの動きを、大尉は怪訝に思う。

 その問いから彼には聞こえなかったのだと分かったニネルは、隣のテナの手を握って訊いた。


「テナ、聞こえた?」

「う、うん。……でも、何で……?」


 困惑しながら頷きを返すテナ。

 ミコトは生きている。少なくとも、声が聞こえたその一瞬までは。

 声が聞こえたのならば近くにいるのは確実だ。そして、それは『基地』の外での戦場に彼女が降り立っていることを意味している。


「『新人』、いま殿下の名を口にしたな? 『聞こえた』とは何のことだ? お前たちはやはり、【異形】と通じて何か企んでいるのか?」


 腰より抜いた拳銃を二人へ突きつけ、大尉は詰問した。

 たとえ『新人』らがミコトの保護した存在であっても、彼らが【異形】と内通していたならば撃たねばならない。


「あ、頭の中、聞こえた……ミコトの声が、聞こえた、です」

「……何とおっしゃられていたんだ」

「『せめて、わたくしの願いを、聞いてくださいますか』って」


 テナの言葉に質問で返す大尉に、ニネルが一言一句違わず答える。

 銃を下ろし、大尉はしばし無言でいた。

 彼らの発言を信用して良いものか。仮に信用したとして、ミコトのその台詞を自分たちはどう受け止めるべきなのか。『国民の敵』となったミコトが戦場の中でその信念を貫かんとしている現状を、どう捉えるべきなのか――。


「……本当に、聞こえたのか?」

「ほんとう、です。あの声は間違いなく、ミコトの声だった、です」


 並んだ少年の緑色の瞳と少女の青色の瞳に嘘はないように思われた。

 逃げずに真っ直ぐ見上げてくる目を疑えるほど、大尉は年を重ねていなかった。

 だから彼は指摘した。

『新人』らが持つ、力の可能性を。


「月居カナタの証言によれば、【潜伏型異形】は【交信クロッシング】という思考の伝達能力を有しているという。何らかのきっかけでお前たちにも同じ力が目覚め、殿下の心の声を聞くことができたのかもしれない」


 そう聞いてニネルとテナは首を傾げた。

 ヒトと触れ合い始めてまだ半年にも満たない彼女らの語彙は少ない。大尉は『新人』らと全く関わってこなかった人間だったが、彼女らの表情から察して言い直す。


「お前たちには、誰かに思いを伝え、また誰かの思いを聞く力があるかもしれないということだ」

「思いを伝えて、聞く……」


 繰り返すテナに大尉は頷いてみせた。それから、二人へこう助言する。


「先ほど、お前たちはミコト殿下の為に何かしたいと言ったな。ならば、その力を用いて彼女に思いを伝えて差し上げろ。戦場では、大切な誰かの声は何よりも支えになるものだ」


【異形】の血を引く者も、それと繋がっているミコトも『人類の敵』。

 そう分かっていてもなお彼女らに手を貸すような真似をした自分が、大尉には分からなかった。敵を疑わず撃つ、それが軍人の使命の一つだというのに――。

 外からは絶えず砲撃の轟音が響いてきている。収まる気配を見せない戦場に焦燥を露にあするニネルは、少しの間考えた末に、口を開いた。


「わたし、歌いたい」


 ミコトたちと自分たちとを初めて繋いだ言葉が、歌だった。

 あの清らかで優しい調べがニネルたちを癒し、心を開かせたのだ。

 命が奪われゆく舞台の過酷さをニネルたちは知らない。痛みを共有することはできない。それでも、癒したい、励ましたいという思いを届けることはできるはずだ。

 だから――


「♪ あなたと夢を見てた 幼い夢を見てた……」


 ミコトが最初に贈ってくれた、優しい歌を。

交信クロッシング】の具体的な発動方法など知らなかったが、胸に手を当て、思いを届けんと切実に願いながら歌を紡いでいく。

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