第百九十一話 解放 ―Stage of "black feather"―
投票結果の開示日が間近に迫った木曜の昼過ぎ。
ひと仕事を終えた蓮見タカネはリムジンに揺られながら、鷹揚な口調で呟いていた。
「彼は実に薄情者だったよ。連立与党を組んだ相手を捨て、私たちの側に付くと言ってくれたのだからね」
「政治の世界に薄情も何もないと思いますが。彼は賢明な判断をした、それだけです」
秘書の牧村はタブレット端末に目を落としながら、いつも通りの淡々とした声を返す。
ほくそ笑むタカネは腕時計と外の景色との間で視線を往復させ、言った。
「食事を済ませたら今度は『共和党』との会談だ。我々『尊皇派』も含め、ここ数年で林立した野党を纏め上げねばならないからな。骨が折れるが、盤面の自陣は磐石にせねばならん」
隙を見せては刺される世界にタカネはいるのだ。出来うる限りの根回しをしなくては、安心して眠れやしない。
「ところで蓮見さん、『彼ら』に関してはどうなさいますか? ネット上には『彼ら』が連れ去られる場面の目撃情報が幾つか上がっています。何かしらの手を打たれたほうがよろしいかと」
「狗どもへの躾が足りなかったようだな。見られたものは仕方ない……『彼ら』についてはあくまで「保護」を目的に捕らえたと文書での声明を出しておいてくれ。私が顔を出して語っている時間は生憎ないのでね」
承知いたしました、と応じる牧村に頷くタカネ。
必要な手は打ってきた。各党の党首と同盟を結び、有力な政治家たちと何度も会って結束を強化したタカネは、既に王手をかける寸前だ。
にも拘らず、胸騒ぎは収まらない。あの日ミコトが自分との決別を表明したその時から、彼の中には不安の種が芽吹き、すくすくと育ってきている。
自由に拘泥するタカネが恐れることは、ただ一つ。
己が制した「自由」を脅かされること、それだけだ。
「ミコトさまや『彼ら』さえ押さえておければバザロヴァ派に勝機はない。彼らが手をこまねいている間にも私は兵たちへ向けた演説を行い、その心を引き寄せる。このままいけば私のシナリオ通りに事は進むだろう」
確認するタカネのその口調は、常よりも早口であった。
横目で彼の表情を窺う牧村は何も触れず、タブレット端末での連絡と情報収集に取り掛かる。
しかし――車が中央区角の高級料亭に差し掛かった、その時。
タカネに代わってSNSアカウントから情報発信していた牧村は、鋭く息を吸い込んだ。
「……どうしたのだね?」
この女が驚愕を露にしたのはあの『狂乱事変』以来のことだ。
極力感情を殺して訊ねてくるタカネに、牧村は微かに震えた声で返答する。
「中央B区画にて、暴力団同士の抗争が勃発したようです。発砲も確認されています」
「――何?」
中央B区画にはタカネの第二事務所が置かれている。そして、そこには保護の名目で捕らえておいた『彼ら』もいるのだ。
万が一、事務所が抗争に巻き込まれた場合――タカネのシナリオに取り返しのつかない歪みが生じる恐れがある。
「予定はどうなさいますか?」
「……そのままだ。選挙での勝利はゴールではない、その後も見据えた根回しを怠るわけにはいかん。君は事務所の者に連絡し、闇雲に動かぬよう厳命してくれ。いいな」
有無を言わせぬ口調で下された指示に、牧村はすぐさま従った。
スマホでテレビ番組の中継を確かめるタカネは、王手目前にして起こった予期せぬアクシデントに舌打ちする。
(全てはすべからく私の掌の上にある、そうでなくては……!)
*
ミコトに着せられた汚名を晴らすために演説を行ったその日の夜、『彼ら』――レイ、ユイ、シバマルの三人は、モノレールを降りて『学園』へと帰る川沿いの道で謎の男たちに襲われ、睡眠薬を吸わされてしまった。
あの道は夜になると人通りはほとんどなく、街灯があるとはいえ犯行が起こったとしても目立たない。助けを呼ぼうにも周囲に人影は皆無であり、レイたちは屈強な男らを前に逃げることも叶わず連れ去られたのである。
その後、目覚めたのはシャッターの閉め切られた小部屋だった。
部屋には簡易トイレとベッドが用意されているのみで、他には何もない。ドアには鍵がかかっており、定期的に与えられる食事は壁に開けられた狭い隙間から差し込まれていた。
外から車の走行音や人混みの喧騒が聞こえてくるため、街区のどこかであることは確かなのだが――それ以外には何も分からない。
「ちくしょう……ったく、何なんだよこの状況は! ここがどこかも、おれたちが誰に何のために捕まったのかも分かんねえ! 蓮見タカネの演説でミコトさんの立場が悪くなっちまったってのに……!」
髪を掻き毟りながら苛立ちを露に叫ぶシバマル。
立ち上がって地団駄を踏む彼を見上げ、質の悪いベッドに腰を下ろしているレイは溜め息を吐いた。
「騒いだって無駄なエネルギーを消費するだけですよ。……幸い、ボクらには三食きちんと与えられ、拘束具などで縛られたりもしていない。少なくとも殺されたり、痛めつけられる可能性は低いと見ていいでしょう。ただ……」
「……いつ出られるかは、分からない」
レイの言葉をユイが継ぐ。
寝具に横たわって無機質な天井を眺めるユイの口調は、どこまでも重苦しかった。
「わたしの体内時計に狂いがないのなら、今は木曜の午後零時半を過ぎた頃……わたしたちが囚われた理由があの演説にまつわるものなら、少なくとも選挙結果が出るまでは閉じ込められ続けるでしょうね」
あのタイミングでの襲撃ならば、そうとしか思えない。
それは三人の共通認識だ。明確な期日はある――しかしその推測だけで楽観的になれるほど、彼らは無神経ではなかった。
「しっかしひでー話だよな。雑誌の一つでも置いてくれりゃ、多少の暇つぶしにはなったのに……それにさぁ、部屋は男女で分けるもんだろ普通! トイレの時とか気まずすぎんだろクソッタレ! ……トイレだけに!」
「……笑えませんよ、それ……」
もう何度目ともしれない溜め息をレイはこぼした。
今頃カナタやミコトたちはレイたちの安否を心配しているだろう。だが、自分たちがこうなってしまった現状、彼らが無事である保証はない。
スマホを取り上げられた上に、この部屋にはテレビもラジオもない。外界からの情報は完全に遮断され、部屋の照明が常に点灯しているせいで正しい時刻さえ分かりはしない。
まだ一日も経っていないため体内時計で何とかなってはいるが、それも数日続けば狂ってくるだろう。一刻も早く脱出しなければおかしくなってしまう――考えたくもない未来を思い浮かべてしまい、レイは激しく頭を振った。
「なあ……もう一回、ドア壊せないか試してみるか?」
朝食は申し訳程度のパン切れ一つ。それで全力を出せるはずもなく、やる前から結果は見え透いている。
それでも苛立ちを一瞬でも紛らわせるならいいだろうと、シバマルの言葉にレイは頷いてみせた。
そして彼が立ち上がろうとした、その瞬間だった。
固く閉ざされたシャッターを震わせるほどの銃声が、響き渡ったのは。
「――ッ!?」
「なっ、何だよ今の!?」
戦慄が全身を駆け巡る。
思わず跳ね上がるように立ったユイとレイは、見えない外の様子を探らんと耳を澄ませた。
道路を逃げ惑う人々の足音と、叫喚。
まさか『狂乱事変』の再来か――少年たちは最悪な推測を脳裏に過ぎらせる。
――ドガンッ!!
直後、階下から激しい破砕音と衝撃が走った。
何かが壁に打ち付けられる音の後に続いたのは、人の足音。
ドアが破壊され、建物内に何者かが侵入してきたのだ。
レイたちは部屋の扉の前に近寄り、耳をそばだてる。
『大人しく両手を上げてろ! そうすりゃ撃ちゃしねえよ!』
若い男の声だった。おそらくはレイたちとさほど変わらない年齢だろう。
「どうすんだ、レイ先生……おれら、何も持ってないんだぞ。もし襲われでもしたら……」
シバマルの言葉にレイは何も答えなかった。
侵入者は銃を所持しており、意識に混濁は見られない。少なくとも『狂乱事変』の時のように我を失って暴れているわけではない。となると、この犯行の狙いは――。
「……ボクたち、なのでしょうか」
レイは胸に手を当て、荒ぶる鼓動を少しでも治めんとした。
敵は一人、対するレイたちは三人。数的有利を取ってはいるが、それも銃一つの前には無意味に等しい。
まともにやり合っても銃を持った若い男相手には勝てない。ならば突くべきは、部屋のドアを開いたその一瞬の隙だ。
「……敵が入ってきた瞬間を狙って簡易ベッドをぶん投げます。それで怯ませさえ出来れば……」
「その隙に逃げられる、ですね」
言葉を継いだユイにレイは首肯した。
逃げた先に新たな敵がいないとは限らないが、とにかく今はこの部屋から出なければ何も始まらない。
外の道路からはダンダンッ!! と銃声が響いてきている。
それに続くのはがなり立てる男の声だった。
『そこに逃げ込んだのは分かってんだ! 大人しく出てきやがれ、裏切り者のガキが!』
追手の叫びに応えるように、鋭い発砲音が一発。
今、何が起こっているのか――壁越しに音を聞いて探るレイは、大体の状況を頭に思い描けていた。
足早に階段を上る音がする。
生唾を飲んで簡易ベッドの鉄パイプに手をかけたレイたちは、逃走者の近づく扉を睨み据えた。
そして数秒後――鳴ったのはドアを乱雑に開く音ではなく、撃ち込まれた銃の蛮声。
『取り敢えずここを出たら走って二丁目の裏通りまで逃げるぞ! そうするっきゃねえ!』
男、というより少年はそう大声で口にして、それから再び階段を駆け下りていった。
上がる女たちの悲鳴、連続する銃声。
追撃者の男が叫びながら乱射する中、ここに転がり込んできた少年は一切の声を発さない。
数秒にも数分にも感じられる叫喚は、やがて完全に静まった。
レイは警戒を最大限に払いつつドアのそばまで近寄り、ノブを慎重にひと捻りする。
「れっ、レイ先生、大丈夫なのか……?」
「僕の推測が正しければ、大丈夫なはずです」
扉を開いて廊下まで出たレイが振り返ると、そこに取り付けられていたロック装置は撃ち抜かれて機能停止に陥っていた。
蝶番の外れたそれを尻目に、少年は「早く!」とシバマルたちを促して階段を一段飛ばしに降りていく。
建物一階は惨憺たる様相を呈していた。壁や置かれたソファの所々には弾痕が刻まれており、巻き込まれたスーツ姿の女性は腕を押さえて倒れ伏している。
その女性の手当にあたっている年配の男性はレイたちに気づくと、顔を上げた。
「き、君たち、どこへ行くつもりだね!?」
「行くべきところへです。……すみません」
一言断り、レイは迷わず開け放たれた玄関口から外へ飛び出した。
周囲を見回すと、道路の少し離れたところでは二人の男が警察に捕まっていた。一人は大柄で如何にも荒くれ者といった風体で、もう一人は目元に火傷痕のある十七、八の小柄な少年だった。
(ありがとう、ございました)
名も知らぬ暴力団員の少年に小さく頭を下げ、レイはシバマルたちと共に少年の言った二丁目の裏通りへと疾駆していった。
幸い周囲の人々のほとんどが二名の暴力団員が逮捕された現場に釘付けとなっており、レイたちを足止めする者もいなかった。
息を切らしながら路地裏に駆け込んだ彼らをそこで迎えたのは、一台の黒い乗用車であった。
「よぉ、助け舟を出してやるぜガキども。こんな中古車で悪いけど……ま、とにかく乗りなァ」
頬に鳥の刺青を入れ、黒いハットを目深に被った男が運転席側の窓から横顔を覗かせる。
困惑するユイとシバマルに「多分大丈夫ですから」と早口に言って、レイは助手席に乗り込んだ。後の二人も彼に続き、硬いクッションの後部座席へと移る。
「乗り心地は最悪、大事な仲間はムショ送り……気分としちゃあクソみたいなもんだけど、まぁこれも昔馴染みのためだ」
狭い路地裏に古ぼけたエンジン音を響かせ、黒髪の男は自嘲気味に笑う。
小奇麗な表通りからは一転してゴミの放置された裏路地を真っ直ぐ見つめつつ、レイは訊ねた。
「あの……ボクらを助けるために立ち回ってくれた彼の、お名前は?」
「知ったところで礼を言う機会もないと思うけど」
「いいから、教えてください。せめて名前くらいは覚えておかないと、ボクの気が済みません」
「あぁ、そうかい。――あいつは逸見ショウって奴だ。目立ちたがりなガキだったよ」
その名を舌の上で数度、転がすようにレイは呟いた。
彼の横顔に男は――黒羽ツグミは強い既視感を覚えていた。馬鹿みたいに真面目で、自分の信念は曲げようとしなかったあの少年と、早乙女・アレックス・レイは酷似している。
「あ、あのぅ、レイさん? わたしたち、全然状況が飲み込めてないんですけど……」
「物好きな野郎が『人類の敵』とやらに手を貸そうってだけさ。詮索は身を滅ぼすぜ、嬢ちゃん?」
語ろうとしないツグミに対する不信感は拭えなかったが、ユイはレイの態度と男の言葉を取り敢えず信用することにした。
自分たちは丸腰なのだ。差し伸べられた手を拒む選択肢は、もとよりない。
黒羽ツグミはミコトが『人類の敵』とタカネに糾弾されたその日、レイたちが攫われたという情報を手にしていた。
タカネが『狗』を飼い慣らしているように、ツグミもまた『蝿』たちを敵の周囲に飛ばしている。マークしていた蓮見事務所の者たちの動きを確かめた上で、彼はミコトのためにレイたちの救出作戦を打ち出した。
敵対する暴力団に前々から潜入させていた工作員を「火種」にし、抗争を起こす。その銃撃戦の中で逃げ込むのを装って事務所へ突入、レイたちを逃がす――というものだった。
人心掌握した駒を巧みに使う彼のそのやり口は、兄であるタカネと同じだ。
二人は技術を共有しているわけではない。逃れえぬ運命――二人を繋ぐ血筋という呪縛が、彼らに同様の手を使わせたのだ。
「君たちのスマホや市民証を取り返せなかったのは悪かった。俺たちが確保した元『レジスタンス』隊員の市民証が三つあるから、それを使って本部へと急ぎな。暴力団の抗争が起こってポリ公どもの警戒は強まってる……近くに着いたタイミングで俺の部下たちがまたドンパチやるから、その隙に行くんだ」
車は中央B区角の裏道を抜け、『レジスタンス』本部のあるA区画の表通りに出た。
本部のタワーを窓越しに仰ぐレイは、無言でツグミに頷きを返した。
「『やりたいことを見つけられて良かったな』……俺がそう言っていたとミコト殿下に伝えてくれないか」
黒羽ツグミは汚れた世界に身を落とした。故に、高貴な理想を掲げる皇ミコトの隣にはいられない。二度と相まみえることもないだろう。
この言葉はツグミからの最初で最後の餞別だ。彼女を密かに想い、告白の言葉を押し込めて友として接した彼の、絶えぬ願い。
「……はい」
ツグミの頬に刻まれた黒い片翼の刺青を横目に、レイはその思いをしかと受け取った。
「さぁ、そろそろ目的地だぞ。フード付きの上着を用意してある、車を停めたらそれと市民証を持ってすぐに出ろ。いいな」
男がそう指示したのも束の間、通りに銃声が連続する。
たちまち人々の悲鳴が湧き上がる中、道路の一角に停車させたツグミは「行け」と鋭く促した。
「この恩は、いつか必ず」
レイはそれだけ言い残し、ユイたちと共に逃げ惑う人波へと紛れていく。
彼らは背後を顧みることなく、ただ皇女と銀髪の少年らとの合流だけを願ってひた走るのだった。




