第百八十一話 怒り ―Confusion of an identity―
『レジスタンス』本部から『学園』への帰路の途中。
仲間たちと共に駅前の広場を歩いていたカナタは、そこで足を止めた。
人だかりの前に停まっているのは、選挙カー。
その上で艶のある声を飛ばしている蓮見タカネを見上げ、カナタは顔を歪める。
「……カナタ?」
眉間に皺を刻む彼らしくない表情に、レイは首を傾げた。
ミコトも身体を強ばらせてタカネを見据えている中、彼らは政治家の語りに耳を傾けることにした。
「『レジスタンス』の一部と政府との間には癒着がある。それは先日の報道ではっきりした事実です。私はそれを正したい。政府と『レジスタンス』、双方を国民に信頼されるクリアな組織へと変革するのです!」
政治家と『レジスタンス』。政治家と地下組織。小さな世界の情報網を握ることは、上層部の人間にとっては容易いこと。
自身もそうであることは棚に上げ、蓮見タカネは腐った政府と『レジスタンス』への反旗を掲げる。
何事もなあなあに済ませ、事なかれ主義で問題を先送りにしてきた政府。政府が役立たないことをいいように月居カグヤの独裁を許した『レジスタンス』。そのどちらに対しても、国民の反感は高まっている。
「政府が腐ったのは何故か? それは自分たちだけが得をすればいいという、彼らの傲慢があったからだ。『レジスタンス』が暴走したのは何故か? それは圧倒的なカリスマを持つトップの手綱を握る者がいなかったからだ。
――必要なのは「枷」。権力に溺れた者を戒める存在なのです。そして、それこそが『皇室』。『皇家の奇跡』をもって【異形】襲来という災厄から生き延びた天皇陛下こそ、この国の真の主導者であらねばならない!」
『尊皇派』として、天皇陛下を全ての頂点に立たせるよう主張する。
象徴から国主へ。その歴史的転換へのハードルを下げてくれたのは、皮肉にもそれを避けたがっている皇ミコトだ。
彼女のカリスマを認めぬ者はいない。歌で民を癒し、戦場では兵士たちを懸命に支える【機動天使】が一人。その活躍は皇室の威光を一層強め、揺るぎないものとした。
ミコトがどう思っていようが、世間は彼女を「皇女」として見る。その奇跡の血筋こそ本当に仰ぐべきものなのだと、信じてしまうのだ。
『狂乱事変』はこれ以上にない後押しとなった。混沌の時代に現れた、圧倒的カリスマを放つ救世主。縋る神などいない残酷な世界で、彼女はまさしくその神となれる才能を抱いてしまっていた。
「私が政権を獲った暁には、まず第一に改憲します。皇室を政府、『レジスタンス』の上に位置づけられるようにし、さらには女性天皇の実現も目指します。
――国民の皆さん、これは決して他人事ではありません! 有権者ひとりひとりの選択が、これからの『新東京市』の運命を変えるのです! 皇室の下、腐敗のないより良い都市を共に築いていこうではありませんか!」
割れんばかりの拍手が打ち上がる。
その様に圧倒されるカナタたちだったが、その最中――ミコトの存在に気づいた聴衆の一人が声を上げ、途端に注目の的になった。
「ミコトさまがいらっしゃっているぞ!」
「ミコトさま!」
「蓮見氏の話を聞いて、どう思われましたか!?」
「女性天皇の話も上がっていましたが、ミコトさまご自身はどう考えておられるのでしょうか!?」
血肉に群がる肉食魚のように、たちまちマイクとカメラに囲まれるミコト。
シバマルやレイがそれを遮る中、ミコトは彼らに退くように言い、マスコミの前に出た。
街頭演説の生中継を映すビル街の屋外ビジョンに、制服姿の桃髪の少女が現れる。
と、その時だった。
「やめませんか、そうやって詰め寄ることは!」
蓮見タカネが選挙カーから記者たちを見下ろし、彼らを黙らせた。
「ミコト殿下は今、『学園』へと帰られる最中です。然るべきコメントは然るべき時、正式に出されます。彼女もお疲れになっていることでしょう、今は早く帰して差し上げるべきではありませんか」
この声は生中継に入ってしまっている。それでも強引な取材を行おうとする者は、流石にいなかった。
去っていくマスコミ陣を見送り、言うべきことを言い損ねたミコトは俯く。
レイたちは彼女の周りを固め、周囲の視線から守りながら帰路を急いだ。
*
眼前に並んでいる【異形】たちを、撃ち殺す。
握ったライフルで片っ端から、安全圏より敵を討つ。
普段ならば――ミコトには、それができた。
「っ……!」
「ど、どうなさったんですか、ミコトさま? いつものミコトさまらしくな――」
「『ミコト』でいいと、重ね重ね言ったでしょう!」
訓練の最中、緑化した国道での戦闘にて。
射撃を外してばかりの自分を心配してくれた同級生の少女に、ミコトは柄にもなく怒鳴りつけてしまった。
空気が張り詰め、重い沈黙が横たわる。
少女はクラスの中でもミコトと仲がよく、先日の文化祭でも衣装など色々とサポートしてくれた子だった。
そんな親切な人相手に、ミコトは感情を剥き出しに叫んだ。それは彼女にとって初めてのことだった。
『ウオアアアアア――ッ!!』
凶暴な『狼人型』や『子鬼型』の群れが、棍棒を担いで一挙に前方より押し寄せてくる。
土煙を上げながら突撃してくる【異形】たちに、ミコトは再び銃を向けようとしたが――
『ミコト、好き』『歌、温かい』
幼い少女の声が脳裏に過ぎる。あどけない少年の声が蘇る。
【異形】の血を引く、彼らの声が。
「――何やってんだ、アンタは!?」
彼女の後方から飛び出し、腕のドリルを中段に構えて地を蹴る赤き狩人。
【イェーガー・アスマカスタム】である。
彼は猛然と突き進み、その勢いのまま回転する螺旋で敵陣に風穴を開けた。
強引なる突破に巻き込まれた哀れな【異形】らは、肉体を無残に抉られて血と臓腑を撒き散らす。
「ちっ、数が多い――」
舌打ちと同時に左手で腰のハンドガンを抜き、迫る『子鬼型』を撃ち抜くアスマ。
魔力により強化された一撃は射抜いた敵のさらに真後ろの個体までも仕留め、その力を見せつけた。
仲間が一瞬で二体も倒されたのを目の当たりにし、『子鬼型』の集団が慌てふためくように退散していく。
『ガルルルルルルルッ!!』
が、それでも『狼人型』は止まらない。
彼らは第二級以下の陸棲【異形】の中でもかなり凶暴な種だ。同胞が死のうがお構いなしに、獲物を食らおうとしてくる。
「邪魔なんだよ、バケモンどもがッ!」
飛びかかってくるならば受けて立つ。
九重アスマのドリルに貫けないものなどない。
肉薄する敵の一つ一つが、彼にとっては取るに足らぬ雑魚だ。
絶鳴の連鎖。阿鼻叫喚の戦場。進撃するは緋色の螺旋。
「全部ッ、穿ち抜くッッ!!」
苛立ちをぶつけるように少年はそのドリルを敵へぶち込み、巻き込み、殺戮の限りを尽くした。
一匹たりとも逃しはしない――そんな修羅のごとき執念をもって。
「僕はっ……僕は、強くなくちゃいけないんだよ!」
自分が至らなかったせいで大切な先輩を失った。
だから、何よりも強く。メカニックとしてもパイロットとしても完璧にならなければ、九重アスマはこの先ずっと自分を許せなくなってしまう。
後悔を燃料に少年の黒い炎は燃え盛る。
敵の吠え声が絶えるまで、彼はたった一人、誰も上がれない舞台で演じ続けた。
「アス、マ……」
その背中はミコトには怪物に見えた。
彼がニネルらと出会ってしまったら、どうするか――深く考えずとも分かる。
あれが【異形】を憎む者の強さだ。彼は躊躇いなく『新人』たちを討つだろう。彼らが何を話そうが、何もしなくとも、【異形】の血が流れているというだけで殺すのだろう。
「皇ミコト!」
少年に名を呼ばれ、【ガブリエル】パイロットは顔を上げた。
モニターに映る彼の眼差しを受け止めて、ミコトは項垂れる。
「っ……何で、何で撃てなかった!? 【異形】を討つのが僕らパイロットの仕事、そうだろう!? アンタの言葉でたくさんの兵士が戦ってる! アンタのために頑張ろうって奴らがいる! それなのに……何だよ、その腑抜けた姿は!?」
アスマは一切の遠慮なしに激情をぶつけてくる。
首を力なく横に振りながら、ミコトは自嘲の笑みを浮かべた。
あの【異形】たちがもし、突然ニネルたちのように喋りだしたら。彼らもニネルたちと同じかもしれないと一瞬でも思ってしまったのが、彼女の動けなかった理由だった。
「そう、ですわね……わたくしは、腑抜けているのかもしれません。半端ものです、わたくしは……昨日だって、タカネに遮られて、それで……」
「ちょっとは否定しろよ。何で認めんだよ。皇女様がそんな姿でいいわけないだろ……!」
求められているのは皇女としてのミコト。
象徴としての彼女。偶像としての彼女。自らの意思で『新人』へ手を差し伸べたミコトは、タカネや国民、多くの兵たちからは必要とされていない?
『ミコトさまはいい子ちゃん過ぎるんだよ。もうちょっと、我が儘な子になったっていい』
あの広場に集まっていた聴衆はそれを許すだろうか?
彼女を見つめる無数の目は、彼女自身の本当の願いを認めてくれるのだろうか?
「皇女様は皇女様らしく、前を向いてりゃいいんだよ! 何迷ってんのか知らないけど、アンタのせいで士気が下がるとこっちにも支障が出るんだ!」
アスマはクラスで勝つためにそう言っているのだ。彼に悪意はない。
だが、それでもその言葉は今のミコトを追い詰めた。
「皇女らしく」。皇女としての顔以外を否定されたような、彼女にはそんな気がした。
*
「蓮見さんと、何かあったんですか?」
昨日、街頭で蓮見氏を見つけた時の彼の表情がどうにも気になって、レイは訊いてみた。
風呂上りにタオルを首にかけてやって来たパジャマ姿のカナタは、「な、なんでもな――」と言いかける。
が、レイの真剣な眼差しに射抜かれると、観念したように「あ、あったよ」と言い直した。
「ぶっ、文化祭の日、はっ蓮見さんが僕らのクラスまで来たんだ。そ、その時会って……連絡先を渡された」
レイの座るベッドの隣に掛け、カナタはぽつぽつと話し出す。
「そ、それから、メールでのやり取りを何度かした。はっ、蓮見さんは僕のことを引き込もうとしているみたいだった。か、母さんは悪いことをしたけど、ぼっ僕は悪くないからって、繰り返し……」
カナタと数度メールをしたある夜、タカネはついに本題に切り込んできた。
皇ミコトに『新人』との交流をやめるよう、説得してほしい。
彼女と【異形】の血を引く者との関わりはまだ世間には知られていないが、それが露見すれば『尊皇派』としては困るのだ、と。
「カナタは……どう、答えたんですか。まさかとは思いますが……」
「う、ううん。こっ、断ったよ。み、ミコトさんは自分で彼らと対話することを選んで、ニネルやテナ、エイトンたちと触れ合ってきた。そ、それは僕がどうこう言うことじゃ、ないと思うから」
ミコトの行動についてはミコトの意思を尊重するというのが、カナタとレイの共通認識だった。
ただ、タカネは彼女を『尊皇派』の旗印としてしか捉えていない。少なくともカナタたちにはそう見える。
「そう、ですよね。ボク、明日ミコトさんに会って話してみます。蓮見さんに何を言われようが、ミコトさんはミコトさんのやりたいことを貫いていいんだって」
皇女としての自分と、ただの「ミコト」としての自分。
その二つの間で揺れる彼女を助けようと、レイは言った。
苦しんでいる時、辛い時に誰かの言葉に救われる――それはレイ自身も経験してきたことだったから。
*
だが、その翌日。
ミコトは『学園』に姿を現さなかった。
その事情は誰も、クラスの担任でさえも知らなかった。
休み時間に話すつもりでいたレイは歯がゆい思いを抱えながら、その日の訓練をこなした。
その日、『皇ミコト』がいたのは皇居だった。
天皇皇后両陛下、二人の兄姉と皇族が勢ぞろいし、さらには蓮見タカネまでも同席するという臨時の会合。
必ず出席せよとの通達に応じないわけにもいかず、ミコトは『学園』を無断で休んでまでそこへ赴いたのだ。
彼女が所定の部屋に足を運んだ時には既に、自分以外の全員が席に着いて待っていた。
空気はどんよりと、重い。兄や姉の粘っこい視線が絡み付いてくる。母は睫毛を伏せ、父は瞑目し、そしてタカネは常のように泰然とした表情を崩さずにいた。
「授業や訓練で忙しい中、よく来てくれましたね殿下。少々お疲れのように見えますが……その美しさは変わらぬままです」
「……ありがとう存じます」
下座の椅子に座りながら、事務的に彼女は返した。
ろくに目も合わせない彼女の態度にも口を尖らすことなく、タカネはさっそく火蓋を切る。
「本日、両陛下や皇太子殿下、皇女殿下方に出席していただいたわけは、ほかでもないミコトさま自身について定めねばならぬことがあるためです。これは、皇室の運命に関わる問題になります」
何を言われるか、ミコトには大方予想がついていた。
蓮見タカネはやると決めたらすぐに行動に出る男である。先日の街頭演説の際、ミコトがマスコミの前で口を開こうとしたのを見て不味いとでも思ったのだろう。早いうちに「軌道修正」するつもりなのだ。
「……わたくしが、『新人』らと交流していた件、でしょうか?」
タカネは薄らと浮かべた笑みはそのままに、顎を引くように頷いてみせた。
「察しが早くて助かります。殿下のその活動は、【異形】へ立ち向かう我々を纏め上げる皇族として相応しくありません。名残惜しいところもありますでしょうが、ここは話が広がる前に手を引いていただくのが賢明です。……ご決断を」




