第百七十八話 少年少女たちのステージ ―"So was it being seen?"―
(お腹空いたなぁ……二時間くらいノンストップで動いてたし、すごい政治家さんにも会っちゃったし、なんかどっと疲れたよぉ……)
メイド服から着替えて教室を出たカナタは、鳴っているお腹をさすりながら廊下を歩いていた。
疲れからかいつも以上に口数の少ない彼を隣から見つめ、レイは提案する。
「お疲れ様です、カナタ。料理を販売しているクラスもありますから、適当に買ってお昼にしましょう」
こくりと頷くカナタ。もうスカートは脱いだはずなのに、まだ足がスースーする気がしていた。
レイはゆっくりとした足取りのカナタの腕を手で引き、混み合った階段を下っていく。
そうして生徒用の玄関を抜けた先の中庭には、各クラスが出す模擬店が並んでいた。
「いい匂いですね。焼きそばにお好み焼き、アメリカンドッグ、たこ焼き……どれにしましょう、カナタ?」
鼻腔を満たすソースの匂いに、口内には先走った唾液が滲み出る。
レイに訊かれたカナタはとりあえず焼きそばを選んで、二人で列に並んだ。
「ボク、こういうフェスティバルは初めてなんです。人混みは嫌いですが……こういうのもたまには悪くないですね」
「う、うん……つっ疲れるけど、き、来てくれた人が喜んでくれたのは、嬉しかったな」
戦いとは切り離された非日常。人の営みという平和のありがたさが、彼らには身に染みるように実感できた。
「れ、レイはずっと会計やってたんだよね。そ、そっちも大変だったでしょ?」
「ええ……レジ打ちなんて初めてでしたからね。作業自体はそこまで難しくなかったですけど、何十人も相手するのは流石に気疲れします」
お互いに労わり合いながら順番が来るのを待つ。
しばらくして二人が焼きそばを受け取ると――そこで彼らにそれを渡したのは見知った少年だった。
「月居さん、早乙女さん……アンタらもこんなイベントに参加してたんですね」
パック詰めされた焼きそばと代金とを交換しながら言うのは、九重アスマである。
「き、君こそ……きょ、興味ないって蹴ってるものかと」
「僕としては正直やりたくもなかったんですがね。ちょっと出なけりゃならない理由ができちゃいまして」
蓮見タカネがお忍びで来ているという噂。アスマは当初昼過ぎまで寝るつもりでいたが、寝ぼけ眼で見たSNSでその話を確認し、飛び起きて模擬店の手伝いに来ていたのだ。
アスマのそばで鉄板の前に立っているのは、同じクラスのミコト。
彼女はレイたちが来たことにも気づかず、初めて取り掛かる出店での調理に苦戦中だった。
「え、えっと……ソースはこのくらいで良いのでしょうか。あっ、お水、お水も足さなくてはなりませんね。それから……」
「ミコトさん、焦らずゆっくりでいいですよー」
「は、はいっ。ごめんなさいね、わたくし、お料理は普段しないので……って、ああっ!? こ、焦げてしまいましたわ!?」
才色兼備な皇女様にも苦手なことはあるらしい。新たに発見したその一面にレイは苦笑しながら、彼女へ声を掛けた。
「ミコトさーん、頑張ってくださーい!」
「あら、レイ! ええ、わたくし頑張りますわ! それにカナタも、午後は一緒に楽しみましょうねー!」
ちらと顔を上げて返事してくるミコトに頷いてみせて、レイとカナタは邪魔にならないようにその場を離れていった。
人混みを避けるべく中庭を外れ、実機訓練に使う闘技場付近の人気の少ないベンチで一休みする。
紅生姜のたっぷり載った焼きそばを勢いよく啜るカナタ。レイも負けじと豪快にかっ込み、それからふと思い立って言った。
「マナカさんだったらきっと、もっと派手に食べるのでしょうね。多分、焼きそば一パックじゃ飽き足らずお好み焼きとかたこ焼きとか買いまくってますよ」
「あはは……た、確かにそうかも。さ、最初に会った頃、『パイロットは身体が資本だから』ってしつこく食べさせようとしてきてさ。ぼ、僕もともと少食だったんだけど……ちゃ、ちゃんと食べるようになったのは、マナカさんのおかげかもしれない」
叶うのなら今日のような特別な日を、マナカと三人で楽しみたかった。
一緒に食べたり、身体を触れ合わせたりは出来ないが――しかし、彼女と再び話すことは可能だ。『レジスタンス』に行きさえすれば。
マナカの人格は【ラファエル】のもとを離れ、アバターとして他のデバイスに登場できる。だが、彼女は都市の全てのネットワークを統べる『エル』とは異なり、『レジスタンス』本部内のそれとしか繋がれないのだ。正確に言うと、【ラファエル】の『コア』付近にある電子ネットワークとしか連携できない。
「次に『レジスタンス』に足を運んだら、今日の文化祭のことをマナカさんに報告しましょう」
「う、うん。……で、でも、写真とか見せるのは恥ずかしいなぁ……」
「ふふ……君のメイド姿、マナカさんからしたら垂涎ものでしょうね」
シバマルの悪ふざけで写真やら動画やらはたくさん撮られてしまっている。彼曰く、「記念だから」と。
そう言われてしまえば貴重な非日常の記録を残さないわけにもいかず、カナタは渋々だが撮影に応じていた。
「み、ミコトさんの焼きそば、美味しいね」
「ええ。幸い、ボクらが買った分は焦げてませんでしたから」
ミコトが作ってくれた焼きそばの豚肉と野菜とが絡み合ったジューシーな味わいを楽しむ二人。
早々に食べ終えた彼らには午後のあるイベントに出る予定があったが、それまでの間、しばし他のクラスの出し物を満喫することにした。
*
校庭に設けられた野外ステージ、その裏に即席で用意された楽屋にて。
ミコトは鏡の前で衣装を整え、胸に手を当てて深呼吸した。
「……この緊張は嫌いではありませんわ。戦よりもずっと、気が楽ですから」
衣装やメイク道具を運び入れてくれたクラスメイトの女子が後ろで見守るなか、桃髪の少女は穏和な声音で口にした。
遠くからも目立つよう普段よりくっきりとした化粧を自分で施した彼女は、立ち上がって振り返る。
「そろそろ出なければなりませんわ。もうしばらく、サポートをお願いしますね」
ミコトの楽屋の隣、男子用の小部屋ではレイとカナタ、アキト、そしてアスマが支度を済ませたところだった。
レイはミコトとのデュエット、カナタはピアノ、アキトはベースでの伴奏を務める。
ではアスマは何をするのかというと、舞台装置として使われるSAMの操縦だ。
以前に学園でコンサートを開催した時にミコトを乗せた、ピンク色の専用機である。
「ったく、何で僕が駆り出されなけりゃならないんですかね。ホントは早乙女さんの役割だったんでしょ」
「まあそう言わないでください。ミコトさんがどうしても二人で歌いたいというものですから……それに、これもいい経験になるかもしれませんよ」
「馬鹿馬鹿しい。こんなのが戦闘の糧になるとでも?」
かったるそうなアスマを宥めるレイ。
ボサボサの髪をかき混ぜながら舌打ちするアスマだったが、なんだかんだで降りることはなかった。
一足先に舞台裏のSAMの元へと向かう間際、彼は振り返って棘のある口調で言い放つ。
「別に、あの皇女様のためにやるわけじゃないですからね。イオリさんが友達だったアンタらに頼まれたからやるだけですから。皇女様には『勘違いするな』と言っといてください」
その背中を見送って呆気に取られるカナタとアキト。レイは苦笑して、アスマとつるんでいたイオリの気苦労を思った。
「『小生意気で聞き分けの悪いところもあるけれど、やることはやってくれるやつ』……あなたの言うとおりの子ですね、イオリくん」
以前ミコトとレイがパパラッチ紛いのことをされた際、イオリと一緒にアスマも助け舟を出してくれたことがあった。
ある時レイはイオリにアスマはどういう人物なのかと聞いた。訊ねられた黒髪の少年はうーんと少し悩んでから、そう穏やかな顔で言ったのだ。
と、そこでアスマと入れ替わるように誰かがドアをノックしてきた。
「どうぞ」と促されて顔を覗かせたのは、ユイとシバマル。
「皆さん、思い出に残るステージになるように頑張ってください! わたしたち、クラスの皆と一緒に応援してますから」
「歌詞カードはバッチリ持ってるぜ! ツッキーのピアノ聴くのは初めてだから、特に楽しみにしてる!」
激励と期待の言葉に、三人は気持ちを引き締めて頷いた。
本日最大の注目イベント――『胡蝶の歌姫』ミコトのステージは、いよいよ幕を開ける。
*
黒いタキシード姿の銀髪の少年が、鍵盤上に白い指を踊らせていく。
しなやかで優美なその動きが奏でるのは、皇女の登場を彩るファンファーレ。
時刻は午後の四時過ぎ。早めの黄昏を告げるようなしっとりとしたメロディと共に、舞台袖から花嫁のごとき純白のドレスに身を包んだ桃髪の少女が現れた。
「♪茜色に焦がれた あなたの横顔映した
わたしの心のプロジェクタ もう壊れてしまったから」
歌い出しと共に軽やかに走るピアノの旋律。伸びやかな少女の物悲しい声に重なって、会場を哀愁の色に染め上げる。
「♪写真は嫌いだった 二人とも同じだった
それでも目に焼き付いた あなたがいれば良かったわ」
マイクを握りながらミコトはステージを歩いていく。その足取りは楽しかった思い出を辿るような軽やかさだった。
カナタのピアノが彼女の深い愛を彩るなか、曲はサビへと突入していった。
「♪ Ah――ずっとそばにいるわ さよならは永遠の別れじゃない
忘れられない人 心はそばにあるから」
写真嫌いだった大切な人と死別し、その思い出を顧みる女性の歌。
『狂乱事変』を受けてミコトが書き下ろした、故人との向き合い方の一つだ。
その歌は会場にやって来ていた多くの者の胸を打った。
目元をハンカチで拭う者、涙を堪えて舞台のミコトたちを真っ直ぐ見つめる者、反応はそれぞれ受け手次第。
一曲目を終えたミコトは深々とお辞儀して、それから人々の気持ちに寄り添う皇女として発信する。
「皆様、本日はわたくしたちの舞台に、そして『学園』の文化祭に足を運んでくださり、ありがとう存じます。一曲目は『忘れられない人』。『事変』で愛する者を喪ったある女性をモデルに、先日書き下ろしたものですわ。今を生きる者に心を寄せ、亡くなった方に思いを致す――そのためにわたくしは、歌うのです」
歌に気持ちを、想いを乗せて届ける。
それが皇女としてのミコトに出来る最良のことだ。皇族はあくまでも象徴――どこかで見ているであろう蓮見タカネにそう主張するように、桃髪の少女は宣言した。
「では、さっそくですが今日、わたくしをサポートしてくださるメンバーをご紹介しますね。まずはピアノ、月居カナタ!」
注目のスコールを浴びてド緊張しながらも、何とか一礼してみせるカナタ。
微笑むミコトは舞台袖から顔を出してきたレイ、アキトを順に紹介した。『学園』新進気鋭のパイロットが集結した特別なステージということもあり、会場は早くも大いに湧き上がる。
皆の期待する真っ只中、ミコトはアキト、レイの両名と目配せして次の曲名を告げた。
「二曲目は『臆病な翼』! カナタとレイをイメージして書いた歌になりますわ! 涙の後には笑顔がある、明るく熱く、勇気を燃やしていきましょう!」
皇女から少女へ。
相好を崩すミコトはマイクを振り上げ、観客に呼びかける。
アキトのベースが奏でるイントロに乗って身体を揺らす彼女は――
「さあ、おいでなさいピンクちゃん!」
そう叫び、舞台の裏手よりピンク色に塗装されたライブ専用機を召喚してのけた。
闇を切り裂くように暗幕を突き破って登場したSAMの姿に、どよめきの声が連鎖する。
「♪死ぬのが怖くて戦えなかった
あの日の僕を君は蔑んだ
だけど、知らなかったの
君だって、怖さ抱え続けてたこと」
ファンたちのペンライトの桃色や黄色、青色が客席を鮮やかにしていく。
それはミコト、レイ、カナタをそれぞれ象徴する色だ。
ピンクの【イェーガー】が差し出してきた掌に飛び乗ったミコトは、客の全てを見渡せるように高く上げられたその上で激しいダンスを披露する。
「♪さあ飛び立とう、僕らの蒼穹へと
二人一緒ならきっと怖くない
たとえ傷を胸に刻もうと
君を一人で行かせはしない」
最高潮を迎えた瞬間、くるりと一回転すると同時にミコトの純白のワンピースが剥がれ落ちた。
ひらり――お披露目されたのはヘソ出しの上衣と、太腿が覗けるほどの切れ目が入ったミニスカートである。
清楚さと高貴さから一転してセクシーさを前面に押し出したその衣装に、会場の熱狂は一層の高まりをみせた。
「ほら、ヨリちゃんもペンライト振りなって! もうラスサビ来ちゃうよ!」
小声ながらも強い口調で促してくるカオルに、真壁ヨリは躊躇うように眉を下げた。
白髪の少女からの誘いを断りきれずにここまで来たヨリだったが、自分などが本当にこんなところにいていいのかという負い目があった。
真壁ヨリは戦闘が怖くなって逃げ出した、臆病者。戦いでもユキエらの足を引っ張ってばかりで、『事変』の時も何の役にも立てなかった弱者。
ミコトやレイ、カナタが舞台の上で輝く光ならば、ヨリはその影にしかなれない。
「わ、私、やっぱり帰る……!」
掻き消えそうな、泣き出しそうな声でヨリは訴えた。
沸き立つ客席の中、それでもヨリの小さな叫びを聞いたカオルは、踵を返そうとした彼女の腕を強く掴む。
「待って! もう少しだけ、ここにいて。アンタはここにいていいの――誰も、責めないから」
そう口にしながら、カオルは自分が柄にもない発言をしていると自覚していた。
これは本来ならばユキエの役割。真面目で何事にもストイック、それでも優しくクラスメイトを導いていた彼女の立ち回りだ。
――アタシなんかじゃ代わりにはならないかもしんないけど、やらせてよ。
もういない「リーダー」へカオルは胸中で願う。
人間性は全く違えど、同じ仲間と時間を共にした戦友へと。
カオルは何度も無力を知った。兄を追いかけ始めたその日から、カオルの人生はぬか喜びと後悔の繰り返しだった。
それでも、その度に前に進めた気がした。
「♪君が臆病な僕を守るなら
僕だって臆病な君を守るよ」
ミコトとレイ、二人のハモリで届けられるメッセージ。
誰かを守りたいという意思があるなら、同じ志を持つ仲間たちが支えてくれる。
たとえ挫折しても、一度戦場を離れても――魂を燃やす勇気さえあれば、いつだって戦友たちは受け入れてくれる。
「ヨリちゃん――アタシ、アンタやユキエちゃんと一緒に過ごした時間が大好きだった。アタシ、昔っから女の子の友達少なかったから……嬉しかったの。これからも一緒にいられたらいいなって、思ってる」
戦いとか、使命とか、そういった崇高なものはかなぐり捨ててカオルは笑った。
そばにいてほしいという気持ち。それがあれば十分だと彼女は思った。
痩せたヨリの手を握り、カオルはそのまん丸な瞳を見つめる。
「アンタにも出来ることはある。アタシはそれを知ってる。人も、SAMも、活かし方次第で可能性を無限に広げられるんだから!」
それはなかなか芽生えの訪れない自らに対する願望でもあった。
だが、詭弁ではないという確信も彼女にはあった。
ヨリやイタルの短所を武器の改良で補ったこと。矢神キョウジが宮島タイチの長所を指摘し、メカニックへの道を選ぶよう導いたこと。そういった良い例を、カオルは間近で見聞きして分かっている。
「…………あっ、あのぅ……少し、考える時間が、ほしいです」
長い沈黙を置いた後、ヨリは眉間に皺を寄せつつ懸命に言葉を絞り出した。
躊躇いや迷いを内蔵した彼女の表情を受け、カオルは静かに頷く。
「分かった。また教室に来たくなったら、いつでも言って」
ライブは三曲目、この文化祭のエンディングを飾るバラードに入っていた。
再会をひたむきに願う少女の歌――ミコトが詞を書き、レイが題を付け、カナタのピアノが旋律を奏でる『Ich möchte dich sehen.』
♪“いつかまた会えますように”
わたしの言葉 君は首を傾げてたね
“いつだって会えるよ”
懐かしくまだ遠い 思い出の笑顔
巡る夜を越えて わたしは祈ってるよ
今はこの胸に あなたの温度を思い出して
大勢の観客を魅了したミコトのステージをもって文化祭は幕を閉じた。
『事変』で澱んだ空気が、これで少しでも払拭できればいい――民の安穏を祈る皇女として、ミコトはそう思う。
だが、残念なことにその雰囲気を引きずったままではいられない。ひと月後には国政と『レジスタンス』のトップを決める選挙が遂に実施されるのだ。『尊皇派』が皇族を旗印に掲げている以上、彼女も否応なしに関わらざるを得なくなる。
「……タカネ、来ていらしたようですが……わたくしのことは、遠巻きに見ているのみだったのでしょうか」
ミコトは寝室にて独りごつ。
蓮見タカネの野心に利用されてやるつもりは、彼女にはない。
だが、それは我が儘に過ぎないのではないか――そのような気もするのだ。
タカネもこの世に生きる人として、【異形】の脅威が取り払われることを望んでいる。そのために『レジスタンス』の改革を謳ったりもしている。彼と結託するのが正しい選択なのではないかと、ミコトは迷っていた。
「選び取るべき時は、近い。それなのに、わたくしはまだ……」
皇女としての使命。軍人としての任務。都市の市民か、最前線の兵士たちか。
皇ミコトは誰に寄り添い、何を為すべきなのか――雁字搦めの思考から、抜け出せない。
「嗚呼、わたくしは……わたくしは、誇り高く、凛々しくあらねばならないのに……」
弱みなど見せられない。あまねく者を優しく導く、完璧な皇女様――それがミコトの理想の姿だから。
枕に顔を押し付け、少女は思考を断ち切ろうと無理やり目を閉じた。
文化祭での疲労が幸いし、ほどなくして眠気の帳が下りてくる。
その夜、彼女が夢に見たのは幼い日のとある光景だった。




