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暁の機動天使《プシュコマキア》  作者: 憂木 ヒロ
第七章 理想と現実

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第百七十六話 溝 ―Hypocrite―

「おはよーツッキー、レイ先生! 昨晩『学園』から届いたメール、見た?」


 アスマがタカネとビデオ通話した翌日の、月曜日。

 遅刻ギリギリで教室に飛び込んできたカナタとレイのほうを向き、シバマルは開口一番にそう訊いてきた。


「えっ、ぼ、僕見てない……」

「昨日はすぐ寝てしまって、ボクもまだ確認してないんですよ。朝もカナタの補習の課題に付き合ってて」


 早寝早起きで空いた朝の時間に少しでも課題を進めていた二人。

 そんな彼らに、シバマルは目を輝かせて声を上げる。


「やるんだってさ、文化祭! この『学園』で初の!」

「ぶ、文化祭……!?」


 これまで『学園』は使える時間の多くを訓練に割いてきたため、旧暦以前の高校であったようなイベントは一切行っていなかった。

 カナタたちが辺りを見回してみると、なるほど確かに生徒たちはその話題で持ちきりになっていた。

 授業と訓練をひたすら繰り返すばかりの学園生活に差し込まれた、特別な催し。その非日常感に皆が胸を躍らせている。


「ぼ、僕、そういうのは別に……」

「そうですねえ。ボクらとしてはSAMに乗っているほうが精神的に楽なのですが」


 自分の席に荷物を下ろしつつ二人は口々に言った。ちなみに彼らの席はカナタが前、レイが後ろと連なっている。

 空席になっているレイの隣の椅子にどかっと掛け、シバマルは彼の肩を軽く叩いた。


「まあまあ、そう言わずにさ。いい気分転換になりそうじゃん。息抜きも大事だぜ、二人とも」

「そうですよー。特にカナタさんなんて、補習やリハビリもあって疲れが溜まってるでしょう?」


 やって来たユイがこちらもちょうど空席だったカナタの隣に座り、労わるように穏やかな口調で言う。

 彼女が醸すほんのりとしたフローラルな香りに、カナタは少し懐かしさを感じた。そのラベンダーの香水はいつの日か、マナカも付けていたものだった。


「い、いい匂いだね、今日の香水」

「あ、新しいのに変えたの分かりました? ふふ、実はですね、この前シバマルさんと街を歩いた時、彼に買ってもらったものなんです」

「へ、へえ。でっデートか、なんかいいね」

「カナタさんも気晴らしに、今度どこか出かけたらどうですか? もうだいぶ体力も戻ってきたようですし」


 約二ヶ月にわたるリハビリの結果、カナタは杖なしで歩けるほどに回復していた。寝たきりだった状態からここまで戻せたのは、ひとえに彼の【異形】遺伝子由来の生命力のおかげである。


「そうだなー。ツッキーたちが遠征から帰ってきてひと月くらい経つし、そろそろ落ち着いてきた頃だもんな。ツッキー、行きたいとこ何か考えといてよ」

「う、うん。わ、分かった」


 そうこうしているうちにチャイムが鳴り、シバマルやユイは席に戻っていった。

 やって来た担任の砂木沼ミサトは、まず出欠を確認する。

 本日も欠席者は多かった。心を折られた子供たち――特に事変でSAMに乗り、成果を挙げられなかったイタルやヨリ――は、まだ再起できていない。


「……みんな、昨晩の学園からのメールは読んだかしら? 連絡があった通り、先日学園長先生が文化祭の開催を正式に決定しました。来月の中旬を目処に、一日限りですが行うとのことです」


 手元のプリントに視線を落としながらミサトは説明した。

 文化祭の準備等は授業や訓練の時間を少々削って進めることになる。『レジスタンス』と協議した結果、割り振れる時間は日に90分までと定められていた。


「次のロングホームルームの時間でうちのクラスが何をやるか決めるわ。皆もそれぞれ、予め考えておいてね」


 それだけ言って、ミサトは次の授業のためにメカニックコースの教室へと去っていった。

 ――余談にはなるが、パイロット、メカニック両コースの二年A組を担当している彼女は当然、一度にどちらかの教室にしか向かえない。そのため、朝と帰りのホームルームで彼女が来られないほうの教室は手の空いた先生の誰かが顔を出している。


「沢咲先生、今日もありがとうございました。助かってます」


 廊下を歩くミサトはメカニックコースでHRの代役を務めてくれた沢咲アズサと鉢合わせ、軽く頭を下げた。


「いえいえ、私、朝のこの時間は暇ですから。午後はパイロットコースのほうに行けばいいでしょうか?」

「ええ、お願いします。では、また後ほど」


 アズサは矢神キョウジにひっそりと恋慕していた女性だ。彼が遺したクラスへの思いも強いのだろう、頻繁にA組のHRホームルームの監督を申し出てくれている。


(文化祭……ちゃんと成功できるように頑張らないと)


『学園』の教師陣は、先日の事変で心を病んだ子供たちが多いことを気にかけていた。

 そこでミサトが生徒たちの気晴らしになればと、文化祭の開催を提案したのだ。子供想いの学園長は快諾し、確実な開催のために『レジスタンス』との交渉に奔走してくれたのである。


(生徒たちにサービスサービスぅ♪ ……なんちゃって)


 柄にもなく内心でお茶目に言うのも文化祭のワクワクの影響か。

 少女時代を思い返して浮かれる自分に苦笑しつつ、ミサトは次の授業の準備に取り掛かっていった。



 ミコトやカナタたちが『福岡プラント』にて始めた『新人』らとの交流は、彼らが都市に戻ってからも継続的に行われていた。

 毎週日曜の休みに『丹沢基地』へと上がっている少年たちは、十月に入ったこの日も彼らのもとを訪れていた。


「こんにちは、皆さま。お元気にしておりましたか?」


 ミコトの問いかけに、談話室に集められた『新人』たちは揃って頷く。

 彼らが発見されてからこれまで病気に一切かかっていないのは、さすがの【異形】の生命力といったところだろうか。


「ミコトの歌、聞きたい」


 さっそくねだってきたのはニネルだ。

 ゆったりとした白無地のパジャマを着た濃紺の髪の少女は、軍服姿のミコトに上目遣いを送る。


「もちろん、歌って差し上げますわ。レイ、今日はデュエットでいきましょう」

「えっ……ぼ、ボクも歌うんですか? ミコトさんの隣じゃ公開処刑みたいになっちゃいますよ……」

「あなたも十分、お上手ですから。それに、デュエットは前にもしたではありませんか。何を今更恥ずかしがるのです」


 歌姫のミコトにそう言われては、レイも否定するわけにはいかなくなった。

 顔を仄かに赤らめつつも、ごほんと咳払いして彼はミコトの隣に立つ。

 即席のステージで始まった穏やかな二人の歌に、『新人』たちとカナタたちは聴き入った。


『新人』たちの待遇は『福岡基地』に置かれていた時と比べて、大きく改善していた。

 彼らがいま過ごしているのは、地下牢ではなく兵士用の相部屋。三食と毎日の入浴、そしてミコトたちとの面会時には談話室を使うことも許可されている。監視カメラ――彼らには気づかれないような位置に仕掛けられている――で見張られてはいるものの、基地から出られないことを除けば兵士たちとあまり変わらない。


「ミコトの歌、好き。あたたかい感じがする」


 歌い終えたミコトにニネルは率直な感想を言った。

 彼女の言葉はいつだって純粋だ。思ったことをそのまま口にしてくれる。

 都市に戻り、政治家たちの思惑が飛び交う中で生きなければならなくなったミコトにとって、彼女らとの触れ合いは心のオアシスだった。


「ありがとう存じます、ニネル。レイの歌はどうでしたか?」

「レイの歌も、好き。ちょっと悲しくなる感じがする」

「んー、それは『しんみりする』って言うんだぜ」


 シバマルがニネルの感情に沿った言葉を教える。

 増える語彙は表現の幅を広め、意思の交流をより自由にする。ミコトたちと会うたびに学んでいくニネルたちは、最初は殆ど話してくれなかったが、今では普通に会話できるほどになった。

 レイは彼らについて遺伝子レベルで社交性が低く作られているのではないかと推測していたが、満足に話せるだけの語彙がなかったことも彼らの寡黙さの理由だったのだろう。


「しんみりする。しんみりする。……しんみり、って何?」

「『しんみり』ですか? ……言われてみると、何なんでしょう? オノマトペ、ではないですよね」


 小首を傾げるユイ。その隣で解説するのはレイだ。


「深く心にしみ入るさまを表す副詞です。来日する前、散々読み耽った辞書にそう記されていました」

「さっ、流石『努力の天才』だね」

「……他人から言われると結構恥ずかしいですね、その呼び名……」


 カナタからの賞賛にこそばゆそうにするレイ。

 と、そこで好奇心旺盛なエイトンが食いついた。


「レイは、名前、いっぱいある?」

「あー、確かにあだ名っつーか二つ名的なのは多いかもな。先生とか『努力の天才』とかオカマ野郎とか『エリートの中のエリート』とか……」

「むっ……オカマ呼ばわりしてくるのはカツミくんだけですし、最後のは聞いたこともないですよ」

「いやいや、レイ先生自分で言ってたじゃん」

「言ってませんよ」

「いーや、言ったね。絶対言ってた!」

「それはあなたの記憶違いでしょう!」


 何だかしょうもない口論が始まった。そんな二人の様子を見てミコトやユイたち女性陣が苦笑する。

【機動天使】に乗って戦場を乗り越えたパイロットとは思えないほどの子供っぽい言い争いに、呆れを通り越して微笑ましくなってくる。


「ミコトさん!」「ユイ!」


 言ったか言っていないかに決着をつけるべく、二人は信頼する女性にジャッジを頼んだ。


「ボクの言い分のほうが正しいですよね!?」

「合ってるのはおれだろ、ユイ!?」


 顔を真っ赤にして詰め寄ってくる男子たちに、思わず顔を見合わせる女子二人。

 彼女らの解釈は一致していた。


「わたくしは、レイならば自分で言っていてもおかしくはないと思いました」

「そうですねぇ……わたしも、以前にレイさんが自分で誇らしげに言ってるのを聞いたことがあります」


 がっくりと肩を落とすレイ。「これじゃあボクが大言壮語な自惚れ屋みたいじゃないですか……!」と唸るように呟く彼を慰めるように、カナタはそっとその肩を叩いた。


「たいげんそうご、って何?」

「それは、ああいうやつのことだな」

「っ……好奇心というものは時に残酷な刃となるのですね……」


 思わぬところから追い打ちをかけられ、俯くレイはぼそぼそとこぼすのだった。



 談話室でミコトたちに与えられた面会時間は、一時間。

 その間に彼らは歌ったり喋ったり、持ち込んできたものを『新人』らに見せたりと和やかに過ごしていった。

 中でも『新人』たちの興味をよく引いたのが、本だった。


「これは?」

「ら、ライオンっていうんだ。ひゃっ、百獣の王って言われてた生き物なんだよ」

「こっちも、似てる」

「そっ、それもライオンなんだ。く、首の周りに毛が生えてないほうがメス。め、メスって言うのは、じょ、女性ってこと」


 図鑑を開いた一ページ、サバンナの動物たちの写真を指差して、ライムグリーンの髪の少年テナが訊く。

 隣の椅子に掛けるカナタはページを捲り、ネコ科動物の項目を彼に見せながら説明した。


「小さいのも、似てる」

「そ、それはライオンの赤ちゃんだよ。う、産まれてきたばかりの動物は、こんなふうに小さいんだ」


『新人』の中でも、テナはカナタによく懐いていた。

 ニネルやエイトンに比べて口数が少ない彼の波長は、コミュニケーションが不得手なカナタのそれと合ったのだろう。

 図鑑を好んで見るテナに、カナタは自分の知識をなるべく分かりやすくなるよう意識して語った。

 それは彼の幼い頃、カグヤが子供向けの生物図鑑を読んでくれた時の様子と重なっていた。


「何で、小さいの?」


 カナタは「赤ちゃんって何?」とか「産まれるって何?」と訊かれると予想していたが、テナの口から出た問いは違った。

 生き物が産まれるという概念は、あの肉塊から生まれ出でる【飛行型異形】を目にしていたテナたちは既に理解しているのだ。ただ、【飛行型】は最初から戦える姿で生まれてくるため、赤ん坊や幼生といった段階を踏まない。


「ぼ、僕ら人間も含めて、哺乳類は母親のお腹の中で子供をある程度育ててから、産むんだ。お、お腹の中に何かを入れるなら、小さくないと入らないでしょ?」


 自分のお腹をさすりながら、何となく分かったようでテナは頷く。

 ……ぐう。

 それと同時に彼のお腹が鳴って、カナタは苦笑いした。


「お、お腹空いちゃったね。み、ミコトさんがお菓子持ってきてくれたから、一緒に食べよう」


 一旦席を立ってクッキーやマドレーヌといった菓子を運んでくるカナタ。

 時刻は三時過ぎで、ちょうどおやつの時間だ。

 青白い爪でクッキーの包装を破るテナに、カナタは困ったように眉を下げる。


「そ、そのやり方だと中のお菓子も砕けちゃうよ。こ、こうやって袋の横をつまんで引っ張れば……」


 綺麗に開けた個包装を見せ、カナタは取り出したクッキーを渡した。

 それを頬張りながら、テナは開きっぱなしの図鑑に目をやって呟く。


「ライオン、見てみたい」


 カナタはしばし、返す言葉を失った。

 ライオンという生き物は確かに、過去に地球に存在した。だが、【異形】が来襲したことで地上の生き物たちの多くは生存競争に破れ、人の保護も間に合わずに絶滅していった。

 図鑑を見て生き物を知ったテナが、そこに載っている多くの生命を滅ぼしたのが【異形】であると分かったら何を思うだろう。

 自らの遺伝子の半分がその【異形】であると知った時、彼はその事実を受け止められるのだろうか――?


「い、いつか、見れるよ。ちっ地上の、ずっとずっと遠い国に行けば……こ、こんなふうに、サバンナが広がってて、動物たちがたくさんいるんだ」


 カナタは初めて、テナに――『新人』に嘘を吐いた。

 これまで無意識に言及を避けてきた、『新人』たちが【異形】の遺伝子を引いているという真実。

 人間と『新人シンジン』との間に横たわる、「違い」という名の溝。生駒センリら多くの者が彼らを忌避し、銃を向ける理由がそれだ。

 明言してしまったら自分たちと彼らとの絆が崩れてしまうような気がして、カナタは本当のことを言えなかった。

 友好を謳いながら内心では決定的な差異を意識してしまう――孕んだ矛盾に気づけないほど、カナタは未熟ではない。


(僕も一緒なのに。僕も【異形】に遺伝子を変化させられた者の一人なのに。『ヒト』に近しいというだけで……テナたちを違う者と見て、差別している)


 自分たちの行動は偽善に過ぎないのか。哀れな『新人』たちに手を差し伸べ、悦に浸っているだけなのか。

 違うと言い切れない自分が、カナタは嫌いだった。


「こっこれも、美味しいよ。食べてごらん」


 優しい言葉。共有する温度。そこに悪意はない。嘘もない。

 だが――それがいつまでも続くとはカナタには思えなかった。

 自分たちが彼らへの見方を改めなければ、彼らがより「知ること」を求めるようになった時、その「溝」は浮き彫りになる。


(僕はどうしたらいい? 僕らは彼らにどう触れればいい? 僕らは……彼らを通じて何を考えるべきなんだ?)


 テナや他の『新人』たちとぽつぽつと話しながら、カナタは面会時間が終わるまでずっと思索し続けていた。

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