第百七十五話 貴公子の野心 ―"I'll heat you up."―
緩やかに時間は流れていく。
教室には依然、イタルやヨリといった生徒らの姿が戻らないまま、時だけが過ぎていった。
「お疲れ様です、カナタ。補習、どうでしたか?」
「た、ただいま、レイ。しょ、正直……かっ考えたくないくらい残ってるよ」
夜八時を回った頃である。
鞄を机に下ろしながらそう言ったカナタに、レイは苦笑した。
この『学園』ではやむを得ない事情で取得単位が不足した場合、補習という形で課題に取り組むことで埋め合わせられる。
なるべく卒業して『レジスタンス』の兵士になって貰いたい――そのような学園と組織の双方の思惑があってのことだ。
「まあ、そうですよねえ……。半年休んでたボクの時でもなかなかにエグい量の課題がありましたもん。その倍となると、流石にしんどいやつですね」
「う、うん……れ、レイ、半分くらい肩代わりしてよ」
「気持ちは汲みたいところですが、駄目です。それではカナタのためになりません」
「むー……ど、どケチ」
真面目なレイに断られ、カナタはがっくりと首を折った。
銀髪と相まって一回りくらい老けて見えるカナタに、レイは苦笑しつつコーヒーを淹れてやる。
「この前の『レジスタンス』のお給料でコーヒードリッパーを買ったんです。スイーツも用意しましたから、一緒に食べましょう」
「しょ、食後のコーヒーにデザートか。き、気が利くね」
えっへんと胸を張るレイ。
勉強机という味気ない場所ではあるが小皿に乗せたケーキとコーヒーとを広げ、二人でしばしティータイムとする。
カナタはショートケーキにフォークを差し込みつつ、まずはコーヒーをそのままで一口飲むレイに言った。
「ね、ねえレイ。け、今朝、『レジスタンス』から書類が届いたって言ってたよね。そ、それって……そ、その、『レジスタンス』の入隊についての……?」
「ええ。去年も届きましたが、今年も同じ内容でしたね。『貴君は特例として「レジスタンス」に入隊する資格を付与されている』という。カナタには届いていないのですか?」
「う、うん……や、やっぱり、僕はダメなのかな。ぼ、僕が――」
カナタにはコーヒーはブラックだと苦すぎる。ミルクを注いで手持ちのフォークで掻き回しながら、彼は唾を飲み込んでその言葉を口にした。
「ぼ、僕が、月居カグヤ元司令の息子だから」
「カナタ……」
月居カナタは『福岡プラント奪還作戦』を成功に導いた英雄にして、『狂乱事変』を起こした当人のカグヤの実子。
人々が彼に向ける感情は二つに割れている。しかし真っ二つというわけではない。人々の住まうその地で勃発した事変は彼らに深い傷を刻んでおり、そのためにカグヤの息子であるカナタまで「同類」なのではないかと猜疑の目を向ける者も多かった。
月居カナタは【異形】の力が使える――『レジスタンス』のどこかから漏れた「噂」は、その疑念に拍車をかけている。
「……ぼ、僕の居場所は『レジスタンス』にはないのかもしれない。すっ、す、少なくともマトヴェイ大将は損切りのために僕を組織から遠ざけるはずだ」
マトヴェイ・バザロヴァは人心を、いわゆるイメージ戦略を大事にする将だ。『レジスタンス』の悪印象を払拭せんと躍起になっている彼が、カナタを英雄の一人として迎え入れるとは考えにくい。
「カナタが乗って戦った【輝夜】については、都市上空に現れたその分身を多くの市民が目撃しています。『レジスタンス』が全てを正直に明かしたゆえに、市民たちも【輝夜】が事変の元凶となったことを知っている。その機体が現存し、そのパイロットの息子がそれを乗りこなせることも分かっている」
月居カナタは大罪人の息子。レイの挙げた事実はその烙印をより濃いものとし、カナタの行く道を阻んでしまう。
俯いて唇を噛むカナタの手をそっと握り、レイは芯の通った強い口調で言った。
「それでも、ボクは――ボクらはカナタが敵にはなりえないと分かっています。市民の半数以上が君を犯罪者の息子として叩こうが、ボクやシバマルくん、ユイさんたちは味方です」
味方はここにいる。だからここが、君の居場所。
徐ろに顔を上げたカナタに、レイは微笑んで伝える。
「『レジスタンス』入隊の件……ボクは今回も見送ろうと思います。君を置いて地上には行けませんから」
「そ、そんな……ほ、本当に、いいの? れ、レイはエリートで……日本の『レジスタンス』に入りたくて来日したわけでしょ。ぼっ、僕のためにわざわざ、足踏みしなくても……」
自分が足手まといになっているなら、切り捨ててもらっても構わない。
レイにはレイの目標へ突き進んでもらいたい。
それが、カナタの思いだった。
だが――レイは静かに首を横に振った。それから、呆れたような笑みを浮かべる。
「それは目標ではなく手段です。そして、ボクの目標は君と出会ったことで変わった」
【異形】への復讐と自身の贖罪。
地上へ出て力尽きるまで仇敵と戦い、最後には命を散らす。それが自分の運命だと、レイは思っていた。
だが、カナタはレイへ友として好意を告げてくれた。
その友情は過去ばかり顧みていたレイを、未来へと向けさせてくれた。
自分が嫌いで仕方なかったレイは、その時ようやく自分を好きになれた気がする。そして、彼のことも――。
「自分なんていついなくなっても構わない。そう思って戦ってきたボクに新しい居場所をくれたのは、君なんです。君がボクの心の鎖を壊してくれたから、ボクは自分を愛せるようになった。僕の新たな目標は――君を、支えること。そばに居続けること。そうして居場所を守ってあげること。君と一緒にいられるなら、所属はどこだっていい」
誰かに愛されることは、すなわち誰かを愛せるようになること。
愛は心を潤す水だ。足りなければ誰かに分かつことも叶わない。
枯れた心を満たしてくれた彼に、恩返しをしたい。そのためにレイが出来ることは、ただひたむきな献身。
「い、いいの……? ぼ、僕なんかのそばで」
戸惑うカナタにレイは力強く頷いてみせた。
それから彼の椅子に椅子を寄せて、腕を伸ばす。
「マナカさんのように柔らかくはないかもしれませんが……ボクは君を、温めたい」
薄い背中に腕を回し、慈しむように抱きしめる。
嫌がられるかもしれないと思ったが、カナタはレイを拒まずに彼の抱擁に応えた。
大勢の悪意に触れて傷ついた、ガラスのように脆く透き通った繊細な心。それを触れ合った身体の温度で癒していく。
「あ……あたたかい、ね」
「ええ……温かいです」
しばらく二人はそうしていた。
やがて身体を離した彼らは、机の上に食べかけのまま放置されていたケーキとコーヒーとを眺めて顔を見合わせる。
「……冷めてしまいましたね、コーヒー」
「い、いいんだよ。じゅ、十分温まったから」
そう言ったカナタは何てことのないような顔で、ショートケーキの残りをパクパクと食べ始めた。
顔を熱くするレイは机に真っ直ぐ向き直って、モンブランを数口で平らげる。
「お、美味しかったね。ま、また買ってきてよ」
「もちろんです。今度は違うやつにしますね。新商品の蜂蜜パイがなかなか良さげだったんですよ」
小皿とカップをそれぞれ片付けながら言葉を交わす二人。
のんびりと過ごす静かな夜は、日中の授業や訓練での疲れを忘れさせてくれた。
「ね、ねえ」
と、そこで。ベッドに横になってスマホを眺めだしたカナタは、先にバスルームへ向かおうとしていたレイに声を投げかけた。
「なんですか」
「にゅ、ニュース見てみてよ。そっ『尊皇派』の蓮見タカネさんが、せっ政権を取った暁には『レジスタンス』の司令選挙にも出馬するって……!」
にわかには信じ難いカナタの言葉に、レイは瞠目する。
蓮見氏が政権を狙っているのは周知の事実であるが、『レジスタンス』の司令職をも視野に入れているというのは初耳だ。
「随分と野心家な男なのですね、蓮見タカネという人は」
ここ一、二年の間に頭角を現してきている『尊皇派』のトップ――それが蓮見タカネという男である。
権力欲を隠しもしないその宣言に対し、レイは眉を顰める。
自分でもSNSアプリを開いてチェックする彼は、トレンドに上がっているキーワードを幾つか追って世間の声を確かめた。
「どうやら、世の中の人々には歓迎する者も多いようです。事変は月居司令の実質的な独裁状態が招いたことだとして、軍の主導権は軍人以外に握らせるべきだという声もありますね」
その意見はレイにも頷けるところはある。月居カグヤの暴走から起こった事変を反省する上で、体制の変革は必要になることだろう。
今はバザロヴァ元帥が司令代行となり、十一月に控えている司令選までの繋ぎを務めているが――その選挙の結果次第では、『レジスタンス』は全くの別物に生まれ変わる可能性もある。
「どうなるかは分かりませんが……ボクらは、ボクらの戦いをするだけです」
「そ、そう、だよね。き、きっと大丈夫だよね、僕たち」
縋るように聞いてくるカナタに、レイは「ええ」と彼らしくなく根拠のない言葉を吐いた。
今の日常は情勢が変わるまでの束の間の平穏でしかない――どうしてもそう感じてしまうレイは、相棒に背中を向けて足早に浴室へと向かった。
*
日曜の夜。
時刻はあと五分で二十二時に差し掛かろうとしているなか、ベッドに横たわっていたアスマは枕元のスマホをひったくるように取り上げた。
乱暴に液晶へ指を滑らせ、指定されたアプリを開いて来る「会談」に備える。
(服装とか、別にパジャマでもいいよな。どうせ、僕らはもうお払い箱だって連絡が来るだけなんだろうし)
不祥事によって『レジスタンス』が弱体化した今、それを打倒するための武力などもはや必要ない。
むしろ『尊皇派』が兵器密造していたという汚点でしかないのだ。
『尊皇派』と九重重工の蜜月も、ここで終わりを迎えるのだろう。
(その関係が終わったら、僕はどうなるんだろう。これまでみたいにSAMを自由に作れることは、きっと、二度とないんだろうな)
事変が終わって彼の胸に残ったのは、喪失感だけだった。
手がけた愛機は跡形もなく処分された。慕った先輩も亡き人となった。父は事変の二週間ほど前に起こったテロで重体となり、未だ目覚めぬまま入院したままだ。
何のために自分は『学園』にいて、何のために学んでいるのだろう。
アスマにはその答えが分からない。人々が平和に生きられる世界への望みも、【異形】を討とうという使命も、彼にはない。
他人になど興味はなかった。唯一興味を持った人は既にいない。何を頼りに生きればいいのか、アスマには見つけられない。
(……時間か)
ベッドに寝転び、スマホのビデオ会議アプリを開く。
すると、ほどなくして蓮見タカネからのルームへの招待が来た。アスマはそれに応じ、液晶の中のタカネと対面する。
『遅くにすまないね、九重くん。私のほうで時間を取れるのが、このタイミングしかなかったのだ』
「お久しぶりです。……今夜は何の用なんですか?」
良い返答を期待せずにアスマは訊ねた。
素っ気ない口調の上に背後がどう見てもベッドのシーツであることを咎めもせず、タカネは貴公子のような微笑みを浮かべる。
『君たちは既に用済みとなった……そう言われるのを予想していたのだろう?』
「……はい、まあ」
『ふっ……無理もない話だな。君の手がけた機体を完全に処分したことは、私としても申し訳ないと思っている。だがね、仕方のないことなのだよ。『尊皇派』が武力を隠していたことが明るみになれば、今後の政治生命に響くからね』
タカネの態度は誠実だった。
世間でも人気なのが分かる、とアスマは内心で呟く。
それからタカネは七三の前髪の下で睫毛を伏せ、沈鬱そうな面持ちで言った。
『……君の父上のことも、大変痛ましいことだったと思っている。我々と関わっていなければ、九重会長もアングラ勢力に狙われはしなかっただろうからね。何度か見舞いに行ったが……脳に損傷が残ったようで、目覚めたとしても前までの知能は保てないと聞いた』
アスマにとって、このタカネの台詞は塞がっていない傷を抉るのと同義だった。
顔を逸らして「ええ」とだけ応じる少年に、タカネは語気を強めて続ける。
『私には、君に対して果たさねばならない責任がある。せめてもの償いとして、私が政権を取り、『レジスタンス』の司令職をも掴んだ暁には――君を、専属のメカニックとして雇うことを約束しよう。『尊皇派』の工房での自由なSAM製造が、また出来るのだ。悪いことではないと思うが、どうかな?』
自由なSAM製造と耳にして、アスマの瞳には光が戻ってきた。
それは彼の唯一の生き甲斐であり、自分を主張できる手段であり、誰もが認める才能を発揮できることであった。
「や、やります! 僕、またSAM作りたいです!」
『純真なるメカニックボーイ』と最初に彼を呼んだ者は、きっと今と同じような表情の彼を見て名付けたに違いない。
混じりけのない喜びの感情を露にするアスマに、タカネは微笑んだ。
その穏やかな眼差しは、弟を温かく見守る兄のようでもあった。
『良い返事をもらえて嬉しいよ。選挙が終わって色々と落ち着く頃には十二月を過ぎてしまうが……それまでは『学園』生活を頑張ってくれたまえ。そこでの努力は必ず、君の糧となるだろう』
パイロットとメカニック、両方の道での少年の大成をタカネは願う。
アスマは大きく頷いて、「分かりました」と返した。
『また連絡する。では』
ビデオ通話を終えたアスマは、天井を見上げてほっと息を吐いた。
また自由にSAMを作れる環境を与えてもらえるかもしれない――その可能性は彼のアイデンティティを守ったのだ。
「良かった……これで、また……」
弾む声音でアスマは噛み締めるように独りごつ。
大切なものは二度と失いたくない。自分にとって一番の「SAM作り」という趣味への夢を胸に、彼は興奮のあまり眠れぬ夜を過ごした。
*
高級ホテルの一室でアスマとのリモート通話を済ませたタカネは、飛び込んできた着信にすぐに応じた。
ジャケットを脱いだワイシャツ姿でソファに掛ける彼は、左手にワイングラス、右手にスマホといったポーズで口を開く。
「牧村くんか。こんな遅くにどうしたんだ」
『遅くにすみません。「鬼島工業」と「ヘルメスカンパニー」とのアポが取れましたので、なるべく早く連絡致そうと思いまして』
「そうか。ご苦労だったな。こちらも九重少年との通話を今しがた終えたところだ」
通話の相手は秘書の牧村という女性であった。
遅くまで働いていてもなお聞く者に疲労を意識させない淡々とした声に、タカネは素直に労いの言葉を贈る。
「同席していたなら共に一杯やれたのだがね。それは後ほどに回すとして……こちらも上手くいったよ」
『それは良かったです』
「ああ……ああいう欠けたもののある者は扱いやすい。その欠落を埋め、満たしてやるだけで簡単に狗と化すのだから」
タカネは苦味と酸味のほどよく同居するワインを一口含み、そしてほくそ笑んだ。
『政治の才のみならず、ブリーダーの資質もお持ちで』
「ふふ……そんなことはないさ。最も手懐けたい犬は未だ、私の手元にはない」
桃髪の少女の美しき横顔を脳裏に過ぎらせ、貴公子は口元に自嘲を滲ませた。
彼女さえ意のままになれば、『尊皇派』は正当に皇族の権威に後押しされた勢力としてさらに力を伸ばせるというのに――。
『血統書付きの犬ならば、最悪何でも良いのではありませんか?』
「言ってくれるな、君も。まあ、考えとしては間違いじゃない。皇家の奇跡は何も、ミコトさまだけでなし得たものではないからね」
物怖じせずに意見をくれる牧村のそういうところが、タカネが彼女を重用する理由であった。
電話では分からない彼女の表情を想像してみるのも、彼は好きだった。
牧村が口調では淡々と言っていても、内心ではかなりの勇気を振り絞っていることは、タカネの目に誤魔化せはしない。
「……君の意見を参考に、私もシナリオを修正せねばならないな。いやあ、面白いものだね。人生という脚本は、自己という書き手以外の意思も絡まって変わってくるのだから」
蓮見タカネは血筋が決めた人生の枠から逃れることは出来なかった。
自由を手にした弟とは異なり、少年時代の彼は敷かれたレールを突き進んでいこうと決めた。
両親はタカネだけに金をかけ、タカネだけに極上の美少女を許嫁としてあてがわせてくれた。
与えられたものは使う。損はしないのだから、捨てる理由などない。
だが与えられたものだけに甘んじない。蓮見タカネという男はどこまでも、強欲だったから。
最初に妬んだのは弟だった。
勉強も運動も自分よりずっと劣っていた弟に、父母や周りの者はかかりっきりだった。
自分は放っておいても何とかなるからと、誰に構われることもなかった。
タカネは確かに両親の誇りではあった。だが、愛されてはいなかった。
「可愛げがない」から。優秀な彼は両親が自慢のために他人に見せる、トロフィーでしかなかった。
タカネは他人が簡単に自分の思い通りにならないことを、幼くして理解した。
それでも信じられるものはあった。
金と、地位。持っていれば誰もが社会で認めてくれるもの。仰いでくれるもの。
それがあれば友ができた。話し相手になる人と出会えた。綺麗な女性とも多く出会えた。
しかし――成長した青年は、血筋が保証する財では満足できなくなった。
今の地位では足りない。皇ミコトの隣に立つには至らない。
ミコトの夫となるには、彼女の全てを守り、手中に収められるだけの立場が必要になる。 皇族でさえ無視できないほどの権力。
総理大臣として獲得する政権。そして人類を守る『レジスタンス』の司令、この二つだ。
「それでも最初に思いついたシナリオに固執してしまうのは、私のどうにもならない悪癖かな」
回想を経ての独白めいた呟きへの返答には、しばしの間があった。
『……あなたのミコト殿下への思いが本物である故のことでしょう』
「そうであると良いのだがね。……では、おやすみ。明日も早いぞ」
恭しく挨拶を返してくる牧村との通話を切って、タカネはグラスに残っていたワインを一気に呷った。
「殿下ともまた会わねばならないな。皇族と『レジスタンス』との関わり方……一度整理する必要があるだろう」
ただの愛で好き勝手動かせるほど世界が簡単ではないことを、タカネは知っている。
複雑に絡まりあった人の思惑――自分の願望を通すのは針に糸を通すようなものだ。
見遣った窓辺には、久々の大きな銀色の月が輝いていた。




