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暁の機動天使《プシュコマキア》  作者: 憂木 ヒロ
第七章 理想と現実

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第百七十三話 団欒のとき ―Fun dining together―

「おかえりなさい、王子様♡ ううん、カナタくん」


 都市に帰還したカナタたちはまず、学園へと戻ることになった。

 シズルの運転する車で校門前へと到着した彼らをそこで迎えたのは、黒髪に赤縁眼鏡がトレードマークの少女――不破ミユキである。


「たっ、ただいま……み、ミユキさん」

「よく頑張ったわね。あなたの活躍は聞いてるわ。早乙女くん、刘さん、犬塚くん……あなたたちもよく戦い抜いてくれた」


 杖を突きながら車を降りてきたカナタに駆け寄り、ミユキはその細い身体をそっと抱き留める。

 カナタを信じて送り出したはいいものの、暴れ馬の【輝夜】で彼を行かせて良かったのかという迷いがミユキにはあった。だが、彼の奮闘によってそれは杞憂に終わってくれた。

 一ヶ月ぶりの再会の喜びを抱擁を通して共有する二人。

 カグヤに息子を託されたミユキは、これから彼の家族となっていくための第一歩として、まず一番に彼の帰還を祝った。


「ミユキちゃん……その、司令は……」


 サングラスを外しながら降車したシズルは、やや躊躇いつつも堪えきれずに訊ねた。

 軍服姿ではなく黒いタイトワンピースを着ている旧知の女性に、ミユキは頷きを返す。


「あたしがやったわ。あの人の……最後の、頼みだったから」


 そう聞いたシズルは沈痛な面持ちで俯き、左腕をきつく握り掴んだ。

 彼女にも彼女なりの悩みや迷いがあったのだろう。最悪の結末を迎えてしまう前に自分に何か出来ることはあったはずだと、後悔に駆られているのだ。


「あなたは何も悪くなかった……なんて言うのは、無用の優しさよね。あたしもあなたも、矢神くんも、他の『レジスタンス』の者たちも……彼女と関わった全ての人間が、あの凶行を想定すら出来なかった。これは、あたしたちの罪よ」


 戒めを胸に静かな口調で言うミユキに、シズルは厳然と頷く。

 カナタもまた硬い表情でいる中、その肩をとんと叩いてミユキは声の調子を上げた。


「さ、反省タイムは終わり! せっかく君たちが帰ってきたってのに、いつまでも辛気臭い顔じゃいられないでしょ」


 一転して目を弓なりに細めるミユキ。

 彼女の切り替えの早さに若干面食らいつつも、カナタは「は、はい」と首を縦に振った。


「とりあえず、寮のほうに荷物置いたら夕食にしましょ♡ 今日はあたしが奢ったげるから」

「うおっ、マジすか!? あざっす!」

「うふふ、いっぱい食べていいわよ~。なんたって、君たちは『福岡プラント』を奪還した英雄たちだもの。そのくらいのもてなしはしなきゃね」


 分かりやすくテンションを上げるシバマルの隣で、ユイが少し恥ずかしそうに「もう少し慎ましくしてくださいっ」と耳打ちする。

 その様子を微笑ましく思いながら、ミユキは「じゃ、三十分後にここで」と言い置いた。



 ドアを開けて入った廊下の匂いは記憶にあるのと全く同じ、微かな木の匂いだった。

 すん、とそれを吸い込んだカナタは、肩の力が一気に抜けていくような安心感を抱いた。

 隣のレイも同じらしく、口元を控えめに緩めている。


「たっ、ただいま……って言うべきかな」

「ええ。……まぁ、『おかえり』を言う人はここにはいないのですが」


 廊下を抜けて広がっている部屋の様子は、カナタの知っている約一年前の光景と変わっていなかった。自分用の勉強机の上には、一年次の教科書やノートが立てて置かれている。もう長いこと触れていないはずなのに、埃一つ被っていない。


「……なっ、何だか、ここだけ時が止まっちゃったみたいだね」


 部屋を眺めながら率直な感想を呟くカナタ。

 レイは彼の言葉には何故か反応せず、クローゼットの前でそそくさと着替え始めた。

 雑に引き出しから服を引っ張り出し、脱いだのをそこらへ適当に放り投げるレイに、カナタは言う。


「そっ、そんなに急がなくても……」

「や、約束の時間に遅れては不破さんに怒られてしまうでしょう! エリートたる者、信用を失うような真似は出来ないのです!」

「……け、けど長いこと戦わずに引きこもってたらしいじゃない」

「……それを言われては反論できませんが……っ、ともかく、君もさっさと支度しなさい!」


 痛いところを突かれてレイは口ごもる。

 色々な意味で顔を真っ赤にするレイの隣まで来たカナタは、穏やかに笑ってみせた。


「あ、ありがとう」

「なっ……何が、ですか」

「へ、部屋、綺麗にしてくれたこと。い、居場所を残して貰えたんだって思うと、嬉しくて」


 いつカナタが戻ってきてもいいようにと、レイは部屋の掃除を一日たりとも欠かしたことはなかったのだ。

 信じて待ち続けてくれた相棒のその気持ちは、カナタにとってどんな褒賞にも優る喜びだ。

 自分が一年もの間眠り続けていたと知った時は、『狂乱事変』の真っ只中でカナタの頭の中はその戦いのことしかなかった。だがカグヤに勝ち、『バエル』を眠らせた後になってようやく、彼は「今後」を考える余裕を手にした。

 そうして最初に湧き上がってきたのは、不安だった。

 皆に心配と迷惑をかけてしまった自分は、果たして以前までのように受け入れてもらえるか。表面的には仲良くして貰えても、心の中には壁を作られてしまうのではないか。『月居カグヤの息子』として、また悪意を向けられてしまうのではないか――身近にいるレイやシバマルたちに対しても、それらの恐れがなかったと言えば嘘になる。


「あっ、ありがとう……ぼ、僕はここにいていいんだね。こ、ここが……きっ君が守り続けてくれた、僕の居場所なんだね……」


 だが、そういった不安はこの部屋に入った途端、氷解した。

 時間は経った。それでも、気持ちの繋がりは途切れていなかった。

 直感的にカナタはそこには真実しかないと分かった。


 いつの日か銀髪の少年はここで、まだ「相棒」と呼べる前の彼と話したことがある。

「味方のふりをした敵よりも、最初から他人だと分かっている相手のほうが安心できる」と。

 けれど今は、そうでない関係もあると知った。

 味方として心を通じ合わせ、思い慕える関係――それはまさしく、比翼連理。


「そ、そう、ですよ。あ、ありがたく思いなさい――わ、わざわざこのボクが綺麗にしておいてやったんですから。つっ机を使うときは『レイ先生ありがとうございます』って五回ずつ言うんですよ! いいですね!」

「れ、レイすごい吃ってる……ぼ、僕みたい」


 加えて、嫌っていた『先生』というあだ名を自分で言っているところにもカナタはくすっと笑う。

 レイは「何がおかしいんですか!」と頬を膨らせるも、それはあまりに逆効果であった。

 堪えようとすると余計に笑いが込み上げてしまい、カナタは肩を揺らしながら顔を綻ばせる。


「ふっ……くくっ。な、なんか、楽しいね」

「そう言われるのは悪い気はしませんが……」


 目尻を下げるレイは、脱いだワイシャツを机の上に放り出すカナタを見て思う。

 止まっていた時はこうして、ようやく動き出したのだと。



「さあ、かんぱ~い! 今夜はじゃんじゃん食べちゃっていいわよ〜」


 ミユキの音頭でテーブルに着いた皆がグラスを掲げる。

 ユイの要望で都市中央区画の中華料理店にやって来たカナタたちは、目の前に広げられた料理の数々にさっそく飛びついた。

 熱々の北京ダックや水餃子、ジャージャー麺といった豪勢な北京料理――北京はユイの故郷だ――に舌鼓を打つ。


「やっぱりコレです! 日本の料理も美味しいですけど、これぞ祖国の味って感じがします!」

「生まれ育った土地の味が、その人の舌を育てるといいますからね。ああ、ボクもドイツの母さんの料理を食べたいです」

「初めて食ったけど美味いな~、北京ダック! パリパリの皮に脂のたっぷり乗った鴨肉、極上の味だぜ!」

「あら犬塚くん、食リポ上手ね~。『まいうー』って感じ」

「なんすかそれ。新しいギャグ?」

「うふふ、なんでもないわ。……ジェネレーションギャップって怖いわねぇ……」


 ユイ、レイ、シバマル、ミユキが食べながら和気藹々と喋る中、カナタはレイの隣で黙々と刀削麺を食していた。

 猫舌の彼がふうふうと麺を冷ましていると、上げた視線の先の少年と目が合う。

 黒い髪はボサボサながらも顔立ちは端正である少年、九重アスマである。


「……なんすか」


 アスマもまた猫舌で、向かいのカナタと全く同じポーズだった。

 胡乱げな目で見つめてくる彼に、カナタは「なっ、なんでもないよ」と小さな声で言う。

 聞こえなかったのか露骨に顔をしかめたアスマに、ミユキが気づいて声をかける。


「こら、アスマくん。せっかくのご馳走の席でそんな顔しないの」

「……別に、僕は来たくて来たわけじゃないですし」

「素直じゃないわねぇ。中華食べに行くか訊いた時、即決で『行きます』って返事寄越したくせに」


 言われて顔を赤らめるアスマ。彼は単純に、素直になれない上に人付き合いが下手なだけなのだ。一言で言うと不器用である。


「まっ、中華なんて滅多に食えないしな。飛びつくのは恥ずかしいことじゃないぜ、後輩くん」

「誰すかアンタ」

「バッキャロー、おれは【ラジエル】のパイロットだぞ!? なんで知らないの!?」

「興味ないんで。それと……【ラジエル】は月居さんの機体でしょ」


 冷めた視線を送ってくるアスマに、シバマルは言葉を詰まらせた。

 ほどよい温度になった麺を啜り出す後輩を前に、彼は俯く。

 元々、シバマルはカナタが戻って来るまでの代打でしかなかった。シバマルも当初はそのつもりで臨んでいた。だが、いつしか彼は【ラジエル】に愛着を抱いてしまっていた。


「……わ、わりぃツッキー。我が物顔で【ラジエル】のパイロットだなんて言っちゃって……」

「い、いいよ。ぼ、僕、気にしてないから。そ、それに……今の僕には、【ラファエル】のほうが合ってる。あっ、あの機体に乗ってれば、ま、マオさんと――マナカさんと一緒に戦えるから」


 カナタは緩慢な所作で首を横に振り、穏やかに目を細めた。

 これからも君に【ラジエル】のパイロットでいてほしい――その意思を受け取って、シバマルは表情を凛と引き締める。


「……ありがとう、ツッキー。お前から受け継いだ機体、大切にする」

「ゆ、ユイさんと一緒に飛んで、かっ彼女を支えてあげて。ら、【ラジエル】は【ミカエル】の機動についていける貴重な機体だから」

「おう! 任せとけ!」


 気合のこもった声を上げ、隣のユイの肩を引き寄せるシバマル。

 腕を回されて淡く頬を染めるユイは、満更でもなさそうな感じだ。

 包子バオズ――挽肉の詰まった中華まん――を頬張りながら、ミユキは「青春ねぇ」とにやけ面で二人を眺める。

 二個セットのそれを隣のアスマに分けてやり、彼女は斜向かいのカナタへ訊く。


「ねえカナタくん。君が望むならだけれど、【ラファエル】のカラーリングを君好みに塗り替えることもできるわよ。【ラファエルメテオール】のメンテも近いうちにやる予定だし、他にも要望あったら言ってね」

「うーん……じゃ、じゃあ、ボディは銀色で、胸の十字ラインは青がいいな。そ、そうすると若干【ラジエル】と被るけど……」


 確かに【ラファエル】の黄色と白のカラーリングはいまいちしっくりきていないところがあった。

 ミユキの提案に頷くカナタの側で、シバマルも口を開く。


「んじゃ、おれの方も変えてもらえばいいな。銀色はツッキーのイメージカラーだし、おれは――」

「茶色とかどうですか? 犬っぽいですし」

「ちょっ、それはいくらなんでも地味すぎでしょ! おれはド派手にピンクでいく!」

「ぴ、ピンクぅ? 駄犬、流石に微妙じゃないですかそれ」

「まぁそう言うなって。これまでになかった色だからこそ、個性が出ていいんじゃないかって思うんだ」


 既存のSAMは黒や紺、白系統のものが殆どだ。その中にピンクをぶち込めば、いやでもかなり目立ってくれるだろう。

 それに、がらっと色を変えれば【ラジエル】に定着した月居カナタのイメージも払拭できる。


「銀の【ラファエル】に、ピンクの【ラジエル】ね。了解、なるべく早めにやっとくわ」


 ぐっと親指を上げるミユキに「オナシャス!」と両手を合わせるシバマル。

 と、そんな彼の肩をユイがちょんちょんとつつく。


「シバマルさん、あーん」


 箸で餃子を口元まで運んでくれるユイに、シバマルは緩みきった表情で口を開いた。

 が、次の瞬間、口内に広がった強烈な味に彼は思いっきり火を吹く。


「うおおおおおおおっ、かっれえっ!? み、水ー!?」

「ふふふ……びっくりしました?」


 不意打ちの激辛餃子をどうにか水で対処したシバマルは、荒く息を吐きながら「びっくりどころじゃないぞ……」とげんなりする。

 小悪魔な笑みを浮かべるユイはミユキへとピースサイン。「グルだったのかよ!」と声を上げるシバマルに、「ただいちゃつかれるだけじゃ面白くないもの♡」とミユキは言う。


「子供っぽいっすね。年の割には」

「アスマくん、これでもあたしはJKやってんのよ。永遠の17歳とはあたしのこと♡」

「四十五歳の間違いでしょ」

「ばっ……君、ピッチャーだったら誰にも振らせないレベルね」


 自分のことには素直ではないくせに他人に対しては物凄い直球を投げるアスマだった。

 握り締めた拳を理性で下げたミユキは、仏頂面で杏仁豆腐を口に運ぶアスマに「後であたしの部屋に来なさい」と微笑む。


「うわーこえぇ……やっぱ女の人に年齢の話題はタブーだな」

「あ、シバマルさんは付き合う相手の年齢とか、気にしたりします?」

「いや、全然。歳よりも中身でしょ」

「そ、そうですよね! ……良かったぁ」


 ユイは学年ではシバマルらと同じだが、実際の年齢は彼らより一つ上である。内心では年の差を少し気にしていた彼女は、ノータイムで出た彼氏の言葉に頬を緩めた。

 レイの杏仁豆腐をカナタが一口貰っているのを横目に、あらかた食べ終わったのを確かめてミユキは手を叩いた。


「んじゃ、カナタくんが食べ終わったら撤収しましょう。明日以降は『学園』生活再開、というわけだけど……一緒に頑張りましょうね」


 締めのミユキの言葉に一同は頷いた。

 楽しい外食の席はこうして、幕を引くのだった。

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