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暁の機動天使《プシュコマキア》  作者: 憂木 ヒロ
第七章 理想と現実

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第百七十二話 帰還 ―The dark cloud which gathers―

『プラント』復興作業を概ね完了させた、作戦最終盤。

 残るは帰路を行く数日のみとなった蒸し暑い夜、宿舎のベランダでワイングラスを傾けながらマトヴェイは夜空を眺めていた。


「人工の星空も慣れれば綺麗だと思えるものね。……ミコトさんも一杯、どうかしら?」

「いえ、わたくしは未成年ですから」

「生真面目ねぇ。他に誰もいないのだから、気を抜かれても構わないのに」


 同席しているのはミコトである。『プラント』での最後の夜となる今回の談話を持ちかけたのは、彼女の側からだった。

 ワインでなく葡萄ぶどうジュースを一口飲むミコトは、星空を仰ぐマトヴェイの艶やかな横顔を見つめ、さっそく本題に入った。


「バザロヴァ大将。『新人』たちのこれからの扱いは、どうなさいますか?」


 それは彼ら『レジスタンス』上層部にとって、最も難しい問題であった。

『新人』たちがヒトと普通に交流できることはミコトたちの活動から確かといえる。だが、兵士たちが【異形】に対して抱く憎しみや嫌悪は簡単に拭えるものではない。【異形】の血が半分でも入っている『新人』たちが認められるには、長い時間を有するであろう。


「現状維持、しかないわね。厳重な管理下に置き、決して他の兵士たちの目には触れないようにする。牢に入れておくのはあなたからすれば心苦しいでしょうけれど、これは『保護』のためだと受け入れて頂戴ね」

「分かっておりますわ。それで、明日以降は……」

「昨日、丹沢基地のアタシの部下と通信して話は付けてあるわ。『新人』たちはアタシらと一緒に飛び、そこに預けられることになる」


『新人』たちの扱いについては、彼らと深く交流しているミコトらの側に置いておくべきだろうと、マトヴェイやミラー大将ら上層部の意見は一致していた。

 話が決まってミコトはほっと胸を撫で下ろす。彼らが師団の輸送機に乗せて貰えない可能性も、彼女の頭の中にはあった。


「バザロヴァ大将……丹沢基地には、【異形】の研究施設が併設されていると聞いております。彼らはそこに送られるのですか」

「ええ。でも大丈夫よ、データを取るために検査はするけど、苦痛を伴うような実験なんかはしないように厳命してあるから。流石に給料全額カットをちらつかされてまで変なことしようとするやからもいないでしょう」


 現実主義者リアリストらしい彼の言い分に苦笑するミコト。

「そうだと良いですが」と呟いて甘ったるいジュースを喉に流し込み、彼女は言った。


「バザロヴァ大将。わたくしは、あなたを信用しています。この言葉の意味、あなたならば正しく理解してくださいますね?」

「ええ……もちろん」


 皇女の肩書きを笠に着る脅しめいた自分の言い回しに、ミコトは内心で自嘲の笑みを浮かべる。

 神妙な面持ちで頷くマトヴェイは煙草に火を付け、吸って吐き出した紫煙をどこか遠い目で見つめていた。


「……ミコトさん。『新人』たちとの関わり、決して途中で投げ出してはいけないわよ。それはアタシたちへの裏切りになる」


 この『新人』を巡っての関係は、信用があってこそ成り立つものでしかない。

 意趣返しのように示されたその前提に、ミコトもまた、微笑みを纏って頷きを返した。



「朝から晩までつまんねー肉体労働ばっかの生活とも、いよいよ明日でおさらば! やっとゲームできるぜ!」

「来栖くん、都市に着くまでが遠征だぞ。気を抜けるのはもうちょっと先だ」


 喜びを露に叫ぶ来栖ハルに言い含めたのは、彼の元担任である湊アオイだ。

 夕食と風呂とを済ませた彼らは、それぞれの部屋に戻るまでの廊下で他愛のない会話を交わす。


「へいへい。あーあ、めんどくせー」

「帰路で敵と遭遇したとしても、来栖くんの【ドミニオン】なら一騎当千の活躍だろ? ね、最上さん」

「うん……ハル、強いから」

「お、おう! あったりめーじゃん!?」


 アオイとフユカに言われ、分かりやすく乗せられるハル。

 そんな彼にくすっと笑うのは、一歩後ろを歩いているナギだ。

 風呂上りの湿った髪を指先で撫で付けながら、ナギは隣を歩くフユカに話しかける。


「明日は出立の日だから、早起きしなきゃだね。寝ぼすけのままじゃダメだよ」

「わたし、寝ぼすけじゃ、ない……」

「ホントかな~? 今朝、僕のシーツによだれ垂らして爆睡してたの誰だったかなー」

「そ、それ、いわないでっ……」


 泣きついてくるフユカに「ごめんよ」と言い、ナギは彼女の頭を撫でてやった。

 すると彼女は子猫のように嬉しそうに笑ってきて、ナギの顔からも笑みがこぼれる。

 作戦が始まってからの約一ヶ月のうちに、ナギはすっかりフユカに懐かれていた。

 仲のいい兄妹のように見えるその様子を快く思わないのは、ハルである。


「ちぇっ、あんなぶりっ子野郎のどこがいいんだか」

「おっ、ヤキモチ焼いてくれるなんて可愛いとこあるじゃん、ハルくん」

「うっせぇわ! 可愛い言われて喜ぶような野郎はてめーだけだ!」

「口が悪いなぁ……上官の教育が足りてないんじゃないですか、湊先輩?」


 こんなふうにハルがナギにおちょくられるのも日常茶飯事だ。

 結婚を約束した恋人を失い、一時は自殺まで考えたアオイだったが、彼らの賑やかな風景を側で見ているうちに傷はだいぶ癒えてきていた。

 彼らという大切な者たちが、アオイをこの世に繋ぎ止めてくれたのだ。


「……確かに、そうかもな」


 ただただ、ありがたいとアオイは思う。

 独りであったら今頃、自分はここにいなかっただろうと断言できるから。

 そして、自分を癒してくれた彼らを守りたいとアオイは切に願う。そのために、愛した人が散った戦場にまた立つのだ。

 恐れがないと言えば嘘になる。湊アオイは、一度戦場から逃げた男だ。だが逃げた経験があるからこそ、彼はそこから離れた視点で戦場を見ることが出来る。

 ずっと軍に居続けた人間とは異なる目線から、海軍を変えていくことも不可能ではない。


「……僕に出来ること……今はそれに全てを注ぐだけだ」


 宇多田カノンは多くの兵に慕われ、彼らの指標となった女性であった。

 アオイはまだ彼女の域には達しておらず、人を引き付ける話術も持ち得ていないが……行動で影響を与えていけるはずだ。

 空から見ていてくれ、と青年は恋人に呼びかける。

 そこでふと、その決意の横顔にぐにっと指を突き立てる者があった。


「ねえ先輩、全然話聞いてなかったでしょ」

「ばっ……馬鹿言え、聞いてたさ。来栖くんの教育が足りてないとか何とか……」

「その後も色々喋ってたんですけど。ねえアキトくん」


 最後尾を歩くアキトがこくりと頷いたのを振り返って、アオイは「悪い」と観念した。

 

「ま、別に構わないですけどね。先輩が話してる最中に考え込むの、昔からの癖って分かってますから」


 にこっと笑うナギ。その隣でフユカが「わたし、ナギの癖知ってるよ」と話し始め、アオイも微笑する。

 各自が部屋に戻るまでのもう少しの間、穏やかな時間は過ぎていく。



 翌日、第一~第三師団は福岡から出立。

『基地』と『プラント』を維持するのに十分な人員を残し、下関海峡から中国エリアへと移っていった。

 彼らは約三日間の帰路を経て、予定通り『新東京市』への帰還を果たした。

 道中では【第一級異形】との交戦が二度あったものの、生駒少将の【ゼルエル】の奮闘により二体とも撃破。【機動天使】、【七天使】の機体が欠けた状況の中、強敵を乗り越えた。

 海軍の艦隊は『小田原軍港』に駐留、陸空軍の部隊は丹沢基地を経由して都市へと戻ることとなった。


「第一、第二、第三師団、生存者全てが帰還いたしました」


 一ヶ月ぶりの『レジスタンス』本部に足を運んだマトヴェイは、主なき『円卓の間』にてそう報告した。

 しかし、彼らを迎える冬萌陸軍大将の面持ちは険しい。

『基地』及び『プラント』を奪還できたのは良いものの、都市にはまだ問題が山積みである。

 司令選挙を数ヶ月後に控えた状況で、現職の司令が死亡。また、人々が暴れ出す異常事態に迅速な対策を打てなかった『レジスタンス』に対する民からの不信感が高まるなど、向かい風は強まるばかり。

 さらにあの事変で愛娘を亡くした冬萌大将の心労は、マトヴェイらのそれとは比較にならないほど重かった。


「……よくやってくれた。バザロヴァ大将、生駒少将、夜桜大佐。貴官らの功績を称え、それぞれ一階級の昇進とする。バザロヴァ大将は『レジスタンス』創設以来初となる元帥だ」


 寡黙な壮年の大将は淡々と告げた。

 三人の将は敬礼を返し、恭しくその褒賞を受け取る。


「感謝しますわ、冬萌大将。しかし……それを喜んでいられる余裕が果たしてあるかどうか……。いつまでも司令の座を空席にしているわけにもいかないし、あの『事変』の後始末も済ませないといけないし。それに、未知の新型SAMなんて面倒なものも残ってるし」


『狂乱事変』――それが月居司令の起こした一連の事態に付けられた呼称であった。

 その事変に関して、『レジスタンス』は月居カグヤの関与を含め、全ての真実を明らかにしていた。

 嘘を吐いていたと知られた組織の信用は、もはや取り返しのつかないほどに下落する――兵たちの信用を繋ぎ留めるために全てを晒そうと提言したミコトの方針に合わせ、都市の側でも民たちに事実の仔細を開示したのだ。


「ああ……『レジスタンス』の評判は文字通り、地に落ちた。ここからイメージの回復を図るのは、『プラント奪還』という功績があってもなお困難だろう」


 娘の死にまつわる事実を虚偽で塗りつぶしたくはない――そんな思いが、『レジスタンス』の重鎮たる彼の背中を押した。

 だが、未だに冬萌大将は迷っている。連日のメディアからのバッシングは、都市に残された『レジスタンス』構成員の心身を酷く磨り減らす結果を招いた。この先も自分たちはマスコミや民たちからの批判や誹謗中傷が浴びせられる茨の道を、突き進まねばならない。


「未知のSAMが存在したという事実は、我々の対立者の存在を意味する。地下組織か政治勢力か、あるいは民間組織か……西の工業区画を洗いざらい調べさせたが、尻尾は掴めなかった」


『尊皇派』の蓮見タカネは用意周到な男だった。

 彼は事変において【イェーガー・リベリオン】を使わざるを得ない状況を迎えた時点で、それを使い捨てることを決めていた。

 あの戦いの後、タカネは【リベリオン】をすぐさま回収。光属性の魔力ラミネートによるステルス機能を用いて夜の空を隠密飛行させ、懇意の廃品処理場でそれをスクラップにしていた。工業地域で廃棄処分となるSAMなどの機械は処理場で熱されてどろどろに溶かされ、再利用される。【リベリオン】を跡形もなく処分してしまえば、あとは処理場に足が付かなければそれで良いのだ。

『尊皇派』の者たちにタカネは箝口令を敷いていた。けれどもそうするまでもなく、彼らの多くは自分たちの所属について押し黙っていた。『レジスタンス』の敵対勢力として目を付けられるのは、彼らとしても御免だった。


「カナタくんから聞いたことなんだけど、そのSAMには九重アスマくんが乗っていたらしいわ。九重財閥を取り仕切る、九重会長の息子よ」

「その話を聞くに、『九重重工』が関わっている可能性を私たちとしては考えましたわ」


 銀髪の少年から得た情報をマトヴェイが語り、シズルがこれまでの会議で出た推論を口にする。

 センリは唇を固く引き結んだまま、冬萌大将へと鋭い視線を向けた。

 彼の眼差しを受け取った冬萌将軍は、円卓の上で指を組み、そこに顎を置いた姿勢で唸るように呟く。


「『九重重工』は知っての通り、SAMメーカーとして最大のシェアを誇る。そことの関係が悪化すれば、我々が被る損害は無視できないものになる。仮に九重が新型を密造していたとしても、なるべく穏便に済ませたい」


 この都市は狭い。土地も資源も人員もSAM製造社にも限りがある。密接な関係を断ち切り、新たな協力先を求められるほどの余裕はないのだ。

 

「敵対勢力と話し合いでどうにかなりますかね」

 

 固い声音で疑問を呈するのはセンリである。

 睨み据えてくる彼に、冬萌大将はこの場で最もキャリアを積んだ者として諭した。


「気持ちは分かるが、たとえ毒に変わったとしても呑まねばならぬものはある。使えるものは使う――それがこの箱庭での賢い生き方だ」

「……そうですか」


 不満を露にした瞳で上官を見つめるセンリだったが、反駁の言葉をぶつけようとはしなかった。

 彼がひとまず矛を収めたところで、冬萌大将はこの話題を切り上げてマトヴェイへと要請する。

 

「バザロヴァ元帥……次の選挙までの間、空席となった司令には貴殿が就いてくれるか」


 都市にいながら事変を止めることの出来なかった冬萌大将に、組織のトップでいる資格などない。

 一番の重鎮でありながら自責の念からポストを譲ろうという彼に最上級の敬礼をし、マトヴェイはその任を慎ましく受けた。


(……となると、アタシの後任も決めないといけないわね。けど、経験の十分なミツヒロはもういないし……)


 ミツヒロやアキラ、立川中佐など空軍はここ一年の間に優秀なパイロットを多く失っている。風縫ソラはパイロットとしては優秀な人間だが、マトヴェイの後釜とするには少々直情的すぎる面がある。


「……人事部の富岡さんが亡くなられたのも痛いわね。組織のイメージ改善を図るためにも人事含め諸々の改編をしていかなくてはならないのに……」

「そこは私たちで頑張るしかないわね」


 マトヴェイの呟きにシズルがそう苦笑いする。

 円卓に着く将たちが今後についての話を進めていくなか、押し黙るセンリは、ここ最近で変化したマトヴェイの気配を嗅ぎ取って顔をしかめた。

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