第百七十話 触れ合い ―Girls―
「皆さん、いい湯加減ですよー」
真っ白い湯煙が沸き立つ大浴場。
大理石で作られた浴槽に指を入れ、その温度を確認したユイは振り返って声を投じる。
脱衣所ではミコトと女性看守が『新人』の少女たち――『新人』は一様に十五歳前後の外見をしている――の着替えを手伝っている最中だ。
先にタオルを身体に巻きつけて浴場へと移っていたユイだったが、早く湯浴みしたい欲をどうにか抑えて9L、改めニネルたちの元へと戻る。
「大丈夫ですかー?」
「ニネルは脱がせられましたが、他の子たちが……こういう時、どうしたら良いのでしょう」
脱衣所の隅に固まって怯えている少女たちに対し、ミコトは困り果てた様子だった。
風呂に入りたがらない駄々っ子なら少し叱れば済む話だが、『新人』たちの場合そうもいかない。
首を傾げるミコトの隣でユイも考え……ややあって「そうです!」と思いつく。
「わたしたちも脱ぎましょう! タオルなんて要らないんです、わたしたちが裸になってても安全だと身をもって示せば、彼女たちもその気になってくれるかも」
胸や恥部を隠していたタオルを堂々と取り払ったユイ。
その立ち姿に妙な男気――女性に対して言うのも変な気もするが――を感じたミコトは、ごくりと唾を飲んで軍服から下着まで全部脱ぎ捨てた。
訓練で鍛えられた瑞々しくしなやかな肢体や、形の良い豊満な双丘まで、生まれたままの彼女の姿が露になる。
「ほら、看守さんも」
「わ、私もでありますか!? み、ミコトさまの身体を見るのも恐れ多いのに、私のだらしない身体を晒すなんて……」
「せっかくですので、看守さんもご一緒に。日々の疲れをここで癒しましょう」
セミロングの栗毛でそばかすの地味な女性看守までも裸になって、『新人』たちの警戒を少しでも解こうと努めてリラックスした姿勢をみせる。
それからミコトたちが「大丈夫ですよ」と声をかけつつ待っていると、数分後には彼女らは自分で作業服を脱ぎだした。
反応があるまで心を荒げず、根気よく待つ。『新人』との交流を始めてから既に二週間以上が過ぎているなかで、ミコトたちはそう学習していた。
「皆さん脱げましたね。では、入りましょう」
皇女の誘導で、青い肌の少女たちは恐る恐る浴場へと足を踏み入れていく。
ミコトたちはお風呂に浸かる前に洗い場の小さな椅子にちょこんと彼女らを座らせ、三人で手分けして七名の『新人』に身体の洗い方を手取り足取り教えていった。
「熱いと感じたら言ってくださいな」
まずはニネルの頭から洗おう、とミコトはシャワーからお湯を流した。
最初に自分でそのお湯を被ってみせ、「大丈夫ですからね」と優しく言う。
『新人』たちが最も心を許しているミコトがそうしたおかげで、ニネルの水への恐怖心はすぐに取り払われた。他の子たちもかかる時間に個人差はあれど、皆シャワーは受け入れてくれた。
「ミコトさま、何だかすごくお母さんみたいですね」
「そう、でしょうか? ……自分では、よく分かりませんけれど……」
脂ぎった紺色の髪を泡立てたシャンプーで丁寧に洗ってやりながら、ミコトはユイの呟きに苦笑した。
分からないと言ったが、悪い気はしなかった。ただ、母を気取る資格はまだ自分にはないだろうと確信もしていた。
「そういうユイこそ、とても板について見えますわ」
「ふふっ……わたしは六人兄弟の長女でしたから。小さい弟や妹の身体を、こんなふうに洗ってあげるのもしょっちゅうでした」
自分のことを考えるとまた思考の暗闇の中を彷徨ってしまう気がして、ミコトは話題をユイの方へ向けた。
「流しますよ、ニネル」
温めのお湯でそっと泡を流してやると、ニネルは「気持ちいい」と囁くような声で言った。
ぎこちないけれど微かに笑ってくれるニネルに、ミコトの胸は温かくなった。
『新人』の少女の口数はまだ少ないが、最初に会った時と比べてだいぶ感情が顔に出るようになっている。
それからトリートメントも済ませると、ニネルの濃紺の髪は見違えるほどの艶を取り戻した。
「綺麗ですわね」
「……きれい?」
「美しく、きらきら輝いているということですわ。さ、次は身体を洗いましょう」
ミコトは泡立てた石鹸をなじませたタオルで、ニネルの青白い肌を柔らかく撫でていく。
軽く擦るだけで垢がぽろぽろと剥がれ落ちるのにも顔をしかめず、身体の隅から隅まで入念に洗っていった。
「……くすぐったい」
「ごめんなさいね、もう少しで終わりますわ。汚れを落とせば痒くなることもなくなりますからね」
微妙にしかめっ面になって身じろぎするニネルへそう言い聞かせる。
彼女の身体、特に手の届かない背中の後ろ側などには幾つか吹き出物が見られた。清潔にしていれば治るようなものだとは思うが、少々心配である。
「はい、できました」
「……めでたし、めでたし」
「あらあら……それは昔話の終わりの言葉ですわよ。人に何かをしてもらった時は、『ありがとう』ですわ」
「……ありがとう? ありがとう、ありがとう」
新しい言葉を知ったら、すぐに繰り返し発音する。そういう学習法をニネルは教えずとも最初から会得していた。
もしかしたら農奴として使われていた頃、仕事を叩き込むために何度も作業内容を復唱させられていたのかもしれない。そのあたりの事情は、ニネルが自分のことを積極的に言語化できるようになったら判明してくるだろう。
「ニネル。そのままでいたら寒いですから、先にお風呂に浸かっていてくださいな。お湯はシャワーと同じく温めにしてありますから、大丈夫ですわよ」
「……だいじょうぶ、だいじょうぶ」
濡れた髪をぶるっと震わせたニネルは、ぺたぺたとタイルの上を歩いてお風呂へとすんなり直行していった。水への恐怖はもう殆どなくなったようである。
最初はこわごわと、湯船の隅っこに足の指先だけをちょんと入れる。
その挙動一つで大丈夫そうだと理解したようで、次にはもう彼女は肩まで一気に浴槽に浸かった。
「ミコト、気持ちいいっ。温かい、温かいっ」
ニネルはお湯の中で腕や足を生き生きと動かしながら、楽しそうに繰り返す。
その様子に「良かった」と安堵するミコトは、次の少女の手入れに取り掛かった。
女性看守とも協力し、七人の『新人』の髪と身体とを時間をかけて済ませていく。
ニネルが先に入ってリラックスした様子を見て、他の少女たちも大丈夫そうだと思ったようだった。
彼女らは順に浴槽に足を踏み入れ、その温度にびくっとしながらも浸かっていった。
ミコトたちもようやく肩の荷が下りた気分で風呂を楽しみ、凝り固まっていた身体を存分に癒す。
「ふぅ……女の子は髪の毛が長いぶん、時間もかかっちゃいますねー。男湯では今頃、上がってる頃だったりして」
「ふふ……もしかしたら、まだ脱衣所で苦戦している最中かもしれませんわよ」
「まさか。いくらシバマルさんたちでも、そこまで手間取るわけないですよ。レイさんやカナタさんもいますし、大丈夫なんじゃないですか?」
実際のところ大丈夫ではなかった。
だが少女たちには知る由もなく、冗談として笑い飛ばされる。
「看守さんもありがとうございました。慣れないことで、大変だったでしょう?」
「い、いえ。何だか妹が出来たみたいで、いい気分転換になりましたよ」
「……ミコト、あれなに?」
呼んできたニネルが指差していたのは、壁に描かれた絵だった。
てっぺんが白く染まった青い山――もちろん富士山である。
「あれは日本で一番高い山、富士山の絵ですわ。【異形】を……あなたたちを生んだ者たちを乗せた隕石が、落ちた場所でもあります」
時が来れば自分たちのルーツについて彼女らは知りたいと思うようになるだろう。
今はぽかんとした顔でミコトの話を聞いているニネルたちだが、この成長スピードならそう遠くないうちに。
自分たちには、ヒトとは異なる血が流れている――ヒトとの違いをはっきりと自覚すれば彼女らは迷い、惑うだろう。その時に側にいて、彼女らの全てを受け止められる人でいたい。ミコトはそう、切に願う。
「お風呂に入って温まる……そうすると、自然と身体も癒えてくるものです。それに、とっても気持ちが良い。こうして語らいながら楽しむお風呂は、本当に至福の時間ですわ」
微笑みながら『新人』たちに語るミコト。
隣でユイや女性看守が頷くなか、しかしニネルたちにはよく分からない言葉も多かったのかすぐさま質問が飛んでくる。
「いえる、ってなに?」「しふく……?」
「ああ、それはですね……」
求められたら丁寧に教える。
ミコトたちから話を聞いて語彙を育んでいる彼女らの吸収速度には目を見張るものがある。知的好奇心を刺激し、損なわないようにすること――それも育てる者としてのミコトたちの心がけるべきことだ。
皇女に色々教わっている『新人』たちを遠巻きに眺め、女性看守は呟く。
「こうして見ると、違うのは肌の色とか爪や牙くらいで……ほとんど、ヒトと同じなんですね」
彼女の目には当初、彼女らは理智ある【異形】と同じ忌々しい存在としか映っていなかった。
だが、実際にミコトらと話しているところを見聞きしてしまえば、もうそのようなことは思えない。小さい子が年上のお姉さんに世話され、笑顔を交わす――その光景は人の大人が子供を育てる様子と何ら変わらなかったのだ。
彼女らにもヒトの血が流れており、ヒトの言葉を解し、ヒトと相互理解を進めることが出来る。
とてもではないが「敵」だなどとは言えなかった。
「ねえ、あなたたち……あたし、前田アサミっていうの。牢の生活で困ったことがあったら、あたしに言って。できる限りのことはしてあげるから」
アサミという女性看守の申し出に、ニネルたちはびくっと怯えた顔をした。
「ごめんなさい、彼女たちはまだあなたに慣れていないようで……」
「い、いいんですよ。この子たちがなかなか他人に慣れないのは、これまで見てきて分かっていますから」
謝ってくるミコトにアサミは頭を振って苦笑した。手のかかる幼い子の扱いについては、歳の離れた妹がいる彼女は十分に分かっている。
「しかし幸運ですね、あたしも。こんな美しい皇女さまと一緒にお風呂入れるなんて。『役得』ってこういうことなんだなって初めて実感しました」
「……そこまで美しいものではありませんわ」
「み、ミコトさまに謙遜されるとあたしの立場がありませんって。そこは胸を張ってくださらないと」
一度会話が始まるとアサミという女は饒舌だった。
ミコトが彼女に言われるままに胸を張ると、瑞々しい果実のような双丘がぷるんと揺れる。
「ミコト、ぷよぷよ」
むにゅっ、と。
少女たちの中でも一際幼い十歳程度の外見で、水色の髪をした『テネ』こと10Eがミコトの巨乳といって差し支えない胸に触れた。
弾力のある感触が面白いのかむにゅむにゅ、と乳房を揉んでくる少女に、ミコトは顔を真っ赤にする。
「こ、こらっ……いけませんわ、テネ」
「なんでー?」
「こっ、こういうところは自分の赤子か、好いた殿方にしか触れさせてはならないものなのです」
彼女にしては珍しく声を荒らげそうになるも、そこはどうにか抑えてテネを諭す。
一応触れてはいけないと理解したのか、彼女はそれ以上弄ろうとはしなかった。
が、今度はユイが意地悪な質問をしてきてミコトの心を乱す。
「好きな殿方にお胸を触らせてあげたこと、あるんですか?」
「なっ……ユイまで破廉恥な……」
「ちっ、違いますよ! 別に変な下心とかあるわけじゃなくて……その、もし経験がおありでしたらアドバイスでも貰おうかと思って」
そう聞いてミコトは冷静さを取り戻した。
あの戦いを乗り越えたあと、ユイはシバマルと付き合い始めたと聞いている。そして彼女らはこの『基地』生活が続いているために、そういうことをまだ出来ていないのだ。
「……残念ですが、わたくしはまだ、そういうことは……。ごめんなさいね、お力添えできなくて」
「い、いえ。わたしこそごめんなさい、こんな俗な話をして」
何とも言えない気まずい空気になる二人。
と、そこに小さく笑みをこぼしたのは看守のアサミだった。
「ふふっ……ミコトさまも案外、普通の女の子なんですね」
兵たちの前ではどこか超常的なオーラを纏ったお姫様として振舞うミコトが、動揺したり悄気た顔で謝ったりしている。その様は至って普通の人間だった。
「そうですね。皇女さまである以前に、ミコトさまは一人の女の子なんですから。わたしたちの前くらいではもう少し肩の力を抜いていただいてもいいんですよ」
「……そう、ですわね。ありがとう、ユイ」
自分のあり方に悩んでいた少女は、仲間のその言葉に少し気持ちが軽くなった気がした。
許嫁や『尊皇派』を巡って自分の姿勢をはっきりさせるべき時は近づいており、運命は彼女を「皇族」として縛り付けたままであるが――せめて、仲間や『新人』たちと共にいる間だけは一人の少女でいようと。
ミコトはユイやニネルたちを見つめて、柔らかく笑うのであった。




