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暁の機動天使《プシュコマキア》  作者: 憂木 ヒロ
第七章 理想と現実

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第百六十八話 優しい歌 ―Inner worries―

 カナタたちが『新人』らと最初の面会をした、その次の日。

 彼らはまた、復興作業やリハビリを終えた夕刻に地下牢を訪れていた。

 冷え切った牢の中、鉄格子の向こうにいる彼らはやはり俯いたまま、カナタたちの方を見ようともしていない。


「……なっ、9Lナインエルさん。あっ、あの、ぼっ僕とお話、しませんか?」


 カナタは鉄格子の前に座って、濃紺の髪を床に流す少女の『新人』へと声を掛けた。

 体育座りの膝に顔を埋めていた彼女――9Lは、呼ばれているのに気づいて顔を上げる。

 目が合った少女の顔立ちは神秘的にも思えるほど儚く整っていて、カナタは思わず息を呑んでいた。

 瞬きもせずに見つめ続けてくる9Lに少年は若干タジタジとしながらも、軽く咳払いしてから言う。


「ぼっ、僕、月居カナタっていうんだ。き、昨日も名乗ったんだけど……お、覚えて、くれてたかな……?」

「……」

「あっ、あっ、あの、あのねっ……ぼ、僕、きっ、君と……おっ、お、お、お話、したくて……」

「……」

「え、え、え、ええっと、そっそ、その……」


 少女はガラス細工のような無表情を崩さなかった。

 そんな彼女にどういうふうにアプローチしたら良いか分からず、カナタのどもりは一層酷くなってしまう。

 限られた面会時間を気にして焦ってしまう彼の肩を軽く叩いたのは、レイだった。


「落ち着いてください、カナタ。別に彼女はわざと君を無視してるわけじゃありません。『新人』の攻撃性、加害性が低いと仮定すれば、そんなことはないはずです」


 話しかけても応えない。そのことが少年のトラウマを刺激してしまったのかも、とレイは察した。

 天賦の才を持ちながらかなりナイーブな性質である彼を穏やかな声でなだめ、隣にしゃがんでそっと手を握る。

 と、その時。

 二人の後ろからシバマルが一歩前に出て、元気いっぱいな声で言った。


「なあなあ、おれ、犬塚シバマル! 9Lちゃん、よろしくなー!」


 持ち前の人当たりの良さを発揮したシバマルだったが、相手側の反応は微妙どころの話ではなかった。

 9Lはびくんと身体を震わせ、独房の隅まで飛び退くと耳を塞いで縮こまってしまう。


「こらっ、シバマルさん……!」

「あっ、ごめん……そ、そんな脅かすつもりは……」


 潜めた声でユイが彼を叱咤するなか、ミコトは怯えている少女を痛ましげな面持ちで見つめた。

 周りを窺うと他の『新人』たちも、シバマルの大声に驚いているようだった。

 カナタは【異形】の力を使う際、感覚が研ぎ澄まされるのだと語っていた。そこから推察するに、【異形】の血を引く彼らも普通の人間よりも五感が優れているのかもしれない。


「感覚過敏……わたくしたちの基準で言えば、彼らはそれに当てはまるのかもしれません。聴覚のみならず、触覚、視覚など、五感が敏感すぎて時に苦痛を感じることもある……」


 ミコトのその呟きに、シバマルは激しい罪悪感に駆られて俯いた。

 知らなかったが故に避けられないことではあったが、彼女がどれだけ怖いと思ったかを考えると悔やまずにはいられなかった。


 与えられた面会時間は早くも半分を過ぎた。

 ミコトは腕時計に視線を落とし、いま自分に何がしてやれるかを考える。

『新人』のことを自分たちはほとんど知らない。そして、『新人』たちも人間を知らない。邂逅したばかりの自分たちが共有できる、共感できるものは何か?

 黙考する彼女は、ややあって気づいた。

 自分が持つ武器は、ここで活かせるのではないかと。


「――♪ あなたと夢を見てた 幼い夢を見てた」


 蚊の鳴くような声で、ミコトは歌いだした。

 離れていても愛を信じる歌を静かに、静かに彼女は紡いでいく。

 クリスタルグラスを打つような透き通った声で奏でられる、小さな音律。

 

「~~♪ 巡る夜を越えて わたしは祈ってるよ

 今はこの胸に あなたの温度を思い出して」


 少女の真心がこもった歌に、いつしか『新人』たちの表情から恐怖が薄らいでいた。

 警戒心は取り払えてはいないが、確かに彼らは興味を持ってミコトを見つめていた。

 9Lも膝に埋めた顔を僅かに上げ、目だけ覗かせてミコトを窺っている。

 たくさんの瞳をミコトは感じた。歌い終えた彼女は胸に手を当て、囁く。


「これは、歌といいます。わたくしたちヒトが音を楽しみ、歌詞に心打たれる、そんな素晴らしいものです」

「……うた」


 微笑むミコトの言葉に反応したのは、9Lだった。

 彼女はおずおずと鉄格子の側まで近づき、ミコトを見上げて言う。


「……名前」


 真紅の瞳はほんの僅か、先程までより潤んで光っているように見えた。

 

「わたくしは、すめらぎミコト。ミコト、ですわ。それからこの歌は、『Ich möchte dich sehen.』……あなたに会いたい、という意味の歌ですわ」

「……ミコト。……ミコト」


 9Lの無表情は変わらない。だが、その喉から発される声の調子は少し上がっていた。


「ミコト、ですわ。ミコト、ですわ」


 聞いた言葉をそのまま繰り返す9Lに、ミコトはくすりと笑みをこぼした。

 自分にはまだ子供はいないが、もし赤子が言葉を覚えたらこんなふうに嬉しくなるのだろうかと思った。


「いえ、その……『ですわ』は名前に含みませんわ。これは敬語表現であって……少し難しいかもしれませんが、その……」


 説明に迷うミコトに対し、9Lはやはり無表情であった。

 それでも瞳はしっかりとミコトを捉えていて、興味がないわけではなさそうである。

 きっと、感情がないのではなく感情の表現の仕方を知らないのだろう。『プラント』の農奴として道具同然に扱われていたであろう彼女らは、本能的に備わっている喜怒哀楽の感情を表す機会を与えられないまま育てられたのだ。


「皆さん、面会終了時間です」

「……ええ、分かっていますわ。9Lさん、皆さん、また来ますね」


 小さく手を振り、お淑やかにお辞儀してミコトは一時の別れを言った。



 窓辺に立ち、シェルターの天井に映る銀色の月を眺める。

 開け放たれたそこから吹き込む夜風に桃色の髪を揺らしながら、ミコトは小さく歌を口ずさんでいた。

 歌をうっとりと聴いていた彼らの――音に夢中になっていた9Lの瞳を思い返して。


「ふふっ……『歌は良いものです』と、タカネも言っていましたわね」


 幼少の頃、ミコトに歌を教えたのはタカネだった。

 幾つもの習い事を掛け持ちしていたタカネは歌唱にも優れ、その艶やかな声でよく歌を教えてくれた。

 ミコトは兄のように慕っていた彼と一緒に、庭で青空を仰ぎながら鳥の歌を歌った。

 タカネが政治家として忙しくなり、なかなか会う時間が取れなくなってしまっても、ミコトは彼からの教えを大切にして歌い続けた。


「『歌には人と人を繋ぐ力がある』……そう語ってくれたのはあなただった。あなたの純朴な眼差しに、わたくしは惹かれた。しかし……いつしか、あなたは無垢な心を捨て、富や権力だけを追い求めるようになってしまった」


 人は変わってしまうものだ。そのことを嘆いても仕方がない。

 だが、それでも憂えずにはいられないのだ。タカネは上を見るあまり、下の方にいる人々に寄り添えていないように思える。


「都市に戻ったら、あなたとも話さなくてはなりませんね。たとえ志を違えても……わたくしは、あなたから逃げるわけにはいきません」


 決意を胸に呟いたその時、ドアを控えめに叩く音がした。

 時刻は既に22時を過ぎている。こんな遅い時間に誰が――と訝しく思いながらも、ミコトは「どうぞ」と応じた。


「失礼します、ミコトさま」


 遠慮がちにドアから顔を覗かせたのは、レイであった。

 部屋に入った彼は開けられた窓に目をやり、「寒くはありませんか」と心配してくる。


「いいえ、大丈夫ですわ。……あなたの方から来られるなんて、珍しいですわね。どうされました?」


 訊くと、レイは少し恥ずかしそうに目を逸らした。

 何か悩みでもあるのだろう――そう察してミコトは佇む彼へと歩み寄る。


「……わたくしが力になります。何でも、話してくださいな」


 細い少年の身体を抱き留め、柔らかく囁く。

 ミコトはしばし、そうし続けていた。かつて眠れない夜に乳母がそうしてくれたことを思いながら。

 

「大丈夫ですわ。……大丈夫」

「ミコトさん……その」


 心の準備が出来たのだろう、レイは開口し、それから深呼吸した。

 そうして、溜め込んだ言葉を静かに吐き出していく。

 

「……カナタのことです。彼、今日9Lさんとうまく話せなかったことを気にしているみたいで……ボクはあまり気にするなと言ったのですが、落ち込んだままで。彼のコンプレックスとか、トラウマとか、一緒にいたはずなのに全然分かっていなかったのだと思うと、自分が悔しくて……」


 ミコトの背中に回された腕に力がこもった。

 華奢とはいえ男子高校生の腕力である。流石に痛みを感じたが、しかしミコトは動じることなく彼を受け止めていた。

 この程度の痛みなど、彼の悩みに比べれば些事だ。


「……分かること、理解することは、簡単ではありません。分かったつもりになっていても、本質を掴めていなかった、ということもある。誰にだってあることです。恥じる必要は、ありません」


 ゆっくりと言葉を選びながらミコトは語る。

 誰かを癒す。安心させる。それに長けた彼女の言葉選びは、皇女という立場が身につけさせたものだ。


「カナタにとって、レイ……あなたという人は何者に映っていると思いますか? それを自覚すれば、あなたのやるべきことは自ずと明らかとなるはずです」


 ただ教えるのではなく、その人が気づくように導く。大事なのは与えられた答えよりも、その人の胸のうちに湧き上がる意志だとミコトは思う。

 誰もが己の考えを尊重し、共に生きられる世界――綺麗事かもしれないが、理智ある【異形】や『新人』も含め、ミコトはそういう社会を目指したい。

 もう一年以上前、月居カナタが【異形】との対話を提言したと聞いてから、彼女はずっとそれについて考え続けてきた。


「彼にとって、ボクは……」


 背中を固く抱きしめていた力は、既に緩んでいた。

 口に出すのが照れくさかったのかレイはそれ以上言わなかったが、気づけたのだろうとミコトは察した。

 身体を離し、自分より僅かに背の高い彼を上目遣いで見て、ミコトは儚い笑みを浮かべる。


「同時に……あなたにとってカナタが何者かも、考える必要があります。曖昧なままでいて苦しくなるのは、あなたの方です」

「……分かっています、それは。でも……」

「何かを成すには、まずやってみることが肝要。昨晩も話したことですが、それだけは忘れないでください」


 彼の手を取り、胸の前でそっと握る。

 ミコトの言葉にレイは頷いて、掠れた声で「ありがとうございます」とだけ言った。

 

「おやすみなさい。また、明日」

「ええ。おやすみなさい、レイ」


 長い言葉は要らなかった。二人は最後にハグを――ついでにミコトからレイの頬へキスも――して、そして別れた。

 軽い口づけだけで真っ赤になった初心うぶな彼の顔を思い出して微笑み、ミコトはベッドに横たわる。

 真っ白いシーツの上、麗しき皇女は軍服を全て脱ぎ捨て、下着一枚になった。

 

「……独りにならないと丸裸にもなれないのですね、わたくしは」


 抜けるように白い肌を露に、恥じらうこともなく吐き捨てるミコト。

 豊満な胸も腰から尻へかけての艶かしい曲線も、見せられないのなら何の価値も持たない。

 自嘲の笑みに返す言葉はなかった。

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