第百六十五話 絆と成長 ―"Bluntness sense man!"―
「……良かったんですか、カナタ? その……『新人』の様子を見に行かなくて」
穀倉内で発見されたヒトと【異形】のハーフについて、レイは車椅子を押しながら訊ねた。
時刻は夕暮れ。ドーム型のシェルター内にある『基地』の一角でリハビリのための運動を済ませたカナタは、レイと共にマトヴェイのいる士官宿舎へと向かっている最中だった。
シェルターの中央には基地の本部があり、その周囲には宿舎や病院が位置している。辺りに広がるアスファルトの敷かれた空間は演習場だ。
人工太陽の茜色の光に照らされながら、彼らは本部から伸びる道を静かに歩いていく。
「……い、いいんだ。あっ、あの生駒少将たちの態度、れ、レイも見たでしょ? う、動くにしても、も、もう少し落ち着いてからでもいいと思うんだ」
「案外、慎重なんですね。以前なら、すぐにでも対話しなければと言っていたところでしたよ」
「……ま、間違えたくないから」
レイの言葉にカナタはそれだけ返した。
銀髪の少年の目はどこか遠くを見ている。彼もまた、罪を背負ってしまったのだ。大切な誰かを守りきれなかった、過ちを。
しばし二人は無言になった。カタカタと、アスファルトの地面とタイヤの擦れる音だけが彼らの耳朶をくすぐった。
演習場ではこの日の訓練が終わったのか、ぞろぞろと兵士用の宿舎へ戻っていく軍服姿が見えた。SAMの足元ではメカニックたちが忙しなく動いて、運搬機で格納庫へと訓練機を移している。
遠目では分からないが、あの中にシバマルやユイもいるはずだ。
「……も、もどかしいんだ。SAMを降りたら、ぼっ僕は満足に歩くことも出来ない。つっ、杖を使っても立つことで精一杯だ。みっ、皆は復興作業も演習も、頑張っているのに……」
「……カナタ」
膝を見つめながら、カナタはか細い震え声で言った。
思わず足を止めたレイは彼に言葉をかけようとして、迷ってしまった。
レイには歩けなくなった経験などない。だからカナタの辛さを、本当に理解しているとは言えない。そんな自分に気休めの台詞を吐く資格などあるのか――そう、躊躇してしまう。
「ごっ、ごめんねっ、お荷物で。れっ、レイにもやるべきことがあるのに、ぼっ僕の世話ばかりさせて……めっ、め、迷惑だよね」
「――そんなことないです!」
自分でも思っていなかったほどの大声が出て、レイはカナタをまともに見られずに目線を明後日の方向に飛ばした。
顔が物凄い速度でオーバーヒートしていくのを感じる。マトヴェイ大将のように冷静でああるべきなのに、と恥じるレイに、カナタは小さく何か言おうとした。
「れ、レイ……その、ぼっ」
「すみません、そのっ、何熱くなってんだって話ですよね。そ、そういうの重いですよね。こちらこそ何か迷惑かけちゃってるかもですよね」
「……なっ、何言ってるの、レイ? ぼっ、僕、嬉しかったよ」
カナタにそう言われ、レイは顔を前に向けた。
首を後ろに回して見上げてくるカナタの青い瞳は、いつものように透き通っていた。穏やかに凪いだ、優しい目。
「れ、レイは僕のことが好きで、色々助けてくれてたんでしょ? う、嬉しいよ……あっ、あ、ありがとう」
掛け値も打算もないイノセンスな少年の言葉に、レイの胸は熱くなった。
同時に、自分以外の人にもきっと同じように笑うのだろうと思うと、ちょっとヤキモチを焼いてしまう。
カナタは心を許した相手には誰にでもそういう顔をするのだ。彼自身に自覚はないだろうが、ド天然の人たらしである。
「全くもう、あなたという人は……」
「な、何いきなり。ぼっ、僕変なこと言った?」
と、若干カナタに引かれてしまいはしたが……相棒からの感謝に、レイは満足げに笑みをこぼすのであった。
*
マトヴェイの部屋の前まで案内されたカナタとレイは、そのドアの前で先客に出会った。
ヘッドホンから爆音を漏らしている長い茶髪の少年、朽木アキトである。
音楽に聞き入っているのか下を向いたまま気づかないアキトの肩を、レイは軽く叩いた。
「……っ! ……なんだ、レイか」
びくんと肩を跳ね上げさせたアキトはレイの姿を視界に収めると、ヘッドホンを外した。
胡乱げに見下ろしてくる茶髪の彼にカナタが俯くなか、レイはそういえば二人は初対面だったなと思い至る。
「アキトくん、彼が月居カナタくんです。カナタ、こちら朽木アキトくん。僕らと同じクラスの仲間で、【イェーガー・ドミニオン】のパイロットです」
相手が同級生だと知ったカナタの表情は少し和らいだ。
おずおずとだが手を差し出した銀髪の少年に、アキトはこちらもぎこちなく応じた。
「……」
「……」
コミュ障同士、無言ではあったが確かに握手は結ばれた。
「これも一つのコミュニケーションの形なのでしょう」と一人納得するレイ。
と、そこで艶っぽいハスキーな声が三人へ投げかけられた。
「あら、もうちょっと遅くても良かったのに。……ま、いいわ。よく来てくれたわね、アンタたち」
激務の中にあっても美しさを損なわない女装の麗人、マトヴェイ・バザロヴァがウインクを飛ばしてくる。
敬礼する三人に「楽にしていいのよ」と言いながらドアを開け、マトヴェイは彼らを中へ通した。
「夕食、まだでしょ? 聞きたいことは色々あるから、ここで食べていって。といっても、対したものは出せないんだけど」
大将用に用意された部屋は、広めの応接間に寝室が隣接されたものだった。
夕日の差し込む窓を背後に座ったマトヴェイは、向かいのソファに掛けるよう三人へ促す。
カナタたちが遠慮がちに腰を下ろす側では、遅れてやって来た兵士が携行食と水筒を持ち込んできてテーブルに並べた。携行食はスティック状の栄養補助食品で、水筒にはコンソメスープが入っている。
水筒の蓋を回して開きながら、マトヴェイは揺れる湯気に乗って漂う匂いを楽しむ。
「都市にいた頃と比べて贅沢なんて出来ないけど……我慢するのよ。一番いい食事はアタシらなんかじゃなくて、現場で頑張った兵士たちに回したいから」
よく見ると部屋の内装も実に簡素だった。必要最低限のものが置かれているのみで、装飾品の類はない。
「あぁ、一応食後のコーヒー程度なら用意できるわ。若干湿気ちゃってるけどクッキーとかもあるし……ま、ゆっくりやりましょ」
「は、はい。大将は、カナタに【異形】にまつわることを聞くおつもりでしたよね」
レイの確認にマトヴェイは頷いた。
携行食をもぐもぐと囓っていたカナタは、スープでそれを流し込む。
「え、えっと……」
少年は不安げにレイへ目配せした。レイが彼の手を握ってやると、それで少しは安心できたのかカナタは話しだした。
彼が語ったのは以下のようなことだ。
一つ、【潜伏型異形】という新種の存在と、自分がかつてそれに憑かれていたこと。
二つ、憑かれたことによる影響で遺伝子に、脳に変化が発生し、そのために【異形】の力を手にしたということ。
三つ、自分が【異形】に憑かれたのはカグヤの手引きによるものだということ。
カナタは包み隠さず、全てを明かした。
「……なるほどね。【潜伏型異形】……意思を持った、ヒトの魔力の残滓、か。それがアンタに取り憑いて幼少期の人格形成に影響を及ぼし、そして力も与えた……。似鳥大尉に憑いていたのも、恐らくは同じ【潜伏型】でしょうね」
「……あの、俺からも話しておかなきゃいけないことがあります」
次に口を開いたのはアキトである。
月居カグヤの下で極秘裡に進められていた、ヒトに【潜伏型異形】を強制的に取り憑かせる実験『超人計画』。
ハル、ナツキ、アキト、フユカの四名はその被験者であり、アキトは戦いの中で【異形】の力を制御できるようになれた。
「ハルくんが訓練中や戦闘中に暴れていたのは、【異形】に振り回されていたからというわけですか。カナタのそばにいながら、その核心までたどり着けなかったなんて……」
「俺自身でさえ、『パイモン』に言われるまで気付けなかったことだ。気に病むな」
歯噛みするレイにアキトは緩慢な所作で首を横に振った。
冷めたスープを一気に飲み干し、マトヴェイは長い溜息を吐く。
「はぁ…………アタシが認知しないところで、カグヤ司令は【異形】にまつわるプロジェクトを推し進めていたのね。『魔導書』の導き……それに従って積み重ねた成功体験が、アタシたちを盲目にさせ、カグヤ司令を疑うことさえできなくした。都市の悲劇も、子供の人権を無視して【異形】を憑依させる実験も、気づいていれば止められたかもしれなかったのに……」
片手で顔を覆い、沈鬱な面持ちで掠れ声を漏らすマトヴェイ。
そんな彼に、カナタは言った。
「ぼっ、僕は……い、【異形】に取り憑かれたことは、悪いことじゃないって思ってます。こっ、この力があったからこそ、勝てた戦いもあった。いっ、【異形】の彼と過ごした思い出も、ぼ、僕にとってはかけがえのない体験です」
「確かにハルやフユカは可哀想だ。……でも、俺もカナタと同じように【異形】の力はあって良かったと思ってる。母さんは……月居司令はもういなくても、俺はこの力で、おれの生きる道を切り開いてみせる」
アキトはカグヤが死んだ事実を、現実として受け止められていた。
ハルに対する態度で元々思うところはあった。それに加え、彼はレイやミコトと交流する中で「家族以外の大切な人」という存在を得ていた。母しかなかった心の拠り所は、いつしか兄弟や友へと広がっていった。
彼は極めて自然な形で、「母親離れ」できていた。
そして眼前でカノンを失ったことで、残酷にもどんな人でも死にゆくものなのだと知った。
「『超人計画』については調べれば他にも出てきそうね。明坂ミユキ……司令に最も近かった彼女も戻ってきたようだし、帰還後はまずその調査かしら。今夜聞かせてもらった件は生駒少将や夜桜大佐とも共有するけど、構わないわね?」
訊いてくるマトヴェイにカナタとアキトは頷いた。
ヒトと【異形】が交わった存在が明るみになった今は、まさしくベリアルの言ったように転換点なのだろう。
その渦中にある自分たちは、どう「彼ら」のような者たちと関わっていくべきか――カナタの輪郭を横目に、レイは考える。
ヒトとして微笑みかけてくれた彼。【異形】の力をもってグラシャ=ラボラス等の敵を討ってくれた彼。どちらもカナタという個人の一面だ。そしてその全てを引っ括めて、レイはカナタを尊重するし大切に思う。
「……迷うことでもありませんね」
これまで通りでいいのだ、とレイは独りごつ。
何のことかとカナタらが首を傾げると、金髪の少年は「少し考え事を」とだけ呟いた。
「か、考え事? ……あ、ごっ、ご飯何食べるとか?」
「違いますよ。というか、夕飯はもう済ませたでしょう」
「そ、それはっ、そうだけど……あっ、あんなの夕飯のうちに入ら――」
「ばっ、馬鹿! バザロヴァ大将の目の前でそんなこと……!」
大慌てでカナタの口を塞ぎにかかるレイ。
それを見てマトヴェイは肩を揺らしてくすくすと笑い、言った。
「いいのよ、食べ盛りの若い子を咎めるほど腐った性根じゃないわ。それにカナタくんはリハビリ中だし、しっかり身体作っていかなきゃいけないものね。宿舎の食堂に行って、余り物でも分けてもらいなさい」
「はい、そうさせていただきます! ありがとうございます!」
レイはカナタの頭をぐいっと掴んで下げさせる。
「い、痛いよう」と呻く彼にお構いなしに一緒になって頭を下げるレイに、マトヴェイは苦笑した。
「ふふ。何だか、『先生』呼びされるのも分かる気がするわねぇ」
「はっ……? な、何故大将がそれを……ど、どこからっ……!?」
「んー、犬塚くん?」
「あの駄犬っ……! ボク、そのあだ名むず痒くて好きじゃないのに……!」
レイは顔を赤らめ、恥ずかしさを飲み下すようにコーヒーをごくりと流し込んだ。
談話はそれで解散となった。建物を出ると既に日は沈んでおり、道に等間隔に佇むランプのオレンジの光だけがいやに目立っていた。
「不思議ですね。何だか、都市に戻ったような気がします」
「が、学園のそばの道とちょっと似てるもんね」
「ええ。もしかしたら、ボクらが安心できるようにという狙いで設計されたのかもしれませんね」
この『基地』は先に倒れた多くの者たちの犠牲と、思いをもとに成り立っているものだ。
そのことを改めて有り難く思いながら、レイはカナタの車椅子を押して進む。
宿舎に着くまで他愛のない会話をぽつぽつと――ちなみにアキトは音楽に没頭して一言も発さなかった――する二人。
『基地』で始まった生活の二日目は、こうして穏やかに過ぎていった。




