第百五十二話 葬送 ―"Destiny isn't admitted."―
都市全体を震撼させるほどの巨大な咆哮。
地下より迸ったその大音声に、ユキエは息を呑んだ。
自分の機体では本部に突入できない彼女は、その無力を悔やみながらそこにいるキョウジらの無事を祈るしかなかった。
『ゆ、ユキエちゃん!?』
『何か来るかもよ、全員備えといて!』
ヨリが慄き、カオルが警鐘を鳴らす。
地下より膨れ上がった魔力波が大地をも揺るがす中、中央区角のSAMたちは身構えた。
そして、ほどなくして。
カオルの予測と違わず、突如として本部上空に半透明の白銀の影が浮かび上がった。
『何ですの、あれは……!?』
『SAM……? いや、そんなはずは――』
触角のような飾りのついた兜を被り、白銀の長髪を腰まで流した袴姿のSAMらしき影。
彼らは知る由もないことだが、その姿は【輝夜】そのものだった。ただ本物の【輝夜】と異なるのは、その身体が薄らと紫紺の光芒を帯びた半透明であるということ。
『アアアアアアアアアッ――!!』
牙のずらりと並ぶ顎を開き、雄叫びを上げる【輝夜】。
その威容を直下で仰ぐユキエは、レーダーが示す魔力反応の大きさに目を見開いた。
存在するだけで莫大な魔力を放散するSAM――いや、あれは魔力の塊そのものなのだ。魔力で作られたSAMの分身体とでもいうべきだろうか。
(地下からの叫びがこれの誕生の合図だったとしたら……このSAMの『本体』こそが事態の元凶? 敵は【異形】ではなく、SAMを操る人間、ってことなの……?)
欠けていたパズルのピースが見つかったような感覚をユキエは覚えた。
父である冬萌大将が動けなかったのは、人による妨害があったから。本部内に隔壁を下ろし、通信を遮断したのも【異形】でなく人。そしてそれを実行に移せる権限を持つ者、未知なるSAM――聡明な少女は、決して認めたくはない回答にたどり着いてしまう。
(矢神先生は月居司令の愛人だった。彼は分かっていたの? そのために、止めるためにバイク一つでここまで来た? ……それが真実だと仮定して、私たちが今やるべきことは何?)
ユキエはライフルを構え、空に浮遊するSAMの影を睨み据えた。
軍人は民を守るためにいる。ならば、脅威となりうる存在を排除するまで。
「総員に告ぐ、これより上空に出現した未確認SAMの討伐に当たります」
詳細を話している時間も惜しく、彼女は命令だけを厳然と下した。
状況に振り回されてばかりの少年少女たちがすぐに行動に移せたのは、リーダーであるユキエが迷わずに決断したところが大きかっただろう。
カオル、カツミ、リサ、サキといったA組の準主力パイロットたちは各々の武器を構え、冬萌ユキエという指揮官の下で動き出す。
それ以外の者はバックアップとして、彼らの援護を務めた。
「射撃用意、撃ぇッ!」
『おらおらっ、いくよーっ!!』『ぶちかますぜぇ!』
号令と共に四方から放たれる『対異形ミサイル』。
【異形】のみならずSAMにも有効なミサイルの連射に対し、【輝夜】の影は腕のひと振りで応じた。
展開されるは漆黒の防壁――【絶対障壁】。
六角形の黒い板の集合体が影を包み、打ち上がったミサイルのことごとくを弾き返していく。
『そんなッ――』
「総員『アイギスシールド』構え! 何としても市街地への落下だけは防ぐのよ!」
様子見のミサイルが敢え無く防がれ、ユキエは即座に指示を打った。
降り注ぐ弾頭は空中へと展開された虹色の魔力壁に激突し、爆発する。
衝撃波が付近のビルのガラスを残らず吹き飛ばす中、ユキエは歯を食いしばった。
(『対異形ミサイル』は有効ではない。となると、単純な物理攻撃での突破は困難かしら。それなら打つべき手は魔法――)
と、彼女がそこまで思考した、その時だった。
右足に衝撃が走り、ユキエは機体の膝を地面に突かされた。
顔を歪める彼女が視線を向けた先、足元にいたのは手を頭上へ掲げた一人の男性だった。
「ど、どこから……!?」
上空のSAMの影はこちらを警戒し続けているのか、【絶対障壁】を解除していない。
となると攻撃を仕掛けたのはあれではないはずだが――。
『アアアアアアアアアアッ――――!!』
SAMの影は咆哮を上げる。
そしてその叫びに呼応するかのように、狂乱する人々は掌を天高く掲げ――そこに、光の輝きを宿した。
炎の緋色、雷の白光、水の蒼――その色は各々違えど、どれもにユキエらは見覚えがあった。
『魔法』。
これまでヒトがSAMという媒体を介さなければ使うことの出来なかった、魔力という未知のエネルギーを用いて発動するもの。
「オオオオオオオオオオオオオッ!?」
「ウアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
苦悶や痛哭を思わせる叫びが連鎖する。
瞳を赤く燃やし、獣と成り果てた人々は掌に魔力の光を浮かべ、目先のSAMへと攻撃を開始した。
『嘘だろ、これッ……!?』
『ちっ、どーすんのさこいつら!』
動揺を隠せないカツミに、苛立ちを露にするサキ。
仲間たちの声を聞きながらユキエは唇を噛み締めた。
放たれる魔法は炎や雷を撃ち出すだけの単純な攻撃魔法。だが、狂乱する人々の数は感染する病魔のように増えており、その誰もが力に目覚めて魔法の行使者と化していた。これでは敵との交戦すらままならない。
――『軍人は民を守るものだ。皆の平和のために、我々がいる。どんな時でもそれを忘れるな、ユキエ』
少女の脳裏にはかつての父の教訓が過ぎる。
『ユキエちゃんっ、この人たちを止めないと……!?』
『やべえってこれ! マジでどうすりゃいいんだよ冬萌!?』
ヨリとイタルの悲鳴じみた声に掴まれる。
軍人ならば人を守るべきだ。それはユキエの中に絶対の価値観として根ざした言葉である。
しかし、目の前の人を放置していては上空の敵に対処することさえ出来ない。狂乱する人々を鎮める方法を、ユキエたちは知らない。
民のために敵は殺すべきだ。
だが、殺すべき敵は何だ? ――それは上空のSAMの影だ。
けれども影と戦うには障害となる人々をどうにかしないといけない。
軍事上の障害はどうするべきか? ――作戦上必要なら排除するのが正解だ。
『人を守れ』『障壁は排除せよ』『人を守るべきだ』『守るべき手段さえないのに?』『人は守らねばならない』『取捨選択も必要だろう?』
軍人としての相反する二つの使命が、少女の中で衝突した。
飛んでくる魔法の数々をただ受けるまま、ユキエはその矛盾に雁字搦めとなっていた。
「ああっ、ああああっ、あああああああああっ!?」
頭を抱え、髪を振り乱し、少女は発狂した。
――守らねば。出来ない。守らねば。殺せない。
冷静で聡明な「冬萌大将の娘」という仮面が剥がれ落ちたユキエには、もはや正常な判断力など残ってはいなかった。
「どうすればいいのよ!? ねえ! なんでこうなるの、なんで人が、SAMを……人同士で殺し合わなきゃならないのよ!?」
彼女は自分を恨んだ。敵を恨んだ。神を恨んだ。運命を恨んだ。
ライフルに魔力を装填し、足元の人々に構わず上空のSAMを狙って乱射する。
照準もへったくれもない、溢れる殺意に身を任せた攻撃。
敵はそれに目もくれなかった。カグヤの意思で動く魔力人形に過ぎない影は、ただ魔力を放散して狂惑を都市全体へと広げていった。
拡散する魔力が漂う【潜伏型】を呼び起こす。北の議事堂で、西の工業区角で、東の住宅街で、出歩く者も建物の中にいた者も例外なく、その狂気に感染していった。
ある警察官は拳銃を乱射して通行人を殺めた。ある母親は泣き止まぬ赤ん坊を絞め殺した。ある男の子は一緒に遊んでいた弟を滑り台から突き落とした。あるカップルは抱き合ったまま互いの喉笛を噛みちぎった。
そして黒髪の少女は、自らが放った無数の魔力弾に機体を貫かれた。
白い槍のごとく降り注いで鋼鉄の体躯を穿ち抜いた魔力弾は、脳天や眼球、頸、両肩、心臓などを一瞬で蜂の巣に変えた。
「ああああああああああああああああああああああああッ!!?」
機体のダメージをフィードバックする『コア』が伝えてくる痛みに、少女は絶叫する。
仰向けに倒れるSAMに人々は屍人のごとく這い寄り、緋色の魔力を帯びた爪と牙でその装甲を剥ぎ取って魔力液を啜っていった。
それは死体に群がる蛆だった。あるいは死者の髪を奪い取る老婆だった。
繰り広げられる凄惨な光景に、ヨリは嘔吐した。イタルは目元を手で覆いながら俯くしかなかった。リサは彼女のもとに駆け寄ろうとしたが動けなかった。カツミとカオルは上空のSAMを睥睨した。
そしてサキは、ユキエの機体へと吸い寄せられるように集まってくる人々へ銃口を向けた。
「冬萌の機体を、汚すんじゃないよ!!」
憤激に身を委ね、放たれる弾丸が獣と化した者どもを撃ち殺していく。
その射撃は正確無比であった。誰よりも冷静であったはずの少女の仮面が剥落してもなお、血と魔力の滾る戦場の中に立つ石田サキという少女はオートマチックに敵を掃討した。 それでもサキの銃弾は、既にユキエの機体へと引っ付いた者たちへは及ばなかった。
「ちっ……あんたたちも何とかしなよ! 冬萌が……冬萌がめちゃくちゃに汚されてるんだよ!?」
少女の叫び声は震えていた。
彼女はユキエ機へと走り寄り、その手で狂乱する人々を払い除けた。
指先を魔力に焼かれようと、爪牙に引き裂かれようと構わず、サキはユキエに群がる者どもを全て潰した。
血と臓腑に塗れた手で、全身の人工筋肉と骨組みが剥き出しになったSAMを抱き上げる。
そして、彼女は目にした。
歪んだコックピットの中に転がる肉塊を。かつて少女だったものを。一人の女が敷いた運命の犠牲となった、哀れな子供のなきがらを。
石田サキは泣き叫べなかった。
彼女の中にはただ、憤怒だけがあった。
「殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやるッ……!」
天を仰ぎ、黄昏の日輪を背負って浮かぶ半透明のSAMをサキは睨んだ。
それを墜とすことだけを渇望し、少女は震える腕で狙撃銃を構える。
運命に抗おうとして使命の矛盾に狂わされた少女は散った。A組というクラスを引っ張り、陸軍大将の娘として責務を果たそうとした彼女が死んでいい理由など、どこにもなかった。
ユキエはレイたちの帰還を笑顔で迎えたいと話していた。カナタの目覚めだって願い続けていた。にも拘らず、どちらも叶えられずに命を奪われてしまった。
それが定めだというのなら。運命だというのなら。
石田サキは、その運命を恨む。憎む。認めぬ。
「お前がっ、お前さえいなければ――」
少女は憎悪の化身となった。
その時、閃光が降り注いで、彼女の機体を灰へと変えた。




